シズクの街とギルド
昼下がりの街は活気に満ち、人々の話し声や屋台から漂う美味しそうな香りが広場いっぱいに溢れていた。ルナはキラキラと目を輝かせ、カラフルな露店や行き交う人々に目を奪われていた。
「…わぁ、綺麗な飴細工」
「ここは神話で有名な場所だからね。竜をモチーフにしたものが多いんだよ」
シリウスはルナの猫耳フードを深く被らせ手を引いた。彼女もハッと、ばつの悪い顔をする。
「…ごめんなさい。ちょっと浮かれてました」
「気にしなくていいよ。今は新人冒険者とそれを見守る上級者冒険者だろう?」
そう言われ、ルナは小さく頷き視線を落とした。
クリス皇子の歪んだ玩弄で心が壊れかけた自分を救い、帝国から逃げ出させてくれたのはシリウスとその家族だった。シリウスの父であり宰相のフォルティス卿が取り計らい、帝国には「療養地へ向かう途中で事故に遭い、遺体も見つからないまま行方不明」と報告されている。
今は身を隠し、冒険者として旅をしているが、その重荷を一番に背負わせてしまったのはシリウスである──その事実が彼女の胸を重くさせた。
「先にギルドに行こう。何かいい情報があるかもしれない」
「…あの、危険な依頼は避けてくださいね?」
「大丈夫、いつもその約束は守ってるつもりだよ」
彼女が心配そうに見つめるのをよそに、シリウスは優しく微笑み、ギルドへと足を向けた。
◆
「きゃぁぁ!なんてイケメンーーー!絶対、あたしが案内しますっ!シリウス様って言うの?おひとりで?それとも同行者、妹さんかしら?…あっ、いえ、そんなことよりシリウス様のギルド登録証をぜひあたしに確認させてください!」
「ちょっと、マリーナ!抜け駆けは許さないわよ!?案内役なら私がやるから、あんたはあっちのゴリラの相手でもしてきなさいっ!」
隣の受付にいた厳つい男が「俺のことか?」と微妙な顔を向ける。
「ハイハイ、お二人とも、お静かに。…コホン、ここはやはりチーフのわたくしが対応するべきです。SSランクのお方が来ることなんてめったにないし、わたくしがしっかりと〜〜」
「えっ!ローザ先輩、今、SSランクって言いました!?シリウス様、ほっ、本当ですか!?やだ、登録証の色が違う…。世界で数人しかいないレア中のレアカードって言われてるやつですよねコレ!?」
「ちょっと、シェリー先輩にも貸しなさいよ!」と、先輩風を吹かせるシェリー。三人がその登録証をまじまじと見つめて震えていると、次第に周囲の冒険者たちの視線もこちらに集まり始めた。
(…なんか、コワイ…)
「ははっ、SSランクなんてよく言うぜ。本当かどうかも怪しいもんだな?見かけ倒しの詐欺師じゃねえのかよ。おい、新人のお嬢ちゃん、そんなやつよりも俺の方が安く引き受けてやるぜ?」
ゴリラと言われた男が嘲笑気味にこちらに話を振ってきた。
【シリウス・ドラクール:魔法剣士、SSランク】
【ルナ・ドラクール:見習い魔術師、Dランク】
登録証にはそう記されているが、それは偽名だ。本当の名前はカイル・フォルティス、そしてティアラ・フォルティス。ただし、記された実績は紛れもなく本物だった。シリウス(カイル)が留学中に登録し、着実に積み上げた経験の証である。
「言いがかりはやめてくださ…」
「ルナ、いいよ。あんなのと話してたら口が腐る。それより受付の君、ギルド長を呼んでくれないか?」
「腐るっ!?はっ!!自分じゃ収められないからってギルド長を呼ぶってのか?情けねぇな、詐欺師のにーちゃんはよぉ!」
無視を決め込むシリウスに、男はますますイライラする。
「嬢ちゃん、今からでも遅くねぇ。そんなやつ、信用しない方がいい。そうやってカモられたやつを俺はよ〜く知ってるんだ。ほら、こっちへ来いよ!」
「…きゃっ!」
その瞬間、黒い霧が鋭く蠢き、まるで生きた鎖のように男の腕を捕らえると、容赦なく地面へ叩きつけた。
「なっ…!?……闇魔法だとっ!?」
「…汚い手でルナに触るな。死にたいのか…?」
ルナに向けた好青年の面影は跡形もなく、シリウスはゴリラ男を容赦なく締め上げ、「ゴミ虫がルナに触れるなんて百年早い」と言わんばかりの冷酷な眼差しを向ける。
受付嬢たちには「ゴリラ」と言われ、シリウスには「ゴミ虫」扱いで、少々哀れなゴミ虫ゴリラ男である。
「ヒッ!!!俺はただ親切心で言っただけで…、そんな…、グアアアッ…!!」
ゴミ虫ゴリラ男の悲鳴に、受付嬢たちは震え上がった。すると、騒ぎを聞きつけて、奥からくたびれた服の男が顔を出してきた。
