36
重い話は筆が進まなくなるから大変やな…
『私を殺してほしい』……その言葉は確かに脳髄にたたみ込まれた…だが納得できるかは別だ。
「なんで…そんなことを…言う?」
口が重い、一言を言うのにも苦し紛れだ。こんなに口が重いのは……久しぶりかもしれないな。
「私はもう…疲れたの…ずっと光の見えない道に立ち止まる日々…私の存在が、あのわたしを変えたダンジョン…海獣皇女カリブディジーの養分となってる現状への憎しみ…そして…五十年の月日…護?どうして貴方達がこのダンジョンに攫われたから分かる?」
「どうしてなんだ?」
大凡はわかる…だか、それを口に出す勇気はない…俺の答えがあってるなんて信じたくない…。
「もうわかってるくせに…でも、そうね…不誠実よね…ちゃんと言うわ…裏葉ちゃん、護?貴方をこのダンジョンに閉じ込めた元凶は…私よ」
「え……?」
裏葉が困惑の表情を浮かべる…今まで自分を助けてくれた人が、実は自分を閉じ込めた元凶と知ったんだ…無理もない。
「本当は裏葉ちゃんを巻き込むつもりは無かったんだけど…結果として貴方を閉じ込めてしまった…ごめんなさい…言い訳はしないわ…どれだけ罵ってくれても構わない…」
「えと………大丈夫だよ?裏葉、まりんお姉ちゃんのこと全然怒ってないよ」
「え?」
まりんが心底驚いたふうに裏葉を見る…実を言うと俺もだ。
「だって、道中守ってくれたもん…それに何度も助けてくれたし…それに…まりんお姉ちゃん優しいもん…きっと…何か理由があるんだよね?」
「…そう……だけれど…」
「じゃあ裏葉は何も言わない…それを聞くのは護お兄ちゃんだけだから…そうでしょ?まりんお姉ちゃん」
「そう…ね…うん…本当にごめんなさい…こんなにいい子を…私は……」
泣き崩れるまりん…それを優しく…支える様に励ます裏葉…。
あくまでも自分は部外者と言う裏葉…驚きを隠せない…小学生でこんな事言える子いるか…?理不尽だと、ふざけるなと言いたくもなるだろうに…。
…………いや、違うな…。
答えはもう、既に出てるじゃないか…。
『全体で見れば、そう悪いもんじゃなかったよ、食いもんはなんだかんだ腹一杯食えたし、このダンジョンで過ごして自分の実力が上がったのも実感したしな』
『それにまりんとも出会えてしな、そればっかりはこのダンジョンでしか得られなかったものだろうしな…それだけは感謝してるよ』
『裏葉も!ダンジョンに飲み込まれてずっと怖かったけど、まりんお姉ちゃんと護お兄ちゃんがいてくれたから怖く無くなったよ!楽しかった!』
ついさっきの会話…そうだ、楽しかったんだ…例えお前が原因で遭難したとしても…この時間は変わらない、それは…お前もそうだろ?
「言えよ、続きを…なに、まりんの事はわかってるんだ。お前の言いたいこと、されたがってること…大体分かる…でも、お前の口から聞きたい…お前の意思を問いたいんだ」
「……えぇ…ごめんなさい…えと…本当はあの強そうな人を飲み込むつもりだったの…でも、メガロレックスの制御が離れて裏葉ちゃんを狙ってしまった…護?その時に貴方が助けに来てくれて本当に助かったわ」
心底有難いと言うまりん…だが、その前に気になることがある。
「メガロレックス?ってのは確かこのダンジョンの名前だよな…まりんはダンジョンコアでもあり、ダンジョンマスターなんだろ?なんで制御が離れる」
そう問い詰めると、まりんはそれを待ってたと言わんばかりに。
「そう、そこよ護。私が無理を通して…包囲網を強引に突破してまで貴方達をダンジョンに引き込んだ理由…段々ね?母体からの交信が強くなるの」
「母体…?ってのはさっき言ってた…」
「そう、海獣皇女カリブディジー…多分貴方達が把握していないダンジョンよ…基本的に地上に上がる事はないもの…脅威度で言うと、そうね…崩壊級ダンジョンが一番近いかも」
「は?」
いきなり崩壊キャダンジョンと言われ思考が停止しかける。
「海獣皇女カリブディジー…海遊型生物ダンジョンの全ての親とも言える存在よ、なんだって海中のダンジョンは全て彼女が創ったんだもの…まだ原始的な、普通のダンジョンしかなかった海中で初めて進化したダンジョン…そこからは他のダンジョンのリソースというリソースを吸い尽くした暴食の姫…私という存在はそんな彼女に食べ物を献上する尖兵ってわけよ」
冗談ではないだろう、というかこの状況で嘘を吐くとは思えない。が…。
「……わかった…でもおかしくないか?ダンジョンがダンジョンを創るなんて…それにまりん達をダンジョンコアにしなくてもいいだろう?……なんの意図があって…」
言いながら気付いた…そうか…そこでその話が出てくるのか…。
「……ダンジョンは人がいないと意味がない…つまりダンジョンは人を欲している…まりん、お前はまさか…!」
