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【短編】魔王は人質聖女がお好き~我が未来の妃が冷遇されているだと! 聖女にはシュークリームを食わせておけ!~

作者: 今日ほよ

 ある日、魔王は見つけてしまった。

 運命の相手を。

 だが、その少女は異世界人だった。


「見よ、彼女の愛らしさを! ダイヤモンドのように煌めく白銀の美しい髪、サファイアのように美しい瞳、そしてぷっくりとした桜色の可愛らしい頬! どこを見ても惚れ惚れする、本当にどこを見ても惚れ惚れする」

「私からは魔王様がただの変質者にしか見えませんが」

「冗談はよしたまえ」

「ではか弱い少女の姿を眺めて、何をしているのです」

「彼女を我が妃として迎えるための方法を考えていたのだ」

「頭が可笑しくなってしまわれたのですか? 年の差はさておき、この少女は異世界の人間ですよ」

「重々承知している! ああ。彼女を養うだけのお金も、守ることが出来る強大な魔法も権力も持ち合わせているというのに。異世界という壁が、俺達を阻む。くそっ」


 魔王はその膝を地面につけ、何度も床を殴った。

 異世界の人間と結ばれるなんて無理な話であるし、そもそもこのように今覗き見ていることさえ奇跡に近いことだった。

 世界の異なる少女に恋をしてしまった原因は、偶然手に入れた異世界を覗くことが出来る水晶だった。魔王城の宝物庫を整理整頓中だったケルベロスから渡されたことがきっかけだ。その様子を困ったように一人の男が見ていた。魔王の腹心にして幼馴染み、闇魔道士である。


「来世に望みを託しましょう。そのうち、同じ世界に生まれることが出来ますよ」

「俺は待てない! それに週間魔界占いの結果によると、彼女との相性は今が最高だと書いてある。しかもこの出会いを逃したら、あと四百年は運命の出会いがないとも書いてあったんだぞ!」

「たかが占いごときで喚かないでください」

「うるさい、うるさい。あと四百年後なんて、もうおじいさんだぞ。よぼよぼなんだぞ!」


 これが人びとから恐れられる魔王の実態である。

 しかしこの姿を知るものは、ごく僅か。闇魔道士がその一人である。


「まあ、そうですね」

「俺は今、三○五歳。占い結果も最高。待てるものか」

「ではどうするんですか? 方法なんてあるわけが……あっ」


 闇魔道士は思いついてしまった。『魔界の頭脳』と呼ばれるほどの天才だった故の失態である。

 魔界と相対するルミエール王国には、古より伝わる一つの魔法があった。異世界から巫女を召喚する儀式である。闇魔道士は色々あってその詠唱も、魔法陣も完璧に知っていたのだ。

 闇魔道士は誤魔化すように、にこりと笑みを浮かべた。


「胡散臭い笑みを浮かべてどうしたんだ、闇魔道士」

「いえ、なんでもありません魔王様」

「そういう顔をするときは、俺を誤魔化そうとするときだって知っているんだぞ」

「ちっ」

「この国を統べる王に対して舌打ちとはなんだ、無礼だぞ」

「あ~、それは大変失礼致しました」


 闇魔道士は引きつった笑みを浮かべた。


「それよりも、だ。俺とお前の仲ではないか。ここは身分という名の壁を越えて、一つ幼馴染みとしてその初恋を叶えてあげようという気持ちにはならないのか」

「嫌ですね」

「では、魔王の片腕として。そうだな、成功したらお前が欲しがっていた古代の遺物を一つやろう」

「全てをお話しいたします」


 闇魔道士は現金な男であった。異世界から人間を呼び寄せるための詠唱、魔法陣、その他必要な道具を知りうる限り全て話した。

 そんなことを知ってか知らずか、魔王は機嫌良く高笑いをした。


「流石は魔界の頭脳、闇魔道士殿だな」

「お褒めにあずかり光栄です。それで報酬の方はいつ頃」

「まあ、待て。ものは試し。一度実験してからでも遅くはなかろう」

「……かしこまりました。この召喚に必要なものは全て城で用意することが出来るでしょう。至急、準備をさせます」

「ああ、よろしく頼んだぞ」



 ところ変わって、人間たちが暮らすルミエール王国。

 この国でも、魔王たちと同じような召喚実験を行っていた。

 古来より、魔王が治める魔界と聖王が治めるルミエール王国では激しい争いが続いていた。どちらが先に始めたのか、それすらも分からなくなるほど永いときの間だ。だからこそ、お互いが引くに引けない状態に陥っていた。それを打破する手立てとして、ルミエール王国は聖女召喚の儀式を執り行う習わしが常となった。

 魔王のような、色恋沙汰では決してなかったのだ。


 そして、この二人の王は無意識のうちに同時召喚を行っていた。

 勿論互いに打ち合わせをしたわけでもない、本当の偶然だった。

 そのせいで魔王が召喚するはずだった少女は、光属性であったがため、その力に呼応して王国側に引き寄せられてしまったのだ。一点狙いの魔王に対し、取り敢えず聖女カモンの精神だった王国。軍配は後者に上がった。

