私の夫はえげつないくらいイケメンだけど、種族の違いで『おぞましい虫』を食べるのでイケメン好きの妹も手を出してこない件。
私の一番好きなものを、馬鹿にしてくる妹だった。
「――なあに? お姉様、また読書? つまらない人間らしく、つまらないことをご趣味になさるのねえ!」
私は黙って本を閉じ、ただおとなしく微笑する。言い返さない『お姉様』に、実の妹は堂々とマウンティングを仕掛けてくる。
「しようがないわね、お姉様はまともなご友人もひとりもいらっしゃらないし……お姉様、たまにはその冴えないお顔にお化粧でもして、わたくしと一緒に夜のダンスパーティーにでもいらしたら? きっと世界が変わるわよ、そんな面白くもない本なんかたき火に放って、燃やし尽くしたくなるでしょうに!」
「…………私は、本が何よりの友人だから……」
「あらそう? それはそうでしょうね、お姉様みたいな本きちが……あらごめんあそばせ、わたくしとしたことが、きたならしい言葉を……! とにもかくにも、くだらない本のない内容しか話すことのないお姉様なんか、パーティーにお連れもうしても誰ひとりお相手してはくれないでしょうし! いらないお世話を焼きましたわ、ごめんあそばせ、ヴァイオレットお姉様!」
言いたい放題言い散らし、ミスルトゥはドレスをひらめかせて部屋を出ていく。断りもなく自室に押し入られ、好き放題けんかを売られた姉の私は、声もなく本の表紙をなぜた。
……扉を閉めるその刹那、妹の両耳に下がったピアスがちらり、と虹色の光を放つ。私が十五の誕生日に、お母さまからいただいたものだ。
その当時、私は本の中の登場人物に恋をしていた。彼は亜人の吟遊詩人で、虹色のプレシャスオパールのような両目をしていて、日の光があたるたび美しい彩がきらめくと……そう文中に書かれていた。
「ヴァイオレット、今度のお誕生日には何が欲しい?」
お付き合いみたいにそう訊ねてきたお母様に、私はオパールのピアスをお願いした。お母様は『おとなしいイオ』が本ではないものをおねだりしたことに目を見張り、それからどうでも良さそうにうなずき、おつきの者に「プレシャスオパールのピアスを一対」と命じていた。
美しく着飾ったお人形みたいな妹の方を、お母様は愛していた。妹の気質はお母様にそっくりだった。『何を言っても言い返さない相手』『けんかを売っても自分が不利にならない相手』をよりどって、とことんまで馬鹿にした。そうして見目麗しい男子にはとろけるような声を出して甘えかかった。
……それをしても誰も何も言えないくらい、妹とお母様は美しかった。美貌で他を圧倒した。宝石とドレスで着飾り、美しい顔をさらに美しくメイクする術に長けていた。
「ヴァイオレットお嬢様も、素晴らしいドレスをお召しになってお化粧なされば、あんな方たちと比べ物にならないほどに……!」
悔しそうに幼ななじみのメイドが言ってくれたこともあったけれど、それはお世辞だと思っていた。それに私は、着飾ることやお化粧にはほとんど興味を持てなかった。
私はただ、ひたすらに本を読んでいた。読んでいればいるあいだだけ、妹やお母様のさげすむような視線を忘れられた。お父様が若くして病で亡くなってから、お屋敷を出入りする見目麗しい男の方々、その方々のお財布からお母様の開いたドレスの胸元へ差し込まれる札束のこと、その大金の理由のことも、考えずにいられたから。
お父様が亡くなってから、私の居場所はお屋敷にはなくなった。自分自身の部屋ですら、くつろげる場所ではなくなった。本を読んでいようが短い仮眠をとっていようが、我が物顔で妹のミスルトゥが扉を開けて入ってきては、ひとしきりこちらを馬鹿にし、さげすみ、満足した顔で去っていった。
お屋敷のそばの図書館に通う時間が増えた。お父様が亡くなってから……そうしてとうとう、本の中の登場人物に恋するまでになっていた。虹色の瞳の吟遊詩人。彼と同じ美しい瞳にはなれないけれど、せめてこの両耳に同じように虹色にきらめく、オパールの宝石をさげられれば。
