痛い目にあうのは……。(2)
窓が閉まり、外の様子がうかがえる程度にカーテンを閉じる。瞬間、大きく息が吐かれた。肩にも変な力が入っていたのがよくわかる。
「き、緊張した~~。楽、俺苅田っぽく出来てた?」
「うん、嫌なくらい苅田みたいだったよ」
「うわ~~、嫌だ~~。でも良かった~~」
咲と楽は蟹鳥染と会話後、腰が抜けたようにへたりこんでいた。
「意外とどうにかなるもんだな」
粋がむくりと起き、自分で手の拘束と目隠しを外した。
「にしても、お前めっちゃ粋に似てたぜ」
「やったね、変装のバリエーションが増えた」
粋、もとい粋になりきっていた楽が笑う。
「にしても突貫工事で作った張りぼてでも結構騙せるもんだな」
「まぁ、ここは二階だしね。流石に近づかれたらバレるよ」
楽は粋と似た色、柄の着物を用意し、カツラを被り、粋として振舞った。背格好が似ていたことと、昨日のおかげで粋の特徴を理解していたことが功を奏した。そして、粋の役をこなしている楽に代わっているのが、即席のカカシである。カカシには楽の服を着せている。また、カツラと面をかぶせて、腕は粘土でそれらしくしている。遠目にみればたしかに人として見えるだろう、というギリギリのラインである。
二人が立てた作戦は「籠城」だった。苅田が戻るまで家に籠城すれば、少なくとも蟹鳥染たちの計画は崩れる。だが、計画を実行する上で、ここで一つ問題が発生する。いくら心優しい蟹鳥染真澄に対してだとしても、二人の命では軽すぎるのだ。苅田という悪人を退治するための必要な犠牲として成立してしまう。だからこそ、蟹鳥染にとって軽くない物が必要だった。熊手が失敗した今、思い当たる節は、重しは、蟹鳥染粋かその弟だけだった。それでも、その手は使わないと決めていた。だから代わりを用意することにした。自分達で。
結果がこの変装劇である。小道具はもともと手持ちが多かったため、困ることはなかった。普段から使っているこの家への裏口はいくつかあり、誰にも見られずに中に入ることは容易だった。問題は家を燃やされる前にたどり着き、この三文芝居の準備を行えるかだったが、結果は先ほどの通りである。
「……三十分経った。火薬は片付けてくれたみたいだな」
まぁ、まだそんなに遠くには運んでいないだろうけど。
訝しげに咲はあたりを確認し、最後に蟹鳥染へ視線を向けた。
「ああ、まずはお前たちの要求を飲むことにした。まだ少しだけ猶予があるからな。もう一度お前と話がしたかった」
一拍置き、蟹鳥染は話し出した。
「……もう一度聞くが、どうして苅田に従う?生きていくために仕方なく、と言っていたが、俺が君たちの面倒を見ることを約束すれば従う必要ないだろう?」
「さっきも言ったが、信用できない。保証がない。それに、もう遅いだろ」
「遅い?どういうことだ?どうすれば君たちは私を信用してくれるんだ?」
「俺たちはお前の子どもを人質に取ってるんだ、今更お前が俺たちに良くしてくれるなんて思ってない。それにこんな状況でも俺たちに手を差し伸べようなんてお人好し、ますます信用できない」
「……そうか、困ったな。粋のことは確かに怒っているが、君たちは約束を守ってくれている。粋はまだ無事だ。だからまだ、今なら、私は君たちの手を取れると思っているよ」
まっすぐに、咲の目を見て蟹鳥染は言った。
「まずは君たちの名前を教えてくれないか」
「名前を教えたところで何も変わらないぞ」
「ああ、それでもまず分かり合うなら自己紹介からだろう。私は蟹鳥染真澄、この集落のリーダーの息子だ。近々、親父から役職も引き継ぐ。歳は二十二歳。好きな食べ物は家内が作った料理全般だ」
緊張感がない自己紹介に咲は少し毒気を抜かれてしまう。
「……咲。俺は鷲咲だ。こっちのは金剛楽だ」
「そうか、鷲咲に金剛楽か。いい名前だな。歳はいくつだ?」
「……八歳」
「そうか、粋と三つしか変わらないのか。親は?」
「……親」
「ああ、君たちの家族はどうしたんだ?」
「……いないよ。俺たちはこの世界の人間じゃない。だから、ここでの家族は楽だけだ」
「この世界の人間じゃない……。なるほどな」
