チュートリアル。
『目的地に到着しました。』
サポートAIの案内で着いた先は塔状の高層建築物の前だ。スプリングは見上げたままの姿勢でタワーを見ていた。
『中に入ってください。入り口は目の前にあります。』
「…あっ。分かった。」
タワーを見るのに集中していた為サポートAIへの返事が遅れたスプリングは小走りで入り口へと向かいタワー内部へと入る。中は広々としていて多くの人の姿が見えた。
「人がすごい。」
『ここはチュートリアルタワー。シティの観光名所でもあります。【ゴースト】の皆様が色々と試せる様に建設されました。』
「試す?」
『スプリング様。まずは申し込みをしましょう。受付前の列に並んでください。』
「列? 列。あれか。」
スプリングはキョロキョロと見回し、サポートAIの言う受付前の列を見つけると最後尾に並ぶ。そこそこ長い列ではあったがサクサク進みすぐにあっという間にスプリングの番になった。
「ようこそチュートリアルタワーへ。ご用件は何ですか?」
「えっと。」
『スプリング様。練習部屋の貸し出しをお願いしますと受付の者に伝えてください。』
「その。練習部屋を貸し、貸し出ししてください。」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
スプリングの要望を聞いた受付を担当している者は機械を操作する。操作を終えた後機械から一枚の紙が出てきた。
「お待たせしました。322号室が空いております。エレベーターに乗ってお向かいください。」
そう言って受付の者はスプリングに《322》と書かれた紙を差し出す。
受け取ったスプリングは何をどうすればいいのか分からず戸惑っている。
『スプリング様。紙を受け取った後に右手の方に見えますエレベーターへと向かい乗ってください。降りる階層は3階です。』
「分かった。」
何をするのかすらよく分かっていないスプリングはサポートAIの言われるがままに紙を持ってエレベーターの方へと向かう。ちょうど扉が開いているエレベーターを見つけたスプリングはそちらへと乗り込む。中は人でいっぱいだったがスプリングが入る分には問題無かった。扉が閉まってしまう前にスプリングは止まる階層のボタンがある方を見る。スプリングが止まる予定の3階のボタンはすでに押されておりうっすらと光っていた。
エレベーターの扉は閉まり、上へと上がっていった。
3階に到達するとエレベーターの扉が開く。
ここで降りる者達と一緒にスプリングも降りた。
『スプリング様。右へお進みください。』
スプリングは言われた通りに右へ進む。通路の左右の壁には扉が並んでおり全ての扉には数字が記されているプレートが付けられている。スプリングはその中から《322》と書かれたプレートが付いた扉を見つける。
『受付で貰った紙を扉の前にかざしてください。』
スプリングは言われた通りに紙を扉の前にかざすと扉の施錠が外れる音がした。
『扉を開けて中に入ってください。』
スプリングは扉に手をかけて開けるとその先は壁と床が真っ白。中に入ったスプリングがガラリと周りを見るが何も無い。
「ここで何をするの?」
『スプリング様にはこれから変身と戦い方の練習をしていただきます。』
「変身と戦い方?」
『【HERO&VILLAIN】では【ゴースト】の皆様は配布された変身アイテムと変身補助アイテムを使って戦う為の装備を身につける事が出来ます。それが変身です。』
「どうすればいいの?」
『ベルトに指輪を近づけて変身と言えば出来ます。』
「えっと、変身?」
スプリングは言われた通りに鎖のベルトの前に指輪を近づけた状態でそう言うとスプリングの周囲が一瞬発光する。
「うわ!」
スプリングは思わず目を閉じてしまった。
『スプリング様。目を開けてください。』
目を開けて何となく自分の両手を見たスプリングは変化に気がついた。
「あれ、これ。」
手元を見て次は胸元や足元を見て自身の変化に気がついた。
「服変わってる!」
スプリングの格好がアバターの制作時に着せられていたシャツとズボンと靴から動きやすいスポーツウェアとスポーツシューズに変わっていた。
『そちらが初期フォームと呼ばれている姿です。見た目を変えたい場合は専用のアイテムを消費する必要があります。』
「へー。」
『変身が完了したら次は戦い方の練習をしましょう。練習台を用意させます。』
「練習台?」
会話の直後、音も無く部屋の中央に雑に作られた人形の様な物が出現した。
「もしかして、これ?」
『そうです。』
