開けた気持ち
「なるほど、ローグはサエを還すためにもう一度最下層を目指すんだ」
ギルドの所長室で所長さんのお茶の相手をしながら、昨日のラズさんとの話をした。今日はラズさんにお仕事の依頼が入って外出するための、私は所長さんの所でお留守番なのだ。
所長さんは考えの読めない表情で紅茶を飲んでから私に視線を合わせた。
「サエはそれを望むの?」
所長さんの問いには素直に頭をふる。
「正直、帰りたいとか考えてないんです。でも、そんな事を言ったらラズさんに迷惑をかけることになるし、嫌われそうで……」
「そっか、うん、サエの本音は秘密ね。ローグの方は……とりあえず好きにさせればいいわ」
長い足を組み替えてニヤリと笑う所長さんは、何故か余裕そうだ。
「でも本当にまた秘宝をみつけてしまったら?」
私はまたあの寂しい世界に帰らなければ行けないのか。沈む私とは対称的に所長さんは突然ゲラゲラと笑い出した。
「心配ないわよ! 最下層の秘宝に辿り着くには何人もの冒険者が潜って積み上げた記録があってこそなの。もちろん、実力と運も大切なんだけど、洞窟1つを攻略するには何十年もかかるのよ。そんな洞窟を一人で攻略しようなんて絶対に無理だから、申し訳ないけどサエが元の世界に帰るための秘宝を手にする可能性はゼロに近いわね。サエはこのまま知らん顔してローグの側に居ればいいわ」
でも、本当にそれで良いんだろうか。
それじゃあ生涯私はラズさんのお荷物だ。
「ねえ、サエ」
考えこんだ私を引き戻したのは所長さん。
「人ってさ、皆寄り添える相手を探すものよ。私はきっとサエはローグに寄り添うために現れた存在なんだと思ってる。だから側にいてあげてよ」
「でも、ラズさんが私の存在を邪魔に思ってたら?」
「そんなことあるわけ無いわ、だって、イグリアの秘宝はその人の望む物を与えるんだから」
決してそれを信じて疑わない所長さんの真っ直ぐさに少し勇気が湧く。私はラズさんに望まれてここにいるのだと自惚れて良いのだろうか。
私がほっとした事を感じ取ったのだろう、テーブルのクッキーをひとつ食べてそれを紅茶で流した所長さんは、すっと立ち上がるとそのまま天井に向かって伸びをした。
「さぁて、休憩おしまい! ごめんね、あたし仕事溜まってるのよ。あ、サエはローグが帰るまで適当に楽にしてて頂戴」
そう言って執務机に向かう所長さん、本当に仕事が溜まっているらしく机の上は書類の山が出来ている。
なんだか私だけのんびりしているのが落ち着かなくて、お茶をしていたテーブルを片付けると忙しそうな所長さんに近づいた。
「何か私に手伝える事ありますか? 文字は読めないけど、書類の整理とか雑用なら手伝えると思います」
私の申し出に所長さんはパッと目を輝かせると早速書類の山を探って何枚かの書類を私に差し出した。
「助かる! じゃあこれ下の受付に持っていってくれない!?」
「下の受付……」
「そう、入口右側の掲示板の側にいるハゲたおっさんね」
ハゲたおっさん、随分な説明に思わず吹き出しながら了承を返すと、私はそのまま所長室を後にした。
いつも所長室前の受付にいるお姉さんの姿は今日は無い。
階段を降りるとそこは冒険者達が色々な手続きをするための窓口が集まるフロア、私は所長さんの説明を思い出しながら大きな掲示板がある方に向かう。掲示板の前には数人の冒険者達、熱心に掲示物を見ていて、何か仕事を探しに来たんだろう。
そして掲示板のすぐそばのカウンターに、所長さんが言っていたと思われる男性がいた。小太りで、おでこにだけちょこんと髪が生えるという面白い髪型のその人は、おっさんと言われる年齢よりは若いようにみえる。私が近づくとあからさまに作った笑顔を丸い顔にのせた。
「いらっしゃいませ、ご依頼ですか?」
ここは町の人が冒険者に依頼をするときの窓口なんだろう、私を依頼者と勘違いしたらしい男性に慌てて首を降る。
「所長さんに頼まれて書類を持ってきました」
言いながら書類を差し出せば、彼は不思議そうな顔でそれを受け取り書類に目を落とすと「ああ!」と声を上げた。
「待ってたんだよこれ、まったくうちの所長は仕事が遅くて」
ブツブツ言いながら書類をめくって確認し、重そうな体をよいせと持ち上げるようにして立ち上がった。カウンター脇の扉からこちら側に出てきて、そのまま掲示板に私が持ってきた書類を掲示しはじめた。
それに気が付いた冒険者達が集まってきて掲示板を見上げている。
なるほど、あれは冒険者向けの依頼書だったのか。
目的は達したので所長さんの所に戻ろうと踵を返すと、さっきの男が呼び止めてきた。
「ちょっと、新しい依頼来てるから持っていって。って言うか新規の確認くらいしてから戻ってよね。君新人? ギルドは毎日忙しいんだからもっと気を利かせて働いてくれないと困るよ!」
鼻息荒く手渡された書類を受け取る。
嫌み臭い人って異世界でも居るんだな、と昔の売店先にいた嫌みな先輩を思い出してしまった。