「気付いた?…護は本当に飲み込みが早いわね…そう、ダンジョンは人の持つ生命力を欲している…それはカリブディジーも例外じゃないわ。広大な海を支配する彼女は生命力不足を懸念したわ…でも彼女の体躯は巨大で動くのにもエネルギーを使う…だから彼女は自分の手足となる存在を創造したの…それでダンジョンながらもダンジョンを創る能力があるってわけ」
「違う!俺が聞きたいのはそんなんじゃない!…俺が聞きたいのは…まりん、お前がその姿のまま変わらないのは…そう造り替えられたのは…!」
声が荒くなる…最悪の想像だ。できれば当たってて欲しくない…。
「うん、そうよ…ただ人を閉じ込めるだけじゃ生命力はいつか尽きてしまう…だって寿命だったり、外的要因によって命が尽きちゃうかもしれないもの、なるべく長く、ずっと生命力を絞れる様に…彼女はモンスターと私を融合させた。ほら、さっき言った孔が空いていた魚人いたでしょ?あれと存在を丸ごと融合させられたの」
…最悪の予想が当たっちまった…本当に気分が悪い。
「彼女にとって私は家畜であり、道具であり、尖兵でもある…そんな生き方はもう嫌なの、だからお願い…私を殺して欲しいの…」
諦念…口調は淡々としていて、それ以外望んでいない…まりんの声…態度…存在でそれを示していた…自分を殺して欲しいと。
「なんで…そんな簡単に受け入れられるんだよ!悔しくないのか!?お前は何にも悪くないのに!ただ運が悪かっただけなのに…人生の大半を虚無で埋め尽くしていいのかよ!…なんとか…なんとか出来ないのか?」
認めたくなくて、理不尽が許せなくて…その諦めきった顔を変えたくて言葉が勝手に出てくる…つい縋る言葉を吐いてしまった。
「……護はこんな私の為に怒ってくれてるのね?…ありがとう、本当に嬉しい…でもいいわ、そんなことしなくてもいいの…だって私はあの時いた、なんでもない少女ではないもの、あの少女はあのモンスターに押し潰されて死んだ…今ここにいるのはその子の死体とモンスターで捏ね上げられた、ただの化け物…護に想って貰えるほど…私の存在は清くない…」
そんなことないって言いたかった。お前の存在は汚れてなんかないと、そう思った。だけど…その言葉はきっとまりんには届かないだろう。
だって、俺は彼女の人生のほんの数日しか共に過ごしていない。彼女の辛さ、後悔、諦念…それら全ては彼女の積み重ねで出来たものだ…それを壊す事は…今の俺には……。
どうしたらいい?俺に何が出来る?俺に……なにか…出来ることは…。
顔を顰めながら脳をぐるぐる回す。だけど、結局の所所何も解決策なんて思い付かなくて……自分の弱さが嫌になる。
「それにね?もう時間がないの」
「…時間?」
自己険悪で吐きそうになりならながら聞き返す。
「さっきも言ったけど、最近母体からの交信が強くなるの…送ってくる意思は一つ、人間を献上せよ…ってね、なんとか無視し続けてきたけどそろそろ限界に近いわ…段々と…この子…メガロレックスの制御が効かなくなってくるの…最近意識が偶になくなる時がある…日に日に凶暴なモンスターが作り出されていくの…私はそんな子創った記憶がないのにもも関わらずよ?…護は身に覚えがあるでしょう?」
凶暴なモンスター…確かに、あのクソクジラと親子シャチは飛び抜けて危険なやつだったが…。
「止まらないの…止められないの…!このままの状態でいたら…私…本当に被害を出してしまうわ…その前に…お願い…!」
悲痛な叫び…その続きの言葉は知っている。
まりんの望み…俺の望み…。決して交わることのない互いの願い…俺は生きていて欲しくて、まりんは生きたくない…どうして、こうなっちまうんだろうな…。
羅刹を抜く…嫌だ。どうして仲良くなった奴を斬らなくちゃならないんだ…どうして…この諦めた少女を救えないのか…。
「護お兄ちゃん…!」
裏葉が叫ぶ様に俺の名前を呼ぶ…ごめんな?弱い俺を許してくれ…まりんを救えない…俺を許さないでくれ。
「裏葉ちゃん…護を止めないで。これは私の願いなんだから、護はそれを叶えてくれるだけ…護は何も悪くないのよ」
「でも…!」
二人の会話が耳を通り抜ける…どうしたらよかった?どうすればいい…俺は…。
「なぁ…まりん、最後に一つだけ聞いていいか?」
破れかぶれで聞く。
「なぁに?どうしたの?」
まりんは全てを受け入れている。慈愛の眼差しでこちらを見てくると、優しい声色で聞き返してくれた。
「その…ダンジョンコア、壊したらどうなるんだ?」
胸に宿る、その青い光が憎たらしくて、聞く…最後は…そんな異物は無い方がいいだろうと思ったからだ。
「……これは私と彼女…海獣皇女カリブディジーを繋ぐアンテナの様なもの…多分だけど壊したら彼女との繋がりが無くなると思う」
………あ?