「なんだ、また揉め事か?お前ら、ほどほどにしろよ…って、お前は…、シリウス!?シリウスじゃないか!どうしてこんなところにいるんだ?!」
「レオン、久しぶりだな。手紙を送ったはずだが、届いていないのか?」
「えっ?あ、ああ…すまん!最近忙しくて、書類が山積みになってたもんで…」
「え?ギルド長、もしかしてお知り合いなんですか?」
受付嬢のローザが尋ねる。
「ああ、昔ちょっと一緒にパーティを組んでいたことがあってな。あの頃は確か、Sランクの魔法剣士で、上級魔法もバンバンぶっ放しててなぁ…って、ん?どうした?」
「ま、マジかよ…!」
「早く言ってよ」、「今更な解説…っ」などと周囲は一瞬ざわついたのだった。
◆
ギルド長のレオンは、三十手前で気さくな性格の面倒見の良い男だった。身なりさえ整えれば見れる顔立ちだが、ギルド長の机には書類が山のように積み上がり、身だしなみに気を遣う余裕はなさそうだった。
「まさかSSランクになってたとはな…。それで、あれから石は見つかったのか?それにその子は?新人指導なんてどういう風の吹き回しだ?」
「妻だ」
「…つっ?!はぁっ?!誰の?!」
「俺の、妻だ」
「はぁあああああああああ?!」
「レオン、うるさい」
「だっ、だって、嫁だろっ!?お、お前、いつの間に結婚したんだよ!?クソッ…、俺だってまだ独身なのに、年下に負けるなんて…」
動揺したレオンは、声を張り上げたかと思えば、今度はガクッと肩を落としてしまう。
「でもお前、妹かなんかの為に特殊な石を探してるって前に言ってたじゃないか!」
「それは、彼女のことだ。色々あって国を出たんだ。石は一応見つかったけど、それだけじゃ駄目だったんだ。だから今は関連のものを探してる。…ルナ」
紹介されたルナは、そっとフードを外し、艶やかなホワイトブロンドの長い髪を揺らせ、ぱっちりとした紫の瞳をあらわにした。その可憐な姿に、庇護欲が一瞬にして爆発したレオンは、動きを止めて固まってしまった。
「…妖精……?」
「え…?……あっ…シリウス?」
シリウスは「もう十分だろう」とばかりに、ルナの頭に猫耳フードをそっと被せ直した。
「おいおい、そりゃないぜ。俺たちの仲だろ?嫁さんは国宝か何かってか?」
「いや、むしろ世界遺産級だ」
キリッと真顔で言い切るシリウスに、ルナは赤面し、フードを深く被ってしまう。そんないじらしい彼女の仕草に、レオンもつられてジッと見入ってしまった。
「か、かわいい…」
「レオン、見るな」
「しょうがないだろ、綺麗なもんなんて見慣れてないんだから!そんな怖い顔するなよ」
レオンは「何もしないって」と言わんばかりに手を上げてアピールするも、シリウスは眉を寄せ、赤くなったルナを庇うようにそのまま後ろに隠してしまった。
◆
ルナたちの旅には、明確な目的があった。
かつてシリウスの魔力暴走に巻き込まれたルナは、その影響で魔力を奪われ、魂を支えるマナが大きく損なわれてしまった。
魔力を取り戻すには、マナを安定させる特殊な鉱物が必要だった。長い旅の末、ようやく適した【守り石】を見つけることができたものの、新たな問題が浮上する。ルナの魔力回路は複雑に絡まり合い、魔力を移行できてもほんのわずかしか受け入れることができなかったのだ。
一方、シリウスにとっても守り石は重要な存在だった。彼は膨大な魔力を抱え、余剰分をルナに移していたが、それでもなお体内に圧倒的な魔力が滞留していた。本来ならば制御しきれず暴走の危険すらあったが、守り石の力によってその負担を軽減し、安定を保つことができていた。
欠ける者と満ちる者──二人は互いに支え合い、守り石の力を頼りに未来を求めて旅を続けていた。
「石の効力を高めたい。そのためには、マナが豊富に集まる神の泉が必要だ…今は、それを探してる」
シリウスはそう言った。
「なるほど、それでここに来たのか。確かにこの地域には、神竜の鱗が落ちてできた泉があると言われる神殿があったな…」
そういうと、山積みになった書類の中から資料を掘り起こし、パラパラとめくり始めた。
「立ち入り禁止の場所があったはずだ。…ちょっと調べておくよ」
「ああ、助かる。それと、上級ランクの依頼書を数件頼む」
「え?さっき受付で調べてもらわなかったのか?」
「……できたと思うのか?」
「…あ、…あー、はは…。なんか想像つくな。はぁ、ったく、しょうがねえな。わかった、待ってろ。そっちも調べてやるから」
レオンは面倒臭そうに言いながら、重い腰を上げ、仕事を引き受けるのだった。