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古城物語 〜猫たちの時間4〜  作者: segakiyui
8.レクイエム

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4

「………」

 お前なんかいなくなればいい、消えてしまえ死んでしまえ。

 遠く離れた日本で、何度同じことばを周一郎は聞いてきたことか。それをまた、このドイツで聞く、周一郎の出生も性格も何も知らない、しかも一度は結婚して共に暮らそうとしていた少女から。

 隠そうとしても逃げようとしても、見えないふりをしても聴こえないふりをしても、繰り返し繰り返し、世界は周一郎に突きつける、お前など生きている価値はないんだ、と。

『Nein!』

 それでも、自殺しようとするマリーネに向かって叫んだ周一郎のあの声は、そういう世界への拒否だったんじゃないか。

「…そうか」

 突然気づいた、出立前にお由宇と話したやりとりの意味。

 周一郎が自分に関わる周囲を気にした、そっちの方が意味があるという、あのことば。

 ドイツへ俺を誘ったように、それでも周一郎は、そういう自分を抱えてこれからも生きていこう、そう考えたということじゃなかったのか。

「うーむ」

「……あの迷路」

 あれやこれやと埒もないことを思いめぐらせている俺に、掠れた声が届いた。

「運命のようですね」

「え?」

 運命。奇しくも朋子が同じことばを使っていた。

「誰がどこで巡り逢うかわからない。………もし、僕が滝さんと出会っていなかったら」

 周一郎はこちらに顔を向けた。

「朋子がもし、僕より先に、滝さんに巡り逢っていたら……」

 そっくり同じ思考、この2人は、ああそうだ、確かにとんでもなくよく似ている。

「朋子の役回りは……僕だったのかも知れない」

 微かに零れる儚げな笑み、聞きようによっては周一郎が初めて俺との友情を大事にしていると告白してくれたようなもんだろうが、それよりも。

「違う」

 巡り逢う時がずれ込んでいたなら、俺は朋子の側に居て、周一郎を敵としただろうか。可能性としてはあり得るだろう。だが。

「お前はお前だ」

 俺は首を振った。

 そんなことはあり得ない。

 人は誰かと同じ存在じゃない。たとえ同じ場所にはめ込まれたところで、朋子はきっと、俺を助けるために迷路で熱のある体を押して動き回ろうとしなかっただろうし、俺が玲奈に魅かれているかも知れないからと思って何も話さなかったり、自分が殺されるかもしれない危険のある場所にじっと堪えて居座ってはいなかっただろう。

「朋子ちゃんは結局朋子ちゃんだったさ」

「…」

 周一郎は応えずにっこりと、珍しく素直な笑みを返した。サングラスに透ける陽射しが、いつも重く沈む目をも透かしている。

 その目はひどく不思議な優しい表情を浮かべ、ゆっくりと瞬きした。

「眠そうだな」

 重い気持ちを振り払って笑いかける。

「変ですね」

 呟くように返事が戻る。

「何が」

「あなたの側にいると、何となくすぐ眠くなって……すみません」

 ふわぁう、と小さなあくびをして、周一郎は謝った。その顔にやっぱり一瞬、朋子の顔が重なる。

 できることなら、朋子にも、こんな安心しきった顔をさせてやれればよかったけれど。

 胸に微かな傷みを感じる。

 俺の手は、ほんと小さいんだ、ごめんな。

「まだ全快してないんだ、寝てろよ」

「…」

 無言で頷いて大人しく目を閉じる周一郎は、今は年相応の顔だ。それほど待つまでもなくすうすうと軽い寝息が聞こえ出すのに、サングラスをはずしてやり、窓のカーテンを閉めようと立ち上がる。

 窓の外、光煌めく緑の光景に、もう一つの緑の空間、地下に穿たれた迷路のことを思い出す。

 あの迷路を、女城主は一体何のために作ったのだろう。

 迷う人々を眺めて嘲笑うためか。それとも、自分の手で容易く破滅に追いやることのできる命への万能感を味わうためか。

「そうじゃ…ねえよな」

 迷路の中央で彼女はじっと待っていたのだろう、数々の迷いと苦難を乗り越え、それでも確かに自分の元に辿り着いてくれる誰かを。なぜなら、彼女こそが、迷路の中に閉じ込められていたはずだ、不信と絶望という迷路の中に。

 出逢いたかった。

 自分の身も心も任せられる、満幅の信頼を捧げられる相手に。

 方法は間違っていたかも知れないけれど、きっと同じようなことなら、俺達もやっているはずだ、日常生活という迷路の中で。壁を動かして道を塞いだり、落とし穴へ導いたりして、それでも願っている、どうか乗り越えて、近づいて来て欲しい、この追い詰められて竦んだ心の内側に、と。

「……そんなことしなくても、よかったんだ」

 さみしいんだ、側に居て。

 そう言えなくて、人はどれほど相手を傷つけるんだろう。

「……あ」

 振り向いて周一郎の寝顔を眺め、そういえばマリーネが敏人親子を殺すほど恨んでいた理由というのを聞き損ねた、と思い出した。

 けれど、周一郎はようやく得た安眠に、心底気持ち良さそうに浸っていて、もちろん俺は起こす気はなかった。

 

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