今…なんて言った?繋がりが無くなる?
「でも、このコアは私の存在丸ごと繋がっている。そのもの…壊したら激しい痛みが襲ってくる…きっと死なんて生温い程の痛みが…なんとなくだけどわかるわ」
激しい痛み…死が生温い程に…だが、死ぬわけじゃない
「私も壊そうと思ったのだけれど…どうしても体が動かなくなる、多分だけど私はこのダンジョンコアに危害を与えられない様にされているわ…でも、護が壊してくれるなら別、うん、そうね、私も最後の姿くらいは…こんなものが無い方が嬉しいわね…壊して…くれる?」
目の前に光が差す様な錯覚を覚える。…あぁ、そうか、この為にあったんだな?
今までぶれていた切っ先の揺れが収まる…。覚悟だ…覚悟だけ必要だ。
「お兄ちゃん!!裏葉…やだよぉ!お願いだから…まりんお姉ちゃんを斬らないで!」
泣きながら俺に対して懇願してくる裏葉…安心させる様に、頭を撫でる。
「裏葉…大丈夫だ。俺がなんとかしてやる…だから少し下がってろ、危ないからな」
「え………うん……」
戸惑う様にそう言い、下がる裏葉を見届けた後、まりんの方を向き直す。
「なぁまりん…なんでお前が俺に名前を考えさせたか…わかったよ…お前はその少女に、後ろめたさがあるんだな?」
気になっていたことを聞く。
「えぇ、そうよ…わたしもこんな怪物に勝手に名前を使われるなんて嫌だと思うし…でも、護が名付けてくれたこの名前、今では気に入ってるの…最初は海由来かぁ…って思ったけど、名前を呼ばれるたびに愛着…親しみが湧いてきたわ…何もない私だけど、この名前を持って死ねるなら本望ね…」
本当に、嬉しそうな顔で言って来るまりん…その微笑みは…なんだか儚く見えた。
「そうか…まぁお前がそう思うなら別に否定はしない…でも一つだけ訂正させてもらうが…お前は怪物じゃない、ただの、女の子だ」
ずっと気になっていた。
確かにその少女は死んでしまったのだろう…でも、お前…まりんという存在は今も存在しているのだ。
生み出されたのはきっと不幸なことだったのだろう…モンスターの傀儡となり、家畜となっているのだから…でも…生きることは別に悪いことじゃないんだ…お前は…生きてていいんだ。
「…そんなこと言ってくれるなんて…本当に嬉しいわ…!でも……そうね、うん…私も最後くらいは自分のことを怪物と思うんじゃなくて…ただの少女…女の子として思うくらい…許されるわよね?」
「あぁ、そうだ。…そういえば…前にも言ったが、もし外に出られるとしたら、何がしたい?」
あの時は何もするつもりはないと言っていたが…本心は違うだろう。何もするつもりではないのではなく、何も出来ないが正しかったのだと、今の俺は思う。
「……意地が悪いわね…そんなこと聞いても無駄でしょうに…」
少しいじわるされた様な顔でこちらを見てくる。
「いいだろ?最後なんだ…お前の本心、教えてくれよ」
最後の確認。きっとこれは俺のエゴだ。
まりんに生きてほしいという俺の願い。まりんに普通の日常を送ってほしいという俺の独善的な思い…それでも、もし、本心から望んでくれたのなら…希望があるのだとしたら…!
