集合
冒険者の朝は早い。
いつもの鶏が鳴いて俺を起こした。白樺三叉路村に滞在している間は同じ鶏に起こされる。窓の外はまだ夜明け前だった。一番鳴きをするこの鶏は暁翔関という立派な名前が付いていて、しかもみんなが名前を知っている。ただの雄鶏なのだけど鳴き声が立派なのとフライング気味に日が昇る前に鳴くのとで、町の人間に愛されていた。こいつの声で起きれば1日を無駄にすることはない。俺は見たことはないが、暁翔関のいる鳥小屋を見つけた奴の話によると意外と小柄の鶏だったそうだ。ただ面構えだけはかなりイケてて、体も横にでかく、強そうなのはよく分かったとか。
全財産を持ち歩くソロの冒険者にとって、村の略奪でも怪物の討伐でも全財産全装備を持ち歩くことに変わりはない。悩むことなく俺はシャツの上から鎖のベストを被り、その上に厚手の皮の服を羽織った。籠手と脛当ても持っているがこれを装備するのは馬車を下りてからにして背負袋に入れている。肩当ては装備した。俺は剣を両手で持って盾は持たないタイプだ。兜も被り顎紐を結んで宿をチェックアウトした。仕事に出掛けるときのいつもの格好だった。
宿の主人がいってらっしゃいと声を掛けてきた。前払いした分から今日までの宿代を差し引いた払い戻しを受け取った。どこで仕事だとか不景気で困りますとか当たり障りのない世間話をしてから宿を出た。
薄暗い朝の町を——白樺三叉路村は“村”という名前がついているが規模としては間違いなく“町”である——歩いた。俺と同じように朝の早い連中は動き始めていて、通りは馬車や牛車がガタガタと列を作っていた。夜明け前の冷気のせいで馬の吐息が白くなっている。俺もはーっと白い息を吐いた。日が出たら寒さは消えるはずだ。この時間の水が一番うまい。俺はいつも使っている井戸に向かった。そこで一杯水を汲み、飲めるだけの水を飲んだ。そして水筒に水を汲んだ。いつものことだが水は重かった。
そしててくてくと南門へと向かった。地面はぬかるんだままだった。歩いているうちに空はどんどん明るくなっていった。
町を囲む崖の上に町の名前の由来になった白樺の一群が見えた。朝日を受けるその崖から反対側の崖へと峡谷を塞ぐ形で防壁が建っている。幅は50メートル、高さは20メートルはある立派なもので、そこに開けられた5メートルくらいの高さの穴が南門だった。見上げると少しだけ命の危険を感じた。威圧感そのものもあるし、防壁の上には見張りが立っているせいもある。いつもここでは無防備になった気持ちになる。
やましいことはないがみんな見張りの死角の防壁のそばに立ちがちだ。
防壁のそばはまだ日が当たらずに暗かった。それでもクミャリョとガ・シュノナ、そして背の低い痩身の男、“痙攣”のネシュ・キュビュドが青白い不健康そうな顔で立っていた。やや髪が伸びて目にかかっていた。
キュビュドはナイフ使いだ。喘息持ちで癲癇の発作持ちでもある。いつもゴホゴホと咳をしている。いつも信じられないくらいの軽装で、今もシャツとパンツの普段着に腰から皮袋をいくつかぶら下げただけの格好をしている。あとは周知の事実として細身のナイフを袖口に隠している。でかい短剣も持っているがそれは食事や雑用のために使い、戦いではその刃渡り15センチ幅2センチのナイフを器用に操って急所を刺すという戦法を取る。明らかにひ弱で人にナメられるが、馬鹿にされるときっちり決闘を申し込み、その勝負に勝って生き残ってきた18歳である。面と向かって痙攣呼ばわりする奴には、「表に出ろ」と言って売られた喧嘩を買う男だった。