 魔王、無念なり。


「な、なんで。なんで召喚されないんだ!!!!!」


 その日、魔王の断末魔が城中に響き渡った。


 ♢♢♢


 その日、剣と魔法の世界へと転移した。

 当時小学五年生だった少女は、通学途中で異世界へと旅だったのだ。突然地面にぽっかりと穴が開き、抵抗する間もなく落ちていった。

 そして目が覚めると、煌びやかで荘厳な空間が視界いっぱいに広がっていた。これが天国か……、と呆気にとられるのも束の間。沢山の人に囲まれていることに気がついた。


「聖女が、聖女様が召喚されました!!!!!」

「これでこの世界は救われる! 魔族どもなど、もう敵ではないわ」


 いかにも王さまです、とでもいうような立派な髭を生やして王冠を被った初老の男が少女に近づいてきた。そのまま跪くと、声高らかに言った。


「聖女よ。我が国を救い給え」


 拒否することなど許されなかった。

 この世界へと転移したのは良いけれど、無一文で身寄りもないのだ。その上、まだ十も其処らの子どもだ。そんな少女が生きていくためには、彼らの助けが必要だった。

 幼いながらにもそれを理解していた少女は、ゆっくりと彼らに向かって頷いた。


「分かり、ました」


 国を救うような力があるのか、そんなことは知らない。けれどほんの少し、期待もしていた。小さい子どもならば誰しもが憧れる、魔法の世界。そんな世界に来られたのだ、きっと面白いことも楽しいことも沢山体験できるのだろう。役目さえ終われば、きっと元の世界にだって帰して貰える。

 幼かったからこそ、無邪気だったからこそ楽観視していた。

 けれど、現実は甘くなかった。


 聖女になってから、厳しい修行の毎日だった。

 朝昼夜。食事の前は祈りを捧げることを義務づけられた。

 皆が食事を始める前に席に着き、皆の食事が終わるまでずっと祈りを捧げる。皆が食事を食べ終えてから初めて食事に手をつけることが許された。祈りを捧げている間、食事は目の前に置かれたままであったから、食べる頃には当然冷たくなっていた。

 異世界に来てから、温かいものを口にすることはなかった。いや、出来なかったのだ。

 けれど文句は言えなかった。食事を用意して貰えるだけありがたいのだから。

 食事前の他に、暗い洞窟や神殿の地下、湖につかりながらなど様々な場面で祈りは要求された。それは季節関係なく行われていた。


 用意された部屋と普段着は本当に最低限だった。生かさず殺さず、ぎりぎりの生活を強いられているように感じていた。元の世界でも宗教者たちは、自分を追い詰めるような修行をしていた。けれどそれはきちんとその宗教のことについて理解し、自らすすんで行っていることがほとんどだと思う。けれどわたしの場合は、聖女信仰がどんなものであるかを説明されなかったし、彼らから言われたことをただこなすだけ以外のことは出来なかった。

 自分が何に祈りを捧げているのかを理解しないまま、その行為を続けていた。

 それに今までぬくぬくと生活していたからだろうか、転移してすぐの頃はよく風邪をひいた。そのたびに城の人間たちには冷たい目で見られた。けれど、洞窟での祈りも食事の祈りもやらざるを得なかった。

 彼らに見捨てられたら、それこそおしまいなのだから。

 タンスに入った儀式用の聖女衣だけは、場違いなほど光沢を放っていた。


 繰り返し刷り込まれる、「あなたは聖女なのだから」という呪いにも近しい言葉。

 いや、実際呪いだった。彼らに悪気はなかったと思う。だって、彼らにとって少女は紛れもなく聖女だったのだから。


 そして元の世界に帰る方法を探す暇もなく、聖女として五年の月日を過ごした。


 ♢♢♢


 その日は酷く曇っていた。

 昔から続いているという、魔王軍との戦い。それに終止符を打つような出来事が起こった。

 ついに魔王軍がルミエール王国の城下まで押し寄せてきたのだ。

 あちこちで悲鳴が上がる。

 建物が壊される。

 地獄絵図一歩手前の状景が広がっていた。

 無抵抗の人びとが殺されることはなかったが、人質として多くの女子どもが捕らえられた。それゆえ、兵士たちは手が出せない状況だった。

 そんな時、突如として遥か上空に一人の男が現れた。それが魔王であると直感で分かった。

 人びとは皆空を見上げ、その魔物の言葉を待った。


「聞け、人間ども!」


 それは存外、綺麗な見目をしていた。何処までも続く漆黒の闇のような髪が風に靡き、禍々しく光る紫色の瞳が待ちを見下ろしていた。皆一様に美しいと評するようなものだった。

