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古城物語 〜猫たちの時間4〜  作者: segakiyui
7.迷宮

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4

「意識があるのかしら。かなり朦朧としてるみたいだけど。壁にもたれて立ったわ。でも、それが精一杯みたい。かなり苦しいんだな、肩で息してる。ゆっくり壁を伝い始めたわ……ああ、そうか、連れてく前に言ったことを思い出したのね、ここは迷路だって。滝さんも一緒に入れておくわって」

「くっ」

 やめろ。

 思わず歯を食いしばる。

 やめるんだ。

 動くな、周一郎。

「あ、壁に血がついてる。やっぱり怪我してるみたいね。でも、気づいてるのかな……ただ歩いてるだけみたい」

「やめろ!」

 思わず叫んだ。

 周一郎を嘲り続ける朋子の声がおぞましくて気持ち悪く、消し去ってしまいたかった。

「やめるんだ、周一郎!!」

 同時に、重ねて、出来る限りの大声で、どこかに居るはずの周一郎に向かって叫ぶ。

 俺を捜さなくていい。出口を見つけようとしなくていい。

 俺がきっと辿り着くから。お前の側に駆け寄って、一緒にすぐには出られなくても、必ず出口へ行けるように支えるから。

「動くな!!」

 叫んだ一瞬後の沈黙に、ずっ、と何かを引きずるような音が続いた。

「倒れたわ」

 冷酷な朋子が呟く。

「あ、また起き上がった。滝さんの声、聞こえていないんだな。また歩き始めているもの」

 おそらくは熱のせいだろう。一晩中、ここに放っておかれたのだ。

 もう一度、歯を食いしばる。左手を壁につけたまま走り出す。俺の速度が段々上がっていくのに、朋子の声がおろおろと響いた。

「だめよ、滝さん、走らないで、ぶつかっちゃうわよ」

 言われるまでもなかった。俺は二度脚をぶつけ、三度手をぶつけ、一度はもろに壁にぶつかりかけた。

「滝さん、だめだって……あっ!」

 朋子の悲鳴じみた声があがり、じゃらっと鎖の音がしたかと思うと、いきなり目の前に壁が横滑りして行く手を塞いだ。

「っ!!」

「だめよ滝さん、周一郎なんか、見つけさせやしない」

 静かで冷ややかな声が宣言する。

 俺は再び歩き出した。汗が滴り落ちてくる顔を拭う。

 早く。少しでも速く。

 あいつが完全にまいっちまう前に。

「どうしてそう急ぐの? 間違っているかもしれないのに」

「かも……知れない」

 息を切らせながら応じた。

「でも、俺が今、あいつにしてやれるのは、これぐらいだ」

「どうして?」

 朋子の問いに構わず、角を曲がった。

 一瞬遠くに、壁にもたれてかろうじて立っている周一郎の姿を見つける。

 紅潮した頬に汗が伝わる。ぼんやりとした目が俺を捜して、進む方向に向けられている。よれよれになったパジャマは数カ所に仄赤い染み、ぎらつく銀の破片、乱れた髪が揺れて息を喘がせ、こちらを向いた。視線があって、滝さん、と干涸びた唇が動く。

 そちらへ走り出そうとした瞬間、鎖を引く音がして、どしんと壁が俺と周一郎の間に割って入った。息を呑む俺の耳にずるっ、どさっという鈍い音……周一郎が倒れた音だ。

「くそおっ!!」

 周一郎はかなり参っている。一刻も早く側に駆けつけたくて走り回る。だが、俺がそこへ走り寄ろうとする度に、緑青の壁が、深青緑の角が行く手を遮り、俺から周一郎を遠ざけていってしまう。揺れ、霞み、陽炎のように光に波打つ緑と青の幻想的なこの世界に、俺の足音だけが虚しく響く。

「動くなよ、周一郎!」

 聞こえていないと知りながら、俺は喚いた。

「その場所から動くな!」

「無駄よ、聞こえやしないわ。それに疲れ切るまで、あたしは決して滝さん達の運命を絡み合わせやしない」

 朋子は笑って鎖を引き、階段から降りてきた。

 今はもう無我夢中で、動く壁の間をくぐり抜けて走る俺の目に、周一郎はほんの一瞬ずつ見えた。

 呼吸が次第に荒くなっていっている。瞳が次第に生気をなくしていっている。幾つもの角を曲がり、通路を駆け抜ける。次々目の前に現れる緑と青の色の波の中に、ちらっ、ちらっ、と周一郎がコマ送りのアニメーションのように見える。横顔、振り返る、振り向く、俯く、苦しげに、目を閉じる、再び顔を上げ、仰け反り、崩れる。

 それは不思議な感覚だった。

 ずっと以前にも、俺はこうして走っていたような気がする。遠くに見える一瞬の景色、道筋もわからずタイミングも掴めないまま、目の前を遮り続ける壁に向かって、ただひたすら突進する。

 足下に口が開く。落とし穴だ。落ちれば串刺し……周一郎はこの罠に気づいているだろうか? 走り抜け、飛び越え、そうだ、追う輝きはその時に応じていろいろなものだったが、この感覚は同じだった。

 辿りつけるかどうかわからない。だが、それは確かにそこにある。たったそれだけの確信で、移り変わる世界の中を一心に走っていく。

 それは今追わなければ消えてしまう輝きで、俺はいつも、今追わなくてはならないことを本能的に知っていた。

 周一郎もそうだ。

 出会って、なぜかいつも、こいつの本音を吐かせなくてはならないと、それだけを確信していた。全てのものを越えて、俺は周一郎の側に居てやる必要があるんだ、と思っていた。

 そして、今のようにほんの一瞬だけ見える『本当の』周一郎を追いかけ追いかけて……なぜだろう? 妙な確信があった。この角を曲がればいいと。

 どうしてやれば、周一郎を助けてやれるのかはわからなかった。

 ただ、この角を曲がればいいのだと。

 この角さえ曲がれば、こいつはもっと本音を見せてくれると。

 それを巡り逢ったというのだろうか。

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