顔や腕にはたくさんの向こう傷がざっくり跡を作っている。仲間を殺されて復讐を計画した奴がいた。そいつは癲癇の発作中のキュビュドに襲いかかり、右の頬から首にかけてざっくり斬った。あわや即死というところだった。その場にいた冒険者たちが襲撃者を止めて彼を助けた。彼はまだ小さかった14歳の頃に話題になって、何日以内に死ぬかで賭けが行われたくらいだった。それが生き残るうちにそれなりに冒険者たちの尊敬を集め、助けられる存在になっていた。
このときの不意打ちの話はここで終わらなかった。後日ギュビュドの方から決闘を申し込んだのだ。
その決闘は俺も覚えている。話題になり見物に行った。ものすごい人数だった。
決闘を申し込まれた方も、いや、俺が悪かった、お前は立派な戦士だと謝罪の1つでも入れればよかったのだが、友人の仇討ちを不意打ちで果たそうとして果たせなかったという成り行きもあって引くに引けなかった。昼過ぎに行われた決闘に俺が見に行ったとき、その男は妙に表情の消えた穏やかな顔をしていた。逃げられず生きるか死ぬかの覚悟を決めた人間の顔だった。野次馬の声がまったく聞こえていないようだった。
対するギュビュドの方は剣闘士のチャンピオンのように堂々と立っていた。今と同じようにシャツとズボンだけを着て、今と違うのは腰袋も下げていないことと最初から手にパンチダガーを持っていたことだ。パンチダガーというのはT字型の刃物で、手に握り込んで指の間から刃を出す形で装備する、突き専用の武器である。プッシュダガーとも言って暗殺者が手の中に隠し毒と共に使うような類のものだ。命を賭けた決闘で使われる代物ではない。俺も使われるの見るのはそのときが初めてだった。ファイティングポーズを取り、右手の人差し指と中指の間から長さ5センチにも満たない刃を見せつけている。リラックスしているように見えた。少し笑ってさえいた。
野次馬たちは輪を作り、「やっちまえ“狂犬”キュビュド!」と拳を振り上げていた。群衆は圧倒的にキュビュドの味方だった。賭けのオッズも1対10に近かった。
対戦相手は小剣を構えていた。革のベストに手袋、脛当て、ズボンも厚手の革だし、重ね着もしていた。革と布を編んだネックガードもしている。見た感じだとキュビュドのいつもの細身のナイフで切るのは無理そうだったし、パンチダガーでも固い革は貫通させるのは無理なように思えた。見た目ほどパンチダガーは突きに力を込められない。真っ直ぐ使わないとすぐにブレて指が折れてしまう。当たり前だが決闘で使う武器に毒を塗る奴はいない。
どう戦うのか。俺は俄然興味が湧いて観戦に前のめりになった。
決闘の立会人はこの町の冒険者の顔役だった。体躯のでかいチトゼ・ポメレという元冒険者で、町で揉め事の仲介役をしている男だった。キュビュドが発作の最中に襲われたときにも居合わせて現場を目撃していた。白樺三叉路村で恨みっこ無しの決闘をするなら彼に話を通し、立ち会ってもらう必要があった。
顔役は両手で群衆を抑える仕草を周囲に見せた。取り囲んでいた観客は声を出すのをやめた。一気に静かになった。
「これより“痙攣”キュビュドと“友達思い”ギリヤの決闘を行う」顔役がそう言うと観客がギャハハハと笑った。キュビュドの“痙攣”という二つ名は簡単に使えるものではないが顔役はそれが許された。俺やみんなが笑ったのは即興で作られた“友達思い”の方である。誰かが、「よっ。友達思い!」とからかった。
リアクションが期待された友達思いは無反応だった。表情のない魚のような目でキュビュドのパンチダガーを見ていた。もう表情だけなら死んでいるようなものだった。
俺はそのとき不意に、この友達思いの左目にキュビュドの右拳が叩き込まれるところを容易に想像できた。一度イメージしてしまうとその結末以外はありえないようにすら思えた。