 けれど、その魔物は禍々しいオーラに包まれていた。

 少女は、その様子を玉座の間のベランダから見ていた。


「俺は魔族を統べる王、魔王である。お前たちは既に我らの手中にある。煮るも焼くも全ては思いのまま、ということだ」


 魔王の言葉に呼応して、魔族たちの卑下た笑みが響きわたる。それを制しつつ、言葉を続ける。


「だが、そんなお前たちに温情を与えよう。俺もそこまで酷ではないからな。だが代わり一つ、条件を提示する」


 男はにやりと笑みを浮かべながら、ちらりと城を見下ろした。その仕草は態とらしく、まるで聖女である少女が何処にいるのか知っているかのようだった。

 目が合う。

 背筋がぞくりと震え、体から熱が引いていく。


「異世界より召喚された聖女を渡せ。さすれば、我らはこの国から兵を引いてやろう。もし引き渡さないのなら、そうだな……。一人残らず皆殺しにするのも吝かではない」


 部屋中の中にいた軍人、大臣そして王の視線が一斉に少女の元へと集まる。

 聖王は唇を噛みしめ、声を漏らした。


「魔王は我々から聖女までも奪おうというのか……っ!」

「然り。聖女は魔族にとって脅威とも言える存在だ。そんなものがお前達の側にあっては、枕を高くして眠れまい」

「聖女に酷いことをするつもりだろう、魔王!」

「酷いこと? それは俺の気分次第だ。お前たちの考えるものではない」

「国の宝である聖女を人質に渡せるはずもなかろう、これから我らはどうすれば……」

「俺も気が長い方ではない。国民全員の命と聖女一人の命。どちらを取るか選べ、人間の王よ」


 聖王が苦虫を噛み殺したような顔をしていた。

 どうせ答えなど始めから決まっているだろうに。

 彼の王からの言葉を聞く前に、少女は口を開いた。


「わたし、行きます」

「で、ですが」

「何も心配はありません。わたしは聖女です。皆さんを守れなかったことに対する責任もあります。どうかお気になさらないでください」


 怖かった。足の震えが止まらない。

 けれど「聖女である」という責任、五年という時の中で呪いのように刷り込まれたその言葉が背中を押したのだ。

 聖王は少女の手を取り、強く握った。この人は、最後まで聖女である少女のことを考えてはくれなかった。けれど今はどうでも良かった。

 どうせこれから嬲り殺しにされるか、慰み者にされるか。もっと惨いことをされるか。悪いことしか待ち受けていないのだから。


「ありがとう、ございます。あなたは立派な聖女だ」

「では行って参ります、国王陛下」

「必ずや、お迎えに参ります」


 国民たちは嘆き、それと同時に安堵した。

 これで自分たちは救われる、聖女という――異世界人という人柱のおかげで。

 元からいるべきではなかったのだ、あんな外の世界の異物は。


 ♢♢♢


「やっと俺のものになったな」


 城壁から一人で出てきた聖女の元へ、魔王は部下を連れて舞い降りた。


「魔王……」


 近づけば近づくほど分かる。

 この男は危険だ、自分よりも強い力を持っている恐ろしい存在であると。


「そう怖がるな、聖女」


 魔王は少女の方へと手を伸ばした。

 殴られると思い、咄嗟に目を瞑った。けれど待っていた衝撃はいつまで経っても来ることはなかった。そっと目を開くと、髪の一房を取ってそれに唇を落としている姿が見えた。


「っ!」


 聖女としての修行を積んでいたこともあり、異性や愛情表現に疎くなっていたからこその予想外の行動で思わず頬が火照る。何故、国を滅ぼそうとした魔王の一仕草ごときでこんな風になってしまっているのだろうか。相手が魔族だからこそ、魅了の魔術に長けていてそれにあてられてしまっているのかも知れない。


「聖女よ、その美しい顔が歪むのを楽しみにしているぞ。自分の聖なる力が世界を滅ぼすことに使われた日には、どんな苦痛に耐えるときよりも甘美な顔を見せてくれるのだろうなあ」

「そんなことは、させないっ!」

「その強がり、いつまで保つことが出来るだろうなあ」


 魔王は少女を見て、高らかに笑った。


「さて、お前の処遇だが。死刑、というのは面白みがない。苦しみはすぐに終わってしまうし、お前の力を最大限に生かすことが出来ないからな」

「何をするつもりなんですか」

「世界征服だ」

「世界、征服ですって……!」

「この世界を征服するためには、お前の力が必要だ。それまではこの城で捕虜として生活するといい。そのあとは……」

「殺すんですか」

「どうだか」


 魔王はにやりと笑った。


「お前たち、聖女を城へと運んでおけ。絶対に手は出すなよ」

「魔王様の仰せのままに」


 ♢♢♢


 やっと聖女を保護することが出来た、と安堵している人物が魔王以外にも一人いた。

 闇魔道士である。

 闇魔道士は聖女に関する報告を一手に担っており、その苦しみに関する情報を一番受け取っていた人物でもあった。だからこそ、聖女を保護できたことが人一倍嬉しかったのだ。

 あれは聖女に関する報告を初めて受け取ったときのことだった。極秘に聖女の情報を集めていたとはいえ、ルミエール王国で派手に活動することは難しい状況だった。そのため、内通者を通じて情報を集めていたのだ。


「そう、ですか……」


 闇魔道士が間者から受けた聖女に関する報告。思った以上に酷い惨状だった。

 年端もいかない少女一人に全てを押しつける、なんという信仰の形なのだろうか。紙やものに今までの不幸を押しつけてそれを払うような魔術はあるが、それを人間で行うとは。何と惨い。魔物よりも人間の方がよっぽど恐ろしいではないか。

 偵察部隊の話を聞き、闇魔道士は眉間にしわを寄せた。

 これは魔王様に報告すべきなのか、それともしないべきなのか。

 あれのことだ、すぐに聖女を助けに行くと聞かないかも知れない。しかし情報がなさすぎるのも、不信感を募らせてしまうかも知れない。どうするべきなのか。

 魔界の中でも強い魔術師ではあるものの、流石に魔王を止められるほど後からは持ち合わせていない。出来たとしても数分の時間稼ぎ。

 ここは上手く言いくるめるしかない。変な噂を聞いて暴走する方が大変な事態を招きかねない。

 闇魔道士は溜息をついてから、魔王の元へと向かった。


「魔王様、聖女が見つかりました」

「おおっ! それで何処にいるんだ?」


 魔王はにこにこと笑顔でこちらを見た。

 その笑顔が今は胃を痛くさせるものだった。闇魔道士は意を決して、口にした。


「ルミエール王国です」

「ははは、お前は冗談が上手いな。まさか、我々魔族の敵対している国に召喚されるはずがないだろう。何せ、俺と結ばれる花嫁だぞ」

「お話ししましたよね、聖女召喚の儀式がどの国の由来なのか」

「ルミエールだが。まさか」

「そうです、そのまさかです。運が悪いことに、魔王様と同時に聖女召喚を行っていたのです」

「なん、だとっ」


 魔王は口を変な形に開いたまま、硬直してしまった。


「狼狽えている暇はありません。これからの策を講じなければ成りませんよ。花嫁としてではなく、我らの宿敵としての聖女を」


 魔王として、目の前の男は選択をしなければならないのだ。

 我々の宿敵である光の使者を滅し、魔界の秩序を保たなければならない。しかし魔王は優しい男だ、罪なき少女に酷いことを出来るような薄情者ではない。しかもそれが惚れた女性となると、さらに複雑になっていく。

