30話 七日しか生きられないとしたら
扉が開く音がした。
視線を向けると、頂上で一緒いた七日妖精さんが出てくる所だった。
七日妖精さんはわたし達の姿を見ると「うわ、ひどいな」と呆れたように言った。強い風に晒された続けたせいで背中の羽はボロボロになっていたし、根元には血が滲んでいた。
「ちゃんと、手当した方がいいぞ」
塔に戻ると、七日妖精さんはわたし達を塔の中層にある医務室のような所へと連れて行った。
白い壁紙が前面に張られており、医務室特有のツンとした薬品の匂いはほとんどしない。
ここはあまり使われていないのかもしれない。
そのためかとても清潔な空間が保たれていた。部屋の奥には扉があり、この部屋の隣にもう一つ患者を寝かせる為の、ベッドが並んだ部屋がある。
七日妖精さんは、瑠巳佳ちゃんの手当てを済ますと隣の部屋に寝かしつけて戻ってきた。
「後回しにして悪いな」
わたしは「いえ」と小さく首を振ると、
「瑠巳佳ちゃんの具合はどうですか?」
「ああ、今は安静にしてる。しばらくは寝かせとけば大丈夫だ」
「そうですか」
わたしが胸を撫で下ろしていると、
「ただ、君が帰る時には送りたいと言っていたから、その時は声をかけてやってくれ」
「それは、もちろんそうしますけど……」
「さて、次は君の番だな。じゃあ、服脱いで」
「えっ」
「だって、服脱がないと治療できないだろ。何恥ずかしがってんだよ」
「いや、まあ」
「何も恥ずかしがる理由なんてないだろ」
「それは、そうですけど」
「そういう反応されるとこっちが恥ずかしくなってくるんだけど」
「はぁ」
ため息を吐く。消毒液をしみこませたガーゼを背中に当てられてると、傷にしみて、ピリピリと痛む。わたしは七日妖精さんの手当てを受けながら、
「あの……」
「何か?」
「いえ……」
最後に一つだけ引っかかっていることがまだある。
わたしは一瞬、躊躇するが、
「やっぱり、名前訊いちゃ駄目ですか?」
「どうして? どうせすぐに君にとって意味がなくなる名前だよ」
「でも、やっぱり気になるじゃないですか。瑠璃さんの時も思ったんですけど、やっぱり親しくなったんですから名前の一つも知っとくべきです。そうしないと、何かに埋もれてしまう様な気がして」
「それは、七日妖精のコミュニティにいるせいだ。ここがそういう性質を持っているからそういうことに神経が過敏になってるだけだろうさ」
「いや、というか。もう言ってしまうと、意図的に隠されていることに少し腹が立ってるんです」
わたしは人差し指を立てると、ジロリと睨む。
大体にしてその名前に意味があるのかを判断するのはこちらのハズだ。
それをまるで忘れて欲しいみたいに徹底して隠されるのは心外である。
「大体、あなた達は自分でつけた名前だから言うのが恥ずかしいだけなんじゃないですか」
「わかってるなら訊くなよ」
七日妖精さんが苦笑いする。
「なら、教えてくれたっていいでしょう?」
「……まあ」
七日妖精さんは唇と尖らせると、
「そこまで、意地になるようなことではないし、別にいいが。巳卯〈みう〉だよ」
「みう、巳卯さん? 意外とかわいらしいお名前なんですね」
「うるさいな。別にいいだろう」
巳卯さんは眉間に皺を作ると、つっけんどんとした口調で言った。でも七日妖精さんの名前が巳卯ってもしかして……。
「でもそうだとすると、巳卯さんの名前って……瑠巳佳ちゃんの?」
少し思案するように目を落とす。
瑠巳佳ちゃんの瑠巳佳という名前が彼女の両親の名前から一字ずつ取られているのは墓地で墓石の名前を見た時に気づいていたが、もしかして、巳という字はこの人から取られた字なのだろうか?
「ん、ああ、そうだよ。君は俺が急ごしらえで選ばれた後見人だとでも思ってたのか」
「いえ、そうは思ってなかったですけど」
「瑠巳佳が生まれた時から、すでに彼女の後見人を頼まれていたんだ。俺は止めとけって言ったんだが、あいつら聞かなくてな。まあ、そんな理由であの子に俺の字が入ってるんだ」
巳卯さんは薄ら笑うと「多分、ばれてたんだろうな」と呟いた。
「え? 何がですか?」
「俺も、あの子に期待してたって事がだよ。俺もあの子に期待してるんだ」
「期待って……瑠璃さんみたいにですか?」
「ああ、もっともどちらかといえば、あいつは瑠巳佳に七日妖精のやってきたを肯定して欲しかったんだろうが、俺は逆だ。瑠璃と佳菜のやった事を瑠巳佳に肯定して欲しいと思っていた」
巳卯さんは、何かを思う様に軽く瞼を閉じた後、
「羨ましかったんだ。もしかしたら、もっと押していたら俺の思いはあいつに届いていたんじゃないかと思ってさ。でも結局、俺には出来なかったから」
それって、その言い方だと、まるで――
「あの……、巳卯さんは瑠璃さんの事が好きだったんですか?」
わたしが躊躇いながらそう訊くと、巳卯さんは切れ長の目を伏せ、
「さあな、恋に恋する女の戯言だよ」
言いながら、女性らしい仕草で髪をいじると、彼女は頬を桜色に染めながら吐息の様に言った。それは、彼女の言う通り恋する乙女そのもののような気がした。
「所詮俺には捨てられなかったからな。七日しか生きられないとしたら、普通は過去を、今あるものを確かなものにしようとするだろう。少なくともそこから何か始めようという奴はいない」
それは過去の栄光にすがったり、家族との絆を深めたりという事だろう。
諦観の入った表情で巳卯さんが続ける。
「しかし、元から七日しか生きられない七日妖精は過去なくすがるものがない。なら、この塔にすがるしかないんだよ。俺は結局それを捨てられなかった」
そこまで話すと巳卯さんは黙り込む。
そして、独白めいた言葉を言い終わった巳卯さんがこちらを見つめていることに気がついた。
「今度は逆にこっちが訊いてもいいか?」
「え、あ、はい。どうぞ」
突然矛先が向けられたので、対応出来ずに少し慌ててしまったが、気を取り直すとなんとか答える。
「もし、七日しか生きられないとしたら君はどうする?」
「わたしは――」
もし……、そうだとしたら、どうだろう? それはなってみなきゃ分からない事のような気がするけど、とりあえずは、
「わたしだったら、きっとまずお菓子屋さん巡りをすると思います」
そう、きっとまずはそれからだと思う。
「……ふふふ――」
巳卯さんはしばらくの間、穴の空いた風船のような笑い声と共に肩を震わせていたが「そうか」と頷くと、
「なるほどね。参考になったよ」
そう言って、わたしに微笑んだ。




