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古城物語 〜猫たちの時間4〜  作者: segakiyui
5.猫は考える
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2

「やめてよ、その目!」

 朋子が吐き捨てた。

「いつだって、その目ばかりだったわ。悟ったような口ぶりで、人を見透かしてる顔して!」

 苛々とののしる。実はそれが比喩じゃなくて、事実だとは思うまい。周一郎は実際人を見透かしている、表の顔から裏の顔に切り替わっていく、その境界線を。

「玲奈さんが言ってたわ、あなたは『氷の貴公子』だって。朝倉家が伸びたのは、陰にあなたが居たからだって。人の心なんか持たない人、おとうさんを仕事に連れていってしまった人!」

 朋子の口調が激高するのに反比例して、周一郎はしいんとした顔でひたすら聞いている。自分の罪状を読み上げられる犯罪者のように、奇妙な静けさで耳を傾けている。

「あなたがいなければ、おとうさんももう少し側に居てくれたかもしれない。悟さんと引き裂かれることもなかったわ。あたしは一人になることがなかったわ。滝さんだって!」

「ちょ、ちょっと朋子ちゃん」

 つい、割って入った。父親や恋人のことはいいとしても、俺のことは関係ないだろう。

「何も周一郎のせいばかりじゃ」

 ぎらっとこちらを見返した朋子の目に、ぞっとするような殺気があった。思わずことばを呑み込むと、朋子は唇を噛み締め、眉をひそめ、それでも俺が何も言わないと知ると、苛立たしそうな顔になって、いきなり右手を振り上げた。止める間もなく、陽射しを跳ねた白い手が周一郎の頬に吸い込まれる。

 パンッ!

「ともっ」

 揺れた周一郎を庇って伸ばした俺の手を振り返り、

「あたしにないものばかり持ってるくせに」

 潤んだ瞳で俺を睨みつけたと思うと、朋子は身を翻した。駆け去ろうとした瞬間、ちらっと素早く周一郎に視線を送ったと同時に、渾身の力を込めて突き飛ばす。さすがに想定外だったのか、周一郎がバランスを崩して仰け反った。

「あ」「お、わっ!」

 とっさに周一郎の手首を掴んだ俺もろとも、周一郎は背後の水盤に落ちた。背中から落ちた相手と違い、まともに頭から水に突っ込んで、溺れるっ、とうろたえた俺の耳を、ヒステリックな叫びが打つ。

「大っ嫌い!!」

「げはっ! うはああっ」

 水瓶の水をもろに受けている位置から慌てて起き上がる。

 隣に水盤に尻餅をついた姿で濡れそぼった周一郎が居た。くせのない髪の毛がぴったりと額に張り付き、サングラスが吹っ飛んだ顔は妙に幼く見えた。

「あ…」

 突然気づく。さっきから朋子に重なりかけていた顔の持ち主。あれはは、周一郎のものだったんだ、それも初めて会った頃、意地っ張りで憎たらしいばかりのウルトラクール少年の。

 いろいろ何となく腑に落ちた。

 そうか、それで俺は朋子が気になったのか、拒めなかったのか。

「なるほどなあ………けど、ったく、何だってんだよもう……大丈夫か? 周一郎」

「あ…はい」

 茫然としていた周一郎が振り仰ぐと、髪から水滴が輝いて散った。何をやっても決まる奴は決まるって見本だな、水も滴るいい男って奴か、ええ?

「女の子ってのはわからんな、ほんと……エーックショイ!」

 派手なくしゃみをたて続けに出し、じゃばじゃばと水を跨いで水盤から出る。その背中から、小さな声がした。

「朋子さん」

「は?」

 振り返ると、

「滝さんが好きなんですね」

 滑らかな動作で身を起こしながら、周一郎が呟いた。

「お、れっ? 俺かっ?」

「…くしゅっ」

 どもる俺に微笑した周一郎は、ことばを続ける代わりにくしゃみをした。三月とは言え、水遊びには早すぎる、ましてやドイツの気候は日本より肌寒い。体を震わせながら俺に続いた周一郎は、何かに気づいたように視線を上げた。俺もその視線を追って振り返る。