 返ってきた答えは予想通りのものだった。


「俺は聖女と戦いたくない」

「何を言っているんですか。それでも魔王ですか」

「だが、聖女は可憐な少女であるし。戦いなどしたら、すぐに死んでしまうかもしれないではないか。折角の運命に会えたというのに、これではあんまりだ」

「お気持ちは分かります。私も弱いものいじめが好きなわけではありませんし、何より魔王様が花嫁にと望んでいる御方。これから仕えるべき御方でもあります。それを傷つけるなど、私としても本意ではないことはお伝えしておきます」

「そうだよな」


 本意ではない。

 それは本当のことだ。

 今まで色恋の話などしてこなかった魔王様が嬉嬉としてくれた、最初で最初の少女。水晶越しに初めて見たとき、魔王が気に入るのも納得がいくような人物だった。

 誰にでも分け隔てなく優しい、見た目だけではなく心も美しい少女。誰だって欲しがる。

 その美しい心が聖女としても見いだされてしまい、今回のような悲劇に繋がってしまったのだろう。せめてこちら側が召喚していれば、辛い思いなどせずに済んだものを。とはいえ、召喚されたその瞬間が聖女の力が最大で、だんだんと減っていって用済みになるのが定石。数年は聖女の力が強いため、魔族が近づくことも難しいだろう。そこは魔界の頭脳を結集して、聖なる力を抑える魔術道具でも作れば――。

 そんなこと、今はどうでも良い。

 もしもの話など、しているだけ無駄だ。

 今は目の前の魔王を宥める方が先だ。


「今は聖女を召喚したばかりなので、ルミエールの結界はとても強くなっています。あの結界の中は低級の魔物はおろか、魔王様の命にも危険が及ぶような危険なものになっています。好機を狙うとしたら、聖女が弱った――結界が弱まった時でしょう」


 幾年か耐える必要がある。

 それは魔王にとっても、恐らく闇魔導士にとっても辛いものとなるだろう。

 何せ、策を講じても実行することが出来ない。


「ルミエールの聖女信仰は聖女本人に厳しい修行を課す傾向にあります。伝統を重んじる彼らのことです、恐らく今回もそのような修行で聖女を苦しめるでしょう。しかし聖女といえども、所詮は人間。年を取るほど聖女としての力は落ちていきます。そこを狙うことによって、今までの魔王は聖女討伐に成功しています」

「聖女が苦しむのを黙ってみていろ、と?」

「それ以外に選択肢はありません」


 魔王は数分黙った後、口を開いた。


「分かった」

「ではその日が来るまで、聖女の報告は――」

「するな。その日が来るまで、聖女の報告はいらない」

「かしこまりました」


 その日から、魔王様は毎日『その時』について聞いてきた。


「まだか、闇魔道士」

「もう少しです。耐えてください」

「くっ……」


 聞く度に闇魔道士は表情を曇らせた。

 それに加えて、連日寄せられる聖女に関する報告があったのだ。

 魔王以上に辛い思いをしていたのは言うまでもないだろう。闇魔道士のためにも、一日でも早くその日が来てほしかった。


「もうそろそろか」

「まだです」

「いつまで待てば良いのだっ!」

「もう少し、あとほんの少し。それが過ぎれば、聖女と会えます」


 魔王の苛立ちは一日一日と増していった。

 そしてその怒りが爆発しそうになった日、時がやってきた。


「時が満ちました。聖女をお迎えに参りましょう」


 闇魔道士は魔王の元へと、一目散に参上した。

 その言葉を待っていました、とばかりに魔王は立ち上がった。


「やっと、だな」

「はい、やっとです。憎きルミエールへと参りましょう、兵の準備は整っております」


 闘志を燃やす闇魔道士を静止しながら、魔王は口を開いた。


「お前に聞きたかったことがある。俺はお前に聖女がどのような仕打ちを受けているのか、わざと聞いていなかった。聞いてしまえば、この命が尽きようとも助けに行っていただろうからな。これでも一国を統べる王、後継者争いで国が荒れるのは見たくはなかったからだ。どのくらい、あやつらを痛めつけてやって良いのかを知りたい」

「ですが、聖女は。酷いことをされていたとしても、自分が守っていた国民をどうにかされてしまったら心を痛まれるでしょう」

「別に殺すつもりはない。それにもし行おうとしても、聖女の目に付かぬところでやれば良いだけの話だ。聖女にはこの城でぬくぬくしながら、シュークリームでも食べていただいておればよい」

「それもそうですね」

「闇魔道士、悪い顔をしているぞ」

「いえいえ、少し試してみたいことがあったもので」


 悪い笑みを浮かべた悪のトップ二人は作戦のすりあわせをした後、すぐに魔界を後にした。


 ♢♢♢


 時が流れて、聖女を保護した魔界にて。


「闇魔導士!!!!!!」

「はいはい。どうしたのですか」

「やってしまった……」


 大泣きしながら走ってきた魔王を見て、闇魔道士は苦笑いをした。


「聖女の力で世界を破滅させるなど、思ってもみないことを言ってしまった! 俺は平和に魔界を治めつつ、聖女と仲良くいちゃいちゃしていたいだけなのに! 世界滅亡とか世界侵略とか、全くやる気はない! いや、聖女が望むのならばやぶさかではないが……」

