再び神殿へ
竜の泉の神殿にて、シリウスとルナは再び石碑の前に立っていた。ただ、前回と異なり、今回は魔物の姿はどこにも見当たらなかった。
「ここは街の水質と少し違うんだ。魔力を帯びた水があっただろう?あれは火山性の鉱物が関係していて、そこに含まれる魔力が溶け込んでるせいもあるんだよ」
シリウスは、大賢者の協力を得て調べた結果を基に、泉と街の水脈が通る岩の種類が異なることを話してくれた。その違いが泉の水に影響を与えているものの、ルナの故郷の泉に比べれば、その影響はずっと小規模だと続けた。
「『光と共に流れ…満ちる時…我は応える』って書いてあったけど。石碑の周りにあるこの窪み…。多分、水を注ぐ仕掛けがあるんだろう」
シリウスは街の水、神殿の泉の水、そして神殿三階層の魔力水を瓶に取り、それぞれ少しずつ垂らしてみた。反応があったのは、魔力水を加えたときだった。周囲がほのかに煌めき始めたが、それだけではまだ不十分なようだった。
「ルナ、君の魔力を貸してほしい。できるかい?」
「私、ですか…?」
「ああ、以前の実験でルナの魔力を通した魔力水が光っていたよね。俺がやっても、ほら、この程度の光しか出ないんだ」
シリウスが示す瓶の中の魔力水はかすかに光るだけで、先ほどの煌めきには及ばなかった。
「……わかりました。やってみます」
ルナは戸惑いながらも、魔力を帯びた水の瓶を受け取る。
「魔法を唱える時と同じだ。魔力は少しだけでいい」
ルナは小さく頷き、祈るような気持ちで魔力を込めながら水を注ぎ始めた。すると、水が石碑に触れた瞬間、柔らかな光を帯び、静かに輝きだす。
「なっ…、なに?」
石碑の表面から波紋のような光が広がり、それが周囲を淡い光で満たしていく。やがて光は宙へと浮かび上がり、無数の星屑が舞うようにきらめき始めた。
「ルナ、こっちへ」
「シリウス!」
彼はルナをそっと自分の背後に引き寄せる。その間にも、眩い光は次第に形を変え、やがて人の姿に似た竜の威厳をまとった存在が現れた。その瞳には星々が宿り、放たれる輝きは神秘的で荘厳だった。
「我が名はウィル・オウ・ウィプス。神に仕えしもの。無数にして一なる存在」
「無数にして一?」
ルナが恐る恐る顔を出すと、光の存在は微かに微笑んだように見えた。
「光の子よ、久しいな」
「…えっ?」
突然の言葉に、ルナはドキッとする。まるで彼女自身を知っているかのような口振りに、ルナは戸惑いを見せた。
「神につかえしものなら、神の聖域の泉を知っているのか? 俺たちはその地を探している」
「なぜ探す必要がある?」
「…俺が奪ってしまった魔力を彼女に返すためだ」
重く、しかし真っ直ぐなシリウスの言葉に、ウィル・オウ・ウィプスは一瞬だけ眉をひそめた。
「……彼の地は、マナが宿る深遠なる地。そこへ至るのは容易ではない。ただの人間では、正気を保つことすら困難だろう」
「構わない、知っているなら教えてくれ」
ウィル・オウ・ウィプスの瞳が冷たい光を帯びる。「人間風情には無理だ」と言わんばかりの嘲笑めいた視線が、シリウスを上から見下ろした。
「…シリウス、やめましょう。そんな危険な場所なら、無理して行くべきではありません」
「聞くだけだ。それなら問題ないだろう?」
「でも…」
「方法なら、他にもある」
「え…?」
「光の子よ、我を認めさせてみよ。さすれば、手を貸そう」
その言葉とともに、周囲に無数の光が浮かび上がり、静かに揺れ始めた。
「要するに、力を示せということか」
「でも、私、攻撃魔法はまだ全然…」
「問題ない、一緒にやればいい。俺たちは光の糸で繋がっている。君が足りないなら、俺が補う。それくらいの権利はあるだろう?」
「…シリウス」
「フッ、騎士気取りか?…小賢しい。どれだけのものか、試させてもらおう」
「望むところだ」
シリウスは静かに息を整え、腰の剣に手を掛けた。瞬間、空気が張り詰め、無数の光が激しい勢いで襲いかかってきた。
◆
無数の光が刃となり、四方八方から容赦なく襲いかかる。だが、シリウスはわずかに手を翳し、闇の障壁を展開してその全てを封じた。
「ルナ、この陣から絶対に出ないで。奴を仕留める機会は一度きりだ。杖に魔力を込めて一瞬の隙を突くんだ」
「は、はいっ!」
ルナは震える手で杖を握りしめる。一方、シリウスは陣から跳び出し、光が一つに収束する瞬間を狙って駆け出す。全ての動きが集中した刹那──黒い剣が一閃した。
キィィィィン――ッ!
