ティアラとカイル
「レオンさん、いい人でしたね。お菓子まで頂いちゃいました」
「昔から面倒見がいいんだよ。でも、ギルド長になるとは驚きだったな」
興奮気味だった受付嬢たちも、ギルド長の登場であの後、冷静さを取り戻した。というか、ルナがフードを外し、嫁として紹介されると、みんな一斉に「参りました…」と崩れ落ちたという方が正解かもしれない。
「レオンから連絡があるまで、何個か依頼をこなしておこう。…ルナ、疲れてない?平気だったら少し周辺を回ってから宿屋へ行こうと思うけど。さっき気になってた飴の店とか…」
そう話していると、目の前の屋台が突然大きく揺れ、物が倒れたかと思うと、二匹の狼の獣人が雪崩れ込むように飛び込んできた。
「きゃっ、何…!?」
シリウスは瞬時にルナを引き寄せ、避けざまに騒ぎ始めた獣人の足元を引っかけて転ばせた。
「ギャンッ!」
獣人は声を上げて転がり、痛そうにお尻を摩っている。
「なんだてめえ!!!」
「そっちこそなんだ?突っ込んできたのはお前だろ」
「……それもそうだな…って、いやいや。これはだなっ!あいつが急に殴ってきたからっ!!…グアッ!!!」
そう言い合う間もなく、もう一匹の獣人が右ストレートを炸裂させる。そこからまたゴロゴロゴロと取っ組み合いが始まってしまう。周囲の人々も「なんだなんだ」と集まりだし、即席のストリートファイトが開幕してしまった。
「どうした、仲間割れかぁ?」
「いいぞ、もっとやれ!」
「おっと、いい一発!続けろ!」
「ちょっとそんなことより、店破壊すんじゃないわよっ!!」
誰も止めないし、もっとやれって…どうして?とルナは混乱するばかり。
「さっき謝ったじゃねーかっ!」
「うるせーっ!こっちはずっと、ずっと…待って…やっと掴んだと思ったのに…」
「あぁ?ヤッちまったもんはしょうがねえだろ?」
「クソやろっ!!!」
ガブッと首を噛み、ルナは思わずシリウスにしがみつく。ヤるって、誰かを殺したってこと?それともやむを得ず、危ない仕事でとか…?と怖くて震えていたが。
「俺のプリン返せよなーーーーー!!!」
「……え、プリン?」
被害者はプリンのようだ。
よく見れば、二人が出てきた店に『幻の限定プリン、一日50個限定』とある。
「…プリン」
「プリンかぁ」
ヒソヒソならぬプリンプリン…と騒めき始めた。
「…さ、行こうか」
「あ……、はい…」
悔し泣きする狼の獣人の背後には、夢のプリン屋さん「スイート・ドリームス」の看板が掲げられ、その下には「幻のプリン完売」の文字が躍っていた。
◇夢のプリン屋さん「スイート・ドリームス」◇
ふわっ、トロっ、しあわせの3層プリン
今日も運試し!一日50個限定、あなたの運命のプリンを見つけよう!
食べた瞬間、あなたもたちまち笑顔に…!幸せに!!
◇◇◇◇
◆
街の賑わいを楽しみながら買い物を終えた二人は、宿屋の扉を開けた。
「一番上等な部屋を」
「シリウス、そんな部屋じゃなくても…」
「大丈夫だよ、ルナは心配しなくていい」
「本当に?」と、金銭感覚に疎いルナも思わず不安げに尋ねる。
(長旅だし、節約したほうがいいんじゃないかな)
そんな思いを抱えていると、ふくよかな宿のおかみさんがにっこりと声をかけてきた。
「おやまぁ、小さいのにしっかりしてるねぇ。兄さん、もっと抑えた部屋もあるよ?こっちにしとけば、妹ちゃんも困らないだろう?」
「あ、えっと…妹、じゃなくて」
「違うのかい?じゃあ、初心者さんとベテラン冒険者のペアかね!それならこっちの二部屋も窓際でいい部屋だよ!」
「あ…その…」
ルナが被っている猫耳フードのマントは、初心者の冒険者や子供に人気の装備だ。小柄なルナと、対照的に背の高いシリウスが並んでいる姿を見れば、おかみが誤解するのも無理はなかった。
「二人用の一番上等な部屋を一つ。それでいい」
「へぇ、高級な部屋を選ぶとは豪気だねぇ。でも、初心者の子にはちょっとお高いんじゃないかい? ベテランなら、金の使い方も教えてあげたほうがいいと思うけどねぇ」
「払うのは俺だが?」
「え?」
「あの、夫婦なので」
「えっ、夫婦!? そりゃ失礼しました!」
おかみさんは、凸凹コンビを部屋へ案内しながら、「これはお詫びだよ」と食堂の割引チケットを手渡してくれた。
「…森の熊さんのもりもり亭、特製ビーフシチュー。くまさん特製スパイスとじっくりホロホロ肉…」
「ふぅん、頼んでみる?」
「是非行きたいです!」と、ルナは小さくコクコク頷き、目を輝かせる。食堂は一階にあり、二人は少し休憩した後、早速利用することにした。
「もりもり亭、初心者のお客様に召し上がって頂きたい組み合わせ…。コレぞテッパン…、うーん…」
「ルナ、メニュー決まった?」
「この『ジューシーチキンサンド』と『熱々ディニッシュに冷たいミルクアイスのせ♡』というのが美味しそうなんですけど、そしたらビーフシチューが食べれないし…ちょっと迷ってます」
「じゃあ、全部頼んだらいい。すまない、注文を頼む」
「え!でも、そんなに食べられないですし…」
「ルナはチキンサンドのセットにして、ビーフシチューは二人で分けよう。他にも俺がいくつか頼むから…。あ、あとこれとこれ、それからこの古城の焔を頼む」
