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古城物語 〜猫たちの時間4〜  作者: segakiyui
5.猫は考える
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「凄まじいことになっちまったなあ」

 俺は溜め息まじりに呟いた。

 陽射しは相変わらず明るく、緑豊かな城の庭園に満ちている。深緑の垣が芝生を幾重にも切り、色鮮やかな花が咲き乱れるであろう花園は時期が早いのかまだ枝葉が多いが、ところどころに開いた薄桃の花弁が美しい。

『上空から見れば、垣と花園、白い遊歩道と大理石の彫刻で構成されたこの庭園が、見事な幾何学模様になっているはずです』

 喜ばしげに話した栗色の髪の女性はもういない。

「ドイツへ来て一週間もたってないのに、もう2人殺されちまった」

「…」

 側を歩く周一郎はさっきから考え込んでいて答えない。ベストとスラックスとカッターシャツに軽く緩めたネクタイの軽装だが、目元のサングラスが重かった。横顔が固く、瞳が冷たい。

「周一郎、お前の客、きのう部屋にいなかったな」

「…ええ。ちょっと気になることがあるんでしょう」

 ふいに物思いから醒めた顔で周一郎は応じた。眩そうに一瞬眉を潜め、サングラスを指先で押し上げる。突き放した口調に話の接ぎ穂を失って、俺はしばらく黙り込んだ。

 一体、何が起こってるんだろう、この穏やかできれいな景色の中で。

「周一…」「滝さん」

「な、なに?」

 もろに周一郎と被って声をかけてしまい、慌てて相手のことばを待つ。

「いえ…滝さんからどうぞ」

 周一郎は少し赤くなり、俺を促すように立ち止まった。

 俺の背後には、白地に桜色の筋の入った石で彫られた乙女の像があった。彼女が佇むのは広々とした水盤、乙女の掲げ持つすんなりした水瓶の口からは、きらきらと陽射しを跳ねる水が溢れて躍り上がり、快い水音をたてて同じ薔薇色の石造りの水盤に零れ落ちている。

「……うん」

 俺は少し口ごもった。

「いや、悟……どうして玲奈さんまで殺したのかな」

 脳裏に過るのは、敏人の時も玲奈の時も、視界を掠めていった黒ずくめの服だ。

「悟じゃありません」

「へ?」

 周一郎がぽつりと言い放ってぎょっとする。こちらを見つめ返すサングラスの奥の瞳は、強い輝きをたたえている。

「悟じゃないって…だって、あの黒服の男」

「滝さーん!!」

 突然明るい声が響いて振り返った。遊歩道を軽やかに走ってくるのは朋子だ。父を殺され、身内同然に側に居た秘書も殺された朋子。母親は早くに亡くなっていると聞いた。これで彼女はたった一人になってしまった。

「ここに、いるの、見えた、から」

 すぐ側に立っている周一郎を完璧に無視して、朋子は軽く息を切らせながら、俺だけに話しかけてきた。彼女の足下にはカッツェがじゃれつきながら俺を見上げている。朋子も同じように俺を見上げる、まるで肉親を見るような目で。

(あ、れ?)

 ふと、その朋子の顔に誰かの顔が重なりかけて、俺は目を擦った。

「何? 目にゴミでも入ったの?」

「いや、そういうわけじゃ………それより、大変だね、これから」

 口に出してから、言わなくていいことを言ったと気づいた。明るかった朋子の顔が見る見る曇る。

「そう…ね」

 妙な虚ろさを含んだ声で朋子は呟いた。

「でも……今までだって同じようなものだったわ。おとうさんはほとんど家にいなかったし、居ても玲奈さんと一緒の事が多くて…」

 朋子の沈んだ声に、父親とその愛人が居る部屋の外、入るに入れないで立ちすくんでいる彼女を想像した。わがまま勝手なお嬢さんだが、それなりに淋しい想いをしてきたのだろう。

「マリーネとはよく話したけど、所詮、使っている者だもの、相手にならないわ」

 同情したとたんにこれか。

「あんまり、そういうことを言わない方がいいと思うけど」

 あからさまに蔑んだ口調にむっとする。

「でも、マリーネなんか、学校も行ってないのよ、碌な育ち方してないわ」

「言っとくけど、俺もロクな育ち方してないよ」

 ぼそりと言い返す。学校も行ってないしな……事情は違うけど。

「え…」 

 はっとしたように朋子は瞬いた。高慢そうな表情が消えて、あどけないほど幼い顔になる。

「滝さん、怒ったの?」

 不安そうに見張った目が、また誰かを思い起こさせた。

「そうじゃないけど」

「滝さん、こういうこと言う女の子は嫌いなの?」

 畳み掛けてくるように尋ねられて焦る。

「いや、その」

「あたしなんか嫌い? 玲奈さんみたいなひとが、やっぱりいいの?」

「つまり俺は」

「帰んないでしょ? すぐに帰んないわよね?」

「ちょっ」

「あたしを一人にしたままにしないわよね?」

 勢いに思わずたじたじした。んじゃ何か、俺にあんたと結婚しろとでも言うのか、一生ドイツで暮らせっつーのか。胸の中で必死に口に出せない反論を試みる。それとも、これは新手のからかいか、詐欺か、本気にしたら及びじゃないわよと舌を出される例のオチか。

「ちょっと待った」

 慌ててつつ焦りつつ、普段もてない男の悲しいサガと言うのか、あれやこれやを一気に考えて混乱し、思わず一歩下がって相手を見つめ返すと、朋子は今にも泣きそうな顔になっている。

「滝さんまであたしを見捨てないよね?」

 ああ、そうか。

 ふいにすとんと落ちた。

 要は、朋子は受け入れてくれる相手を求めているのだ。それで、たまたまカッツェを助けてくれて、しかも彼女に優しかった俺に、その役割を求めているのだ。

 そりゃ、父親には愛人がいるし、婚約者は冷たい上に、恋人とは別れ別れになっちまってるもんな。

 俺は思わず隣の周一郎をじろりと見やった。

 周一郎は複雑な表情で朋子を見つめている。珍しく、何だか少し照れているような困惑しているような、それに、何だろう、微かに疑っているような?

「滝さん!」

「あ、ああ」

 朋子に重ねて呼びかけられて我に返った。

「いや、ほらさ、見捨てるってのはおかしいだろ、朋子ちゃんは俺達を招待してくれたわけだし、周一郎の元婚約者だしさ」

「っ」

 周一郎の名前が出ると、朋子はびくりと体を強張らせた。今初めて、側に立っているのに気づいたような顔で周一郎を振り向き、怒ったように眉を上げる。

「どうして、あなたがここに居るのよ?!」

 いやいや待て、後から駆け寄ってきたのはあんたの方だぞ。周一郎は最初からここに居たわけだし、な、周一郎?

 反論込めて少年を見やると、相手は何も答えずにじっと朋子を凝視している。


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