蟹鳥染は妙に納得しているようだった。
「先ほどのガラス玉の件もそうだが、もう一つの世界から来た人の子であれば、納得できる。君たちの文明は、俺たちの文明より遥かに進んでいるのだろう」
この世界にテレビはない。スマホもパソコンもない。そもそも電気も通っていない。これが、文明の差だった。
「昔、親父にこの世界とは別の世界の人間が迷い込むことがあると聞いている」
「!?」
咲は目を見開き驚く。
「そういう人間のことを『稀人』と呼ぶのだとか」
「……稀人」
咲は思わず口に出していた。
「私は他の集落への顔も効く。元の世界への帰り方を神に尋ねる機会だって作ってみせよう。約束する。どうだろうか」
目を丸くする咲へ、蟹鳥染はまくし立てた。
「私が約束を守るかどうか信じられないのであれば、苅田と同じというのも癪だが、君たちの労働に対する対価として情報や機会を与える方式でもいい」
「だから、そんなこと言われても、俺たちはお前を信用できないっ」
「信用しなくて結構だっ!」
今まで以上に大きな声で蟹鳥染は応戦する。
「信用なんて一朝一夕にできるものじゃない。それはこれから築いていくものだ。君たちはただ、私と一緒に来ると言えば良いっ」
「……っ、うるさいっ、都合のいいことばっか言ってんじゃねぇよ!今まで放っておいたくせに!!それに結局この提案、お前にとって得になるようなこと一個もないじゃん!」
「損得で動いてないから当たり前だ」
「は?」
「……たしかにもっと早くに手を差し伸べるべきだった。子どもを持つまで私は特に深く考えなかったのだ。だが親になり、変わった。私は、お前たちの親の気持ちの方がわかってしまう」
咲は静かに蟹鳥染の話を聞いていた。
「もし、自分の子どもが知らない間に消えてしまったらと思うと、胸が辛くて、どうしようもないっ。……きっと、子どもを見つけるまで探すことを止めないだろうな。どんなに周りから諦めろと言われても諦めきれず、探してしまう。何年経とうと、だ」
咲は息を飲む。
「自分の目の前から消えてしまった子どもが、本来なら毎日一緒に笑っていた筈の子どもが、毎日歯を食いしばって生きている?そんなこと、許せるわけがないだろうっ!!親は、大人は、子どもに笑っていてほしいんだからっ」
「……笑う」
「ああ、いつだって子どもには笑っていてほしい!!」
蟹鳥染は間髪入れずに答えていた。
「辛い思いをさせたくない、それがあるべき大人の、親の思いだ。それがわかるからこそ、私は君たちを見捨てられない。君たちの世界で君たちを必死に探しているであろう親の気持ちが、痛いほどわかるからだ」
蟹鳥染は何かに耐えるように手を握りしめていた。
「……俺たちがいた世界はこことは随分違うよ。だから、俺たちの親が蟹鳥染と同じ気持ちじゃないかもしれない」
「わかるっ」
蟹鳥染は言い切った。
「親が子を思う気持ちは、何百年経っても、何千年経っても、世界が違っても変わらない。じゃなきゃ、あっという間に人なんて滅んでいる!」
今度こそ、咲は目を見開いた。
蟹鳥染は真っ直ぐに咲を見つめて言った。
「梅の花に誓って私は、俺は、鷲咲と金剛楽を害さないと誓おう」
咲は言葉を失うほど驚いていた。それは粋に扮していた楽もまた同じだった。梅の花とは、この集落の神に等しい筈だった。蟹鳥染は神に誓うと言ったのだ。神が存在する世界で。
「君たちは辛いこと、たくさん二人でやりぬいてきたんだろう、だから君たちは強いんだろう。でも、本来君たちは強くなくて良いんだ。そんな強さは必要ない。君たちはまだまだ大人が守るべき対象で、これから守り方を、強くなり方を、人に教わっていくんだ」
咲はまだうまく蟹鳥染が言っていることが噛み砕けなかった。噛み砕いたら、今までの自分達を否定してしまいそうだった。
「でも、だって……」
「でもじゃないっ!俺を、苅田と一緒にするなっ!俺の手を取れ!」
外にいる蟹鳥染と建物の二階にいる咲の距離は離れていた。それでも、蟹鳥染は手を伸ばした。届くはずのないその手を、咲は取ってみたいと思ってしまった。届きそうだと錯覚して窓から手を伸ばしたその瞬間だった。
ドォオン……ッ!
