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古城物語 〜猫たちの時間4〜  作者: segakiyui
6.碧緑の間

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25/36

5

「ほら、滝さん、今右に曲がったでしょ? でも、それ、間違ってるかもしれない」

「ぐ」

 俺は一気にめげた。それでなくとも、今自分がどこにいるのか、全くわからないのだ。

「でも、滝さんはそれを知らないで曲がるでしょ? 曲がった時には先は見えないよね。先がどんなことになってても、滝さんが右に曲がった時は誰も悪くない。滝さんの責任じゃない」

 朋子の声に奇妙な調子が混ざっていた、背筋を何となくぞくぞくさせる何かが。皮膚を軽く粟立たせながら、俺は何個目かの分かれ道を左へ曲がった。

「でも、ひょっとしたら、もうほんの少し、その曲がるときがずれていたら、運命は変えられていたかも知れない」

「はふ」

 運命がどうしたって?

 息を切らせながら考える。

 んなろ、このクソ迷路が、無機物のくせに人間様に逆らう気か、そのうちに見てろよ、ああそうだ、お前なんかしっちゃかめっちゃかに爆破して撃破してぶち抜いてやるからな。

「ふう」

 詰った勢いで逆に疲れて溜め息をつく。

 嫌いだ迷路なんか、もう俺は金輪際、どれだけ誘われても遊園地の迷路にさえ入ってやらないぞ、いいんだなそれで。

 泣き喚いてやろうかとも思ったが、朋子がどこからか見ているのだろう、さすがにそれは大人としてどうかと踏みとどまる。だが、せめて座り込むぐらいはいいんじゃないかと情けないことを考え始めた矢先、足下にふわりと柔らかい感触が寄り添ってきた。

「ぅな?」

 見上げてくるきらきら輝く宝石の瞳、小首を傾げる、からかうように。

「ルト!」

 俺は思わず小さく口を開いた小猫を抱き上げて頬ずりした。

「お前こんなところにまで助けに来てくれたのかそうだなうん嬉しいぞおい!」

「にぎゃ!」

 よせよっ、そう言いたげにルトは巧みに身をくねらせ、するりと俺の腕を擦り抜けた。床に飛び降り、すたすたと1本の通路に向かって歩き出す。

「お、おい、ルト!」

 俺の声に、ちょいと青灰色の猫は振り返った。ついて来いよ、と言いたげに片耳だけを軽く倒し、すぐに、顔のサイズからは少々大きすぎる耳をぴんと立てて歩き出す。後をついて行くと、ややこしく重なる青緑の迷路を軽々と踏破して導いていってくれる。俺の迷い方を見るに見かねたというような足取りで、角に来ては早く来い、と、例の、声を出さずに口だけを開けてみせる鳴き方をした。

 ルトの先導でどれぐらい引っ張り回されたのか、かなり時間がたった後、俺はようやく朋子の待つ小部屋に辿り着いた。

 そこは、迷路を形作る石で囲まれた中心部で、聞いていた通り、正面の壁には薄茶色の髪の美しい貴婦人の肖像画がかかっている。

 壁際の石を積んだ簡単な椅子に、朋子は物思いに沈みながら座っている。心得たように、ルトがついと俺の背後に隠れる、それと同時に朋子が俺に気づいた。

「滝さん!」

 飛びついてきた朋子の目に何か光っていたような気がして、俺は朋子の顔を覗き込んだ。

「…うん」

 朋子は頷き、俺を見上げた。

「悟さんもね……悟さんもね……初めて、ここで会ったのよ」

 ぽろぽろとその目から涙が零れた。

 迷路の果てが泣き出した女の子かよ! どっちも攻略不可能な難所、うろたえながら必死に声をかける。

「朋っ朋っ…」

「出会って…運命だと信じたの……だけど…悟さんも死んでたの! 死んでいたのよ!」

 知っちまったのか。

 俺は眉をしかめて朋子を見下ろした。朋子は激しく顔を振りながら続ける。

「知らないよ、そんなこと! 悟さんがあたしを置いて行く運命なんか、知らないもん! そんな運命なんて選んでないもん! あたしが曲がったのは……あたしが選んだのは……っ」

