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テップス!

作者: 雉白書屋

『テップス! みんな手に入れよう~。テップス! みんなもう持ってるう~。テップス! 最高のアイテムさあ~。テップス! テップ! テップ! テェェェェェップス! 新発売、テップス!』


 時々、何を宣伝しているのかわからないCMに出くわすことがある。この「テップス」のCMもその一つだ。商品説明は一切なく、ただ耳に残るメロディと謎のフレーズが繰り返されるだけ。これはきっと、強烈な印象を残して興味を引かせ、自分で調べさせる戦略なのだろう。

 私はその術中にまんまとハマった口だ。だが、ネットで調べても、部下に訊いても、テップスの正体はまるで掴めない。皆が夢中になる理由も理解できず、焦りだけが募っていく。急がないと、また――


「ん、係長。何か調べものですか? まさか……またテップスのことですか?」


「い、いや、そんなわけないだろう……」


 会社のパソコンでテップスについて調べていたところ、後ろから声をかけられ、思わず嘘をついてしまった。だが、彼はお見通しだったに違いない。このあとどうなるかわかっている。いつものパターンだ。


「えっ! じゃあ係長、ついにテップスを手に入れたんですね?」


「あ、ああ、まあな。当然だろ……」


「じゃあ、見せ合いっこしましょうよ!」


「え? ああっと、それはその……」


「え、係長もついにテップスを手に入れたんですか?」

「おお、おめでとうございます!」

「やりましたね、係長!」


「ほら、みんな見たがってますよ。さあ、出してくださいよ、係長のテップスを!」


「あ、ああ、これだ……」


「おっ、え……ははは! 係長、それただのおもちゃじゃないですか! はははははは!」

「か、か、係長、ふふふ、あはははははは!」

「はーはっはっは!」


 だって、お前たちが持っているものと似ていたんだ……。私は震えながらそう言い訳したが、笑い声にかき消されて届かなかった。

 テップスが発売されてから数週間。未だに入手困難な人気ぶりだ。子供から主婦まで流行しており、課長などは「奥さんのを借りた」と得意げに見せびらかしていたが、私は独身だから、そんな手段も使えない。

 どんな用途があるのか、何が面白いのかもわからない。ネット上には「赤ちゃんが泣き止む」「カラスを寄せ付けない」「マイナスイオンが出る」「よく回る」「彼女ができた」「パチンコで必ず勝てる」(これはおそらく嘘だろうが)といった怪しい噂ばかり。公式サイトでさえ、写真一枚だけを載せるという謎の仕様だ。

 唯一わかっているのは、テップスが何種類もあるということだけだ。だから、それに似たおもちゃでごまかせるかと思ったが、結果は惨敗。耐えきれず、私はトイレに逃げ込んだ。


「はあ……」


「あ、係長。どうも」


「ああ……」


「なんか笑い声が聞こえてきましたけど、またですか?」


「ああ、そうなんだよ……はあ……」


「大変ですね……」


「ああ、君くらいだよ、そんなふうに言ってくれるのは……」


「まあ、流行なんて一過性ですし、そのうちみんな飽きますよ。その頃にはきっと買えるんじゃないですかね。興味があればですけど」


「それはわかっているんだが、ブームが過ぎたあとに手に入れても意味がない気がするんだよなあ……」


「まあ、確かに。お祭りが終わった直後にお面とかヨーヨーとか買っても、ちょっと寂しい感じがしますよね」


「そうそう、そうなんだよ……。でも、家電量販店とか雑貨屋とか、どこ行っても売り切れでさ、公園のベンチでテップスをいじってる人に売ってもらおうかと思ったくらいだよ……」


「あ、それはやめたほうがいいですね。偽物も出回ってるらしいですし」


「え、そうなのか?」


「はい。全然違うおもちゃとか、粗悪品とか、まあ、そもそも中古品じゃ意味がないと言うか――」


「ええ!? 中古じゃ意味がないのか!?」


「ちょ、ちょっと、興奮しないでくださいよ。びっくりした……」


「ああ、ごめん……新しい情報だったのでつい……。あ、そういえば、君も持っていないって言ってたよな。今は持ってるのか?」


「ええ、もちろんです。あまり興味なかったんですけど、たまたま手に入ったので、まあ自衛のためにと思って持ってますよ」


「自衛? 自衛ってなんだ!? 武器か!? スタンガンか!? 防犯コーナーに置いてあるのか!? ホームセンターで買えるのか!?」


「だから落ち着いてくださいって! からかわれないための自衛ですよ! はあ、係長、本当に参ってるみたいですね……」


「ああ、そうなんだよ……それで、君は持っているんだよね?」


「ええ。ほら、これです……って、そんなに見つめないでくださいよ」


「……頼む。譲ってくれ! 後生だ、頼む!」


「ちょ、ちょっと、手を離してくださいよ!」


「くれよ! 私にくれ!」


「係長、それパワハラですよ!」


「ごめんなさい……」


「そこは素直なんですね……。あのですね、係長。テップスっていうのは実は――」

「おーい、二人で何話してんだよ」


「あ、おう……」

「お前、まさか係長に“アレ”を話す気じゃないよな?」


「言わないよ……」


「“アレ”? “アレ”ってなんだ!? なあ、教えてくれ!」


「係長、それは守秘義務なので。そうだよな?」

「すみません、係長。失礼します……」


「あ、ちょっと!」


「ピピクリト」

「ニーモ」


「なんなんだ!?」


 “アレ”ってなんだ? テップスとはなんだ? 私はテップスの正体を知らないまま、一生を終えるのだろうか。手には何も残らず、あのCMソングだけが頭の中で繰り返される。きっと、私の葬式でも流れるんだろう。テップスを手に入れられなかった私を嘲笑うように。テップ、テップ、テェェェップス……。

