3
「玲奈さんが?!」
周一郎のことばにぎょっとして振り返る。警察、マスコミ、事業関係者と騒がしい城の一郭の部屋、昼飯を済ませた後だった。
「そうです」
周一郎は軽く頷き、ゆったりと座ったソファで組んだ脚を組み替えた。目元にはやはり黒々としたサングラス、少年の表情はわからない。
「どうして玲奈さんが疑われる?」
「早過ぎた、というのが警察の見解です」
「早過ぎた? 何が」
「現場に駆けつけるのが」
「いや、だって、誰だって必死になれば火事場の何とやらって」
「敏人の倒れていたのは城の端、書斎にあてている部屋の前の廊下でした。ところが本来、玲奈の部屋は城のもう一方の端です。たとえ悲鳴を聞きつけて走ってきたとしても十分近くかかるはずですが、玲奈は朋子が悲鳴が上がってから五分もかからずに来ている」
周一郎は静かな声で付け加える。
「悲鳴が聞こえていなかった確率、こっちの方が遥かに高いのですが、そうだったとしてどんなに急いでやってきても二十分はかかるでしょうね、知らせを受けてから、ということだろうから」
「で、でも」
「玲奈にはもう一つ二つ、面倒な問題があります」
周一郎は淡々と続けた。
「一つは、あのローレライの置物を使えば、女性の力でも十分敏人を殺せたということ。犯人は敏人がまさかと思って背中を向ける相手であったということ…傷の状態から不意打ちではなさそうだということです。もう一つは、敏人の個人名義の財産が、彼が死ねば、どんな理由があっても玲奈に贈られる手続きがされていたこと……」
周一郎は目を細めた。
「そして、玲奈は早急に金が必要だった」
「は?」
「……『SENS』に始まる違法ドラッグを楽しんでいたようですね」
「……」
思わず目を見開いた。ドイツが好きですの、と歌うように呟いた玲奈の横顔が脳裏に浮かぶ。気怠さが閃く瞼が蒼白かった。
じゃあ、玲奈が、麻薬につぎ込む金欲しさに殺人を犯したということか? けれど、そんなことは調べればすぐにわかることだろう。あからさまに怪しいと思われる条件で、そんな危うい橋を渡るほど愚かな女性には見えなかった。
ふと気づく。
周一郎は自分の意見を一言も言ってないんじゃないか?
「お前は?」
「…」
冷ややかな視線が返ってくる。
「お前はどう思ってるんだ、周一郎」
少年は沈黙している。他に誰か、思い当たる人物でもいるんだろうか。
やがて、周一郎は薄い唇を開いた。
「僕は、滝さんが見た黒づくめの人間、に引っ掛かっています」
「そ、そうだ! そうだよ!」
俺は慌てて訴えた。
「悟がいるじゃないか!」
悟なら敏人への恨みもある、隙を狙っていたそうだから、敏人を殺す可能性は玲奈よりうんと高いはずだ。だが、周一郎はさらりといなした。
「もちろん、玲奈が出来ないというわけじゃありません」
「え?」
「黒づくめの服を着て逃げて、ガウンを羽織って戻って来てもいいんですから」
「あ…」
確かに、あの時は誰も玲奈のガウンをひっぺがそうなんて考えつかなかった。
「ただ」
「ただ?」
「そうすると、僕には玲奈の意図がわからなくなる…」
不審気な周一郎のことばに瞬きする。
「何でだ? 玲奈さんは、悟に罪を着せようとしたってことになるんだろ?」
「そうです」
周一郎はサングラスの奥から、ひた、と俺を見つめた。
「そこが僕にはわからない」
「は?」
それはよくある話じゃないか。恨みを持っていて、犯人の可能性が高い相手に偽装する、小説でもTVでもよく使われているネタだろう?
「もし…」
「滝さん!」
いきなりドアが開いて朋子が飛び込んできて、どきっとした。
「ここだって聞いたから!!」
周一郎が一緒に居るのに気づいて露骨に嫌そうな顔になったが、跳ね飛ぶように俺の側へやってきてきゅっと腕を抱え込む。
「あの、え、あれ?」
「朝は玲奈さんに付き合ったんでしょ。昼はあたしと付き合って!」
物怖じしない態度、いやむしろ、周一郎を挑発するように、と言うべきか。
「で、でも」
「もう充分話したでしょ、いいじゃない、行こ!」
俺の腕を抱え込んでぐいぐい引っ張り上げながら、側の周一郎を完全に無視して朋子は笑った。足下にやってきたカッツェも、俺のズボン咥えて引っ張っていく。絶妙のチームワークだ。
「おい周一郎」
「行って来たらどうです? 話は『充分』済みましたよ?」
周一郎は素っ気なく言い捨てた。
「お前も来いよ!」
「嫌っ!」
周一郎が答えるより早く、朋子が喚いた。少年は動じた様子もなく、憎まれるのには慣れていますからね、と言いたげに肩を竦める。
「どうぞ。それに僕は客を待っていますから」
「客?」
「ええ。連絡はついてますから、もうそろそろ来るでしょう」
「誰…ぎゃあっ!」
「滝、さ、ん!」
いいから来るの。
俺は、朋子に嫌というほど腕をつねられて吠えた。
「いってらっしゃい」
周一郎は微笑し、引きずり出されていく俺を見送った。