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光がゆらゆらと様々な影を投げかけ、さながら影の舞踏会……と気取ってみたものの、どうもこう、見えてる以外は真っ暗ってのは始末が悪い。落ち着かない。
こういうことなら、もう少しのんびりとトイレに居座っておくんだったと後悔しても後の祭り、慣れた様子で歩を進める朋子にぼそぼそと問いかける。
「ここ…一体、どこなんだ?」
「この城の不思議なところ、というか、仕掛けの一つね。この城には、普通の部屋以外にこういう小部屋が幾つも隠されてて…」
朋子の声が少し途切れた。手探りしていたらしいドアを探し当て、ノブを回すと、キイィィッ、といやったらしい音をたてて木製のドアが開き、ふうっと微かな風が吹いてきた。
かび臭い匂いが強くなる。
「小部屋と小部屋の間にはこういう通路があるの。昔、敵が攻めてきた時の避難所として使われたって言うけど、どうかな」
通路は大人の男がやっと通れるぐらい、その中で朋子は不意に立ち止まり、ランプを差し上げて、ある一点を指差した。
「?」
ランプの光に照らされて、真紅の彩色を施された濃い陰影を宿す薔薇のレリーフが浮かび上がる。中心に暗く虚ろな穴がある。促されて、そこに目を当てた俺はぎょっとした。
目の前に誰かの寝室が大きく拡大されている。と、正面のドアを開けて一人の女性が入ってきた。濃いワイン・レッドのツーピース、玲奈の姿だ。憂いをたたえた顔が嫌になるほどきれいで、気怠げにこちらへ近づいてくると泣きそうな幼い表情を浮かべて椅子に座り込んだ。が、気を取り直したように立ち上がり、服に手をかけ、ボタンを…。
「どわっ!」
俺は思わず飛び退いた。
「ね? どう見たって、避難所だけじゃないみたいでしょ」
朋子が魔的な笑い方をして囁き、先を進んで次の小部屋にランプを差し入れる。人一人ぐらいは寝転べそうなソファに、数百年はそのままだったと言いたげに女もののショールが敷かれている。何に使ったのか、妄想するには充分な場所と暗さだ。
「さ、先行こう、先!」
俺は慌てて朋子の肩を押した。
なんつー教育上よろしくないところだ。が、朋子は平気な顔をしていて、慌てている俺がおかしいんじゃない、そういう顔だ。
「こんな通路は城中にあるわけ?」
「うん、大体はね。でも、あたしも全部知ってるわけじゃないけど」
それじゃあ、と俺は考えた。もし、玲奈がこの通路を知っていたとしたら、普通の経路よりうんと早く来ることもできただろう。
「ひょっとして、さ、玲奈さんの部屋から書斎の方までも…」
「あるわよ」
朋子はこともなげに頷いた。
「通路使えば半分の時間もかかんないかな。玲奈さんならよく知ってるはずだし、ね」
にやりと大人びた笑みを浮かべて、一息に続けた。
「おとうさんの愛人だから」
ごくり、と思わず唾を呑み込んでしまう。
「ううん、だったから、って言うべきだわね。おとうさん死んじゃったんだし」
朋子は微かに声音を曇らせた。
「あ、と、あの、周一郎の事、知りたがってたんじゃないのかな」
沈んでくる空気に慌てて話題を変える。こういう薄暗い所で、おもむろに泣き出されでもしたら、非常に困る。幽霊とか物の怪とか、そういうものを呼び込んだらどうするんだ。
「うん………あのね」
俯いた朋子は、気を取り直したように歩き始めた。
「どうして滝さんみたいな人が、あの周一郎と一緒に居るのかなって思って」
「どうして、って、言われても…なあ」
あの周一郎。言いたいことはわかる気もするが、まさかこんな難問が戻ってくるとは思わなかった。
「だって、周一郎って、冷たくて生意気で、すごく腹が立つ人間じゃない」
朋子はばっさり切り捨てる。
「まあ確かに、そういうところもあるけど…わりといい奴なんだぞ」
「どこが?」
「どこがって言われるとなあ」
首を傾げて唸ってしまう。そんな簡単に説明できるようなものであれば、俺もあいつと付き合うのに苦労なんかしない。
「うん……たぶん、周一郎のそういう面は、一つの仮面なんだと思うな。人との付き合い方がへたって言うのか」
「上手いわよ」
容赦ない口調。
「自分の感情なんて、これっぽっちも見せずに付き合えるんだから」
「そうじゃなくて、えーと、その、こう、そのまま生で付き合うのがへたって言うか」
言い澱む。
周一郎がどんな奴だというのは、俺には何となくわかっているのだが、それを人に説明することばに置き換えるのは難しい。わかりすぎていて言いにくいと言うべきか、それとも、実はまだわからない部分が多過ぎてうまく言えないと言うべきか。……つまりは、周一郎って何なんだ、そういうことなんだろうが。
今までのことを懐かしい気持ちで思い出す。アルバイトで出会って、子どものくせに気を張り続けているのが痛々しくて、何とか力になってやりたくて、心を開けよ、俺は大丈夫だと手を差し伸べ続けて……そしてようやく引き出せた台詞、『滝さん、一緒に来ませんか?』
あれはつまり、ようやくあいつの隣には立てたという事なんだろう。
思わずにまりと笑ってしまう。
「何よ、一人で笑って」
「あ、悪い悪い」
「周一郎も変だけど、滝さんもおかしな人ね。あんな人と付き合って、どこが面白いんだろ」
朋子は肩を竦めて、妙に光る眼で俺を見つめ返し、唐突にぷいっと顔を背けた。くるりと向きを変え、歩くのを速める。
何か怒らせるようなことを言ったか? それとも周一郎の端正秀麗な美少年ぶりは万人に有効じゃないってことか? それはそれで心温まる話だよな。
ちょっとほっとしたとたん、朋子が掲げたランプがみるみる遠ざかっていくのに気がついて慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
俺のことばが聞こえた様子もなく、朋子はますます足を速めていく。うろたえて走り出しかけて、何かに躓きぶっ倒れた。
「ぶ!」
埃の積った床にもろにのめり、思わず息を吸い込んでむせ返り、盛大に咳き込みながら見上げると、ランプの光は既に小さな点となり、それもやがて、バタンという音とともドアの向こうに消えるのが見えた。