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古城物語 〜猫たちの時間4〜  作者: segakiyui
7.迷宮

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3

「なんてことするんだ!」

 俺は身を翻した。朋子に周一郎を助ける気など全くない。とにかく一刻も早く、ここから周一郎を出してやらないと。

 迷路の入り口に駆け込もうとした寸前、切ない声が背中で響いた。

「滝さん…」

 無言で振り返る。

 朋子は不思議そうにスカートを垂らした両手で握りしめて、そっと首を傾げた。

「どうして?」

「何が…」

 怖いもの見たさと言うのか、目の前にある少女の姿の奥にあるものが呼びかけてくるような声に問い返す。

「あたし、滝さんが欲しかったんだもの」

「っ」

「おとうさんがいなくなって……悟さんも遠くて……ねえ、滝さん、あたし、一人だったのよ…?」

 優しい声が訴える。

「滝さんに側に居て欲しかったのよ? ……なのに、玲奈さん……邪魔するんだもん。あたしから滝さんを盗ろうとするんだもん…あたし……嫌だったの」

 何か、とんでもないことを言おうとしていないか、朋子は。

「だから……止めてって叩いたの……あたしから滝さんを盗らないでって…」

 それはつまり、玲奈を殺したのが、朋子だということか? しかも、動機は……俺、か?

 知らされた事実に体が固まる。

「すぐに倒れちゃったのよね、玲奈さんって…」

 ほう、と溜め息をついた朋子は気持ちを切り替え、嘆願するように両手を差し伸べてくる。

「行かないでよ……周一郎なんて、もうすぐ死ぬわ。周一郎がいなければ……滝さん、ここにいてくれるわよね…?」

 それを…好意、と呼ぶんだろうか?

 体が小刻みに震えている。

「どうして…周一郎をすぐに殺さなかった?」

 干涸びた声をかろうじて絞り出した。上に居るハインツが知ったら驚くだろう、どんな芝居も真っ青の、こんなところで殺人犯人の告白、しかも切なく訴えられているのは紛れもなく、恋心、だ。

「あら…したのよ」

 くすくす、と朋子は可愛らしく笑った。

「スープに毒を入れたの。でも、だめだったわ…運がいいのね。……本当は、ここで周一郎がゆっくり死んでいくのを見てようと思ってたのよ、滝さんを独り占めにした罰だから………でも」

 凍てつくような表情で、突然朋子は笑うのを止めた。

「滝さんたら、巡り逢いなんて言うんだもん」

 柔らかな声が続く、笑みの形を保ったまま凍りついた唇から。

「だから。無理だって教えてあげたくなったの……こんな迷路の中で、巡り逢うことなんてできないって……滝さん?!」

 その声を背中に俺は迷路に飛び込んだ。

 朋子の顔に広がっている禍々しさ、それさえも呑み込んでいくような空っぽの表情を、これ以上見ていたくなかった。それは彼女の心がどれほど『人』から離れていくのか、その距離を測る目印のようだった。

 目の前に緑と青が滲んで揺れる。微妙に人の心を迷わせ、狂わせるラインが、俺の進む通路を揺らめかせる。急いで上を見上げ……愕然とした。

 そこに鏡はもうなかった。

「鏡はないわ」

 冷たい朋子の声が響いた。

 はっとして、声のした方を振り仰ぐと、緑と青緑の紋様が入り交じる壁を背景に、白いワンピースを身に着けた朋子が、中空に立っていた。

「割ってしまったの、みんな」

 言われて、俺は足下に散らばるガラス片に気づいた。

「周一郎を入れてから割ったのよ」

 ことばの意味にぞっとして、相手を睨みつける。

 それはもう、あのさびしがりの幼い女の子ではなかった。まるで、この迷路のーこの、運命の絡み合う世界のー神でもあるかのように、壁に刻まれた細く狭い階段を昇り切った場所に立ち、俺を冷ややかに見下ろしている見知らぬ女性だった。

 俺は顔を背けて歩き出した。左手を左側の壁につけて歩き出す。周一郎がどこに放置されているのか予想がつかない。へたに覗き込むだけで別の道を辿っていくと、壁の向こうに倒れているあいつを見つけられないかも知れない。

「そうしていく気? ずっと?」

 朋子の問いに俺は応えなかった。緑の床の上に散らばる、きらきら光るガラスの破片を踏みつけると、ジャリッと固い音がして、あるものは砕け、あるものは靴の裏に突き刺さる嫌な感触があった。

 緑青、緑薄青、揺れて、乱れて、視界を滲ませる。

「周一郎の様子を教えてあげましょうか」

 朋子は愉しげに声を響かせた。

「今はね、ぐったり床に寝そべってる。顔色は悪くないわ、ううん、赤いぐらい。熱のせいかな。ちょっと息苦しそう。銀色の粉が体に一杯載ってる。きれいよね、氷で飾られた王子様みたい。大きな破片でも落ちてきたのね、手首のところに傷がついてる……血も出てるわ」

「……」

 くそっ、怪我しているのか。

 唇を噛む。俺がもう少し勘が良けりゃ、今すぐに走って行ってやれるのに。或いは聴覚や嗅覚が犬なみであれば、荒い呼吸や汗や血の匂いから居場所を察することができただろうに。俺にはそんな能力が何一つない。べったりと汗が滲む左手で、ぺたぺたと壁を当たっていくトロくさい方法しか思いつかない。

「あら…気がついたみたい、周一郎。起き上がったわ」

「っ」

 思わず俺は顔を振り上げた。

 脳裏に浮かんだのは、どこにあるかわからない、例の不気味な落とし穴だ。


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