 仕事が終わったあと、テップスを求めて街を彷徨い歩く日々が続いた。その中で、同じくテップスを探している人々を見かけることがあった。彼らの姿は、まるで敗残兵のようだ。いや、それはあながち間違いではないのかもしれない。現代では、ネットでほとんどのものがすぐ手に入るというのに、我々はあの手のひらサイズのものを手にすることさえ叶わないのだから。


「お兄さん、五百円くれないかなあ……」


「お兄さん……?」


 公園のベンチで項垂れていたら、不意に声をかけられた。不景気とともに再燃している「おやじ狩り」かと身構えたが、違った。目の前に立っていたのはホームレスの男だった。汗だけを吸った雑巾のような臭いが鼻を突いた。


「五百円ちょうだいよ」


「ああ、どうぞ……」


 私は財布から五百円玉を取り出し、男に渡した。素直に差し出したのは、ただ彼にどこかへ行ってほしかったからだ。一人になりたかった。しかし、男は立ち去らず、礼を言ったあともその場に居座り続けた。


「あの、まだ何か……?」


「お兄さん、何か悩んでるの?」


「お兄さんって歳でもないって……はあ……」


「ははは、おれから見たら十分お兄さんだよ。おれ、おじさん」


「そうですか……」


「それで、何を悩んでるの?」


「いや、話しても分からないと思いますけど……」


 私はテップスのことや、職場でからかわれていることを話し始めた。その最中、ふと気づいた。誰かと対等に話すのが久しぶりだということに。職場では部下からも嘲笑を浴び、最近はテップスを尋ねるだけで店員からも冷ややかな目を向けられるのだ。


『あの、テップスってまだありますかね?』

『申し訳ございません。ただ今、テップスは売り切れとなっております。ふっ』


『あ、あの、テップスの売り場はどこですか?』

『ああ、今品切れですね。ふふっ』


『あ、あの、テップスを……』

『ふふっ、当店では取り扱っていませんよ。あはは』


 これは単なる被害妄想かもしれない。だが、テップスを持っている者同士には強い結束があるように感じてならない。私はそこには入れない、除け者。孤立することの恐ろしさが、私を蝕んでいた。


「ああ、テップスか。いる?」


「へ?」


「箱付きで持ってるよ。確か、この鞄の中に……ああ、あった。はいよ」


「え? な、なんで?」


「ん? 五百円のお礼。じゃあね」


「え、いや、なんで……」


 呆然とする私をよそに、男は去っていった。なぜホームレスなんかがテップスを――そう言いかけた言葉は喉に詰まり、私は沈みゆく夕日とともに小さくなっていく男の背中が、完全に消えるまで頭を下げ続けた。

 視線を戻し、手元の箱を見つめる。そこには「テップス」と文字が印刷され、写真も載っていた。心臓がはちきれそうだった。

 同時に不安が胸をよぎる。本物かどうか分からない。そもそもホームレスが持っていたものだし、開封された形跡もある。中身をすり替えられたのかもしれない。それか、ただの空箱かも。そうだ、どうせ拾ったものだろう。こんなうまい話があるはずない……。

 あれこれ考えても、興奮は止められなかった。公園の外灯が灯り、私と箱を照らす。今こそ開けるべきだという声が、どこからか聞こえた気がした。

 私は唾を飲み込み、そっと箱を開けた。そこには……


「テップ、テップ、テェェェェェェップス!」


 私は思わず叫んだ。やった、やった、ついに手に入れた! 部下が見せびらかしていたものや、写真でしか見たことがなかったが、間違いない、これは本物だ。私の直感がそう告げている。

 仮に偽物だとしても、このクオリティならごまかせるだろう。だが、落ち着け。本物には何か仕掛けがあるかもしれない。どこか回転するとか、光るとか、それがわからないことには、またからかわれるのがオチだ。説明書は……おっ、あるじゃないか……えっ。



―――――――――――――――――――

【テップスをご購入された方への注意】

以下の決まりを守ってください。テップスを人に貸さないでください。持っていない人に「まだ持っていないんですか?」と問い、購入を促してください。テップスは、『持っていない人』をからかうためのおもちゃです。この秘密を破ると効力を失います。

―――――――――――――――――――



 乾いた笑いが漏れた。こんなくだらないオチか、と涙が出そうになった。だが、世の中にはくだらないことがあふれている。書類の「行」を消して「御中」に書き直すだとか、ハンコの角度を気にするとか。でも、これが私の生きる社会だ。順応するしかないのだ。


 ついにテップスを手に入れた私だったが、それから一週間もしないうちに、テップスはすっかり廃れてしまった。もっとも、これは予想していたことだ。あのホームレスがテップスを持っていたのも、その前兆だったのだろう。テップスは大勢の手に渡りすぎたのだ。

 こうして私は平穏を取り戻した。ただ、あのホームレスの男の背中を思い出すたびに、どこか羨ましく感じるのだった。





「係長、係長」


「ん? ああ、ごめん。ぼーっとしてた。なんだ?」


「とっぴんぱらりぃぷぅ!」


「へ?」


「え……係長、まさか知らないんですか?」

「係長、とっぴんぱらりぃぷぅを知らないの!?」

「嘘でしょ。とっぴんぱらりぃぷぅを?」

「信じられないなぁ」

「ふふふっ、せーの……」


「とっぴんぱらりぃぷぅ!」「とっぴんぱらりぃぷぅ!」「とっぴんぱらりぃぷぅ!」「とっぴんぱらりぃぷぅ!」「とっぴんぱらりぃぷぅ!」

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