シリウスは迷うことなく店員に次々と注文を告げていく。
「古城の焔…?…あ、ワインの名前か…」
【古城の焔】
力強いスモーキーな味わいがシチューの深い旨味を引き立て、相性抜群です。
【紅葉の森の涙】
秋の収穫にぴったりな深みのある味わい。濃厚な料理に華やかさを添えます。
【星降る草原の夢】
フルボディで少し甘みも感じる赤ワイン。スープ料理に程よいアクセントを加えてくれます。
「相変わらずのワイン好きですね」
「せっかくだからね。こういうのも旅の楽しみの一つだろう?」
「ふふ…私はこの『星降る草原の夢』って名前が可愛くて気になりますね」
「じゃあ、ルナの分も頼む?」
「もうっ、お酒弱いって知ってるくせに」
ルナがぷくっと頬を膨らませると、シリウスはおかしそうに笑い、指で彼女の頬をふにふにとつついてきた。そんな和やかなやりとりをしている間に、料理が運ばれてきて、二人は目を合わせて小さく笑みを交わした。
「お待ちどうさん!どれも自信作だから、ほっぺが落ちるよ!じゃあ、ごゆっくり楽しんで!」
「美味しそうだね」
「……シリウス、あの…」
「…ん?」
「こっちも半分こしてもいいですか?これは、食べきれそうにない、です」
ドーン!!と目の前に出されたチキンサンドとデザートは、まるで店名にちなんだかのように、盛り盛りサイズだった。
「…まるで、熊さんサイズ…」
「ルナは子熊だもんね」
「こぐまじゃないです!私だって、ちゃんと大人ですっ!」
◇森の熊さんのもりもり亭◇
『割引チケット:30%オフ』
チケット持参で、当店自慢のビーフシチューが30%オフ!
「もりもり」の秘密は、熊さん特製スパイスとじっくり煮込んだホロホロお肉!
さらに、熊さんが「美味しい」と認めたあなたには、特製デザートの試食券をプレゼント!(熊さんの気分次第ですが…)
さあ、森の熊さんのもりもり亭で、あなたも至福の一杯をどうぞ!
◇◇◇◇
◆
ビーフシチューは当店自慢というだけあってほろほろ肉で味が染みててとても美味しかった。お風呂から上がったルナはほかほか気分で扉を開けると、部屋の窓から外を眺めるシリウスの後ろ姿が目に入った。
「…わっ、ルナ。どうしたの?」
振り向くと、彼女は後ろからそっと抱きついてきた。シリウスは驚きつつも、その小さな体が自分の背に寄り添うのを感じて、優しい笑みを浮かべた。
「カイルの背中、大きくて、あたたかい…」
その言葉に、シリウスの背がわずかに揺れる。以前の呼び方に戻っていたが、この二人きりの時間に、無理に改める必要もないだろう。
「ここは賑やかな街ですね。昼も夜も、明かりがたくさん灯ってて、みんな楽しそう…」
「ティアは?」
「え?」
彼もまた、今だけは彼女の愛称を口にする。
「…少し怖いこともありましたけど、初めて見るものがいっぱいで、ふわふわしました。…まだ見れてない場所も沢山あるし、カイルともっと色々見て回れたらいいなって…。あっ、いえ…その前に依頼をこなさないと、ですよね」
そう言って彼の背に頬を寄せると、あともう少しだけこの温もりに甘えていたいと思った。
「ふわふわ、か。そう言ってもらえてよかった。俺も、ティアと同じさ」
「え?」
カイルは、静かに腕を解いてしまう。それが少し名残惜しく、ティアラは思わず彼を見上げた。
「留学して、帝国から離れていた時にさ…、父から外交関連の仕事を頼まれることもあったけど、冒険者として世界を巡り、いろんな人と出会った。種族や考え方も様々で、本当に興味深いことがたくさんあった。…でも、ここにティアがいたらどんなに楽しいだろうなって、何度も思ったんだ」
「……カイル」
「だから、今こうして一緒に旅ができるのが心から嬉しい。ティアも、遠慮せずに自由に楽しんでほしいと思ってるんだ」
柔らかく微笑むと、カイルは両腕を広げて、優しく包み込むように抱き寄せてくれた。ティアラが引け目を感じる一方で、カイルにも譲れないものがあった。
かつて彼は魔力暴走により、彼女の魔力を奪い、魂を支えるマナを衰弱させてしまった。その影響で精神崩壊の危機に陥り、当初は精神魔法による記憶の改ざんで安定を保つしかなかった。
現在、記憶は徐々に本来の姿を取り戻し、かつて恐怖の対象だったカイルの魔法も、時間をかけて受け入れられるようにまで変化していた。
ティアラの微弱なマナに魔力を返しながら、カイルは彼女に宿る《《未知の力》》との関係を今も探り続けていた。
彼女の命を守るために何ができるのか──彼は揺るぎない決意で責任を果たそうとしていた。
「魔力を返すよ。少し守り石を借りるね?」
ティアラの首から下がる守り石をそっと手に取り、彼女の手に重ねるように触れる。
「カイルも魔力が疼く時はいつでも教えてくださいね?この石は元々、カイルのために作ったんですから」
「ありがとう…でも平気だよ。魔力を少しずつ返して、だいぶ楽になってきたから」
憂いを帯びた瞳で見つめる彼女の頬にそっと指を添え、静かに唇を重ねる。すると守り石が淡い光を放ち、魔力が柔らかく流れ込んでいった。
交わる魔力が、いつの日か穏やかに溶け合うように、心からの祈りを込めて。