「聖女がそのようなことを望むとは到底思えませんが」

「いつでも花嫁の望むものを用意できる男でありたいからな、俺は!!!」

「はいはい、分かりました。それで要件は何でしたっけ?」

「彼女を目の前にすると、素直な気持ちが伝えられなくなるのだ。この不思議な現象、なんというのだ。博学な君ならわかるだろう!」

「子犬のような目で見ないでくださいよ。一国の王でしょう」

「それはそれ、これはこれだ」


 闇魔道士は溜息をついた。


「本当は捕虜ではなく、花嫁として迎えたいと伝えるつもりだったのだ。きちんと指輪も用意していたし、プロポーズの言葉も考えていた」


 魔王は闇魔道士の返答を待たずに、実演をし始めた。

 勿論、聖女役は闇魔道士だ。

 恭しく片膝を着き、決め顔をしながら闇魔道士を見つめる。


「『聖女。俺は君のことを心の底から愛している。捕虜としてではなく、我が妃としてこちらへ来てくれないだろうか。勿論、君の生活は全て俺が保障しよう。これはその証だ。受け取って欲しい』ってね。どうだろうか、闇魔道士!」

「興味ありません」

「そんな酷いことを言うなよ~。俺達、親友だろう」

「例え親友であろうと、その親友のプロポーズの台詞を考えるほど暇ではありません」

「闇魔道士~」


 泣きついてくる魔王を追い払いつつ、闇魔道士はその手に持っていた指輪を見て頭を抱えた。


「それにその指輪、魔族専用のものですよ。聖女がつけた瞬間、呪われます」

「まあ、俺に愛という呪いをかけられているからなあ」

「違います、その指輪のエンチャントが死の呪いなんですよ」

「こんなもの、捨ててやるうう!」


 魔王は指輪を勢いよく床へと叩きつけた。

 叩きつけられた秘宝級の指輪が泣いていたのは言うまでもない。


「そういえば、聖女は何処にいるのだ」

「上級の魔物達に部屋の案内を頼みましたが」


 その時、ちょうどタイミング良く上級魔物が二体やってきた。


「捕えた聖女を地下牢へと収容いたしました。これからの拷問は――」

「聖女を地下牢に収容した、だって!?」

「はい、何か問題がありましたか」

「彼女は人間だぞ。俺達より何倍も弱くて脆くて、すぐ壊れちゃうような生き物なんだぞ」

「それは存じ上げています。ですが、生かさず殺さずの状態で管理するのが捕虜です」

「もし衰弱死してしまったらどうするんだ? お前に責任が取れるのか?」

「そ、それは」

「それにな」

「はい」

「優しくしておいてから、絶望へ堕とす方が何倍も楽しいだろう? 苦痛で歪むその顔は、きっとこの世の何よりも甘美であろうなあ! ははははは!」

「流石、魔王様。悪のカリスマ!」

「最悪なことを考える天才っ!」

「皆まで言うな、ははっははは」


 魔王は煽てられたら煽てられた分、調子に乗ってしまうような性格だ。今回も例に漏れず、高笑いを見せつけながら言った。


「今すぐ、応接間へと移動させろ! おやつの準備も忘れるな!」

「はいっ!」


 魔王から直々に命令を受けた上級魔物達は嬉嬉として、部屋を出て行った。

 そして扉が閉まったと同時に、魔王は崩れ落ちた。


「また思ってもないことを言ってしまったっ! 俺は聖女の苦痛で歪んだ顔など見たくもない! それよりも笑顔でニコニコ過ごしている姿を見る方が、何倍も最高だ!」


 懐から写真を数枚取り出し、闇魔道士の前にずいと見せつけた。

 それは異世界にいたころの少女の写真であった。


「見ろ、この写真を! 笑顔が本当に可愛らしい」

「それ、ストーカー行為ですよ」

「ち、違う。これはれっきとした花嫁視察だ」


 闇魔道士は魔王の執着ぶりに溜息をつく反面、当の本人は写真を見てニコニコしていた、


「ほら見てみろ。この菓子を食べているときの表情、本当に可愛らしい。シュークリームが好物なのだろうか。今度持って行かせよう」


 隠し撮りをするくらい好きなのだ。

 一緒に食事(厳密に言えばおやつだが)をして、色々とすっきりさせてしまった方が良いのではないかと闇魔道士は思った。


「魔王様ご自身が持って行かれてはいかがですか?」

「無理」

「え」


 返答は即答な上、初恋少年もびっくりなほど純粋無垢だった、

 しかも顔面は真っ赤にしている。

 そうだった、この魔王。三百年も生きているのに一回も恋愛らしい恋愛をしたことがないんだった。闇魔道士は今になって思い出した。

 目の前にいる百戦錬磨の覇王のような見た目をしている魔界の王、その実奥手も奥手、そもそも色恋のいの字も経験はなかった。流石に政略結婚の話などはあったが、「本当に好きになった相手としか結婚はしない」と言って全て断っていたんだった。少しくらい遊んでいて欲しかった、と今になって魔王の教育を間違ったのではないかと闇魔道士は思い始めた。