漆黒の刃が光の中心を切り裂き、一瞬にして閃光が弾けた。シリウスとウィル・オウ・ウィプスの激しい攻防が続く中、ルナはわずかな隙を狙い、必死に自分にできることを探していた。
魔法は一度きりの勝負。しかし、相手は光属性そのものの存在──半端な攻撃では意味を成さない。
(…どうすればいいの?)
焦る気持ちを抑えながら、ルナは心の奥底から答えを探ろうとする。しかし、視線を巡らせても手がかりは見つからない。悩む間もなく──
「キャアッ!」
突如、無数の光の流星がルナを襲う。反射的に身を縮めた瞬間、結界がそれをはじき返し、彼女は無傷で済んだが、衝撃で全身が揺れ、鼓動が速まる。
一方、シリウスは剣を振るい、次々と光を斬り裂いていく。その鋭い剣筋は圧倒的で、光の猛威を封じ込める。しかし…最後の一撃が光を消し去ると、世界は暗闇に包まれ、深い静寂を裂く衝撃音だけが響いた。
「シリウス! そんな…!…シリウス――ッ!!」
ルナの声は闇に吸い込まれ、微かな剣の音も次第に遠ざかる。代わりに背筋が凍るような悍ましいうめき声が響き、不気味な気配が彼女を恐怖で覆い尽くした。
「な、なに…? 何かいるの…?」
耳鳴りのような音が頭に響き、遠くから低い唸り声が聞こえる。けれど目を凝らしても広がるのは深い黒い虚無だけ。見えない恐怖がじわじわとルナを追い詰めていく。
バンッ! バンッ! バンッ!
突如、呪詛のような異物が結界を破り、ルナへ迫って来た。しかしその瞬間大きな威嚇音と共に、ポムのお守りが周囲へと弾け飛んだ。
「…壊れ、た…。ううん、守ってくれたんだわ。怯んでちゃダメ!」
ルナは自分に言い聞かせるように息を整えると、砕け散ったお守りの破片に残る微かな魔力を感じ取り、シャインの魔法をかけた。その瞬間、暗闇の世界に無数の光が花開くように灯っていく。
「あ…、そんな、どうしてキメラがいるの?」
そこには、帝国で暴走したキメラが佇んでいた。いや、それだけではない。無数の肉片が広がり、実験で弄ばれたかのような異形の塊が、不気味に蠢いている。ルナは呆然と立ち尽くし、足がすくんで動けなくなる。あの時の恐怖と悲しみが押し寄せ、空気を凍らせるようだった。
「あ…、ぁ……」
低く唸るキメラの触手が、肉片の塊のようにルナへと伸びて来る。その瞬間、指輪が閃光を放つ。眩い金色の光が弧を描き、金龍が現れた。
「…これは…シリウスの防御魔法…」
金龍は吼えながらその輝きを放ち、禍々しい異物を次々に弾き返していく。その光は、暗闇の中でひときわ眩しく輝いていた。
◆
攻防は続き、金龍は身を挺してルナを守り続けた。その輝きは戦いのたびに薄れ、黄金の鱗は深く裂かれていく。その痛ましい姿に、ルナの胸は締めつけられた。
(いつも……いつも守られてばかり……)
「……私、何もできない……役立たずだわ……」
静かに滲む涙を、情けなく、悔しく思いながら、ルナは唇を強く噛みしめた。だが、そのとき――金龍がそっと顔を寄せ、彼女の頬に優しく触れた。
「…励ましてくれるの?…ありがとう」
金龍の優しい仕草に、ルナは深く息を吸い込む。そして、震える声を抑えるように言葉を紡いだ。
「やる前から諦めてたら、何も始まらない。…私にできること、ちゃんと見つけなきゃ!」
ティアラは涙を拭い、静かに前を向く。
