襲撃 その5
波打つ地面を2つほど乗り越えた。遂に穴と側面の全景が見えた。
穴はほぼ四角形だった。これもここまでの旅で分かったことだが、最初の穴が崩落で色々な形になったとしてもそのあとで人が拡張すると集落の穴は東西に長い長方形の形に整えられていく。きっちり四角ということはこの場所にも人の手が加わって長い時間が経っているということだ。
短辺の長さで20メートルくらい(25メートルプールくらい)。底に畑を作ろうとすると最低限の大きさがこうなるのも旅の中で理解していた。岩盤が厚すぎるので穴が小さいと底まで日が差さないのだ。
俺は近づいたところで背を低くした。簡単に矢の的になってしまってはたまらない。その姿勢で穴を窺うと、向かい側の壁にある壕の銃眼が2つ並んで見えた。出入口の窪みの幅は人間が体を横にしてやっと通れるくらいしかない。出入口の回りに階段のようなものは無い。常識的に考えて出入りするときに縄梯子か何かを使うのだろう。俺の位置は短辺側だったが、長辺である左右の壁も手前は見えないが奥側の1つずつは見える。正面と左右側面の壁の壕の下には通路も見えた。俺は心底びっくりした。階段ではなく回廊のような平らな通路だったからだ。位置から見て手前の階段から繋がった通路なのは間違いない。出入口の通路で時間を稼いで壕からの集中砲火を侵入者に浴びせる仕組みだ。これまでの集落では階段はむしろこれでもかというくらい急だったので、俺は設計思想の違いに驚いた。
しゃがんで鎧と兜で身を守りながら更に穴に近づいた。向かい側の真っ黒な銃眼が俺を見ていた。
通路は左の壁の端で急に切れて階段になって終わっていた。右側の通路を歩いているクミャリョの姿も見えた。両手で剣を持って窮屈そうに歩いている。通路の高さは下から3分の2くらいの高さだ。飛び降りるには無理がある。そこから長辺半分くらいの中途半端に離れた位置にヒャギオガの姿も見えた。へっぴり腰で盾を必死に構えている。
穴の底もやっと見えた。黒い土と畑が見える。家はない。底の方の側面にも銃眼のような黒い穴が開いている。そこが住居なのだろうと俺は推測した。
思わず声が漏れた。「ははあ……」
「どうした?」あとから来たガ・シュノナが俺の横にしゃがんでいた。
「要塞だよ、これ」
ガ・シュノナも一瞥する。「なるほどな」
待ち伏せされているこの感じ。俺は自分達が一番乗りではないと感じた。おそらくこの数ヶ月で何人かを返り討ちにしている。何かが動く気配は未だにないが、俺は底にある黒い穴の一つを睨んで、何か見えないかと目を細めた。
クミャリョが右の通路の端、とりあえずその上の壕2つからは死角になっている位置で足を止めた。俺達のいる階段入口からも一番見えやすい位置だ。彼は友好的な声で呼び掛けた。「おーい、誰かいないかー?」
その声は岩盤をくりぬかれた穴に反響して俺達のいる上まで大きく響いた。若干の不安が混じっていた。
俺は唾を飲んだ。
何も反応がなかった。
遠く小さく見えているクミャリョが身じろぎしたのが分かった。引き返そうとして身体を回した。
はっきりと空気を裂くヒュッという音が聞こえた。
「うわっ」と子供の声が聞こえた。ヒャギオガの声だった。通路の真ん中あたりにいた彼が体勢を崩していた。そして通路に俯せに倒れた。転落を防ぐために自分の意思で伏せたのが遠目にも分かった。バランスを崩した方向を無理矢理通路側にひねったのだ。彼が剣を離した。ガラガラと金属音が聞こえた。彼は倒れたまま身体のチェックを始めた。腰から下の方をさすり、太股まで手を伸ばした。「いてえ! 足が!」
左の大腿部に短い矢が刺さっていた。
いい腕だ。一番弓を担当しているだけのことはある。
俺はぐるっと側面の銃眼を見回した。弓の音の感じから手前の死角か、左手前の射手だろうと当たりをつけた。
「くそっ」ガ・シュノナが悪態をついた。
俺も同感だった。あとからならなんとでも言えるが、クミャリョは女をナメすぎてたんだと思う。こんな状況なのに、声をかければ代表者か誰かが出てくると思ってノコノコ下って行ったのだ。まさか無言で矢を射掛けられるとは予想もしてなかったんだろう。
「上からあの矢倉を狙おう」俺は身を起こした。
ガ・シュノナとチトも立ち上がった。俺は穴から離れて銃眼の死角に移動した。2人が続いた。
「ロープで下がって侵入できるか?」
「ロープはある」ガ・シュノナが言った。「だが狙い打ちだな。いい的になるだけだ」
「『おとなしくしないと畑を焼くぞ』って脅した方が早いっス」チトは言った。
俺とガ・シュノナは顔を見合わせた。考えてることは同じだった。
「多分、効かないな」俺が言うとガ・シュノナも頷いた。