「これを使って何をするの?」
『スプリング様に合った武器を見つけ使いましょう。初期武器はガン、ソード、ナックル、シールド、ハンマーから選ぶ事が出来ます。それ以外の武器の使用、あるいは強化したい場合は専用のアイテムを消費する必要があります。』
「武器?」
スプリングがそう言った直後、目の前に立体映像が出現する。映像には先ほどサポートAIが言っていた5つの武器が表示されている。
『武器を選んだ後は次に変身した時に自動で装備されます。武器を変えたい場合は設定画面から好きな時に変えられます。』
「武器。ここから選べる。どうしよう。」
スプリングはそれぞれの武器を見比べしばらく悩んだ後、選んだ。
「これにする。」
『かしこまりました。』
立体映像が消え、スプリングの手前が一瞬光る。光が収まった後に残ったのはいつの間にか持っていたソードだった。刃の素材は鉄では無く色ガラスの様な透明なものだった。
「きれい。」
ソードは軽くスプリングでも簡単に持ち上げられた。光に透かして刀身のきらめきを眺める。
『スプリング様。武器を決めたら早速練習用の人形に攻撃しましょう。』
「え? あ、うん。分かった。」
スプリングはソードを持ち人形と向き合う。
『遠慮なく人形に攻撃してください。』
「えっと。どうやって?」
『ソードで斬ってください。まずは補助無しで振ってみましょう。』
「振る。」
スプリングはソードの持ち手を両手で握ったまま人形に近づきサードをかかげて勢いをつけて振り下ろした。ソードの刃が当たり人形に切れ目が入る。
「これでいい?」
『はい。次は補助付きでやりましょう。スプリング様。まずは剣を抜き先ほどと同じ様にソードを握ってください。』
「分かった。」
スプリングはサポートAIの言う通りにソードを人形から引き抜き持ち直す。
『では、失礼します。同期開始…完了。スプリング様。もう一度ソードを振ってみてください。』
「分かった。」
スプリングは先ほどと同じ様にソードを振おうとした。
「あれ?」
しかし構え方も足の踏み込みも先ほどとはまるで違う。その違いに不思議に思いながらスプリングはソードを振り下ろした。すると今度は袈裟斬りのように人形を真っ二つに斬る事に成功した。
「え。なんで?!」
最初は素人の動き。
その次は訓練された動き。
明らかな違いを体感したスプリングは驚く。
『経験が無い、敵と戦うのは怖い、運動が苦手、などなど。そういった方々の為に我々サポートAIは【ゴースト】のアバターと同期し皆様の動きをサポートする事が出来ます。もちろん同期のオンとオフはいつでも可能です。スプリング様のお好みでお使いください。』
「えっと。手伝ってくれるって事?」
『その通りです。』
「おお。」
『スプリング様。時間はまだまだあります。新しい人形をすぐに用意します。他の武器を試してみるのもいいでしょう。思う存分練習してください。』
「うん!」
スプリングは次々と用意されていく人形をソードで斬っていく。現実の世界ではあり得ないキレのある動きに激しい運動をしてもすぐに休めばまた動ける疲れ知らずの仮初の体にスプリングは感動し時々武器を変えながら夢中で練習を続けた。
『スプリング様。そろそろ休憩推奨時間です。ログアウトし食事や水分補給などをして休憩する事を強く推奨します。』
「え? もうそんな時間なの。」
サポートAIが画面を表示させスプリングに外の世界の時間を知らせる。気がつけば部屋に入ってからかなり時間が経っていた。時間を忘れてしまうほどスプリングは練習に没頭していた。
サポートAIの言葉の後にスプリングの前に立体映像が出現する。立体映像には《ログアウトしますか?》と記されておりその下には《はい》と《いいえ》の文字が記されている。
『再びログインした時はチュートリアルタワーの前に転送されます。後片付けなどは自動的に行われる為気にせずログアウトしてください。』
スプリングが大量に斬った人形の残骸はいつの間にか全て消え失せていた。部屋の中は来た時と同様の汚れが一つもない状態に戻っていた。
「分かった。」
スプリングは《はい》の文字に触れる。
『またのログインをお待ちしています。』
するとスプリングは一気に現実世界へと引き戻されていった。
◆◇◆◇◆
ヘッドマウントディスプレイを外して改めて現実世界へ戻って来たと実感した少年は薄暗い部屋の中で楽しそうに微笑む。
(楽しかったな。またやろう。)
そう思いながら少年はヘッドマウントディスプレイに充電ケーブルを挿して床にそっと置いた。