32話 それでも塔は成長を続ける
電車の中、窓を眺めていると小さく塔が見える。
それを、見ながらわたしは巳卯さんとの最後の会話を思い出していた。
手当てを受けた後、わたしは使った部屋の掃除をすることにした。
「帰りのバギーは手配してあげたから、後少しで来ると思うよ」
「お手数かけて、すみません」
「まあ、気にするな」
巳卯さんは部屋に入ってくると、キョロキョロと見回す。
「へえ。使った部屋を掃除してるのか?」
「はい、まあ一応は」
と言っても一日だけの事なので、わざわざ掃除するほど汚れてもいないのだが、こういうのは気持ちの問題である。
「立つ鳥は跡を濁さないものですから」
「アレは餌を一掃してオサラバって話じゃなかったか?」
「……違います」
わたしがやんわりと否定していると、
「あれ?」
巳卯さんは苦笑しながら、視線を泳がしていたが、やがてわたしのある変化に気がついて目を留める。
「服が変わってるな。着替えたのか」
「これは、ここに来た時にわたしが着ていた服ですよ。さっきまで着てたワンピースは借り物だったんです。瑠璃さんが用意してくれたもので、ありがたく着ていたんですけど、やっぱり返した方がいいかなと思って」
わたしは掃除を一時的に中断すると、机の上に畳んでおいてあった黒いワンピースの所まで歩くと抱えるように持ち上げる。
「ふうん。わざわざねぇ。別にそのままもらってしまってもいいと思うが」
「瑠璃さんもそう言ってくれていたんですけど」
しかし、わたしはかなり前から帰る前に返そうと考えていた。
この服が瑠巳佳ちゃんのお母さんのものだとわかった時に、この服を持っているのは瑠巳佳ちゃんの方がいいと思ったからだ。
「それで巳卯さんにお願いしたいことがあるんです。この服を瑠巳佳ちゃんに返したいと思うんですけど……、わたしかなり汚しちゃって」
わたしは巳卯さんに見せるために広げる。色々とあったせいで土埃がついていた。
「このままじゃ返せないですし、巳卯さんが綺麗にして瑠巳佳ちゃんに返してもらえませんか」
「アホ。そんなの嫌に決まってるだろ。返すなら自分の手で返せ」
「でも、このままじゃ」
巳卯さんはわかってないという風に頭を振ると、
「洗ってから、もう一回返しに来いよ。出来るだけ早くな。俺はその時には死んでるけど、瑠巳佳が待ってるからさ」
その後、巳卯さんが手配してくれた迎えのバギーが来て、わたしは七日妖精のコミュニティを後にすることになった。
車に乗り込んだわたしに瑠巳佳ちゃんが声をかける。
「さのかさん、バイバイ」
「うん、瑠巳佳ちゃんも元気でね。それと巳卯さんも」
「ん? ああ」
わたし達は手を振り合う。
そして、塔を見上げると瑠璃さんに「お世話になりました」とお礼を言うと、バギーに乗り込み、離れて行く景色にもう一度手を振る。
結局、わたしは瑠巳佳ちゃんのお母さんの形見のワンピースを瑠巳佳ちゃんに返すことはしないで持って帰った。
記憶から現実に意識を引き戻す。
まるで絵葉書を見ているような車窓に切り取られた風景が流れていくにつれて塔は次第に大きくなっていく。
わたしは知っているのだ。
それが、大きく、どこまでも高いこと。
未だ、完成をみないこと。
そして、これからも塔は高くなり続けるだろうという事を――
わたしの手元に綺麗には洗濯されたワンピースがトートバックに入れられて腕の中に抱かれている。
線路の枕石を叩く音と共に、近くなる塔を見ながら、わたしはその抱きしめる力を強くした。