花火とは違う、もっと近くで爆破音が聞こえた。同時に、建物が大きく揺れた。
「なんだっ!?」
蟹鳥染は慌てたように周りを確認する。
蟹鳥染と咲が会話している間に、数名が建物付近へと火薬を運び、爆破させたようだった。
「何してる、私は合図を出した覚えも、火薬を運んでいいと言った覚えもない!まだ中に子どもがいる状況で、何を考えているっ!?」
誰が指示した!?と蟹鳥染が大きな声を出すと、反対に静かな、冷静な声が返ってきた。
「俺が指示した」
自ら告白したのは、さきほど蟹鳥染と一緒に咲たちを捕まえていた、青柿という男だった。思い切り殴られていたため、しばらくは目を覚まさないと甘く見ていたのだ。二人の子どもの予想より随分早く、彼は回復していた。
粋に叩かれた頭の部分をさするように手を動かしながら、冷ややかに告げた。
「真澄、やっぱり俺はあんな子どもよりも苅田を追い出すことを優先させる」
「……青柿っ、お前、何を言っているかわかっているのか!?」
「他人に危害を加え、踏みつけてでも己の願いを押し通すガキだ。多少痛い目見させた方がいい。それに、見てみろ。今の爆破でボロが出た」
青柿の目線の方を蟹鳥染が向けば、楽だと思っていたものは窓にひっかかったカカシだった。
「あれは、人形か……?だが、声は確かに……、そうか、一人二役していたのかっ」
「ああ、だからあそこにいた粋は偽物だ。これで心置きなくこの家を壊せるだろう」
「いや、だからといって待て!待てと言っているだろうっ、粋がいなくてもあの二人はまだ中にいる!」
「っち、うるせぇな。じゃあお前があのガキども引きずり出してこい。人質もいないんだ、簡単だろ」
「……わかった。すぐに戻る」
蟹鳥染はパラパラと燃え始めた家屋へ必死の強硬を仕掛けた。建物は単純な構造をしており、すぐに二人を発見できた。
「咲、楽っ、ここを出るぞ!俺の仲間が勝手に爆破してしまった、急で悪いが……」
蟹鳥染の言葉に全く反応のない二人をよく見れば、二人ともまったく動く気配がなかった。そもそも意識がないようだった。
「大丈夫か!?」
すぐに二人に駆け寄った。二人とも呼吸も脈拍も正常で、ただ気絶しているだけのようだった。
「よかった。これでお前たちに何かあったら本当にさっき説教した俺の面目丸つぶれだ」
蟹鳥染は二人を担いだ。
「よっと。……軽いなぁ、まだまだお前たちはこんなに軽くて、小さな子どもだなぁ」
蟹鳥染は徐々に燃え広がりつつある建物を急ぎ後にした。
蟹鳥染が建物から出てくると、再び火薬の準備が慌ただしく始まる。煙や騒音により、咲はすぐに目が覚めた。
「……ん、あれ、ここ。……っ、おい、離せっ!」
目が覚め、自分の状況と目の前で既に燃え始めている建物を認識し、咲が慌てて暴れる。
「うお、待て、そんなに暴れるな」
「ふざけんなっ、家を燃やしやがったな!俺と楽を離せっ、今すぐこの火を止めろっ」
「悪いが、それは出来ない。俺の仲間が俺の指示を待たずに火薬を使ったことは謝る。配慮に欠ける行動だった、すまない。だが、今この絶好の機会に、無人のこの家を燃やさないという選択肢はない」
蟹鳥染は真剣に炎を見つめた。
「火薬を当初の場所に再度運べ」
「止めろ!!」
咲は蟹鳥染に担がれ、動きが思うように取れなかった。それでも叫んだ。止めてくれ、と。たしかにあの家は苅田の拠点の一つで、仮家で、辛いことがたくさんあった家だったが、それでも、この世界で初めて満足に寝れた場所だった。愛着はなくとも、思い入れはあるのだ。
「止めろっ!!」
「……咲くん」
ようやく楽も目を覚ました。
「楽っ、どうしよう、俺たち、家がっ」
「うん、見えてる」
「止めさせないとっ……」
「ううん、これで良かったのかも」
楽は無表情で言った。
「これで……」
楽が何かを言いかけた時だった。
「人の家でずいぶん楽しそうじゃあねぇか」