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婚約者初登場


 「それで、僕はここに判を押せばいいのか」

 「はい。お願いします」


 冬永章(トウエイショウ)は躊躇いなく判子を押す─直前で動きが止まる。


 「・・・どうかなさいましたか?」

 「いや、今思い出したんだけど、これ僕のじゃなくて間違って兄のを持ってきてしまっていたんだよね」

 

 悪びれた様子もなく言いのける様子に、明藍は額を押さえ長いため息を漏らす。兄が二人いるが、多分人の良さそうな長男の方だろう。

 

 「それ、兄上様がお困りなのでは?」

 「うん。一応そう思って文を出したが、もう一つの予備を使うからそこまま使ってくれていいという話でまとまっているから心配は無用だ」

 「・・・・然様ですか」


 色々突っ込みどころはあるが、それで当人たちが納得しているのであれば外野がどうこう口を挟むことではない。例え、他人の判子を使用することで文章偽造の罪に問われる可能性があったとしても知ったことではないし、自分に害がなければどうだっていい。ただ、今回は思いっきり実害が出ているが。

 

 「それで、いつ王都に戻られるおつもりですか?」


 これでも幼き頃より知る仲だ。

 この男が目標を達成せずに王都に戻ることなどない。それこそ一生見つからなければ、一生戻ってこない拘りの塊みたいな男だ。


 「そうだな。今回は新種の鳥の調査できているから、それがひと段落したら戻ろうと思う」


 つまり、鳥が見つからなかったら帰らないというわけか。

 それならば一層、この男が一生帰ってこなければ明藍ものらりくらりとかわし続け、皇族に嫁ぐことなく済むのではないか─と考えたが、そんなこともはや皇帝が許さないだろう。彼の中で明藍は完全に娘の位置づけになっている。

 それに─ちらりと横目で高明を見る。

 今ならばまだ隠せる気がするのだ。気付いてしまった想いは幻だったと。矯めるなら若木のうち。芽を摘むのも早ければ早いほど想いは募らぬというものだ。

 

 「・・・・おい、聞いていたか?」

 

 はっとして顔をあげると永章が不満げに口を尖らせていた。

 

 「すみません、聞いていませんでした」

 「・・・まあ、いい。それで、なにか最近お前変わったことはないのか?体は大丈夫か?」


 人間よりも鳥や虫、草木に興味がある永章のものとは思えぬ気遣いに空耳でも聞こえたかと思ったが、どうやら自分が思っているよりもずっと疲れているらしい。この男の言葉は主語がよく抜けることなんて考えずともわかっていた。そしてこの男が明藍にわざわざ尋ねるなんて一つしかないではないか。


 「言っておきますが、新種の魔族は見つかっておりませんよ」

 「・・・そうか。ここ半年くらい王都が騒がしかったから期待したのだがな」


 ちぇっと小さく舌打ちする姿に、明藍は半眼になる。一瞬でも大人になったと感動しかけたこの気持ちをどうしてくれる。ここはひとつやり返してやろう。


 「そういえば、お母上がいきなり家を飛び出たかと思えば文の一つもなく、更に婚約者にも逃げられるなんて散々だと嘆いていらっしゃいましたよ」


 つい先日術部経由で届いた文に、お願いだから考え直してくれととにかくつらつらと懇願という名の不満が綴られていた。

 母という単語に、永章の肩が面白いほど揺れ、眼鏡の奥に慎ましく点在する瞳が細められた。彼は母親という生き物がこの世で一番苦手だった。母親至上主義マザーコンプレックスではなく母親恐怖症である。そんな母親を欺くためにも明藍の存在は彼にとって大きかった。いや、むしろそのためだったといっても過言ではない。