──闇に立ち向かう小さな決意が、彼女の心の奥で確かな光を灯し始める。
「あなたは……あの時の魔獣? ……無数の魂の叫びが聞こえる……無念、悲痛、混沌……。でも、それだけじゃない……。これは敵意じゃなくて……切望……?」
ルナは魔獣の心を感じ取り、震える唇から静かに音を紡ぎ出す。
(お願い……私に光の子の力があるなら、応えて…)
胸の奥が温かくなり、脈拍が力強く響き渡る。その感覚に戸惑いながらも、眠っていた力が少しずつ目を覚ましていくのを感じた。
「ラァ――」
祈りの唄が亡者を鎮める旋律となり、静かに広がっていく。ポムの石が歌声に応えるように光を放ち、魔獣の姿は無数の星屑となって空へ溶けていった。
『この時を、待っていた…。我らの光の子…』
ルナの胸が熱くなった。あの魔獣は、やはり……。そう確信した瞬間、金龍が力強く吼え、その鱗が再び黄金の輝きを放つ。眩い光が空間に溶け込み、一筋の道となって広がっていく。
その先には、金龍を思わせる輝く髪をなびかせた青年が、静かに佇んでいるように見えた。
◆
「まさか、あの時の夢がこんな形で繋がるなんて思いませんでした」
「騙すような真似をして、すまなかった」
ウィル・オウ・ウィプスは、帝国の生物実験で犠牲になった魂たちの集合体だった。彼らはルナへの恩を胸に神に懇願した。
神はその願いを聞き入れ、ルナたちが神話の地を訪れる未来を予見する。そして、「光の子の眷属となる」という条件のもと、彼らは地上に降りることを許されたのだった。
「眷属には力の証明が必要になる。それゆえ、戦いに応じさせる必要があった。だが、少々誤算が生じてしまった…。奴にここまで魔力を乱されるとは…」
「お前がルナを異空間に閉じ込めたせいだろ。探知できても転移は不可能だったから、魔法回路を壊すしか方法がなかったんだ。先に事情を話してくれれば、こんな手間はかからなかったさ!」
「ぬぅ…、我らにも事情がある。光の子の覚醒に触れなければ、眷属としての契約は結べぬ決まりだ!!」
「あ、あの、二人とも喧嘩しないでください。私がもっと早く光の子として目覚めていれば、こんなことにはならなかったんです…。ウィル・オウ・ウィプス様、それにシリウスも…ごめんなさい」
「気に病むことはない。我らが自ら望んでここへ来たのだ」
「そうだな。ルナが謝る必要なんてないよ」
そう言いながらも、二人の視線は鋭く交わり、未だ睨み合ったままだ。
(な、仲良くしてほしいんだけどな…)
険悪な空気に、ルナはブルブルと震えてしまう。
「しばらく、ここに留まらねばならないが、召喚には応じられる。必要な時には、いつでも我らを呼んでほしい。それから、我らに敬称は不要だ」
「ありがとうございます。それでは…」
ルナは静かに目を閉じ、手を胸の前で組んだ。眷属となる彼らへの感謝と誓いを込めて、言葉を紡ぐ。
「ウィル、あなたを私の眷属として迎えます。いかなる困難も、あなたの力が私を支える礎となることでしょう。…それから、私のこともルナと呼んでください。今はこの名を使っていますので」
「御意」
その短い言葉には、契約の重みと揺るぎない忠誠が宿っていた。新たな仲間を得たことで確かな前進を感じる一方で、ルナの心には、光の子として覚醒した際に得た膨大な知識が静かにざわめきをもたらしていた。