神竜の泉でお昼ご飯
神竜の泉のほとりには、小さな神竜の像が静かに佇み、透き通った水面が広がっている。だが、それ自体には特別な力は感じられず、ただの清らかな水のようだった。二人は神殿を一通り探索したものの収穫はなく、再び泉へと戻ってきていた。
「この像、小さいけれど、レヴァン領の白竜に少し似ている気がします」
「言われてみれば、確かにね」
ルナは、自分の生まれ故郷であるレヴァン領での水精霊祭を思い出す。彼女の守り石もその祭りの中で偶然生まれたものだった。
「泉はこんなに綺麗なのに…お顔が見えなくなってますね。ちょっと可哀想」
故郷の石像は堂々と飾られていたが、この像はひっそりと佇み、どこか寂しげだった。ルナは静かに手を伸ばし、苔をそっと払い落とした。
「ルナ、手が汚れるよ」
「少しだけ。…これくらいなら平気です」
ツタを取り、土を払っていると、シリウスがそっと手を止める。
「なら、こうしよう」
彼がルナの手を取り、軽く魔法をかけると、彼女の手も石像の表面もみるみる綺麗になっていく。
「わぁ…ありがとうございます。こんなお顔だったなんて。ふふ、可愛い」
「そういえば、奥にも似たような絵を見たような…」
「え?」
「禁止区域のところだよ。壁に何かあったような気がする」
「もう一回、行ってみましょう!何かヒントが見つかるかもしれません」
◆
二人はもう一度、神殿の禁止区域に訪れることにした。壁には似たような竜の絵が数体描かれていた。そこを中心に周囲を念入りに探ることにする。
「どうして禁止区域って言われてるんでしょう?」
「行き止まりのはずなのに、最近、魔物が出るって噂でね」
「噂……、あれ?」
「ルナ、どうかした?」
「あの、ここ。ちょっと隙間が。それにこっちに変な凹凸もあるような」
「どれ?」
ガコンッ
「…え…、隠し扉…?」
「へぇ、奥があったのか。ルナ、お手柄だね」
「えへへ、じゃあ、もう少し先に進んでみま……キャッ!?」
そう言いかけたその時だった。奥からピョンッと何かが飛び出してきた。それは、…なんと、動くキノコだった!!!
「……きっ!?」
「お化けキノコだ。下級の魔物だよ」
シリウスが軽く蹴飛ばすと、キノコはキャンッと悲鳴を上げて消えてしまった。
「なるほど、魔物はここからだったのか。奥も暗くないし、まだ誰も踏み入れたことのない神殿の内部かもしれない。ルナ、行ってみよう」
「は、はい」
シリウスは、ルナに秘められた力について思いを巡らせていた。それは神に近しい光属性に優れた祝福の力。神の聖域の泉を探していたのもそれに関連していたからだった。
(以前、来た時、あんな凹凸や隙間なんて、なかったような。ルナが発見したのはただの偶然か?それとも…)
「シリウス、またキノコが!」
「え?」
奥へ進むと、さっきのキノコが道の端々に点在しているのが見えた。
「刺激しなければそのままでも平気だよ。でも、せっかくだし、倒して行こうか」
「倒すって…」
「叩いたり、蹴ったら消えるから。簡単だよ」
「…かんたん」
「来たよ、叩いて」
「え…ええっと、えいっ!!!」
言われた通りに杖で叩くと、ポンッと消えてしまった。
「…できた。何だか、廊下をお掃除しているみたい」
「ふふ、掃除か。あ、またそっち行ったよ。踏んで!」
「えっ!!キャッ!…あ、あっ、…ひゃんっ!!」
足の間をトコトコ歩くキノコを踏ん付け、思わずこけてしまう。キノコはキャフンと鳴って消えてしまった。
「大丈夫かい?」
「…はぁ。ちょっと、びっくり、しました」
手を差し伸べられ、ルナは恥ずかしそうに起き上がる。
「ルナ、ギルト登録証を見せて。レベルが上がってるかも」
「…え?あっ、レベル8です!!!」
「よかったね。ここの階層は弱い魔物しかいないようだし、このまま頑張ってレベルを上げていこうか」
コクンと頷き、先へ進む。魔物はまだまだ怖いけれど、このキノコはもう怖くないと少しだけ自信が持てたルナだった。
◆
神殿内は一階、二階層を進んだ後、三階層に到達した。そこはまるで地上に出たかのように、あるいは温室に迷い込んだかのような美しい草木に囲まれ、泉が湧き出る場所だった。
「ここの水…、少しマナが濃いな。石への効果は期待できないけど面白い」
「面白い?」
「いや、色々な可能性を秘めてると思ってね。レヴァン湖も同じような性質があるんだよ。あ、ちょっと試したいことがあるんだけど。ルナ、この瓶に少し魔力を注いでくれるかい?」
「は、はい」
「杖の先端に魔力を通すようにして、少量だけだ」