「聖女と何かしら交流がなければ、魔王様とのご結婚も嫌がってしまうかも知れませんよ。その第一歩として、一緒にティータイムを楽しんでは?」

「だから無理だと言っているではないか。あんなにも可愛らしい彼女を目の前にしたら、喋れなくなる」

「いつも緊張して、真逆のことを言ってしまっていますからね」

「それが災いして、聖女に酷いことを言ってしまうかも知れない。それで嫌われてしまったら、元も子もないだろう。聖女を我が手中で囲っているだけで、今は十分幸せだ」

「魔王様……」


 ただでさえ敵同士だったというのに、ここまで奥手では始まるものも始まらない。

 闇魔導士はため息をつきながら、魔王の肩をたたいた。


「取り敢えず、聖女に挨拶へ行きますよ」

「聖女に会うのか」

「私も一緒に行ってあげますから」

「フォローは頼んだぞ」


 ♢♢♢


 魔王城にやってきて、地下の牢獄へと収容された。

 しかしそのすぐ後、何やら悪い笑みを浮かべた魔物達に綺麗な部屋へと案内された。


「あの、この部屋は」

「お前の部屋だ、聖女」

「私の? こんな良いお部屋良いんですか」

「魔王様がそう仰せなのだ。ありがたく、使え」

「わかり、ました」

「これも渡す」

「お菓子と紅茶ですか」

「おやつでも食べていろ、とのことだ」

「ありがとうございます」


 そのまま魔物達は帰ってしまった。

 流石にのんびりティータイムを出来るほど、図太い神経を持ち合わせていない。取り敢えずティーセットは近くのテーブルに置いておくことにした。

 ルミエール王国で過ごした部屋の何倍も広くて、清掃も行き届いた清潔な空間だった。やることもなくて暇だったので、取り敢えず部屋の散策をすることにした。

 トイレやお風呂などの水回りはアメニティもしっかり用意されており、水も綺麗なものが流れている。化粧台、机、クローゼット、本棚も備え付けられている。

 本棚には様々な分野の本がぎっしりと入っている。こっちの世界に来てから、本を読むなんてことがなかった。思わず魔界の本が気になって手に取ったが、もし呪いの本だったら大変なのでそっと本棚へと戻した。


「聖女様、いらっしゃいますか」

「は、はいっ!」


 ドアを開くと、そこにいたのは魔王と闇魔導士だった。


「こんにちは、聖女様。こちらは魔王様、そして私が闇魔道士です。魔王様も一言お願いします」

「聖女よ。ここでの生活、何かあれば声をかけてくれ。不便がないよう、色々手配する」

「あ、ありがとうございます」

「今日の夜には服やタオルなどの必需品が届きます。それまでごゆっくりお過ごしください」


 渡されたティーセットに手を付けていないことに気づいたのか、闇魔導士はニコリと笑みを浮かべながら言った。


「そちらのお菓子、毒などは入っていません。と言っても信用できませんよね」


 信用できるはずがない。

 先ほどまで敵対していたのだ、いつ少女を亡き者にしようとするか分かったものではない。このお菓子だって、もしかするとマインドコントロールの魔法がかけられているかもしれないのだ。

 ふと魔王はティーポットに触れた。


「紅茶が冷めているな」


 腕を一振りすると、紅茶は丁度良い温かさになった。


「魔界の中でも貴重な茶葉を使った紅茶だ。味わって飲むと良い」


 そして魔王とその腹心は、軽い挨拶と紅茶を温めるという謎の行動をして帰っていった。

 ルミエール王国にいたときよりも、待遇が良すぎる。

 けれどこれはきっと、油断させるためのものだろう。そのうち、世界征服の道具として使い倒されるのだ。絆されては駄目だ、心を閉ざして過ごす。それが今までやってきた、自分を守る唯一の方法。この世界は自分がいた元の世界とは違う、未だ眠っているだけなのだ。

 ふと先程のティーセットが目に入る。

 小さなチョコクッキーをつまみ、口の中へと転がす。


「美味しい」


 甘くて、サクサクしている。

 とても美味しいクッキーだった。


 ♢♢♢


「聖女! 魔王様のお手を煩わせるわけにはいかないんだ。王国の秘密を話してもらう」

「わたしは王国の秘密なんて知りません」


 魔界に来て一週間が経った頃、少女は拷問部屋に連れていかれた。下級魔族によって、手足を縛られて身動きが取れない状態だった。

 その魔族は執拗に王国の古代魔法、現在の戦力について聞き出そうとしてきた。けれど少女は修行だけをしている日々だったからこそ、国のことなど一つも知らなった。

 そして魔族が手に持った鞭を振り上げた時だった。


「お前たち、何をしている」

「ま、魔王様」


 急いできたのか、息を切らせた魔王がそこには立っていた。

 下級魔族が手に持っていた鞭を取り上げて、床に転がす。


「誰の許可を得て聖女に手を出している」

「魔王様のためを思って」


 下級魔族はおびえながらも、堂々と意見した。

 魔王にとって、この行動は最善ではなかった。怒りに手を震わせながらも、聖女の目の前で殺生はよくない。それにこの魔族の行動も、魔王である自分を思ってこそのものだ。

 だからこそ、魔王はゆっくりとけれどはっきりと答えた。


「そ、そんなことをしたら、聖女が怪我をしてしまうではないか!」

「はい?」

「そんなことをしたら、聖女がけがをしてしまうだろう!!!」


 思ってもみなかった回答に、下級魔族は目を丸くする。

 遅れてやってきた闇魔導士は、この奇行の理由をそっと耳元でささやいた。それと同時に、にっこりと笑みを浮かべていた。


「わっかりましたあああ!!!」


 ♢♢♢


 翌日、魔王は謝罪も含めて聖女の部屋に訪れた。その手には闇魔導士に(無理やり)持たされたティーセットとシュークリームがあった。


「聖女、邪魔するぞ」

「は、はいっ!」


 聖女は扉を開けて、魔王を部屋に招き入れた。


「昨日はすまなかった。けがはしてないか」

「大丈夫、です」


 浮かない顔の聖女に、魔王は問いかけた。


「何か悩み事でもあるのか」


 聖女は口を開こうとして、けれど噤んで。それを何回か繰り返したあと、決心して口を開いた。


「どうしてわたしなんかに、こんな丁寧にしてくれるか分からなくて」

「何故わたしなんか、と言うのか」

「美味しいごはんを食べて、あったかい布団で寝て、こんな幸せでいて良いのかなって思ってしまうんです。わたしは外の世界の人間だから、ここにはいちゃいけないはずなんです」


