苦手なものもあるんです
早起きして訪れた朝市は昼間のバザーよりは少し規模が小さいけれど、生鮮品を中心に沢山の店が並んでいた。
まずは目当ての乳製品。大ビン入りのミルクを3本と塊のチーズと粉状のチーズを購入。ヨーグルトもあったので中瓶で一つ買ってみた。
「あ、お魚がある」
前回は見かけなかった鮮魚を扱うお店、お店にはカラフルで派手な色彩の魚が並んでいて、目がちかちかする。これが本当に食用なのかと戸惑っていると、ラズさんは不思議そうに声をかけてきた。
「どうした、買わないのか?」
「お魚も食べたいけど、ちょっとね……」
見た目のインパクトにちょっと引いてしまっているのもあるけれど、実は別な理由もある私は何となくいい淀み、小声になる。
「なんだ?」
「私、魚捌けないの」
ラズさん聞こえるような小声で打ち明けると、ラズさんはフッと吹き出す。
「ちょ、笑う!?」
「あぁ、悪い悪い。包丁の扱いがあんなに慣れているのにそんな苦手はあるとは予想外だった」
そりゃ、あるよ。
今まで魚なんて切身で買うのが当たり前で、たまに丸ごと売ってても一言お願いするだけでお店の人が捌いてくれる。自分で魚を捌く必要なんてないからチャレンジしたことも無い。
それに苦手な物は他にも沢山あった、むしろ世の中苦手なものだらけだった気がする。
元の世界での事を思い出してなんとなくテンションが落ちていると、ラズさんは「なら」と声を上げた。
「魚は俺が捌こう、普段から魔物を解体してるからな、生き物の解体は得意だ!」
「そうなんだ……」
そういうもんなのか? という疑問はあるけれど、ラズさんがしてくれるというのなら甘えておけばいいやと、魚を購入することにした。
「食べやすい魚下さい」
見たことのない魚だらけだ、かなりアバウトな注文に魚屋のおばさんは少し目を丸くしたあとすぐに人好きする笑顔を戻した。
「はいよ、白身の魚なんかどうだい。これなんか骨も少なくて食べやすいよ。バター焼きが美味しいから!」
そう言っておばさんが指差した魚は、黄色とピンクのシマシマ模様のハデ可愛い魚だった。大きさは30センチ位だろうか。
一応ラズさんに視線で問うと「良いんじゃないか」との事なのでとりあえず一匹買っていく事にした。
「凄い色の魚だらけだったね」
「明るい色は正常な証だ。逆に魔物化した魚は濁った色になる」
「そうなんだ」
なら、魚を買うときはより色の鮮やかな物を買えば良いのね。ラズさんってば。何気に重要な事をサラッと言ってるし。
「他にはなにが必要だ?」
まだカラフルな魚に視線を奪われていた私はラズさんの声に視線を返す。
ラズさんは絶対に重たいだろう買い物かごを軽々と片手で抱えていて、相変わらず力持ちだな、と感心してしまう。
支払いも全部ラズさんな上に荷物持ちまでしてもらって、よく考えたら私ってば何様なんだろう。
「なんかごめんね、ラズさんのお金なのに」
「何言ってるんだ、食べるのはほとんど俺だろう?」
それはそうなんだけどね、と苦笑いを返すとラズさんは視線を前に向けたまま楽しそうに言う。
「変な気を使うな、俺はサエのお陰で旨い飯が食える」
「ラズさんの願いは、美味しいご飯だったの?」
思わず口を滑り出た質問にラズさんは驚いた顔で私を振り向いた。
もちろん私の言葉の意図は伝わっているはずだ。ラズさんの本当の願いは何だったのか、やっぱり私はそれを知りたい。
ラズさんはすぐには答えなかった、何か考えるように視線を背けてから困ったように頭を掻く。
そして「一端帰るか」と、荷物を抱え直した。
なんとなく無言のまま帰宅して、買ってきたミルクで二人分のカフェラテを作った。飲みやすくて良い、と喜んだラズさんは私が正面の椅子に座るのを待って、先ほどの続きを語りだす。
「実はな」
「うん?」
「俺も自分の願いが分からないんだ」
ゆっくりと口を開いたラズさんの言葉に、ポカンと口を開けてしまった。
一瞬ふざけてるのかと思ってしまったけれどラズさんの顔は真剣だし、私は黙って次の言葉を待つ。
「俺は洞窟の最深部に到達する目的だけでイグリアに挑んできた。秘宝は二の次と言うか、そもそも欲しいものなんか無かったんだ」
「じゃあ、私は?」
「俺も驚いた、宝箱に人が入ってるんだからな。でも、サエにしたら突然知らない世界に来てしまって、辛かったよな。すまん」
テーブルに手を付いて頭を下げるラズさんには慌てて頭をふる、そんなこと無い、と伝えるのにそれが精一杯だ。私も話さなきゃ、と考えているうちにラズさんに先を越される。
「元の世界に帰るか?」
ラズさんの言葉に頭が真っ白になった。
自分の気持ちも、伝えようと思っていた言葉すべてがふっとんでしまい、ただ目を丸くしてラズさんを見つめる私にラズさんはさらに続けた。
「新しい洞窟の秘宝に望めばいい、秘宝への道は俺が必ず探す」
