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「レモタント・ローゼ、というのは、ご存知かしら、二度咲きの薔薇のことですわ。この二度咲き、ということばに特別な意味があるんですの」
薄く微笑む。
「初代城主がこのレモタント・ローゼ城に入って数年たってから、城主はある娘を娶りました。それは美しく賢い娘で、城主は妻のことを大層気に入っていたのですが、ある日、この妻が『私はもともとここに住んでいた者だ』と言い出したそうです」
少し息を継いで、声音を改めた。
「『あなたはとてもいい人だから、この城を建て、ここに住むのを許したが、あなたが明日の戦いで死んだ後はもう誰にも住まわせたくない。ついては、あなた亡き後、城の全てを私に譲るように手配してほしい』と」
その声が、玲奈が居る所より遥か遠くの場所から響いてきたように聞こえて、ごくりと唾を呑む。
「もちろん城主は取り合わず、妻の懇願を聞き入れないまま居たところ、繰り返し繰り返し言い募られて、あまりのしつこさについには剣を振り上げ、斬って捨ててしまったそうです。次の日、城主は思ってもいなかった攻撃を受け、命からがら城に逃げ帰りはしたものの、矢折れ刀尽き敵に追い詰められ、ついには広間で斬り殺されました。ところがその死の寸前に見たのは、死んだはずの妻の顔、意識も朦朧として来た中に、確かに妻の声が耳に届くのです、『殿、今こそ、この城を頂けましょうか』」
聞こえる声は低い、黄泉の国から響くように。
「苦しい息の下から、城主が妻は何者かと問うと、高く嗤った女が言うことには、『確かに私はあなたの妻、しかしその心を辿れば、この城のあるべき主、不死の女城主と呼ばれておりました』と…」
「っ…」
突然、荒々しい風が俺を取り巻き、我に返った。ともすれば、その女城主と玲奈が重なりかけるのに抵抗する。翳った光、絵画のような世界、翻り舞う髪の毛に包まれて、怪奇な話を語る美女、このまま物語の中へ呑み込まれるかと思った瞬間、唐突に雲が切れ、天の救いのように陽の光が戻る。
「…それで」
続いた声音は、さっきまでのおどろおどろしたものではない。微笑を含ませて柔らかな声が、
「生き返った女城主にちなんで、レモタント・ローゼと呼ばれるそうです。今でも、その女城主の肖像画が残っているそうですけれど」
俺の狼狽に、玲奈の綺麗な唇が綻んだ。
「どうかなさったの?」
「いや、あんまり、その……話が上手かったので」
怖くて怖くて、とはさすがに言えずにことばを濁す。まあ、と一瞬目を開いてみせた玲奈は、くすくす楽しげに笑いながら続けた。
「笑ったりしてごめんなさい。でも滝さんは真剣に話を聞いて下さる方なのね」
「あ、えーと………単純なんで」
真剣にも何も、雰囲気ありすぎだろ、萎縮するだろ、俺でなくても!
「そんなことはないわ。あなたはとても……いい人よ」
うわ。
玲奈が仕切り直すように奇妙な甘さで囁いてひやりとした。背骨の根っこが縮むような不安感。何かよくないものに目をつけられた、因縁をつけられ絡まれ始めた、そんな感覚。
「お、俺がいい人なら」
巻き込まれまいと、思わず予防線を張る。
「かえるだってむかでだっていい人ですよ! みみずだってもぐらだって」
後はあめんぼだったか? いや、これって『みんな友達』ってことになっちまうんじゃなかったか? それはまずいだろ。
「ら、ラーメン作ってくれる人がいい人なぐらい、俺よりうんといい人が居ますよ!」
日本でラーメンを作れる人口はどれぐらい居るんだろう。製造業とかも入るだろうか。原材料はどうだ。いやそもそも、インスタントラーメンがあるから、一般家庭全て、ガスを扱える年齢以降は全部いい人なはずだ、うんたぶん、あああ、今はIHというのもあるか!
「ま」
玲奈が吹き出す。物憂げな哀しみを秘めた気配が一気に消え去り、笑う瞳も唇も眩いほどに明るくなる。陽の光が栗色の髪に躍り、雲間から光が差し込む光が天使の後光のように目を射る。
とてつもなく、綺麗だ。
「…そろそろお昼ですわね」
見惚れる一方の俺に飽きたのか、玲奈は軽く顔を背けた。
「え、もう、そんなじかっ」
舌を噛んだ。涙目で見返すと玲奈は振り返り、小さな子どもに言い聞かせるように笑う。
「ええ、そんな時間ですわ」
さあ行きましょう。
いたたた、と口を押さえる俺を促して、玲奈は城内に戻り始めた。