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ゴールデンウィーク初日の午後、俺はあれからも走り続けた。
先程の和んだ空気感は消え、鬼軍曹と化した草薙に追いかけられながらのランニング…なんだかんだ、俺はこの地獄に早くも慣れようとしていた。
学校の授業で習ったのだが、異能を発覚したら身体能力の向上が見込めるらしい…。運動…つまり筋トレによる筋力の増加や走る事による体力の向上及び、走力の向上も異能を持っていない人より効率が上がるらしいな。
だったら幼少期から異能検査受けた方がいいじゃん! なんでお前は異能検査受けなかったの? と思うかもしれないが、異能というのは誰にでも発覚するものじゃないんだ。
多くの人は一つも発覚せず…一つでも希少、二つは極小、三つはあり得ないほどに珍しい…四つの俺はどれだけ珍しいんだろうな。
それと民間の異能検査は途轍もなく金が掛かる。
受けるのに大体…二十万だったか? それくらい金が掛かる。
そんなにも高額なのにゼロだった時の虚しさと金を失ってしまう虚無感は計り知れない…俺みたいな貧乏な家は尚更だ。
だから公募の簡易検査を検査を受けて異能の有無を確認したわけだ。因みに簡易検査では能力の有無しか測れない。つまり異能者候補ということしかわからないわけだ。
その理由は単純。異能は発覚するまで異能たり得ない…つまり、自分の異能の内容を知るまで異能は使用できないってわけだ。
『俺の左腕が疼く…まさか…!俺に異能が!?』
…という事には絶対になり得ない…。ただの勘違いだ。
さてさて…そんな希少な異能を検査するには、国の出す公募と民間の検査の二つがある。そして異能を検査するには特別な水晶が必要であり、それはダンジョン資源で割と貴重な物資だ。民間の検査の値段が高いのはそれが理由である。
しかもその水晶使い捨てなんだよな…最初に取ってきた人達には感謝だな…もっと拾ってこい。
まぁ水晶がなくても自然と異能が発覚する存在もなくもない…が、それは本当に希少で数で数えられる程しか存在しない。
確か草薙剛もその一人だったような? だから英雄なんて言われてる訳だし…それに自然と発覚する人間は一昔前の…丁度ダンジョンが出現し始めた時ぐらいに集中している。現代だとほぼいない。
現在、簡易検査鑑定を行っているのは鑑定…と呼ばれる異能持ちの人達が行う。
圧倒的に鑑定の異能持ちの数が少ない為、一年に一回程度の頻度でしかしないけど。
あ、そうそう、異能は名称こそ多岐に渡るが内容は似通ったものになる事も多い。
地獄の猛火やら魔王の極炎なんて名前だがどっちも炎を出すカテゴリーの異能…みたいな感じ。
まぁ細かい能力の違いなどはあったりするのだけどな。
それで何が言いたいかというと、同じ様な異能は存在するよ、と言いたかっただけだ。
だからきっと俺の様なデメリットだらけの異能持ちもきっといるだろう…いなかったら本当に神を、恨む…。
「はい、今日はここまでです。…凄いですね桐崎君! 最後の方では一回も攻撃を受けなかったじゃないですか、明日には本気を出してもいいかもしれませんね…」
「や、やめて…くだ…ひゃい…」
「ふふふ、 冗談です。流石に桐崎君が頑張っているとはいえど、私の本気には耐えられないと思いますし…それに無茶をさせたら訓練が嫌になってしまいますよね」
「…え? これでまだ甘いの?」
「…? えぇ、桐崎君はまだ初心者ですからね」
「おぉ……?」
え?こんなに大変だったのに…? まだまだ序の口にも入れてないの? 死ぬほど大変だったよ?
…ま、まぁ…? 結構成長してるよとは言われたから効果はきっとある。…けど、…マジかぁ。…これからこんなことが続くと思うと憂鬱だ…。
…しかし、これも金を稼ぐ為…! それに草薙の攻撃自体も衝撃があるだけで、そこまで痛い攻撃ではなかった。
…本当に優しく訓練してくれているんだろう。逆に草薙達はいつもどんな訓練をしているか気になるな…。
「桐崎様。よろしければお風呂に入っていかれませんか? その状態ですと朝が張り付いて気持ち悪いでしょう?」
「うぇ?」
草薙の本来の訓練を想像していたら急に話しかけられてびっくりしてしまった。
…大丈夫かな…変な声出してないかな?