「…そう……ね…護と裏葉ちゃんと一緒に何処かに出掛けたいわ…中学校にも通ってみたかったし…人並みの…恋もしたかった…あぁ…駄目ね…未練が出来ちゃう…これ以上口に出すと…止まらなくなっちゃう…」
まりんの目から一筋の光が滴れる…その答えを聞けて、満足だ。
「駄目ね…駄目よ…心をしっかり持ちなさい…これが私の願いなんだから…私は死ななくちゃダメなんだから!…ごめんなさい、護…早くお願い出来るかしら?もう…我慢出来なくなりそうだから…」
「あぁ、わかった」
刀身をまりんに向ける。
「やっと、終われるのね…?…本当にありがとう、護…私を救ってくれて」
「そうだ、まりん…俺が、お前を救ってやる」
羅刹をまりんのダンジョンコア目掛けて振るう…その瞬間。
世界が揺れた。
「え…?」
「……ッ!」
慌てて羅刹を止める。狙いが逸れたら大変だからな、まりんもこの異常事態に驚いている様だ。
「こ、これどういうこと?」
少し離れていた裏葉も寄ってくる。
「こ、これ…あぁ!駄目ッ!」
まりんが悲痛な声を出す。そして同時に胸に宿るダンジョンコアが蒼く激しく輝く。
その瞬間…パキッ!バキッ!っと何かが割れる音がする。
その後の方向を見ると…何も無い宙が割れていた…まるで空間そのものが割れている様に。
「駄目…止まらない!…お願い…!止めて!メガロ」
そして一際大きく何かを破砕する音が響くと…巨大な存在が俺達の前に現れた。
全長は…どのくらいだろうか詳しくはわからないが、十メートルはゆうに超えている。
「まりん、あいつが何かわかるのか?」
まりんはメガロ…と言っていたが…。見た目は馬鹿でかいサメって感じなんだが…。
「あの子は…私が最初に創ったモンスター…メガロレックスの分身たる存在で…絶対に面に出さなかったのに…」
メガロレックスの分身…つまりこのダンジョンの分身…なんだか厄介そうだが…。
「あいつがなんで今出てきたか知らんが…取り敢えず倒さなきゃ駄目みたいだぞ?」
いかにも様子でこちらを見てくる…ありゃあまりんが近くにいるから襲ってこないだけだ…奴の目には俺に対しての溢れんばかりの敵意が見える。
「駄目よ!護!貴方は強いと思う…きっとこのまま成長していったら凄いダンジョン探索者になると思う…でも、無理。メガロには勝てない…だって、あの子のポテンシャルはA級ダンジョンボスに匹敵するもの!」
耳を疑う…え、A級?
「このダンジョンは元々A級ダンジョン相当の難易度になるはずだったの…でもいつか挑戦する人があんまり大変にならない様に難易度を落としていたんだけど、使わない分リソースは余る。その余ったリソースをカリブディジーに渡すのも癪だから、余分なモンスターや植物を造って消費していたんだけど…あの子は別よ…あの子は一番最初に創ったモンスター…本来の難易度の強さだわ…」
「クソ…手詰まりじゃねぇか…」
言いながらも前へ進む。今はまりんがいるから襲ってこないとはいえ、痺れを切らしたらまずい。裏葉も巻き込むわけにはいかないし。
「護!」
「……今の俺がA級ダンジョン相当のモンスターに勝てるわけがない…それは分かってる…でも、戦わないわけにはいかねぇ」
俺の名前を叫ぶ様に言うまりん…それが、俺がどんだけ無謀なことをしようとしているのか表していた。
死ぬかな?…死ぬよなぁ…死にたくねぇな…。
でも、覚悟はもう決まっている。
先程の暗い気持ちは何処へ、胸には熱い闘志だけが立ち昇る。
それはきっと、目的が出来たからだ。
今までのようなただ脱出を目指すわけではなく、まりんを救う、裏葉のお願いに応える……そして、まりんの人並みの望みを…幸せをまりんに経験して欲しい…言うほど容易くは無いが…それでもやるしかない。
人生にはいつだって佳境が来るもんだ…俺にとってはそれが今。
コインは今は必要ない、そんなんで決めるよりも、心の底、俺の全部が戦えと叫んでいる。
歩から走りへ、矢の様に駆け出す。
「ウォォォォオオッ!!」
さぁ…蛮勇の時間だ…!