顔役が両者を中央に招くジェスチャーをした。2人が歩くと地面の砂が乾いた音を立てた。観客はうおーっとここまでで一番の歓声を上げた。
顔役がキュビュドのパンチダガーの刃の毒を調べた。それからすぐに右の袖の中からキュビュド愛用の細身のナイフを見つけた。顔役はそれを取り出して自分の顔の横の高さに上げてみんなに見せた。みんながまたうおーっと歓声を上げた。ナイフを返されたキュビュドはそれをまた袖口に格納した。
サイド武器公認かよ。俺は思った。普通は決闘は武器は1つだろ。
そして顔役は友達思いの方の身体検査をした。武器は小剣のみ。普通は盾も持つところだが何も持たず片手を自由にしていた。背中にも腰にも足首にも隠し武器はなし。顔役が検査を終了した。そしてよく通る渋い声で「恨みっこなしだ」と言った。「正々堂々と戦え」
友達思いを改めて見た。顔面が白く、表情がない。地に足が付いてないというのはこういうことを言うんだろう。膝が伸びていて踵もベタっと地面に付いている。キュビュドが腰を落として爪先立って不意打ちを警戒しているのに対称的だ。
だが、顔役が、「始め!」と言うと、彼はさっと腰を落として小剣を顔を前に構えた。
これには観客もびっくりして一気に静かになった。勝てると思っていないことは表情から分かった。何か諦めたような脱力した表情をしていた。生命力に欠けていた。俺は友達思いのそいつが相打ちを狙っているのだと分かった。そして観客もそれを理解した。組み付いて揉み合いになれば互いに無傷では済まない。最初から怪我を織り込むなら短剣のキュビュド相手には悪くない戦法だった。
観客が固唾を飲んで見守り、2人はギリギリの距離で睨み合った。キュビュドの表情からも余裕が消えた。パンチダガーを構えたまま、その袖から細身のナイフを出して左手に構えた。どちらも腰を落として摺り足で近づいていく。
キュビュドが踏み込んで、友達思いが振った小剣が空振りをして、キュビュドの踊るような右拳が左目に入った。次の瞬間には友達思いは首から血を吹き出した。キュビュドに体当たりしようとしたそのときには距離を取られていた。首を斬ったキュビュドの左のナイフは誰の目にも止まらなかった。
なおも一太刀は浴びせようと彼は追ったが、キュビュドは空振りした隙を見逃さずに腱と血管を確実に奪っていった。吹き出した血が野次馬たちに頭からかかった。顔役が2人の間に割って入った。かはっという断末魔の息を吐いて彼は顔役に倒れかかった。
「それまで!」顔役が寄りかかってきた体を支えながら手を上げた。
野次馬たちがうおーっと歓声を上げた。キュビュドは顔についた血をナイフを持った左手の袖で拭った。不敵な笑みだった。彼は右手のパンチダガーを親指と人差し指の側面で摘むと団扇のように振ってその血を払った。
もちろんその男は助からなかった。
みんな歓声を上げた。しかし俺は釈然としないものも感じた。こういう決闘で致命傷を負わせるのはあまりいい決着じゃない。
俺はこの違和感が自分だけかと思って冒険者たちの集まる酒場で話を聞いてまわったくらいだ。キュビュドは決闘であっけなく相手の命を奪ったけど命乞いのチャンスくらいは与えるべきだと思わないか、と。ほとんどの人が俺と同意見だった。一方で俺に反論する人もいた。そうはいってもそもそも癲癇で倒れているキュビュドを切りつけるあいつをお前は見ていない。あんな卑怯者は死んで当然だ。
まあそれも一つの意見だ。しかし俺はなんとか勝機を見出そうとしたあの友達思いギリヤの頑張りが呆気なく断ち切られたことがスッキリしなかった。