そんな事ができるんだろうか、どんな言葉を返せばわからなくて無言の私の様子をラズさんがうかがっているような雰囲気は感じ取れた。
「簡単では無いだろうが、必ず最下層をみつける。だからそれまで我慢してくれ」
我慢だなんて少しもしてない、私は帰りたいだなんて望んでない。
だけどそれを伝えられなかった。
私はずるいんだ、ここに居る理由をラズさんにしておけば、私はラズさんに甘えていられるから。
そんな自分が情けなくて、俯いた私の頭にラズさんの大きな手が乗る。ポンポンと安心させるように優しく触れたその手は何故かひどく私の胸をざわつかせた。
その日はラズさんが見事な手捌きで魚を捌いてくれた。手順を教えてくれると言うラズさんだったけれど、魚とはいえ私は血が苦手らしい、どうしても気が進まず適当に理由をつけてそれをやり過ごすと、かわりにこの世界の文字を少しだけ教えてもらうことにした。
勉強は久しぶりだったけれど、知らなかったことを知るのはやっぱり楽しい。
この世界の文字はやっぱり難解で教えてといった自分にすでに後悔するレベルなんだけど、数字は0から9までを表す記号を覚えてしまえば読めるのでなんとか数字だけは覚えることができた。
お勉強モードに火が付いた私が「ついでに魔法も教えて」と頼んだら、そもそも魔力が無いようだから無理だと言われてしまう。
少しでも魔力があるなら、鍛えて魔力量を増やしたり魔法具をつかって術を発動させたりということが可能らしいけど、魔力が無いとそういうこともできないらしい。
かなり残念。
私も魔法使ってみたかった。
「ねえ、ラズさんはどんな魔法を使うの?」
興味本意で尋ねれば、ラズさんは少し考えてから座っていた木のテーブルを人差し指でコンコンと叩いた。すると、その場所から木の芽が生える。
なんかかわいらしいイリュージョンを見た気分。
「植物を操る魔法が得意だ」
「へぇ、面白いね。って事はラズさんは木属性だ、ゲーム的に言うとだけど」
引きこもりを始めた頃にハマったスマホゲームを思い出す。ゲームのキャラクターにはそれぞれ属性があって、ゲームをクリアするためには敵の属性に対して自分のキャラの属性を考えたパーティ編成をしたりするのが楽しかったな。
「洞窟の中は植物もあるだろうし、自然界ではラズさん最強だね。あ、やっぱ炎を吐くドラゴンとかが苦手なの?」
ジャガイモをスライスして揚げたポテトチップス擬きをパリリと食べながら笑うと、ラズさんは何故か怪訝な顔。なんだか変な話した? と青くなって口を閉ざすと、ラズさんは低い声で口を開いた。
「サエの世界には魔法が無いんだよな? それなのになぜそんなに魔法に詳しい。魔力属性の優位などは勉強しなければわからないはずの知識だ」
なるほど、そうだよね。普通は驚くか。
「えっとね。私の世界に魔法が無かったのは本当だよ、でも代わりに空想の世界の物語を創作して楽しむ文化はあったの。その中にいろんな魔法が出てくることもあってね、私も小説とかゲームとか好きだったから自然と覚えた感じ」
そう、私の考える魔法は今でも空想世界の産物だ。それにゲームによって設定も違うし、私の知識はプレイしたことのあるゲームの中でのもの。
「だから、ラズさんたちの扱う本物の魔法と私の考える魔法とではきっとズレがあると思うよ」
「そうか……」
どこかまだ腑に落ちない表情で、納得したと言うラズさんはカフェラテを一口飲んでから真っ直ぐに私を見た。何だろうと身構える私にラズさんは不敵に笑う。
「ちなみに植物以外にも大地や水の魔法も扱える。だから炎を吐くドラゴンは特に苦手ではないな、そもそも洞窟に現れるドラゴンは魔法よりも物理攻撃が有効だから、戦うときは剣技メインだ」
「……へぇ……」
もしかして炎に弱いでしょ、ってからかった事を根に持ってる?
「苦手な魔物は基本的にいない、まあ、ワーム系は外見が不気味だから出会いたくないとは思うがな」
思わず吹き出しそうになる。
弱点なんて最強冒険者のプライドが許さないのか、わざわざ言い訳をしてくるラズさん。意外と子供みたいな所があるんだなと、こみ上げる笑いが我慢できなくなった私は声をあげて笑ってしまった。
穏やかな時間は、長く忘れていた家族の団らんを思い出させる。
両親が生きていたころの我が家は、笑い声が絶えない家だった。
テレビのお笑いを見るよりも、ちょっとふざけたことを言うお父さんの話の方が楽しくて、私にはパパ嫌いの時期がなかったくらい、家族が好きだった。
幸せしか知らなかった私が突き落とされたどん底。
そんな暗い世界から飛び出して始まった今の生活が、どんどん手放したくないものになっていくのがわかる。
けれどラズさんは私に元の世界に帰ってほしいのだろう。
もしも本当にラズさんがまた秘宝にたどり着いてしまったら?
その時私は、元の世界を心から望めるんだろうか。
この世界に必要とされたい。
ラズさんに必要とされたい。
そんなずるい願いを、笑顔に隠した。