「すみません、次からは気を付けます」
丁寧に頭を下げながら返すと、男性は満足げに鼻を鳴らしてからまたカウンターに戻っていった。
所長室に戻ると所長さんは何か書き物をしていて、私が近づくと手を止めて顔を上げた。見慣れない黒渕の眼鏡が新鮮だ。
「ありがとうサエ」
「これ、新しい依頼だそうです」
下から貰ってきた書類を手渡すと所長さんはその紙に目を通して難しい顔をする。
「また難易度高そうな依頼が来たなぁ」
綺麗な赤髪をかきあげる動作が似合うのが流石だ。
ブツブツと何か考える所長さん、その足元に埃をかぶった本が積み重なっているのが気になる。あれは確実にしばらく開いてない本の山だ。部屋は壁一面に本棚になっていて所々隙間のある場所がある。本のサイズやデザインからして、あの足元の本はあの列から抜き出されたもののよう。
「所長さん、この本片付けて良いですか?」
声をかけたら邪魔かなとは思いながら、まだ難しい顔で書類に視線を落とす所長さんに思いきって声をかけると、こちらを見ることなく「いーよー」と返事がくる。
私は床に積まれた本を持ち上げると形と色から戻す場所を推測して本棚に返していく。昨日ラズさんに教えて貰った数字だけはわかったので、番号が記されたものはそれも頼りにして。
机の右側に積まれた本を戻し終えた所で、なぜか此方を見ていた所長さんと目があった。
「すみません、戻す場所違いました?」
不安になって聞けば、所長さんは立ち上がって私の側に来た。
「逆よ、どうして文字が読めないのに戻す場所がわかるの?」
「なんとなく色とか形が同じ本の側に戻してました、似たような内容の本って同じような外装の場合が多いですよね」
「すごいわね、ここなんてちゃんと順番通り」
「あ、数字は昨日ラズさんに教えて貰ったんです」
この世界の数字も0から9を表す文字の並びだったから結構すんなり理解できたんだよね。
「ねえ、サエ。ギルドで働かない?」
「え?」
「実はね、ローグに依頼したい案件が幾つかあるのよ。洞窟の再生期間だから大陸に移動した冒険者が多くて人がいないのよ。どちらにしても洞窟が開けばローグが居ない間はギルドで過ごすんだし、どうせここに居るなら働いて貰えれば私も助かる。この支店って常に人手不足だし、私はサエの頭脳が欲しいわ」
頭脳って、私の学力は平均でしたけど。仕事もアルバイトしか知らないしそんなに優秀な方じゃ無かったんだけどな。
「私で役に立ちます?」
「立つ! っていうか既に立ってる。じゃあ決定ね!」
半ば強引な所長さんに曖昧に頷くと、所長さんは小躍りを始めそうな勢いで机に戻っていった。
所長さんのこういうところ、すごく可愛い人だなと思う。
所長さんが言うようにこれからラズさんが居ない間は今日みたいにギルドで過ごすわけだし、仕事をもらえるなんてありがたい話だよね。
再び本の整理を再開して、楽しんで作業をしていることに自分で驚いた。
無気力で、生きているのすら苦痛だったあの頃の私はもうどこにも居ない。
やっぱり、私はこの世界に来て救われたんだ。
※
ラズさんがギルドに戻ってきたのは日がすっかり落ちてからだった。所長さんに夕食を誘われ、路向かいの食堂に行こうと所長室を出た所でラズさんと鉢合わせたのだ。
「おかえりなさい」
朝よりも汚れてはいるけれど、怪我などは無い様子のラズさんにホッとしながら声をかける。
「ただいま戻った。何処へ行くんだ?」
私に返事を返してから、ラズさんは私の後ろの所長さんに視線を移す。
「夕飯を食べに行こうとしてたのよ、丁度良いわローグも行きましょ」
所長さんの誘いにラズさんはすぐに頷くと、今度は階段下を振り向いた。つられてそちらを見れば、下のホールに見覚えのあるハデな鎧がいた。
「あいつも一緒して構わないか?」
「セシリオ・アンバーね、私は構わないけどローグは良いの? サエのことどう説明するのよ」
「あいつにはもう全部バレている」
「はぁ!?」
大きな声を出して驚く所長さんに、ラズさんは相変わらずの無表情。そう言えば、所長さんはセシリオさんがラズさんの家に来たこと知らないんだもんね。
「口裏合わせは約束している、心配ない」
抑揚のない声でそう告げ、ラズさんは階段を降りていく。
「早速秘密がバレてるとか、なにやってんのよアイツ」
地下まで埋まりそうな深いため息を吐く所長さん。ガックリと落ちた肩にそっと手を触れる。
「セシリオさんは大丈夫ですよ。早くご飯食べに行きましょうよ、ラズさんに奢ってもらいましょ」
我ながら勝手なことを言っている自覚はあるけれど、事の顛末を知っている私からしても、今日はラズさんの奢りで良いハズだ。セシリオさんにバレたのはラズさんがウカツだったからだもん。
「そうね! 私の苦労を水の泡にした分はキッチリ呑ませてもらうわ」
ラズさんの奢り、は所長さんを一気に元気にしたようで、大好きなお酒めがけて所長さんの足取りも軽くなったのだった。