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周一郎は、一週間近く、病院のベッドに埋まっていた。
一時は絶対安静、面会謝絶の重症者扱い、ドイツ人の医者は、なぜこんな子どもにこれほど無茶をさせたと俺に食ってかかり、させたくてさせたんじゃない事情ってもんを聞けよこら、と俺もやり返した。
可哀想だったのは、間に立った通訳の男で、双方とも頭にきている上にかなり汚いことばを乱発したのを、プロ意識に燃えたのか、わかりにくい罵詈雑言の意味するところを一々双方に確かめ、出来うる限り平和的に、ただし確実にお互いの意志を伝えようとしてくれた。結果、当然ながら、正確に双方の意志が伝われば伝わるほど、俺達は口を極め顔を歪めてののしりあう羽目になった。最後には通訳なしでやりあえるまでになってしまった。悪口というものは万国共通のものなんだろう。
面会謝絶が解かれた次の日、俺は周一郎の病室を訪れた。周一郎がいない間、俺の面倒を見てくれていたハインツも一緒だった。
「はい?」
「入るぞ」
ノックをして、まあまあ元気そうな声に安心してドアを開ける。
「滝さん」
半身起こした周一郎は俺の顔を見ると、ほっとしたように笑いかけて来た。
「ほら」
「すみません」
頼まれていた新しいサングラスを渡すと、周一郎は早速慣れた動作でかけ、ハインツに視線を向けた。
「Herr Asakura……Sprechen Sie bitte.」
「Ja. 滝さん、ちょっと待っててくれますか? ハインツが今回の事件についての説明を欲しがっているんです」
「あ、うん」
いつも通りの冷静さで、淡々とハインツに話し始める周一郎を横目に、一体何をどう話しているんだろうと思う。敏人殺し、玲奈殺し、悟殺し、朋子殺し(行方不明)、マリーネ自殺(行方不明)、立て続けに起こった殺人事件は、被害者が敏人、玲奈、悟、朋子で、加害者が殺人教唆の敏人も含めて玲奈に朋子にマリーネ、殺しに関わっていない人間の方が少ないという無茶苦茶さだ。
ハインツは難しい顔で周一郎の説明を聞いていたが、時々それは、と言いたげな表情で口を挟んでいる。だが、周一郎の落ち着き払った口調にじりじりと説得され、やがて渋々頷く、そういうことが数回繰り返された。
やがて、ハインツは席を立った。納得も同意もしていないが、提示された解答しか見つからないのが悔しい、そういう顔だ。禿げかけた頭をのろのろと振り、彼は周一郎に握手を求めた。
「Auf Wiedersehen bis später.」
「Vielen Dank für Ihre freundliche Hilfe.」
「Gute Besserung.」
「Danke schön.」
周一郎は儀礼的に微笑してハインツの手を握った。ハインツは手を離し、俺の方に向かっても手を差し出してきた。
「Schöne Reise.」
「ア、アウフ・ヴィーダァーゼーエン」
慌てて立ち上がって手を握り返し、ハインツが病室を出て行くのを見送ってから、周一郎を振り返る。
「……どう話したんだ?」
「………マリーネの事を除いては、全部」
「除いて?」
周一郎は吐息をつき、ゆっくりと寝そべった。天井を見上げながら、
「謎解きをしましょうか?」
「ああ」
「警察向けがいいですか?」
「……俺向けだとどうなるんだ?」
ふう、と周一郎は溜め息をついた。
「まず、敏人殺しからいきましょう」
どうやら一つ一つ解説してくれるつもりらしい。
部屋の隅にあった椅子を持ち出して、ベッドの側に陣取った。
「敏人は、ある理由からマリーネに恨まれていました。敏人は書斎から出て来たところで彼女に会い、マリーネは絶好の機会を得たんでしょう。おそらくほとんどためらいなく、そんなことなど考えてもいなかった敏人を殺すことができたと思います。彼女は悟が玲奈の手で殺されていたのを知らなかった。だから、悟の『黒ずくめの服』という印象を利用して、わざと滝さんや朋子に見つかるように逃げたんです」
敏人がマリーネに恨まれていた? けれど、マリーネは敏人に雇われていたんじゃなかったのか。
だが、俺が尋ねる前に、周一郎はことばを続ける。
「次の玲奈殺しは、滝さんが聞いた通り朋子です。『黒ずくめの服』は、単に敏人殺しにひっかけようとしたんでしょう」
「でも、どうしてだ? それにそんなことをしたら、悟に嫌疑がかかるじゃないか」
今度は何とか口を挟む。
「悟への嫌疑は朋子も頭にはなかったでしょう。………朋子は、悟が死んだことを知っていたんです。たぶん、僕らが知るより、ずっと早く」
「え…え?」
俺は混乱した。
「じゃ、じゃあ、その恨みで」
「違います。朋子は玲奈が殺したとは知らなかったでしょう。けれども、おそらくは、悟の死を僕らがここへ来た数日後には知っていた可能性があります。………その頃から、朋子の心は軌道を外れ出した……ただ一人の人を手に入れるために」
「?」
ただ一人の人? 悟以外に?
俺がよほどわけのわからない顔をしていたのだろう、周一郎はちらりと俺を横目でみやり、何とも面映い顔をした。まるで商店街を巨大な作り物のきりんの頭を被って歩いている男を見るような、どうしたもんだかなあこいつは、そういう顔だ。やがて、俺がいつまでたっても要領を得ないのに諦めた様子で、
「あなたです、滝さん」
「は?」
俺?
脳裏に甦ったのは、朋子のすがるような視線。
「あなたの関心を得たいばかりに、泣いてみせたり、じゃれてみたり……怒ってみたり、当たり散らしてみたり…」
何だか微妙に曖昧な口調で呟く。
「……だけど、あなたは玲奈にばかり目を止めている。朋子の心の糸は切れてしまって、どんな手段を使ってでもあなたを手に入れたいと思うようになってしまったんでしょう………だから、玲奈を殺した」
「いや、だけど、…」
俺が? 俺が?
頭の中に飛び交う疑問符を必死に虫取り網で追いかける。
「悟は、麻薬のために金が欲しかった玲奈によって殺された、それは既に話しましたね。……あの迷路で、朋子を殺したのはマリーネです。朋子、敏人以外であの迷路の仕掛けを知っていたのはマリーネだけでしたし、彼女は朋子も、敏人と同じ理由で憎んでいました」
「何でそんなこと」
「…マリーネの書き置きがありました」
あったのかよ! ってか、つまり、それが謎解きの種明かしかよ。
突っ込みかけた俺は、周一郎の苦しそうな顔に思わず口を噤む。
「マリーネが自殺したのは……全てが終わったせいです」
瞳はサングラスを通してもわかるほど虚ろで、顔の中央にぽっかりと開いた二つの穴のようだ。
「朋子ちゃん、が……お前を狙ったのは」
「……」
周一郎は目を閉じた。一番口にしたくないことを尋ねられたような顔だ。
「……僕、ばかりを、滝さんが、気にしていたからでしょう」