「わかりました」
ルナが慎重に魔力を注ぐと、瓶の水が淡い光を放ちはじめた。ほのかに輝く液体は、見ているだけで心が洗われるような神秘的な輝きを放つ。
「光ってます!…あ、消えちゃった」
「……なるほど」
「え?」
「…いや、すごいね。上手に魔力を通せたってことさ」
(一瞬だったが、光が虹色に変わった。普通、あんな反応はしない。…でも、こんな話をしたら、きっとルナは必要以上に気にしてしまうだろうな)
シリウスは一言では伝えきれない事実を、いったん胸の内にしまい込むことにした。そっと瓶を回収すると、泉の水を数本分新たに採取し、それらをある場所へと転送魔法で送り届けることにした。
「どこに送ったんですか?」
「先生のところだよ。こういうのを調べるの、大好きな人だからね」
先生とはシリウスが留学したコランダム国の宮廷魔術師長であり、大賢者アレクサンドロス・クリソベリルのことだ。
「研究材料を見つけたら送ることにしてるんだ。ついでに相応の報酬も、もらえるしね。ルナも面白いものを見つけたら、教えてね。送ってあげたら、先生もきっと喜ぶよ」
「はい!」
大賢者はルナにとっても大変お世話になった人だった。今でこそ、シリウスの魔法に戸惑うことはないが、帝国を出た当初は精神的に不安定で、その時、真っ先に頼ったのが大賢者だった。
「ルナ、疲れてない?」
「まだまだ元気です。どうしたんですか?急に」
「いや、その…さっき魔法を使ったからさ」
「あれくらい魔法を使ったうちに入りません。全然、大丈夫ですよ?」
「うん…、でもね…」
先ほどの異常な反応が引っかかり、シリウスはルナの体調を案じていた。しかし、何も知らないルナは、それを単なる過剰な気遣いと受け止め、空気を和らげようと別の話題を振ることにした。
「それじゃあ、気分転換にお昼にしませんか? ここなら魔物もいなさそうですし」
「あ、ああ、それはいいね。大賛成だ」
そのリュックは、空間拡張と軽量化の魔法が施された便利なアイテムで、少々値が張るが冒険には欠かせない代物だった。ルナは、そこからゴソゴソとお弁当や飲み物を取り出すことにした。
「今日のランチは、森の熊さんのもりもり亭で作ってもらったサンドイッチ【子熊さんのわくわくピクニックBセット】です!!!」
「ルナ、もしかして名前で選んでない?」
「そ、そんなことないです!ほら、この前食べたチキンサンド、シリウスもすごく気に入っていたでしょう?他にもハムサンドやたまごサンドもありますし…」
必死に説明するルナに、シリウスは思わず可笑しくて笑ってしまう。しかし、お子様ランチのような名前の割に、実際はとても美味しく、気づけばルナよりもシリウスの方がたくさん食べていた。
「シリウス、口の横、ついてますよ。あ、もうちょっと右です」
「え、こっち?」
「ふふ、ここですよ」
ルナがハンカチでシリウスの口元を軽く拭き、ニコッと微笑む。その瞬間、不意打ちの矢がブスッとシリウスの心臓に命中する。しかし、ルナは全く気づかず、リュックの中をごそごそと探り始めた。
「実はデザートもあるんです。【子熊さんの秘密のクッキー】!」
「ん、うん」
「ココアの生地でできた可愛い熊さんが、まーるいチョコを両手で抱えてるんです。その中には、なんと仕掛けがあるんですよ!すごいですよね!可愛いですよね!」
「うん、可愛い」(ルナが)
「ギュッと抱きしめたチョコの中には、『ザクザクチョコフレーク』、『とろける生チョコレート』、他にもイチゴやオレンジソースが入ってるそうなんです。それから、びっくりするような当たりも入ってるらしくて。ふふ…ワクワクしますね」
「…うんうん」(守りたい、その笑顔)
「シリウス?ちゃんと聞いてますか?」
「……あ、うん、聞いてるよ。当たりがあるんだろう?」
「はい、シリウスはどのクッキーがいいですか?当たりは口の中がパチパチ跳ねちゃうそうですよ」
「ルナが選んで」(ルナがぴょんぴょん……可愛すぎか)
「じゃあ、こっち。後で、どんな味だったか教えてくださいね?」
「ん…、わかった」(いや、全くわかる気がしない)
ぼんやり上の空なシリウスを前に、ルナは、まるで小さな子どもにするように、クッキーをひと口あーんと差し出した。
「…クッ、………不意打ち」
「え、まさか当たりですか!?ねぇ、シリウス!?」
(俺の嫁が、可愛くて、つらい…)
表情こそ崩さないシリウスだったが、脳内では無事ノックアウトしていた。
当たりは、パチパチする飴が入ってます。