そのキュビュドが防壁のそばでガ・シュノナ、クミャリョの2人と立っている。喘息も癲癇も大人になるにつれ症状が軽くなるものらしく、18歳の彼は昔より発作もなく、血色も良かった。筋肉の付かない体質だけは変わってないらしく細いままだ。しかし腕や足の筋肉はついてきていて、人より遅いペースだけど徐々に大人の体になってきていた。
朝焼けの中で2人と普通に談笑している。
クミャリョが俺に気づいて手を上げた。「よお」
ガ・シュノナとキュビュドはそれで気づいてちらっと俺を見た。同じく、「よお」と言った。声だけで手は上げなかった。
「おはよう。早いな」俺は言った。
「宿が近い順だよ。暁翔関に起こされる時間は同じだからな」クミャリョがそう言ってはははと笑った。そして近くの建物を指し、「俺の宿はあそこなんだ」と言った。
俺はそっちを見て、「ふーん」と相槌を打った。どれが宿なのかは分からなかった。俺はここまでの挨拶を歩きながらやり、近くに到達すると兜を脱いだ。脇に抱えて右手を差し出した。「なにはともあれ、今回はよろしく」
クミャリョもそれを握ってよろしくと挨拶をした。それから隣にいるガ・シュノナに手を出すと彼も挨拶をした。久し振りに会ったかのようにお互いに自己紹介した。
痙攣のキュビュドが横にいるのを意識しないではいられなかった。ガ・シュノナによろしくと言葉を交わすと目線を移し、背の低い、いかにも虚弱体質といった体格の彼に右手を出した。「アニョーボ・ニツハだ。ニツハと呼ばれている。今回はよろしく」
俺はキュビュドと言葉を交わすのは初めてだ。決闘の野次馬として見たことはあるし、噂になりやすい男なので俺が一方的に知っているだけで、彼が俺のことを知っているはずがなかった。
俺より一回りも年下のキュビュドは俺を見上げた。その目つきは何か胡散臭いものを見る目だった。口が曲がり、愛想笑いすら浮かべていない。手を差し出して口角を上げている俺が馬鹿みたいだ。
なかなか俺の手を握ろうとしない彼に向かって俺は言った。「君はネシュ・キュビュドだろ? 決闘しているところを見たことがある。ナイフの使い方が本当に見事だった」
「俺はナイフ使いだから握手はしない。手を握られたら勝てない」
「勝てないのは俺の方だよ」手は引っこめなかった。「君のナイフの方が早い」
リーダーで今回の仕事の仕切りでもあるクミャリョが声をかけた。「キュビュドは人と仕事をするのは初めてじゃないだろ?」
「何度もある。だがこいつは知らない」まるで子供が駄々をこねるようにそっぽを向いた。
「俺はアニョーボ・ニツハだ。ニツハと呼ばれている。よろしく」同じ台詞を言った。手を出して、ずっと下の方にあるキュビュドの顔を見る。間近で見たことがなかったが身長は160センチ以下じゃないだろうか。
クミャリョが言った。「ニツハは兵隊上がりでこの年まで生き残ってきた叩き上げの冒険者だ。見た目よりはずっとやる男だぞ、キュビュド」
褒められて思わずニヤついてしまった。そして喜んだことがクミャリョだけでなくガ・シュノナにもバレバレだった。誤魔化そうとしたが誤魔化しきれないので、「はっはっはっ。もー、滅多に褒められないからニヤついちゃったよ」と声に出した。
クミャリョが笑った。「そこまで喜ばれるとこっちも褒めた甲斐があるってもんだよ」そして俺の背中を叩いた。
こんな風に親しげに叩かれるのも嬉しいもんである。「ははは」俺は手を引っ込めた。両手を腰に当ててキュビュドに向かって胸を張った。「まあとにかく今回はよろしく。まだ信用できないかもしれないけど、仲良くやろう」
「ああ、よろしく」キュビュドはそれだけを短く口にした。本当に仲良くする気があるのか無いのか分からなかった。