そう思い、私はお母様にオパールのピアスをおねだりした。そのために生まれて初めてピアス穴を開け、私は十五の誕生日を待っていた。
犬に骨でも与えるように与えられた宝石のピアスは、私の心のお守りだった。誰に見せるわけでもなく、自分の部屋で鏡に向かい、ただつけてみて微笑んでいた。
そんなある日、部屋に入ろうとすると「あら、綺麗じゃない!」と妹の声が中から響いた。ひやりと水を浴びせられた気になって、急いで自室の扉を開けると――妹のミスルトゥが、私のピアスを身につけて鏡に向かって笑っていた。
ミスルトゥはふり返り、くちびるをつり上げて微笑ってみせた。
「お姉様、これわたくしにくださらない? 本ばかりに耽溺するお姉様がお持ちになっているよりも、わたくしがダンスパーティーにつけていって活用してみせますわ!」
私は、かすかに頭をふりかけ……くちびるを嚙んで、うなずいた。断りでもしようものなら、私おつきのメイドや執事に何をされるか分からない。
お母様はあとで妹にそのことを聞いたらしく、「良いことをしました。ああいうピアスはお前より、ミスルトゥに似合います」と言って薄く微笑していなさった。
あまりに悲しかったので、私は虹色の瞳の吟遊詩人の本を手にとらなくなった。捨てはしなかったけど、自室の本棚の奥の方、目につかないような隅の方に隠すようにしまい込んだ。
……初めて開けたピアス穴は、それっきり放っておくうちにいつの間にかふさがっていた。
* * *
そうしてそれから、二年が過ぎた。
十七になった私は、ますます図書館に入りびたるようになっていった。そんなある日、私は出逢った――亜人の貴族のお兄様と。
「――素晴らしい。それはブラックベリーだね?」
唐突に背中から声をかけられて、私は椅子から飛び上がった。あわてて振り向くと、薄青い肌、尖って細い長い耳……虹色の瞳の美しい方が、息のかかるほど近くでこちらへ微笑んでいた。
虹色の瞳。いつか恋した本の中の、吟遊詩人と同じ瞳……私はパニックに陥りながら、思わずその瞳を見つめて、声もなくただうなずいた。
ブラックベリー。私の読んでいた本の著者だ。男の方はそっとこちらへ手を伸ばし、本を受け取って表紙を眺めた。
「ほう、しかも彼の傑作短編集……『カレイドスコープ』ではないか! ブラックベリーはお好きですか、レディー?」
「は……はい! 私の一番好きな作家です! 中でもこの『カレイドスコープ』が一番のお気に入りで……実をいうと、この本の表題作がブラックベリーのお話の中で一番、何よりも大事なお話なんです!」
「ほう……! どのあたりがお好きかな?」
「全てです! 特に中盤からラストにかけての展開が……妖精と恋した青年貴族、けれども妖精の寿命はたったの十日、妖精はささやくような声で言う……」
私の言葉を受け継いで、青年はうっとりと口にする。
「そう、その時のせりふは……『私を綺麗なうちに殺して、万華鏡の中に亡骸を閉じ込めて……そうすれば、あなたが万華鏡をのぞけばいつだって私の姿が見えるから』……!」
「そうです! そうして青年は泣きながら妖精の言うとおりにして、でも作った万華鏡をみるたびにむせび泣いてしまうから、ほとんどのぞくこともなく……」
「やがて青年が年老いてこの世を去った時、その手の中に握られていたのは……」
『万華鏡……!!』
ふたりでまるっきり同じ言葉を小さく叫び、私は本当に何年かぶりに、心の底からはにかんだ。
「……本当に大好きなんです、このお話……! ラストシーンを読むたびに、涙があふれて止まらなくて……!」
「――泣く? 涙があふれて、止まらない……?」
おうむ返しに訊き返されて、私ははっと口を押さえる。いけない、そんなことを初対面の方に口走るなんて……おかしなやつだと、思われた……?
