あそこだ
「ここから先、半日は集落も水もない。ただただ歩くだけだ」とクミャリョは言った。「お疲れさん、これからが楽しみどころだ」
誰かがうぇーいなどと言うかと思った。実際には誰も何も言わず、俺も含めて疲労混じりに軽く頷いただけだった。
「おい、クミャリョ」とガ・シュノナが抗議の声をあげた。「話が違うじゃないか。女しかいない村と言っても、たかが5軒程度の集落じゃないか?」
俺も思わず口をついて、「まったく」と声が出た。
「ここまできて下りるわけじゃないが、これじゃ稼ぎは期待できない。お前は俺らを騙したのか?」
俺はちらりとチトを見た。こいつは無表情で何も不満が無いように見える。後ろのヒャギオガは年中不満そうだし、隣のギリツグはただのバカだ。今に限らずずーっとヒャギオガが愚痴を言い、ギリツグがそれを聞いて笑うというやりとりを続けている。俺やガ・シュノナほどには不満がないように見えた。俺は旅の前半で略奪の楽しさを煽ってしまった手前、岩だらけの風景を歩くようになってから気まずくて略奪話をしなくなったなのに、そんな気遣いも気づかず呑気なものだ。
クミャリョは一同を見回した。明るく楽観的な声を出す。「こういう村の連中ほど、意外と財産を溜め込んでいるもんさ」
ガ・シュノナは豚のように大きく鼻から息を出した。「まあ、それを期待しているよ」
実際のところ、それが気休めでも、それに希望を託すしかなかった。
クミャリョは持っていた地図をポケットに入れて歩き始めた。
俺は後ろから声を掛けた。「なあ、その地図はどうやって手に入れたんだ? ここまできたら秘密にしなくてもいいだろう?」
クミャリョは足を止めなかった。軽く俺の方を向き、「これは知り合いに貰ったんだ。この辺りの集落の地図だよ」と言った。
「ガ・シュノナだってこの辺りは知ってる風だったよな? こんなに人がいないなんて知らなかったのか?」
「話を聞いてくれ」クミャリョは足を止めなかった。それどころか軽快だった。「この辺は地下の川と川の間なんだ。この先はまた川が近くなって人が増える。軍はその川に沿って行軍したんだ。目的の村が情報の通りなら女が20人はいる。そしてその村のことを知ってる奴は貴族の役人しかいない。本当なんだ」
「俺もこの目で見るまでは結構人がいていい暮らしをしているって聞いた」ガ・シュノナはクミャリョをフォローしているわけではなく、騙されたかもしれないという不信感が滲み出ていた。「こんな所だとは思わなかった」
「集落同士が地下の水路で繋がっているから、それに沿って栄えるんだよ。それに地下の川にも支流がある。これから行くところもそういう支流の村の1つだ」
「その地図は地下の川か描かれてるのか?」俺は言った。
「川も描かれている」クミャリョは答えた。ほかに何が描かれているのかは言わなかった。
後ろを歩いていたギリツグが左右をキョロキョロ見て、明らかに狼狽していた。元々童顔で困ったような八の字の眉毛をしているのが、一層頼りなく見えた。横を歩いているヒャギオガが、馬鹿、この程度でオタオタすんなと彼の尻をバシっと叩いた。
そのあとみんなが静かになったということはなく、主にヒャギオガが、あー騙されたとかそんなおいしい話があるわけねえとか、全体の空気を悪くするようなことを言い続けた。この馬鹿のそういう態度にはみんな慣れてきていたので受け流していた。俺としては有り難かった点もある。ヒャギオガあまりに悲観的に愚痴るので俺やガ・シュノナそしてクミャリョがたまに言い返してしまうのだ。人が数人しかいない集落を軍が徴兵して回るようなことはないとか、ここを行軍した大隊は結構な人数だったんだから補給ができる程度には豊かなはずだとか。ヒャギオガが愚痴ることでパーティ全体にはそんなわけがないという前向きな考えの方が強くなっていった。嫌われ者の存在が役に立つこともあった。
そして集落に遭遇しないまま午後もしばらく歩いた頃、巨大な牛の蹄のような岩の右側を抜け、遠く1時間ほどかかりそうな距離に別の2つに割れて連なって立っている巨岩が見える地点に出た。そこは高台になっていて見晴らしがよかった。割れ岩に向かって下ったり上がったりと波打っている地面の全体像が見えた。草もまだらに生えているが相変わらず地上の風景は殺伐としている。人の気配どころか生き物の気配もほとんどなかった。
クミャリョは手前の岩を見上げて、前方の割れた岩を見て、左右を見て、右の何もない一点を指した。「あの辺りだ」
全員がクミャリョの指した方向に目をこらした。その方向に向かって地面はふわっと盛り上がり、また下がり、また上がっている。そのコブの陰に穴があり集落があるとすれば見えなくてもおかしくなかった。その方向にはやや小さい高さ10メートル程度の岩塊があった。
「本当か?」
思わず驚いてチトの方を見た。普段は黙っている彼が突然声を上げたのだ。
「あの辺りだ」とクミャリョが再度指さした。
「少し小さな岩の辺りだな?」と俺は問いかけた。
「ああ」
ここから徒歩で1時間あるかないかという距離だ。薄黄色の岩の色しか見えない。どの岩が手前にあってどの岩が奥にあるのか、目をこらしても分からなかった。しばらく見ていると、手前の岩と奥の岩が分かり、その中間が隠れて見えないことに気づいた。俺はごくりと唾を飲んだ。