こんな性格だとは思わなかった。キュビュドが舐めてくる奴みんなに噛み付く狂犬だというのは分かっていた。だから普通に対応したし、そうすれば敵対せず自然に親しくなれると思っていた。なんだこいつ。俺は普通に接したつもりだが、やけに無愛想だな。
俺は兜を被り直した。「詳しくは言えないだろうけど、何日くらいの距離なんだ?」
「入口までは3日だ。そこからどのくらい歩くことになるのかは分からない」クミャリョは俺の方を見ていなかった。
何を見ているんだろうと視線を追うと、町の方から頭髪がほとんど無い坊主頭の男がこっちに向かってきていた。“斜視バカ”ギリツグである。クミャリョが怪訝な顔をしているのは彼のせいではない。その横に並んで、ギリツグと仲がいいヒャギオガという男が歩いていたせいだ。ギリツグは2人連れで歩きながらこっちに向かって無邪気に手を振っている。
「ヒャギオガも誘ったのか?」俺は小声でクミャリョに話し掛けた。そんなわけないと思うけどというニュアンスを込めた。
笑い声に近かった。「誘うわけがねえ」その言い方は、やれやれ、しょうがないなという感じだった。
俺は無言で頷いた。
「お待たせー。おはよう」ギリツグは低くて渋い声で言った。
ギリツグの特徴は斜視でバカであることだ。あと1つあるとすれば天性の才能で身体が丈夫である。声が渋いから最初はバカだと分からないが、俺は人からギリツグの馬鹿エピソードをたくさん聞いてきたので目にする前から油断しないようにしていた。
横にいるヒャギオガも手を振った。「どもども。おはよう。ギリツグに誘われました。戦争でもないのに略奪できるとかで」ニヤニヤ笑っている。
ヒャギオガも馬鹿だがギリツグより頭がいいと自分で思っているところが救いがない。この2人はよくつるんでいる。ギリツグは愛される馬鹿だがヒャギオガは愛されない馬鹿である。わけの分からないことでキレたりするし、空気の読めない発言をする。身体は丈夫ではなく、運動神経は悪い。見ていて思うのは、頭で考えた動きが身体に伝わってないということである。そんなんでも冒険者をやれるのが不思議なところだ。近くにいると怪我をするので放置して一人で暴れさせるしかない奴である。
身長は低め。キュビュドよりは高い。顔に向こう傷が走っていて右目は細くしか開けない。盾と長剣を背中に背負い、ツバの広い半球型の兜、それに籠手と脛当てを装備していた。彼は顔当ても持っていたはずだが今は付けていなかった。
クミャリョは笑いながら言った。「俺はギリツグだけ誘ったんだぞ。7人になったら分け前はどうするんだ?」
「えー、それはみんなで分ければいいんじゃないの?」
「6等分してお前ら2人はそれを2つに分けるってことでいいか?」
「いいよ、それで」ギリツグは簡単に納得した。
俺はそれでも不安を覚えてガ・シュノナとキュビュドの方を窺った。2人は納得したような顔をしている。うーん、ならいいのか? 分け前というだけの話なら俺も不満はないけど、作戦行動において馬鹿1人と馬鹿2人ではリスクが変わる気がする。ほかのみんなは作戦行動なんていう意識がないのだろうか。皆殺しにするからどうでもいいと思っているとか。うーん……。
「まあ、それでいいなら問題ない。よく来てくれた」クミャリョはギリツグとヒャギオガに順番に握手した。握手するときに左手で相手の肩を叩いた。まるで傭兵団の団長のような振る舞いだ。「よろしく頼む」
俺たちも2人とそれぞれ握手した。ギリツグはガ・シュノナとキュビュドのことは覚えていたが、俺のことは誰だっけ?と聞いてきた。
「アニョーボ・ニツハだ。よろしく」自己紹介で“へらず口”は名乗らない。「覚えてないか? チトゼの紹介の仕事を一緒にやったことがあるんだけど」
「うーん。覚えてないなあ」
「まあいい。よろしくな。ニツハだ」
