邪神バフォメット
その少女は華やかな黒いドレスを着ていた。銀色の髪を肩の辺りまで伸ばして、その眼は燃えるように赤い。頭の横から丸まった山羊のような角を生やしている。背丈が低くて童顔で、歳はワフカと同じ小学生の高学年くらいに見えた。
見た目はとても可愛らしいのだけど、この少女からはとても強いオーラを感じる。
いや、言葉にするのは難しいけれど漫画とかでよく見るアレです。
絶対この娘が山羊頭の悪魔が言っていた、バフォメット、とかいう邪神だよ。
確かに私の望んでいたファンシーな見た目だけどさ。
そんな、いきなりラスボス級のオーラを放つ奴が出てくるなんて酷くない?
ゴットパネルも光っている。
『死にます』
もう文章力が壊滅していた。なんだよ、死にます、って。
実にシンプルですね。『いいえ』の選択肢は何処にあるのですか?
「貴女が、バフォメットとかいう邪神?」
取り敢えず聞いてみた。いきなり襲ってくる気配もないし、こんな状態で逃げられそうもないし。
「そうじゃ、余は邪神バフォメット。とても偉い」
私の質問に、その少女は腰に手を当てて踏ん反り返って答えた。
なんか、対抗したくなった。
私だって威張りたいんだ。
「私は女神のミチル。とても偉い」
私も腰に手を当てて、同じように踏ん反り返った。
「なんじゃと、余は邪神じゃぞ?」
「でも、私は女神だし」
「ならば、お主の信仰者数を申してみよ!」
バフォメットは私を指差して挑発して来る。
よし、言ってやろうじゃないか。
私には、ウサギの村の獣人とウサギ達が付いているんだぞ!
私はゴットパネルに書かれた『信仰者数』を読み上げた。
「私の信仰者数は『135』だ!」
私は自信満々にそう告げたのだが、バフォメットはそれを鼻で笑った。
「ふっ、やはりその程度か」
「なんだとぉ、そういう貴女の信仰者数はどれ位なのさ?」
「ふはははっ、軽く五億は超えておる!」
片手を前に突き出し、掌を広げて自慢げにバフォメットは答えた。
「な、なんだって!?」
私は敗北感に苛まれ、膝から崩れ落ちた。
「ミチル様!」
優しいクロウサは私を抱え起してくれた。
なんと優しいウサギなのでしょう。そのまま分身してください、十億羽位に。そしたらこの邪神にも勝てるから。
だいたい、なんで邪神を信仰する人がそんなにいるのさ?
確かに可愛らしい邪神だけど、そんなにいたら世界が滅びるよ。
バットエンドだよ。
「まあ、成り立ての女神にしては上出来じゃろう。ハルコが選んだ女神なだけあるな」
バフォメットが上から目線で言ってきた。
「あれ? なんでそれを知っているの?」
「それくらいは当然じゃ、余は五億以上の信仰を得ている邪神じゃぞ」
また腰に手を当ててバフォメットは偉そうにした。
年収を自慢している人みたいだね。
「それで、その偉い邪神殿がミチル様に何用ですか?」
先程からクロウサはこの邪神に対して警戒心を解いていなかった。私を守るように側に立って、いつでも刀が抜けるように構えている。
「なに、ただの暇つぶしじゃ。でも、思ったより良かったぞ。特に最後は良い絵の題材になりそうじゃ。褒めて遣わす」
そんなクロウサを意にも返さず、上機嫌でバフォメットは答えた。
そういえば、絵がどうとか言っていたね。邪神なのに、そんな趣味があるんだ。
「そうじゃ、そこの天使」
何かを思い出したような顔をして、バフォメットはクロウサを見た。
「なんですか?」
「片翼のままじゃ辛かろう、治してやろうか?」
「え?」
何でもないかのように、まるで崩れた髪型を治すかのような軽い口調だった。
「治して、今すぐに」
私は即答していた。
私の横でクロウサは戸惑っていた。
そりゃあね、そもそも悪魔に斬り落とされた翼だから。それを治してあげましょう、なんてその悪魔が使える邪神が言うのは怪しさ満点だ。詐欺被害に遭いそうなので口座番号を教えてください、とか言ってくる警察官並みに怪しい。
でも、それでも私はクロウサの翼を一刻も早く治してあげたかったのだ。
「ほう、良いのか女神が邪神を信じても?」
バフォメットは面白い者を見るかのような眼で私を見ていた。
「良いよ、五億の信者がいる邪神だもの。信じるよ」
「それも嘘かもしれないぞ?」
「嘘だったら、怒る。治さなくても怒る」
「あはははっ、さすがはハルコの後輩。無茶苦茶じゃな」
こっちは真剣に答えたのに失礼な邪神は私の回答に笑った。
なんだそれ。まるで私が先輩に似ているみたいじゃないか。
でも、悪い反応ではなさそうだ。
「分かった、治してやろう。ただし条件がある」
「条件?」
「先にその天使の翼を治してやろう。その後に余の願いを聞いてもらう。どうじゃ?」
親切なようで質が悪い提案だ。
これって、恩を着せて無理難題を押し付けるパターンじゃないか。
ファンシーな見た目でもやはり邪神だね。
そもそも、自分の悪魔がクロウサの翼を斬り落とした癖に。
まあ、元々はこっちが仕掛けた喧嘩みたいなものだけど。
でも故意ではありませんから。事故ですから。
まあ良いさ、私の器のデカさを見せ付けてやろう。
「良いよ、その条件で」
「ダメです、ミチル様」
今まで黙って聞いていたクロウサが私を止めた。
「相手は邪神、どのような条件を出されるか分かりません。それを私の翼如きに……」
「大丈夫だよ、クロウサ」
「しかし……」
「良いから、私を信じて」
私は女神スマイルをしてクロウサの頭を撫でた。
人前だったからか、クロウサは恥ずかしそうに下を向く。
「良いぞ、余はそういうのが大好きじゃ!」
何故かバフォメットのテンションが上がっていた。
なんだ、そういうのって。
そういえば『バフォメット』って何処かで聞いた時があるんだよね。
何処だっただろう?
「よし、また良い絵の題材を得たのじゃ」
なんか喜んでいるみたいだし、もう条件達成で良くない?
「よし、契約は成立じゃな。どれ天使、動くなよ」
気付いたら、バフォメットがクロウサの後ろに回り込んでいた。
その手には悪魔に斬り落とされたクロウサの翼がある。
そのままその翼を切断された箇所に当てたかと思うと、綺麗に翼はくっ付いた。
あっという間の出来事だ。
「どれ、動かしてみよ」
バフォメットに言われてクロウサは翼を動かしてみる。
切断されたはずの翼が、それを全く感じさせない程に自然と動く。
「ミチル様!」
嬉しそうにクロウサは私に笑顔を向けた。
うん、私も嬉しい。
私達は手を取り合って喜びを分かち合う。
「素晴らしいのじゃ!」
バフォメットも何故か嬉しそうだった。
よし、このままなかった事にしよう。
「本当にありがとう、バフォメット。じゃあ、私達は急いでいるから……」
「待つのじゃ」
華麗に去ろうとしたが、呼び止められた。
やめて、高速で回り込まないで。
「約束は守ってもらうぞ、余の願いを聞いてもらおう」
「あっ、そうだったね。それで願いって?」
「女神のミチル、余と戦うのじゃ!」
年相応の女の子らしい笑顔で、邪神さんはそう仰いました。