「――わたしもだ。この話のラストシーンを読むたびに、涙があふれて……」
止まらない。最後は少し恥ずかしそうに薄青いほおを薄赤く染め、青年はそうささやいた。
その瞬間、私は恋に落ちた。
素晴らしい方。私と同じ作家が好きで、同じ本の同じ話が大好きで、私と同じくラストで泣いてしまう方。いつか恋した本の中の登場人物とそっくりな、虹色のオパールの瞳をお持ちの方……。
「いや、素晴らしい出逢いをした! 今どきは誰もかれもダンスに夢中で、本の好きな貴族などは珍しい……ましてやブラックベリーのお好きなご婦人に出逢えるとは! 昨今は本を読むと言っても、現代作家に傾倒するやからが多くて……」
「そう、そうです! 半世紀前に没したブラックベリーを愛するお方に出逢ったのは、真実生まれて初めてですわ!」
「……初めて? あなたの初めてになれたとは、それは嬉しい……」
思わせぶりなその言の葉に、ほおがかあっと熱くなる。青年はそっと私の手の甲を持ち上げ口づけし……あまりに意外な行動に、くちびるの触れたところから一気に熱が広がってゆく。
「素敵な出逢いに、ごあいさつ代わりに……申し遅れました、わたしはウィスタリア。ウィスタリア=マグノーリャと申します。この地方を統べる亜人の貴族です」
「……あなたが……」
あのウィスタリア=マグノーリャ? そう問いかける声は声にならず、私はありったけの想いを込めてうなずいた。素晴らしいお方と聞いている。亜人の民の声をよく聞き、すずめの涙ほどの年貢しか求めず、自らは芸術家で目の覚めるほど美しい彫刻を作り上げ、それを売って主に屋敷の財源に充てているという……。
こちらの手を握る骨ばった手にそっと指を添え、それで返事の代わりにした。それで精いっぱいだった。
「……よろしければ、これからウィスタ、とお呼びください。そうしてあなた、美しいあなたのお名前は?」
「……ヴァイオレット……母からは『イオ』と呼ばれています……」
「イオ……それではヴァイオレット、いや、麗しのイオ……またいずれ……」
それだけ熱を込めた口調で言い残し、ウィスタは図書館の一角からそれは颯爽と歩み去った。残された私は、キスされた手に左手を添え……熱を持った手の甲に、そっとくちびるで触れてみた。
* * *
それからはもう、めくるめくような展開だった。いつの間にかお屋敷に『新しい召使い』が増えていて、それは亜人の肌の薄青い少年で、その少年はしばらくお屋敷につとめていて、いつの間にかいなくなり……、
二か月後には、私と妹とお母様はウィスタリアの巨きなお屋敷に招かれた。ウィスタは単刀直入に、お母様に申し出た。
「あなた様の娘子おふたり、どちらかを妻にいただきたい」
――ああ、もうおしまいだ。こんなに見目麗しい男子を、妹がほっておくはずがない。ウィスタは私を望んでいるのだろうけど、こんな良い話、お母様も「では妹のミスルトゥを」とおっしゃるだろう……。
案の定、目を輝かせて口を開きかけた妹の眼前に、さっと大きな皿が置かれた。銀製のふたを開かれた皿の上に、ほかほかと湯気を立てる赤いベリーの大きなパイが……、
「――ひっ! な、何なのこれ……っ!!」
妹が大げさに身を引いて、のぞき込んだお母様も悲鳴を上げて飛びのいた。不思議に思って目をこらす。……ベリーじゃない、虫だ。赤一色のてんとう虫のような虫がパイの表面一面に、ほかほかと湯気を立てている。
「……我々の種族は、人間とほとんど変わりない生活をする。近い仲間だから結婚した場合、子どもにも恵まれる……だが文化の違いはいかんともしがたい。我々はこの虫を好んで食す。この虫のパイを食べられたなら、わたしの妻と認めよう」
「――と、とんでもない! こんなもの食べるなんて、そんな野蛮な……!!」
言いかけてさすがにちょっとはっとして、妹は少し言葉を継いだ。
「……わたくしたちの信ずる宗教では、『六つ以上足のある陸の生き物』は食べてはならないことになっておりますの。ですからこのお話はお受けできません」
「――私! 私、食べてみますわ。宗教を捨てる覚悟です!」
声を上げた私に、お母様と妹は信じられない顔をした。このおとなしいだけの女が、こんな時にそんなことを言うなんて……と美しい顔に書いてある。
ウィスタはかすかに微笑んで、「そのパイを」をボーイに申しつけ、パイの皿と私をともなって別室に連れていき、切り分けたパイをさし出した。
無言でうながす虹色の瞳の方に、口を引き結びうなずいて、私はパイと向き合った。ちょっと見には赤いベリーのパイだけれど、よく見ると黒く細い足が無数に見える。小さな虫たちの黒くつぶらな目が、無数にこちらを見つめてくる。私はきつく目をつぶり、決死の覚悟でかぶりついた。
「…………美味しい」
信じられない、今まで口にしたどのパイより断然美味しい。足も目も全く口に障らない、みずみずしいベリーみたいな食感で、甘酸っぱい味覚で口の中が満たされる。初めの一口はなかば破れかぶれ、二口目からは真実の美味にほおばる動きが止まらない。
目を輝かせウィスタを見やる私に向かい、ウィスタは虹色の瞳をいたずらっぽくきらめかせ、己のくちびるにそっと指をあててみせる。「ここで待っておいで」とささやき……次の間に通じる扉を開けて、よく通る声で宣言した。
「ヴァイオレットはパイを食した! これで真実、この瞬間から、ヴァイオレットがわたしの妻だ!!」
* * *
ウィスタはいつから用意を始めていたのだろう……一週間もしないうちに盛大な挙式を終え、わたしはおつきのメイドや執事たちと共に、ウィスタの屋敷へ引き移った。
夜ふけてベッドの上、薄絹をまとったわたしの肩を抱き、虹色の瞳の麗人は甘くささやいた。
「うまくいった、何もかも……わたしは前もって君の屋敷にひとりの少年を送り込み、いろいろ下調べさせたんだ。君の妹と母親が障害になりそうだったから、わたしは我々一族の好むあの虫を使い、うまく妹の気をそいで、こうして君を……」
あとは声もなくただ熱く甘く口づけて、ウィスタは私を絹のベッドへ押し倒す。
「……覚悟は良いかい? 私たちと同じくらい、長命になる覚悟は……」
目だけで問いかける私に向かい、ウィスタが熱っぽい声でささやく。
「わたしたち亜人の精を受けると、人間も同じくらい長命になる……イオ……わたしと永く、添い遂げる覚悟は……」
深くふかくうなずく私の首すじに、ウィスタはつっと顔をうずめる。首すじにねっちりとした口づけを幾度も浴びせ、愛しいひとは耳もとで甘くささやきかける。
「……君に、オパールのネックレスをあげよう。あの妹に奪われたものより、ずっと大きくて美しいものを……」
――いりませんわ。
だって私、もう何よりも美しい、愛しい虹色の瞳の方と……!