「よろしく。俺はギリツグ」
こっちはもちろん覚えているんだけどな。
ギリツグは体に恵まれていて全体がでかい。しかしそのせいで防具が揃えられていなかった。唯一金がかかっていそうな防具は、面付きの兜だ。これが顔から首にかけては守っていた。胴体は量産品の鉄環付きベストを着込んでいた。手は金属製の籠手ではなく革の手袋だけ。足元も脛当てが金属製で、ブーツの上にそれをビスで固定しただけだった。武器は両手持ちの大剣で、これを愛用している。これを天性の巨躯で全力でぶん回せば大抵の人間はぶっとんでしまう。
羨しくはないが俺はギリツグの戦闘スタイルも、キュビュドの短剣スタイルと同じくらい好きなので、間近で見れるのは今から楽しみだった。貧弱な防具も相手を近寄らせない彼のスタイルには合っている。
さて、残るは“干し肉”チトだ。
俺は町の中心からこっちに向かってくる人を見た。早朝のこの時間は往来が多い。それっぽい人影はなかった。
俺の横でガ・シュノナがギリツグに話し掛けた。「お前は略奪ってしたことあるのか?」
「略奪ってなに?」
「皆殺しにしてそこにあるものを全部かっさらうことだ」ガ・シュノナは馬鹿にした口調を隠そうともしなかった。とはいえ、誰であってもギリツグ相手だと珍しいことではない。「俺たちがこれからやることだろうが」
「そうなの?」
「知らないのか?」
「山賊退治みたいなものって聞いてたけど」
クミャリョが横から口を挟んだ。「説明しても伝わらなかったからそう言ったんだ」
「まー、山賊退治と似たようなもんだな」ガ・シュノナは嬉しそうだ。
「強盗でもいいぞ」“痙攣”キュビュドの声も楽しそうだ。
「強盗と山賊退治は違うだろ」横にいたヒャギオガが突っ込みを入れた。
「そんなに違いはないぜ」キュビュドは偉そうな口調を隠そうともしない。俺の記憶だとギリツグと同い年かそれに近く、本当なら偉そうにできる立場じゃない。
「俺は『違うだろ』って言ったんだ」ヒャギオガはキュビュドに喧嘩を売った。
俺やクミャリョは身構えた。ヒャギオガもキュビュドも売られた喧嘩は買うタイプだ。しかしキュビュドはナメられてたまるかという気の強さが根底にあるのに対して、ヒャギオガは実力もなければ空気も読まない、なんというか単にトラブルメーカーの面倒臭い奴であった。弱いので真面目に相手をすると相手をした方の株が下がるという厄介さだ。
キュビュドは袖口からさっと細身のナイフを出すと、「俺はそんなに違いはないぜって言ったんだ。文句あんのか?」と言った。
ヒャギオガの剣は背中にある。彼は手を上げて肩の後ろの柄を握った。ガチャッと音がした。キュビュドの戦闘スタイルはのんびり相手が剣を抜くのを待つスタイルじゃない。俺が生唾を飲み込むと同時にリーダーであるクミャリョが割って入った。
「喧嘩はやめろ。仕事の内容は詳しく話せないんだ。ここは説明不足の俺に免じて引いてくれないか?」
ヒャギオガは柄から手を離さなかった。当然だがキュビュドも構えを解かなかった。ヒャギオガは何をそんなに怒ることがあるんだというほどの形相でキュビュドを睨み、対するキュビュドも挑発的にニヤニヤ笑っていた。「おい、どうした? びびってんのか? 抜けよ」
ヒャギオガがぐっと力を込めて背中の剣を抜こうとしたとき、俺とガ・シュノナの中堅冒険者2人が彼にとびかかった。そのまま地面に捻じ伏せて押さえつけた。剣を握る手を強引にほどかせた。
「ちくしょう。離せ」とヒャギオガは泥で顔を汚しながら喚いた。「あああー!」意味不明の奇声が続いた。
南門のこのあたりの地面は常に湿っている。
クミャリョは彼のそばにしゃがんで見下ろすと、威厳のある声で言った。「仲間に手を出すのは御法度だ。ぶっ殺すぞ」
