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古城物語 〜猫たちの時間4〜  作者: segakiyui
6.碧緑の間

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2

「僕なら構いませんよ、滝さん」

 周一郎が静かに口を挟んできた。ゆるやかに瞳を伏せ、体を倒し、上掛けを引き寄せる。

「だけど、周一…」

「Herr Asakura!」

 俺の声を遮って、いきなり戸口からハインツが飛び込んできた。突っ立っている俺と朋子をちらっとは見たが、よほど急いでいるのか、すぐに周一郎の上に屈み込むようにしてドイツ語でまくしたてた。汗ばんだ額、唾を吐き飛ばしながらしゃべる様子から、何か重大な事がわかったらしい。

「Wie bitte?」

 ぼんやり聞いていた周一郎がはっとしたように尋ね直す。何と言った、ぐらいの意味なんだろう、ハインツが大きく頷いて、ことばを繰り返す。

「周一郎?」

「黒ずくめの服が玲奈さんの部屋で見つかったそうです。Wo ist es, Heintz?」

「Ja. Es…」

「ねえ、滝さん! 行きましょう」

「え、ああ」

 茫然としていた俺は強く腕を引かれて我に返った。

 周一郎は体を起こし、今度はちゃんとガウンを羽織りながらハインツと話を始めている。長引きそうなのだろう。早口のドイツ語が、なお速度を上げて飛び交い、俺には全く聞き取れないし、わけがわからない。

 周一郎が一瞬サングラスの向こうからこちらを見やり、軽く頷いた。すぐにハインツとのやりとりに戻っていく少年の頭は、もたらされた新たな情報の咀嚼に忙しいのだろう、俺はいなくていいということらしい。

「滝さん!」

「あ、うん」

 繰り返し引っ張る朋子の存在も逆に邪魔になるかもしれない。

 俺は引っ張られるままに廊下へ出た。と、向こうからばたばたと駆けて来た者がいる。マリーネだ。

「Fräulein!」

「Was?!」

 苛立たしげに吠えて、朋子はそちらを睨みつけた。マリーネがぺこりと日本式に頭を下げ、慌ただしく訴えかける。それを聞いていた朋子が眉を吊り上げた。

「何て馬鹿なの!」

 いきなり叫ばれてぎょっとする。

「マリーネが台所でスープの鍋をぶちまけたらしいの。コック達が片付けにかかっているけれど、慌てたせいでそのあたりの食器も落としたんだって。割れたり散らばっていたりする食器の始末や何かで収拾がつかないんだって。『城主』のあたしに指示をして欲しいって言うのよ」

 どこか誇らしげな声、『城主』という響きに、敏人も玲奈もいない今、この城と富の全てが朋子に受け継がれるんだと思い出した。一瞬、朋子の目に、俺がどこかへ行ってしまうかというためらいが浮かんだ気がしたが、すぐに『城主』として采配を揮うことへの喜びに消えた。

「すぐ戻ってくるから、ここに居てね、滝さん」

 廊下にかよ。

 思わず言い返す。

「ああ、周一郎の部屋にでも居るよ」

「…」

 俺の返事に答えもせず、ぷい、と朋子は背中を向けた。マリーネが困ったような、けれどどこか茶目っけのある顔で俺に再び頭を下げ、歩き出す朋子の後ろに従う。

「やれやれ…」

 とことん、朋子は周一郎と慣れ合うつもりがないと見える。

 向きを変えて部屋に戻りながら、けどな、と考える。

 ここは城、だよな? コックと言っても単に料理人というだけでなく、海部敏人や玲奈の指示で客を迎えたこともあるだろうし、パーティや何かもあったことだろう。そういう時に調理室は戦場さながらだっただろう。それを取り仕切るのがコック長のはずで、厨房には厳然とした何かの規律があるはずだ。なのに、たかが部下の一人が鍋をひっくり返し、皿を割ったからと言って、『城主』の指示を欲しがるだろうか。

(それとも)

 割った皿というのが、一枚数十万もするような代物だったとか?

(あり得る)

 周一郎の屋敷の食器類を思い浮かべて思わず頷いた。これだけは滝様のいらっしゃる席では使ってはいけませんよ、と高野が岩淵に重々命じていたのを見たことがあるし、後でこっそり、その一棚で高級車が十台ほど買えてしまうの額だと聞かされた時には、天変地異が起こってもあの棚には近づくまいと思ったほどだ。

(けど、それはそれで妙なんだよな)

 パーティもない賓客もいない、警察が出入りし、殺人犯を探しているこの城で、なぜそんな高価な食器を出していたのだろう。それとも、俺が気づかないだけで、さっきのスープ皿とかパン皿とかが、既にそういう類のものだったのだろうか。

(あり得る!)

「うわあ…」

 頼むからそんな危険物で飯を食わせないでくれ。

 引き攣りつつ、できるだけ早く食器を厨房に戻そう、そう考えていた俺に、出て来たハインツが危うく鉢合わせしかけた。

「げ!」

「Pardon」

 さすがに相手は慣れたもの、するりと身を躱してくれてほっとする。が、ぽつりと口にして朋子と逆方向に歩いていくハインツの顎は固く強張り、心なしか顔色が悪かったようだ。足下にいきなり暗闇が口を開けていたのに気づいたような、もう少しで自分がそこに足を踏み込む直前だったと知ったような、冷や汗を浮かべた顔、戸口から離れ際に一瞬だけ周一郎を振り返った瞳は、どこか怯えたような色をしていた。

「……滝さん」

 部屋に入ると、訝しげな声が響いた。

「行かなかったんですか?」

 目を細めて見上げてくる。

「ああ、何か、厨房で問題が起こったらしくて、マリーネが朋子ちゃんを呼びにきて………それより」

 俺はハインツが出て行った戸口を振り返る。

「何言ったんだ? かなり青くなってたぞ」

「ちょっと、ね」

 ふ、と周一郎は唇を上げた。妙に凄みのある大人びた笑み、目元にサングラスがない顔は年相応より幼い造形だけに、笑みだけが不安定に宙に浮いた感じがある。

「今度の事について、僕なりの見解を少し」

「見解?」

「仮説です。ただ……まだちょっとだけ引っ掛かる所はあるんですが…」

「どんな仮説だよ」

 俺はよいしょ、と手近の椅子に腰をかけた。あの様子じゃ、朋子が戻ってくるまでにはまだまだかかるだろう。

「敏人と玲奈さんを殺した犯人でもわかったのか」

 名前の呼び方に差が出るのは関係性の違いという奴だ。

「敏人と玲奈、じゃありません」

 周一郎にとっては、どちらとも薄くて軽い関係らしい。

「あん?」

「二つの殺人は、『同一犯人ではなかった』という可能性があります」


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