そう想う私の瞳をのぞき込み、ウィスタは何もかも分かっていると言いたげに、ふっと笑って言葉を継いだ。
「……わたしの瞳と同じくらいに、美しいプレシャスオパールを」
* * *
五年が過ぎた。私は今やウィスタの妻で、幼い三歳の息子の母で、この国で有名な作家でもある。
本当は幼いころから、頭の中で自分なりのお話をいくつも作っていた。妹に部屋に押し入られ、無理やり読まれて馬鹿にされるのが恐ろしくて、文章にして紙に記すことはずっと出来なかったけど、その『才能』はウィスタの愛のもと花開いた。
読書に読書を重ねて練り上げてきたお話は、『オリジナリティの塊』だと書評家たちに評価され、それからじわじわと人気を得て……今や私の名を知らない方は、おそらくこの国のどこにもいない。
そうして姫様さながらに、お屋敷のメイドたちにいじられて飾り立てられ、私は自分でも信じられぬほど……そう、今や会う方ごとに言われるようになったのだ、『絶世の美女で天才作家』と。
そうして今の幸せは、すべてウィスタのくださったものだ。今でもふたりの寝室には、私たちを引き合わせてくれたブラックベリーの『カレイドスコープ』が、本棚の一番目立つ場所に収まっている。
……そして今日、結婚してから初めて、妹と実家のお屋敷で会った。妹は『友人に頼まれた』と私の書いた本を山積みに、私がその本にサインをするのを食いつきそうに眺めている。
妹の目線は、ちらちらと私の胸元も盗み見ている。私の胸には、プレシャスオパールのネックレスが虹色の光を放っている。妹の耳もとを飾るピアスが、石ころにも思えるような見事なオパールのネックレスが。
お母様はご自分のお部屋から出ていらっしゃらない。『少し年齢が見えてきて、あれじゃああんまり金をはずむ気になれない』と……あまり品のよろしくないおじさま貴族が言っていたと、どこからか風の便りで聞いた。
妹はまだ独り身だ。なんでも『ウィスタより容姿の優れた相手』を探し続けているが、そんなお方にはいまだ出逢えていないらしい。
私がひとしきりサインを終えると、妹は口元を歪めて笑って訊ねてきた。
「――そういえばお姉様、相変わらずあの虫を食べさせられていらっしゃるの? お気の毒ね、あんなおぞましい虫を食べ続けねばならないなんて!」
あら、あの虫はとても美味しいのよ? ……私は口を開きかけ、思い直してこう言った。
「――ええ! 本当にあの虫ったら、とんでもなく苦くて汁っぽくて、泥水を口に含んだみたいに口の中が渋くなるのよ! 本当にひどい味、ウィスタを心から愛している私じゃなければ耐えられなくてよ!」
最後にさりげないのろけも添えて、とびきりの嘘、生まれて初めて。だってこの妹に今さら、ウィスタとの愛を邪魔されたくはないのだもの……!
「……ああら、そう? まあお姉様ごときには、いかもの食いの亜人ていどがお似合いね!」
私は極上の笑顔で受け流し、サインを終えてせいせいとウィスタ屋敷に帰ってきた。三歳の息子がたっと走り寄ってきて、「かあたま! いっしょにおやつを食べましょー!」とドレスの足にすりついた。
今日のおやつは、赤いベリーもかくやとばかり、焼きたての赤い虫のパイ。
ウィスタと息子と一緒になって口に運ぶそのパイは、うっとりするほどしっとり甘くみずみずしく、世界で一番美味しかった。
(完)