「Herr Asakura!」

 薄茶色のおさげを振り立てて走ってきたのは、マリーネだった。彼女は俺達の様子を見ると目を見張り、早口のドイツ語でまくしたてた。周一郎が首を横に振ると、紅潮していた頬をより一層赤くして、違った調子で話し出す。その中でサトルということばが聞こえて、はっとした。

「何?」

 俺に答えず、周一郎は話し続けるマリーネのことばを難しい顔で聞いている。途中でぴくりと肩を震わせ、なおしばらく話を聞いていた後、何かの指示を与えた。大きく頷いてマリーネが駆け去る。

「何だって?」

 俺の問いに、周一郎は緩やかに頭を巡らせた。陽射しの中、妙に寒々とした表情は、濡れているばかりではないようだ。

「本田悟が殺されていた、と。事情を知らないかと言って警察が来ているそうです。行きましょう、滝さん」



 それから数時間に渡る、小刻みの、手間のかかる事情聴取に、俺も周一郎の通訳で参加させられた。

 もっとも、俺も周一郎も本田悟には会ったこともないし、見たこともー朋子の部屋での対面を別にすれば、だが、どうせ生では会ってないのだーなかったから、その件に関することは比較的手軽に済んだのだが、問題は本田悟の死が巻き起こした波紋にあった。

 悟は、一週間近く前、つまり、俺達がドイツへ着いた日に殺されていたのだ、それも、俺達が降り立った空港で。

「…ってことは、あの騒ぎがそうだったのか?!」

 喚いた俺に、ドイツの警察側の人間、ハインツが不審気に眉を潜め、周一郎が俺のことばを通訳してくれる。

「Na ja.」

 ええ、まあ。

 そんな調子でハインツは禿げかけた頭を頷かせた。丸っこい茶色の目で俺を探るように見つめ、話を続ける。

 悟は一年前の宣言通り、朋子を連れて行くつもりでドイツへ舞い戻って来ていた。目立たぬ質素な服に身を包み、二人分の旅券を手に入れて。

 だが、俺達がドイツの土地を初めて踏んでいた時、激情に振り回された悟の恋愛は終わり、その命もあっさりと奪われていたというわけだ。

 脳裏に、見かけた玲奈の緊張に強張った顔が浮かんだ。それに、すぐ後に起こった、あの騒ぎ。

「じゃ、じゃあ」

 慌てて口走る。

「玲奈さんが悟をってことも……え? ちょっと待てよ、悟があの時死んでいたなら、誰が敏人と玲奈さんを殺したんだ?」

 互いに絡み合い、糸を引き合ってねばああっ、と納豆化してくる考えに混乱する。

 周一郎の通訳にハインツが大きく頷く。まくしたてた早口のドイツ語を、周一郎が俺に伝えるのを、彼は辛抱強く待っている。

「そう、我々も、悟が敏人と玲奈を殺したのだと思って捜査していた。空港の方では、こちらの事件とは繋げておらず、日本人だったので日本へ情報と遺体を送ったそうだ。空港の犯人の捜査と我々は連携していなかったが、あちらは遺体になった少年と話していた女性が居たという通報から、こちらに辿りついたということだ。我々の捜査もふりだしに戻るしかない」

 コン、と周一郎は小さく咳き込んだ。噴水に落ちて濡れたまま、まだ乾き切っていない髪が揺れる。

「我々は君達の協力を必要としている。なぜなら、今や君達こそが、この事件に関する唯一の関係者になりつつあるからだ」

「そ、そりゃあ、協力はするけど」

 周一郎の通訳に戸惑う。

「でも、俺だって何がどうなってんのか、全くわかんないんだぞ? 黒づくめの服の男が悟だと思ってたし、悟が敏人と玲奈さんを殺してしまったんだと思ってたし………その悟が2人より先に死んでたってことは、他に犯人がいるってことだろ? でも、他の誰が、何のために2人、いや3人を殺したんだ?」


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