 魔王はそうか、と言った。

 確かに聖女はこの世界の人間ではない。けれど同じ生きている存在であることは変わらないし、呼び出された側の人間だから「ここにいちゃいけない」という通りはない。そもそも魔王は「ここにいてほしい」と願った側である。だからこそ元来の願いである、守りたいという気持ちが大きかった。

 魔王は聖女の目を見て、優しく告げた。


「今まで苦しんだ分、幸せを享受しては罪なのか?」

「だってわたしに出来ること、これしかなかったから」

「聖女はいつも自分に責があるかのように言う。何故一度きりの人生なのに、楽しまずに死のうとする」

「それはわたしが責任を果たせなかった、駄目な聖女だからです!」


 大きく訴えかける聖女に対し、魔王も幸せであるべきということを説く。

 自分が水晶で見てきた少女、その頃を思い出してほしかった。


「駄目ではないっ! 聖女はそこにいるだけで良いのだ。かつての世界でもそうであっただろう! 普通の毎日を過ごして、勉学に励んで、友とよく遊び、時には叱責を受けて反省をする。危険もなく、守られているだけの少女があのような修行を積むことこそが異常なのだ。あのようなことは聖職者たちがやっていれば良い。その任を放棄して、異世界から強制的に連れてきた者へ課すなど可笑しいにも程がある」

「なんで、前の世界のことを……」

「えっと、それはだな……」


 つい口に出してしまったが、時すでに遅し。聖女は怪訝そうな目で魔王を見ていた。

 そして腹をくくって、聖女を見つけた日のことを話し始めた。


「異世界を覗く水晶というのがあって、それで見ていたのだ。ずっと黙っていて済まなかった」

「今もあるのですか?」

「あるにはあるが。聖女を悲しませるようなことになってしまうかもしれない」


 聖女がこちらに召喚された日から、彼女の両親は悲しみに暮れていた。愛している一人娘が様々な組織や手段を講じても、発見することがないのだ。

 その様子を見ることが辛くなり、その日から水晶を見ることをやめた。ルミエール王国が聖女召喚をしていなかったとしても、彼女を苦しめる原因になっていたのは言うまでもない。

 魔王は魔法で水晶を出して、聖女の前に置いた。そして彼女の両親の姿を映し出した。


「お父さん、お母さん……。元の世界に、戻りたいっ」


 聖女は大きな声を上げて泣いた。瞳からこぼれる涙は宝石のように美しく、思わず舐め取ってしまいたかった。けれど彼女を見ていたら、そのようなことは出来るはずもない。

 精神年齢は召喚されたあの日から止まってしまっている。

 彼女はまだ一二の少女のままだ。

 魔王はそっと手を伸ばした。怖がらせないように、そっと背中に手を回す。


「大丈夫だ、俺が必ずお父さんとお母さんに会わせてやる」


 嘘だ。

 魔王は元の世界に返す方法など知らない。

 知っていたとしても、返さないという選択肢をとる可能性の方が高い。俺は悪の王、欲しいものは全て手に入れる。そしてその命が尽きる日まで、手元に置いておくのだ。なのに、口は聖女を安心させるような言葉を紡いだ。

 ただ今だけは聖女を安心させたかった。

 自分に依存させて、この世界で頼ることが出来るのは魔王だけだと刷り込もうとしていたのかも知れない。


「父君も母君も聖女が幸せに生きていることを望んでいるはずだ。もう泣くな。俺が命をかけてお前を守る」

「でもご迷惑をかけるわけには」

「この世界の一住人をして、あなたに償いがしたい」


 あわよくば、死ぬまでずっと一緒にいたい。


「聖女よ、許してはくれないか」


 自分が犯した罪とともに、聖女自身の許しが欲しいと思った。


「……ら」

「どうした?」

「私の名前。聖女じゃなくて、さくらです。始まりの季節に咲く薄紅色の花と同じ名前です」

「さくら、か。綺麗な響きの名前だな」

「自分の名前、久しぶりに呼ばれた。みんな名前を教えても、聖女としか呼んでくれなかったから」


 さくらは涙を拭きながら、わずかに笑みを浮かべた。

 この世界に来てから、初めて人前で本当の笑みを浮かべた瞬間だった。

 この少女はまだ折れてしまうことがあるかもしれない。けれど必ず強くなって、立派な人生を送ることが出来るのだろうと確信できた。


「名前、教えてください」

「俺のか?」

「わたしだけ教えて、不公平じゃないですか。わたしも魔王さんのお名前、呼びたいです」

「ベルナール、だ」

「ベルナールさんですね、覚えました」


 さくらはベルナール、ベルナールと口に馴染ませるように何度か呟いた。好きな人に名前を何回も呼ばれたベルナールは、頬を赤らめていった。それを誤魔化すように、持ってきたティーセットでお茶の準備をし始めた。


