勇者、励まされる
アルオンはこれまでの経緯を思い出し、ため息をついた。
雀の涙程の退職金を渡され王都を追われた後、アルオンはせっかくできた暇を利用してかつての仲間に会いに行くことにした。オリビアはいまだに放浪の旅を続けているので居場所は特定できなかったが、グリーランスは国の端の村で酒場を経営していると聞いていたので、アルオンはまず彼の酒場を目指すことにした。そして、目的地にたどり着くころには雀の涙ほどの退職金もきれいさっぱりなくなっていた。
突然、しかも無一文の状態で転がり込んできたアルオンを、しかしグリーランスは暖かく迎えた。そしてアルオンはグリーランスの酒場に居候させてもらいながら、とりあえず生活費を稼ぐために就職先を探すことにした。その時、アルオンの心に早く仕事を見つけなければという焦りはなかった。仮にも大陸を救った勇者なのだから、再就職先などいくらでもあるとタカをくくっていたのだ。
しかし、現実はそう甘くなかった。今まで戦う事しかしてこなかったアルオンは、自分でも驚くほど社会的に無能だったのだ。ほとんどの場合、就職面接で落とされ、また面接を突破してもあまりの無能ぶりに、その日のうちに雇い主からクビを言い渡される。
そんなことを短期間に何度も繰り返しているうちに、アルオンの中に自分は社会に必要とされていないという思いが芽生えてきた。そして、その思いは日増しに強まっていき、今日の面接で確固たるものとなった。
今日の面接官の言葉をアルオンは思い出した。
「『勇者なんて何の役にも立ちません』か」
アルオンは、かつて大陸中から必要とされていた自分と、今の自分を比べ、静かにつぶやいた。
「魔王なんて、倒さない方がよかったのかもしれないな」
「ほう。それは興味深い言葉だな」
アルオンとしてはそのつぶやきは思わず口にしただけのことで、別に誰に聞かせるつもりもなかった。しかし、そんな思いとは裏腹に、いつの間にか携帯水晶での通話を終え、目の前に戻ってきていたグリーランスに、そのつぶやきを聞かれてしまっていた。
聞かれてしまってはしょうがないと、アルオンは今まで考えていたことを話し、締めくくりに、
「結局のところ、俺みたいなのは魔王がいなけりゃただの社会不適合者なんだよ」
そう結論を出すと、自虐的な笑みを浮かべた。
グリーランスはアルオンの話が終わった後、腕を組み考え込むような表情をしながら沈黙を守っていたが、しばらくすると組んでいた腕を解き、右手であごひげを撫でた。
「うむ。坊主よ、お主の言いたいことは大体わかった。お主にはお主なりの考えがあり、主義があり、主張があるのだろう。その上であえてはっきり言わせてもらうとだな」
そう言うとグリーランスは、心底呆れたような表情を見せた。
「お主は一体ぬぁーにを言っとるんだ?」
「?」
アルオンはグリーランスの言葉の真意が読めずに、首を傾げた。そんなアルオンを無視してグリーランスは言葉を続けた。
「よいか?………例えばだが、わしがこうして酒場を経営できるのは誰のおかげだと思う?」
「それは……」
グリーランスが酒場を経営できるのはグリーランスのおかげじゃないのか?いや、誰のおかげかと言えば、酒場を経営できるだけの資金を与えてくれた国そのものという考え方もできるかもしれない。
アルオンは考えを巡らせた。しかし、アルオンが答えを得るよりも先にグリーランスの口からその問いの答えが告げられた。
「それはお主のおかげだ。アルオン・クロスライダー」
「は?どこをどう考えたらそうな」
「この国の子どもらが、酒の味がわかる歳まで生きられるようになったのは誰のおかげだと思う?」
反論しようとしたアルオンにかぶせるように、グリーランスは新たな問いをぶつけた。そして、今度はアルオンが考える間も与えずにその問いの答えを告げた。
「それはお主のおかげだ」
「だからなんで」
