勇者、仕掛ける
アルオンは、かつて大陸を旅している時に修得した、自らの周囲のあらゆる存在を感知する感覚を全開にした。そうすることで魔族の位置を特定しようとしたのだ。
その結果、アルオンは魔族が西側、アルオンの左手に位置する森の中にいることを突き止めた。さらに、アルオンの超感覚は魔族の正体をも突き止めることに成功した。
「魔犬か」
森の中から感じる一つの気配に、アルオンは静かに呟いた。魔犬とは魔界に住む知能の高い犬のことだ。その知能の高さと並の人間を遥かに上回る機動力、普通の犬と外見の差異がほとんどないことから、先の大戦では諜報員として人間界の情報を魔王軍に流す役目を負っていた。
「アマト」
アルオンは小さな声で素早く呪文を唱えると、左手に魔力を集めた。相手が一匹だからといってアルオンの心に油断はない。それどころか、むしろこれまで魔犬に感じたことのないぐらいの警戒心を抱いていた。たとえ一匹であろうとも、人間にとって魔界の生物というのは充分な脅威であることを、魔王軍との戦いを生き抜いたアルオンは誰よりも理解しているのだ。
夕暮れの農場に似つかわしくない、ピンと張りつめた空気が辺りを満たしている。アルオンは相手が動くのを静かに待った。そして、気配の主が農場に向かって一歩踏み出した瞬間、目にも止まらぬ速さで左手を森に向かって突き出し、そのてのひらから小さなエネルギーの球を撃ち出した。
エネルギーの球は森に吸い込まれていくと、バシッ、という音と共に「きゃっ」という魔犬が上げたであろう悲鳴を農場に響かせた。
アルオンはその悲鳴のした方へゆっくりと近づいて行った。もし魔犬が逃げ出したら追いかけてどこかにいるかもしれない群れの場所を突き止めるつもりだった。しかし、悲鳴の主はアルオンが近づいてくるのに気付かないのか、まるで逃げる気配がない。やがて、アルオンは森の中に入り、そして声の主の正体を知った。
悲鳴の主は小さな少女だった。