 朋子は泣きながら訴え、ふいに俺を見上げた。涙で一杯の、痛々しいほど頼りなげな瞳が、俺の顔に焦点を合わせる。

「滝さん…」

「は、はい」

「あたしを置いていかないでしょ? 周一郎と帰ったりしないわよね?」

「う」

 いやそれはどっちかというと選択が間違っている。本来の婚約者は俺じゃなくて周一郎なんだし、俺はたまたまくっついてきただけの、言わば通りすがりのおっさんなわけで。

「滝さ…ん」

 朋子は目を閉じてそっと唇を出し出す。

(どわわわわわ!)

 助けてくれ。そんな心構えはしていない。スケジュールに入っていないし、注文もしてないし、必須科目でもない……連絡帳にも書かれていなかったぞ!

「…ん」

(うごごおお)

 じりじり迫る朋子、じりじり仰け反る俺、これ以上は体勢が保てない、そう思った瞬間、

「にゃ」

「っ!」

 天の救いの声、朋子がぱっと目を開け、弾かれたように振り返る。

 緑青色に薄青の稲妻が走ったような模様の床石の上に、いつもなら青灰色の、けれど今は周囲の色のせいか、仄白く光を放っているように見える猫がちょこんと座っている。

「ルト…」

「にゃあ?」

 ほっとしたのが顔に出たのは自覚した。相手は仕方のない奴だなという表情で俺を見上げる。

「何、この猫」

 ぶっきらぼうな、ほとんど氷のような朋子の声。

「あ、ああ、周一郎の飼い猫だ。ルトって言うんだ」

「にゃぁん」

 そんなキャラクターではないくせに、如何にも可愛らしげに小首を傾げ、ルトは口を開いて細い鳴き声を響かせた。何かありましたか、どういうことなんですか、よくわからないんですけれども。人ならばそんな風に聞こえただろう、上品な調子を裏切って、瞳は鋭く朋子を凝視している。

「……この猫に、ついてきたの…?」

 質問形式だが、声は糾弾だ。

「あ、まあ……えーと、まあ俺よりこいつの方が賢いんだよ、ほんと……っ、朋子ちゃんっ!」

 ぎょっとした。俺のことばが終わる前に、一歩進み出た朋子は、突然ルトを蹴ろうとした、それも容赦なく、叩きつけられれば確実に死にそうな鋭さで。

 だが、ルトの方が一枚上だった。朋子の行動を予測していたように軽々と飛び退き、嘲笑うように口を開いた。真珠色の輝きをたたえた牙と赤い舌、そのまま身を翻して朋子の足首に噛みつきそうな挑発、互いの領分に戻った双方が睨み合う。

「と、ともこ……」

「くっ」

 うろたえて声をかけた俺を憎々しげに振り返り、朋子はいきなり俺を突き飛ばした。

「わ!」

 よろけて小部屋から突き出される。その俺をちらりと横目でみやって、朋子は小部屋の隅に下がっていた鎖の1本を引いた。ごりごりっ、と鈍くざらついた音が遠くで響き、すぐ側の壁が横へずれ込み、びしりと目の前で合わさる。別の場所でも、ごしっ、がんっ、どしっ、と壁がずれて動く音、合わさる音が次々と聞こえた。

「な、何っ」

「周一郎のことばっかり、滝さん言うんだもん!」

 だだをこねるような朋子の声が響き、その後はしんと静まり返ってしまう。

「え、何、ちょっとっ」

 周囲を見回し、さっき通った迷路とは全く違うことに気づいてぞっとした。頼みの綱のルトもどこへ行ってしまったのやら、姿も形も見えない。

「冗談じゃないぞ!」

 じゃ何か、自力でこの迷路・改、を出ろって言うのか。俺は渡り鳥でも渡り人間でもないんだ方向感覚はないんだ迷路に入った時点で全てが終わってるんだ、と喚き騒いでも後の祭り、朋子は完全に俺を放っていってしまったらしく、うんともすんとも答えはない。


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