「さくら、シュークリームは好きか」

「シュークリームですか。実はプリンの方が好きなんです」

「な、何っ! 俺が水晶を覗いたとき、美味しそうに食べていたんだが……」

「シュークリームが嫌いなわけではないですよ。というか、ベルナールさん。どのくらいわたしのこと、のぞき見していたんですか!」


 ベルナールは目線をそらし、口ごもりながら答えた。


「た……たくさんだ……。もちろん、プライバシー的な部分が問題になりそうなところは見ていないぞ!」

「当たり前ですよ!」

「申し訳ない、本当に申し訳ない! ああ、そうだ! 今日のおやつはプリンにしよう、早速用意させよう!」

「トッピングでフルーツとクリームがないと嫌です!」

「さくらが我が儘とは。答えてやらないといけないなあ!」

「シュークリームも食べますから!」


 二人は仲良く、プリントシュークリームを口に頬張りながら歓談した。

 ベルナールとさくら、互いの誤解が解けた記念すべき日だった。


 ♢♢♢


 一年後 ルミエール王国


 聖女がいたころよりも荒んだその場所に、闇魔導士は訪れていた。


「ルミエールの聖王、久しいですね」

「魔王の右腕!」

「そう怖がらないでください。別に取って食いに来たわけではありません。少し忠告に来たのですから」


 ニコリと笑みを浮かべながら、聖王へと近づく。


「ルミエール近くの山脈に、ドラゴンが封印されていましたよね」

「それがどうした」

「あのドラゴンは先々代魔王が苦労して封印した暴れん坊で、魔界の戦力を全て注ぎ込んでやっと対抗できるようなもの。けれどその封印の力が弱くなってきて、顔を出す頃合いなんですよ。魔界でも対策を講じるつもりではありますが、あなた方もある程度考えておくべきだと思っただけです。ドラゴンよりも弱い私がここに入ってこられてしまうくらいなんですから、ドラゴンならば容易に町を破壊し尽くすでしょうね」

「忠告は感謝する。ではその対策として、聖女を帰してもらおうか」

「それは難しい話です。なにせ、あの少女は国民の身代わりとしてこちらに引き渡したのでしょう?」

「ならば、お前達が我々を守るべきだ」

「何故でしょう。あれは休戦と引き換えで差し出された供物です。魔王様の配下ではないドラゴンはその範疇ではありません」


 歯ぎしりをする聖王を一瞥し、淡々と告げる。


「既に聖女は用済みなのでしょう? ならば、あれがこちらにあったとしても問題はないはずです」

「それとこれとでは話が違うだろう!」

「聖女という役職を何も知らぬ少女に押しつけて、無理矢理修行という名の苦しみを与え、会って間もない赤の他人の尻拭いをさせていた。そして誰の助けもないまま、苦しむことになった。これくらいのことをされても文句は言えませんよね?」


 闇魔導士は一言、蔑むように言った。


「今までの祖先、そして自分の行いを悔いると良い」


 闇魔導士が去った後、聖王は部下を呼び出した。


「新しい聖女を召喚せねば!」

「ですが、一つの世界に聖女は一人が原則。古い聖女がこの世界に存在しては召喚が行えません」

「ぐぬぬ、あの女め。まだ死んでおらんのか」


 散々助けてもらっていたはずの少女に対し、憎しみの目を向けながら言った。


「聖女は闇に堕ちた! 魔王諸共滅するべき対象である!」


 そして、聖王は宣言した。


「魔王討伐を行う! 魔王を殺し、聖女を殺し、この世界を一つにする!」


♢♢♢


「闇に堕ちたのはどっちなんだか」


 闇魔道士はルミエール城の木に腰掛けながら、聖王を見ていた。

 するとベルナールから念話が来た。どうやら聖女——さくらと一緒にいるようで、とてもご機嫌そうだ。


「闇魔道士、早く帰ってこい! 皆でおやつを食べるぞ!」

「はいはい、すぐに戻りますよ」


 能天気で愉快な魔王ベルナールと少女さくらが待っている。

 闇魔導士が守り仕えるべき、大切な人たち。今は彼らの幸せを考えるだけで精いっぱいだ。ルミエールの人間たちに構っている時間など、ないに等しい。

 魔界に戻ると、キッチンで件の二人が仲良く並んでいた。なにやらティーパーティの準備をしているらしい。


「さくらが好きなプリンだ! あとシュークリームも用意しているぞ!」

「シュークリームが好きなのはベルナールさんでしょ」

「それもそうだが。そんなことはいい、紅茶が冷めてしまうだろう」


 闇魔導士はキッチンに入って、二人の会話に混ざる。


「そうですね、紅茶が冷めてしまうのは実に勿体ない」

「おお、闇魔導士! お前もティーパーティに参加しないか?」

「喜んでご相伴いたします、我が魔王。そして妃。こちらは私が中庭へ運びますよ」

「ありがとうございます、シエルさん」

「このくらいお安い御用ですよ、さくらさん」


 シエルは魔法でティーセットを運びながら、さくらの運んでいるお茶菓子を見た。ベルナールが宣言した通り、プリンとシュークリーム。そしてシエルが好きなスコーンが並んでいた。

 ティーセットがすべて出揃うと、さくらが大きな声で宣言した。


「本日のティーパーティの開催を宣言します。小さなパーティですが、皆様楽しんでいってください!」


 さくらを守るという名目のもと、ベルナールと婚姻を結んだ。元の世界に戻るまでという条件付きで。それはベルナールの罪悪感からの申し出であって、さくらは元の世界に帰ったとしても婚姻を続行させるつもりだった。ベルナールは元の願いとはいびつな形になったものの、現状に満足していた。

 確かにベルナールやルミエール王国のエゴによって召喚されたという事実は、覆らないものだ。けれどそのおかげで魔界のみんなに出会うことが出来た。今、幸せなティーパーティを開くことが出来た。

 自分は十分に幸せだ、とさくらは思った。

 そしてその感謝を伝えるべき守ってくれた相手に対して、最大限の愛を伝える。


「ベルナールさん、大好きです」

「俺もさくらが大好きだ、愛している」

お読みいただき、ありがとうございました。

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執筆の励みになります。


異世界恋愛の短編をあげていこうと思っていますので、お待ちいただけると幸いです。

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