「この大陸に住まう全ての人間が、明日の朝日を拝めぬかもしれぬという不安を抱くことなく眠れるのは誰のおかげだと思う?」
「………それも俺のおかげだって言うのか?」
アルオンの言葉にグリーランスは満足げに頷いた。
「わしが今言ったことは全て、お主が魔王を倒したからこそ実現したことだ。わしを含めてこの大陸に住まう者は皆、お主のおかげでこのような当たり前の幸福を得ることができた。お主がかつての自らの行いを否定するということは、今の我々の幸福な日々の営みを否定することと同じなのだぞ。それとも何か?お主は我々に、かつてのような殺伐とした暮らしを送れと言うのか?」
「いや、そういうわけじゃなくてだな。ただ……」
「ただ?」
問い返してくるグリーランスに対して、アルオンはすぐに言葉を返すことができなかった。彼の中でその問いに対する答えがまとまっていなかったわけではない。その問いに対する答えを口にすれば、かつての自分を完全否定することになるのではないかという躊躇が、彼の返答を遅らせているのだ。
しかし、グリーランスの少年のようなキラキラした瞳に見つめ続けられるうちに、アルオンは観念したようなため息と共に、自らの考えを口にした。
「ただ、勇者は何の役にも立たないなんて言われる世の中のために、あの頃の俺は必至で戦っていたんだと思うとな……」
そう言ってうつむくアルオンに対して、
「お主はまた呆けたことを……」
グリーランスは嘆息し、続けて言葉を発した。
「坊主、よく聞け。勇者は何の役にも立たないだと?結構なことではないか。そもそも勇者が役に立つ世の中なんぞロクなものではない。今の平和な世界とかつての戦乱の世界、どちらが良いかなど比べる間でもないであろう。かような素晴らしき世の中を勝ち取ったのは紛れもなくお主なのだから、今の世を誇ることはあっても嘆くなど断じてあってはならん。違うか?」
グリーランスの言葉を、アルオンは肯定も否定もしなかった。その言葉が正しいとも間違っているとも、今のアルオンには判断できなかったのだ。しかし、自分にこんな言葉をかけてくれるグリーランスの存在を素直にありがたいと思ったアルオンは、
「ありがとな、グリーランス」
頭を下げると、久しく見せることのなかった含みの無い笑みを浮かべた。その様子にグリーランスは満足げに頷くと、
「わしは当然のことを言ったまでだ。礼を言われる筋合いなどない」
そう言ってガハハ、と豪快に笑った。アルオンもそれにつられて笑い声を上げると、
「暗い話はここまでだ。さぁ、注いでくれ」
そう言って手に持ったジョッキをグリーランスに向かって突き出した。しかし、グリーランスはそのジョッキに酒を注ぐことはせず、首を横に振った。
「あぁ、坊主。残念だが今日はここまでだ。なにせお主は明日、朝早くから働かねばならんのだからな」
「は?何言ってんだ?明日は就職面接も何もないぞ」
グリーランスが何のことを言っているのかわからずに、アルオンは首を傾げた。グリーランスは真面目な表情を作ると、
「いや、さっき携帯水晶で連絡があったんだが、どうやら近所の農家が人を雇いたいらしくてな。力仕事が得意な奴を探しておるようであったから、お主を働かせてみたらと言ってみたのだ。そしたら明日から早速来てくれ、と言われてな」
グリーランスはいたずらっぽい笑みを浮かべると、アルオンに問いかけた。
「坊主、力仕事は得意だったよな?」
最初、アルオンはグリーランスが何を言っているのかわからなかった。しかし、徐々に思考が追いつき、気が付いたらアルオンはこぶしを天井に向けて突き上げていた。
「やった!これでもう無職とは言わせないぜ!!」
「あくまで仮雇いだからな。本格的に雇ってもらおうと思っているなら、仕事で結果を出すしかあるまい」
「俺を誰だと思っている?力仕事?」
アルオンは不敵な笑みを浮かべた。
「魔王討伐に比べたら、楽過ぎてあくびが出るぜ」