 「・・・・一つ目は僕に責任があるとして、二つ目は完全に君のせいだよね?」

 「では伺いますが、あなたは籠が開けっぱなしになっていて逃げた鳥を撃ち殺しますか?水をあげずに枯れた草木を責めますか?」

 「何を馬鹿なことを。鍵をかけなかった奴と水をあげなかった奴が悪いに決まっているだろう。そんな奴、極刑でも仕方がない」


 想像したのか、ぎりりと永章が歯軋りをする。その姿は一応婚約している身から見ても異様だ。冷静に考えれば、よくもまあこんな変人と婚姻しても良いと思ったものである。改めて会ってみると、全身全霊でお断り案件でしかない。

 三男でこの変人っぷり。それでもきっと明藍との婚約破棄が確定すれば、中流貴族あたりから嫁をもらえるのだろう。世の中生まれでほぼ決まると言われているが、本当に不条理な世の中だ。


 「それならば責められるべきはあなたでしょう?ちゃんと手綱を握っていなかったのですから・・・ということで、わたしと取引を致しませんか?」

 「取引だと?」

 「はい。あなたは今すぐに王都に帰還してこの証明書に捺印をする。その代わりにわたしがお母上をなだめて差し上げます」


 母親に合わなくていい。

 それだけでもこの男にとっては喉から手が出るほどうれしい提案なはずだ。その証拠に、足がぱたぱたと小刻みに揺れ始めた。


 「し、しかしだなまだ鳥の調査が・・・」


 こどものようにそわそわとする姿は見る人によっては可愛いらしいのかもしれないが、明藍からすれば特段可愛さを感じない。むしろ普段とかけ離れていて恐ろしい。

 明藍が手を一回叩くと、机の上にぱっと行李が姿を現す。中から取り出したのは玻璃の器だった。


 「なんだ、玻璃の器か。お前は忘れているかもしれないが、僕だって一応四家の出だ。玻璃の器くらい・・・」


 急に永章の言葉が途切れる。彼の細く小さい瞳が、一点に集中している。

 食いついた、と明藍はほくそ笑む。

 器に入っているのはあの海神からもらった花─人魚の涙だ。コウ管理人に頼んで調べてもらった結果、ちょっとやそっとのことでは枯れないらしいが乾燥には弱いらしい。念には念を入れて水の張った器で保管しているおかげか、未だに頂戴した時と変わらぬ美しい姿のままだ。

 そして何を隠そう、人魚の涙と言えばその界隈の者からすれば喉から手が、いや手の一本や二本と交換と言われても思わず頷いてしまうほど珍物レア中の珍物レアなのだ。売れば金になるという言葉を冗談半分で聞き流していたが、実際市場に出回った時には小国の一年の予算程度の金が動いたともいわれている。


 「まさか・・・でも・・三十年ほど前・・・いや」

 

 顔を青くしたり赤くしたりしながら目を血走らせて呟く様子にそれまで黙って行く末を見守ってくれていた高明が視線で訴えかけてくる。明藍からすればたまにあることなので慣れてはいるが、初見であれば高明の反応は間違っていない。むしろ大正解だ。

 落ち着くまで出された茶菓子を摘まんで待っていると、やっと正気に戻った永章が落ちかけた眼鏡を押し上げる。


 「そっ・・・それで、その花をどうしてくれるんだ?」

 「差し上げます」

 「さっ・・・!わ、わかったぞ!新手の詐欺だな!」

 

 めんどくさい。

 

 「・・・では、この話はなかったということで」

 

 席を立とうとするとものすごい勢いで肩を掴まれ、そのまま席に戻される。


 「今すぐ帰ろう。さあ、僕を王都へ飛ばしてくれ。捺印でもなんでもするぞ!」

 「では、お母上の説得もお任せしてよろしいですか?」

 「ぐっ・・・あ、それは・・・」

 

 この世の終わりのような表情に、さすがに意地悪を言い過ぎたと反省する。

 

 「その件は約束通りわたしが」

 「いや、わかった。母上の件も俺がなんとかしよう」


 本気(マジ)か、恐るべし人魚の涙。

 これが数十年に渡る母子(おやこ)戦争の終結に一役買えばいいのだが。

 しかし、明藍の願いは虚しく、さらに関係が悪化したのはまた後日の話である。

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