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簡単な仕事の終わり その3

「俺は帰る故郷ふるさとがあるわけじゃない。ここに居させてくれるなら努力は惜しまない」

 女は何も言わずに俺を睨みつけた。そしてマントから手を出した。皮手袋に手の甲までの籠手をしていた。こんな土地ではこれでも入手が難しいはずだ。俺はその装備をじっと見てしまった。その手は俺に向けて開かれて止まった。待てのポーズだ。

「悪い話じゃないと思うんだが」俺はそう言ってからポーズの意味に気づいて口を閉じた。

 目が合ってから俺は座ったままたっぷり待たされた。思わず言葉を継ごうとしたが女はこっちに向けた手のひらをぐっと前に出して俺を制した。

 そして俺が何も言わずに相手の言葉を待つ体勢になってからやっと女は口を開いた。「お前は馬鹿か? お前は奴隷だ。お前を売るか、ここの奴隷になるかだ」マントから剣が出てきた。細身の長剣だと分かってはいたが、スラリと伸びた歪みのない豪華な一品だった。最初から女が使うために打たれたものだ。「愛想よくすれば仲間になれるとでも思ったのか?」そして剣はまたマントの中に隠れた。

「俺はなれると思う。勘違いしないで欲しいんだが俺は誘われただけだ。茶髪で若白髪わかしらがの奴がいただろ? 眉毛がこのくらい太い」俺はクミャリョの眉の太さを空中をつまんで伝えた。「あいつがみんなを誘ったんだ。あいつは生きてるのか?」

「ああ、あいつか。生きてるよ」女は顔を覆った布の下で笑ったような声を出した。

「俺があいつを殺す。こんなことになったのもあいつのせいだ」

「助かりたいだけだろう?」女は言った。「戯言たわごとはそれぐらいにしてそろそろ立て」女は皮袋に結んである紐を引いた。手から離れようとしたそれを俺は咄嗟に掴んだ。「離せ」

 俺は離さなかった。女が先を歩き、俺から目を離さずにくいくいと紐を引いた。俺の背後に副隊長がついてきた。

 嫌がる犬を引っ張るような強い力で引かれたわけではないが、俺はそれに本気の抵抗はできなかった。まるでふてくされた子供のように、動きたくないというアピールと共に、しかし私は逆らいませんというアピールをしながら、ゆっくりと立ち上がった。

「せめて足の紐はほどいてくれないか?」

「そのままピョコピョコ歩け」

 本当に奴隷だな。俺はそう思いながら引っ張られる皮袋に合わせて歩き始めた。矢を射られたふくらはぎが痛んでそちらに体重をかけられなかった。

 俺は後ろの副隊長に襲い掛かるつもりだった。数歩歩いてそれが無理だと分かった。俺の体力は限界ギリギリで歩くのがやっとだった。万全なら副隊長の喉笛に噛み付いて、奪った剣で手と足のロープを切ることも出来ただろう。今の俺は腹が空っぽで唇も目もかさついている。よく分からない頭痛がずっとしている。真っ直ぐ歩いているつもりが足はまるで思った方向に動かない。よろけて皮袋の紐を引っ張って、それでも体重を支えきれずに固い岩盤の上に受け身も取れずに転んでしまった。頭を岩にぶつけた。普段なら絶対に痛いはずのその転倒がほとんど痛くなかったことも衝撃だった。人間は飲まず食わずだとこんな状態になるのか。

「立て。別に引きっていってもいいんだぞ。擦傷すりきずだらけになりたければな」

 岩盤の感触はざらざらして痛い。俺は立ち上がり、皮袋から手を離した。縛られた手でバランスを取った方がまだ歩行ほこうは楽だった。それは正に歩行だった。俺は女のマントの後ろについていった。穴までは遠いのかと不安になったとき、最初に見たときと同じように何もないと思っていた景色の中に不意に穴が現れた。実際には数歩分しか移動してなかったと思う。

 穴の周辺にも人が2人立っていた。やはりマントを羽織っている。その下へと視線を移すと、穴の側面、銃眼じゅうがんのあるごうの出入口にも人が座って膝から下をぶらぶらさせていた。両手を床の縁に手をかけて高見の見物という様子だった。

「転がれ。ここから吊り下ろしてやる」

 俺は縛られた手を前に出し、両足を折って膝を付いた。ただの処刑スタイルだった。横を回って別の女が近づいてきた。手にロープを持っていた。その女は俺の肘の上あたりから胸の高さにロープをぐるぐる回すと、そこで作った結び目と両足の拘束にも通して簡単に荷造りしてしまった。

 そこから穴の底まで下ろされるのは一言で言って恐怖そのものだった。女たちの俺を支える力は頼りなくて、いつ手が滑って一番下に叩きつけられる事故が起こるのか気が気じゃなかった。そんな不安定な吊り下げの最中、俺は空中で女たちを見た。

 側面の壕にいる女たちはじろじろと、底の土の上にいる女子供は無表情に、ただ少しずつ下がっていく俺を見ていた。ありがちな殺せ殺せというコールも無い。石を投げられることもない。俺への恨みや怒りもなければ、娯楽に飢えた大衆というものでもなかった。

 俺を見上げている女子供の表情にあったのは不安だった。縛られて空中で手も足も出ない俺を見ても、誰も安心していなかった。口を横に結び、胸の前で手をぎゅっと結んだり、両手で自分の肩を抱いたりしている。親子や兄弟で抱き合っていた。俺を見て恐怖が増しているように見えた。


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