「どうしてです?」
「まあ、やってみてもいいんじゃないか?」さっき俺の意見に頷いたガ・シュノナが意見をいきなり変えた。
ガ・シュノナは俺の顔をじっと見ている。今度は何を考えているかさっぱり分からなかった。俺は次にチトの顔を見た。いい提案をしたのに却下されて不満そうだ。
「……まあ、やるだけやってみるか」
「俺がやっていいですか?」
やけに自信ありげだ。「もちろんだ。それで降伏したらお手柄だぞ」俺はチトに笑いかけた。
チトはそんなんじゃないですよと謙遜して立ち上がった。穴の方に向かって歩いていく背中を見て、裏社会のやり方が身についてるんだなあと俺はしみじみ思った。
キュビュドとギリツグが穴を回り込んでこっちに向かってきているのが見えた。到着までもうちょっとかかりそうだ。でっかいギリツグがどすどすと移動してくる後ろを、小さいキュビュドが倍速のように足を動かしてついてきていた。
チトの声が立坑の中に響いた。「全員、武器を捨てて出てこい。おとなしくすれば畑は見逃してやる。だが10数えて返事がなかったらお前らの畑はメチャメチャになるぞ」そして間を置いた。「1!」
やらせてくださいと言うだけのことはあった。チトの声には迫力があり、降伏しないとただでは済まないと感じさせるものがあった。そして、きっちり階段の上に立って打てるもんなら打ってみろと言わんばかりの姿には、これで相手を降伏させてきた実績があると理解した。城に降伏を呼び掛ける若手の武将に見えないこともない。首の火傷跡もなかなかハッタリが効いてる。
「2!」
「油とか持ってるか?」俺は小声でガ・シュノナに聞いた。
「ねえ。まあちょっとはあるけどな」
「俺もちょっとだけだ」
「3!」
俺は何も無いと分かっていても周囲を見回した。岩とまだらに生えた草しか見えない。見える範囲の草を全部集めても二抱えがやっとの量だ。「何もないな」
「ほんとだな」
「4!」
俺とガ・シュノナはふっと力を抜いた。チトが10まで数え終えてもそこで実行できることはない。諦めたら気が楽になった。
5から10までチトは堂々と数え終えた。
「よし。分かった。2時間後にまた聞く。気が変わったらいつでも受け入れる!」
チトの脅迫が終わった。階段の上に立っていた彼は全体を支配者のように睥睨して、くるっと背を向けた。今度は風を切る音は聞こえず、ただ肉に矢が刺さる『ど』という低音だけが聞こえた。肉を柔らかくするために叩いたときのような鈍い音だ。「う」と声を上げてチトがよろめいた。こっちに向かって背中を丸めたとき、彼の厚手の服の背中に短く太い矢が刺さっているのが見えた。そして次の矢は音が聞こえ、ヒャギオガも合わせての3射目も外れることなくチトの尻のあたりに当たるのが見えた。正面ではなく右側からの狙撃だった。
チトは倒れなかった。歯を食いしばって自分の足で俺とガ・シュノナのいるところまで歩いてきた。「畜生。ナメやがって」彼は吐き捨てるように言った。そこで倒れた。左の尻にも太くて短い矢が刺さっていた。体の外に出ている矢の長さが広げた手の長さより短い。15センチくらいしか出てない。こんな短い矢を見るのは初めてだ。背中は中心ではなく肩甲骨の下辺りに刺さっている。肋骨で止まって鏃だけ入っている。俺はその矢を引き抜いた。やはり太いが短い。端から端までで、広げた手の中指から親指くらいまでの長さしかない。思わず傷の手当てを放って矢をじっくり観察してしまった。
ガ・シュノナが尻の矢を抜いて傷口を手で押さえた。「尻は自分で押さえろ。背中の止血はしてやる」そして手を尻から背中へと移した。「運がいいな。どっちも急所じゃないぞ」
チトは俯せになり歯を食い縛っている。口からはうーと声が漏れていた。自分の手で尻の矢傷を押さえた。
立坑からはまだ人の声がなかった。俺は短い矢から目を離し、そちらの方を見た。普通はこういう展開になると、籠城している側が、『おととい来やがれ』だの『やれるもんならやってみろ。後悔させてやる』などと挑発してくるものだ。なんといっても脅迫してきた相手に矢を射掛けて反抗をアピールしている。ここで籠城側の士気を上げるためにも口上があってしかるべきだ。俺の知ってる戦場ではそうだ。士気というのは大事で、流れがどっちにあるかという雰囲気が勝敗のほとんどを決めてしまう。ここまで頑に無言を貫くには何か理由がある。強い男の声を出せる奴がいないとか、そういう理由だ。
手に持った矢にはチトの血が付いているし、チト本人は2つも穴を開けられて地面で呻いている。俺は強烈に興奮してまた股間が固くなるのを感じた。やべーな、おい。これは本当に当たりだぞ。