「ちくしょう、あああ! なんだ、くそ! 離せ!」
暴れ方が普通じゃないので俺はヒャギオガの剣を抜いて取り上げた。乗っていた背中から離れて距離を取った。ガ・シュノナ1人では彼を押さえきれず、ヒャギオガは立ち上がった。ガ・シュノナは無様に地面に転がった。
ヒャギオガは俺に向かってきた。「返せ!」その言い方もまともじゃなかった。全身全霊で怒っていた。
思わず俺はビビってしまった。これからどうしようと思った。
そのとき、クミャリョが彼の足を蹴って払うと、馬乗りになって、ヒャギオガの半球型の兜を膝で押さえると、ボコボコと顔面を殴り始めた。一発一発に力の入ったパンチで5発くらいかました。
そして言った。「ぶっ殺すぞ。言うことを聞くのか聞かねえのか、どっちだ?」
俺の見たところ、2日は目が開けられないし、腫れが引くのに一週間はかかるレベルだった。これでは戦力として役に立たないだろう。
ヒャギオガの雰囲気はらっと変わった。身動きできないままなのにそれが分かった。肩と背中から力が抜け、全身の皮膚から漂っていた殺気が消えていた。馬乗りのクミャリョの高さが変わったように見えたくらいだ。
クミャリョはもう一度言った。「パーティ内での争いは御法度だ。分かったな?」それから大きな声で、「キュビュドにもお前を馬鹿にしないよう言っておく。これでいいか?」
「分かった。分かったから剣を返してくれ」
「よし」クミャリョは若者の背中から下りた。
ヒャギオガはよろよろと立ち上がった。分かってはいたがやはり泥だらけになっていた。体の前面はべったりだ。まっすぐ被っていた兜は斜めになっていた。鼻血を流し、口からも血が溢れていて、それが顎の下の泥と混ざって滴っていた。目も半分は閉じていた。元々半開きだった右目に加えて、左目の周囲も腫れて塞がりつつある。手で自分の顎の様子をしきりに確認している。何発も殴られて顎がイカれたのだろう。
彼は俺の方を見ていた。
俺はちらりとクミャリョを見た。彼は俺に向かって頷いた。俺は取り上げた剣の刃を持ち、柄をヒャギオガに近づけた。
ヒャギオガは受け取ると黙ったまま背中の鞘に器用に収めた。
クミャリョは言った。「これでいいな? 俺の言うことには逆らうなよ」
ヒャギオガは無言で首を縦に振った。泣いているようにも見えた。
「手を上げてお前の父親とカハネコ゠トミエヂエの名にかけて誓え」
ヒャギオガはしんどそうにゆっくりと動いた。右の手のひらをクミャリョに見せて上げながら、血だらけでまともに開けない口をもごもごと動かして、「父親とカハネコ゠トミエヂエの名にかけて従う」
「よし」クミャリョはパンっと手を叩いた。「お前の働きにも期待してるぞ」
俺はリーダーであり発起人でもある“女嫌い”クミャリョをまじまじと見た。相変わらず親しみやすく気のいい感じが出ていた。彼はすぐにキュビュドのところに寄ると、「お前が先にナイフを出したんだからな」と言った。「ナイフとはいえ先に抜いた奴が悪い」
「分かったよ」キュビュドはすまなそうに言った。その手にナイフはもうなかった。
ガ・シュノナが言った。「泥を落として口をゆすいでこい。そのままじゃ馬車に乗れないぞ」
ヒャギオガはクミャリョを見た。クミャリョが頷いたので、もごもごと挨拶をして井戸の方へと歩いていった。“斜視バカ”ギリツグがその後ろについていった。
ガ・シュノナ、俺、そしてクミャリョもヒャギオガと取っ組み合いをしたので結構泥だらけだった。拭きたいが一緒に井戸に行って、ヒャギオガと並ぶのは気まずい。俺は、「桶に水を汲んでくるよ」と皆に言った。みんながなんとなくほっとしたようなので、俺が代表で水汲みのために井戸へと向かった。