「どういたしますか?」
「あ、えっと…」
ええと、取り敢えず風呂に入らないかって聞いたのか…。
えぇ…? それはちょっと困るな…。
「い、いや…ありがたいがそこまでしてもらうわけには…」
やんわりお断りする。…流石の俺でもいきなり人の家の風呂に入ることはどうかと思う。
しかし、草薙は俺が本当に遠慮したと思ったようで…。
「なんでしたら泊まっていかれたらどうですか? 部屋は沢山余っていますし、ゴールデンウィーク中、わざわざここに来るのも面倒ですしょうし…」
「いや、年頃の娘としてそれはどうなん?」
完全に善意からの提案ということはわかる。…けどまだ知り合って一か月くらいの奴…ましてや異性を泊めようとするか?
「?」
あっ、…これわかってねぇな。本当に大丈夫なんかね…。
…しかし、泊めてもらうという事は……晩飯も頂けるのでは?
…お、おい馬鹿やめろ。飯に釣られるんじゃない。
「え…えっとぅ…親に連絡してないしぃ…」
俺的にはキッパリと大丈夫だ…! …と言ったつもりだったのだが押せばいける感じになってしまった。
意思が…意思が弱い…!
「ほほ、では私から連絡いたしましょう。旦那様は出張でいませんし、円様も今の所ダンジョン攻略に励んでいますしね」
ほほぅ…つまり親御さんはいないと…。
…い、いや、やましい意味は無く単純に気まずいだけだ。
それに…なんか外堀埋められてね?
埒が明かねえな…んー…。よし! いつものやつだ。
懐からコイン取り出し、親指で弾く…宙に舞ったそれを素早く掴む。さーて…運試しの時間だ。
「このコイン…表か裏かどっちでしょう。そっちが当てたら泊まる、俺が当てたら今日は帰る…ってことでどうだ?」
しめしめ…これで運ゲーに勝てれば…。
「「裏ですね(な)」」
え、早くね? まだ思考の途中だったんだけど?
恐る恐る掴んだコインの表裏を確認する。
…裏だった。えぇ?
「なんでわかったの?」
本気で疑問に思い聞いてみる。
「あれぐらいでしたらまだ目で追えますよ……やり直し…ますか?」
草薙が少々躊躇いがちに言う…。
おそらく反則したという意識があるんだろうが…この結果に関しては俺が草薙達の動体視力を甘く見てただけだ。別にそう思われる筋合いはない。
…いや、まさかコイントスの必勝法をマジでやるとは思わないって…。
ここで俺がゴネれば草薙は納得するだろう…でもなぁ?
しゅん…と少し悲しそうな顔をしている草薙…。まるで捨て猫の様な目で見られたら流石の俺も少々効く…。
「…いや…結果は結果…。大人しく従おう。あ、この借りはいつか返すね」
しょうがなしと言う様に潔い感じにそう伝えた。
うっかり最後の方には本音が漏れ出てしまったが仕方なくね? 例え相手の善意によるものだとしても俺は人に借りを作りたくないんだよ…。
そう言うと草薙は嬉しそうに…。
「本当ですか…! あ、でも借りだなんて別に気にしないでいいですよ。…それでも何かしてくれるのならお喋りしてくれると嬉しいです。桐崎君のお話は面白いですし、会話力も向上させたいですから…」
そ、そう言ってくれると嬉しいな…ちょっと照れる…。
「ほほ、私も混ぜてくれると嬉しいですな。若者と会話しないと脳が老いてしまいます」
「なら、今日はお喋り会ですね…ふふ、楽しみです」
二人でほわわんと喋っているところ悪いが…今の俺は疲労でいっぱいで仕方ない。正直疲れた以外の感情が消えている。
…だが、この穏やかな雰囲気は心地が良い。例えるとするなら疲れた状態で風呂に入るのと同じくらい心地が良いと思う。
…俺の家は騒がしいからな、こんな穏やかな時間はは基本的に訪れない。常在戦場が常の家だ、特に飯の時。
…汗もかいたことだし、風呂に入りたいんだが…この状況で聞き出すのはアレだな、空気が読めてないって思われるかもしれない。
…しかし言わないわけにはいかない…意を決して二人の間に入る。
「えっと、悪いんだけど先に風呂入っていいか?」
「あ、ごめんなさい…用意はもう済んでいますので案内しますね…」
「その間にご両親には連絡させていただきますからゆっくりとなさってください」
二人はすぐさま話を切り替えてくれた。
こう…至れり尽くせりで本当に申し訳ない…。いつか本当にこの恩を返そう…。
そうして案内された場所は十人は入れそうな浴槽…幾つもあるシャワーヘッド。
まるで銭湯だな、泳げそう。
流石にはしたないので泳ぎはしないが、先に体を洗い湯船に浸かる。
あ゛あ゛き゛も゛ち゛い゛い゛
…あ、寝る…な、これ…。おやすみ……。
風呂で寝てしまった俺が助け出されたのはその三十分後であった…。本当に申し訳ない…!