28話 こわかった
わたし達が降りた場所は、丁度塔の入り口の目の前だった。
扉は閉まっているが、ここに来た時と同じようにインターフォンで呼びかければ開けてもらえるだろう。
わたしは、疲労の色を隠せない瑠巳佳ちゃんをその場に残すと立ち上がり、扉へと向かう。そしてインターフォンを押した。
しばらく待つと、スピーカーから人の声が返ってきた。
「はい」
「あの……」
「君か?」
「はい」
スピーカーから聞こえてきたのは、先ほど塔の頂上で一緒にいた七日妖精さんだった。
「大丈夫だったか?」
「なんとか、瑠巳佳ちゃんも無事でした」
「……そうか、よかったな」
七日妖精さんは「今、迎えに行くからちょっと待ってろ」と言い残すと通信を切った。それを確認すると、わたしは瑠巳佳ちゃんの元へと戻った。
瑠巳佳ちゃんは無理をして立ち上がろうとしていたので、わたしはそれを制すると、逆に自分の膝を折り目線の高さを合わせた。
「……」
「え? 何?」
俯いたままでポツリポツリと吐き出すように瑠巳佳ちゃんが呟く。それを聞き取るためにわたしは耳に意識を集中させる。
「もう、おとうさんいないんだって……」
「……」
「おもったの。瑠巳佳もあと少ししたら、おとうさんみたいにお墓になるんだって。そうおもったら、もういいってきもちになって、きづいたらとびおりてた」
「……」
「どうしてだか、わからない」
瑠巳佳ちゃんは顔を上げるとわたしに答えを求めた。
「あの塔の一番上で、瑠巳佳ちゃんがしなきゃいけないこと、瑠巳佳ちゃんにできることを見つけたいって言った瑠巳佳ちゃんの言葉。あれは嘘だった?」
「それは……」
瑠巳佳ちゃんが口ごもる。
わたしは瑠巳佳ちゃんの頭に手を置いた
瑠巳佳ちゃんは気づいたのだと思う。わたしたちが必ずぶつかる壁に、七日妖精さんが何世代もかけて完全に取り払い進化の過程においてきた残骸が、再び彼女の前に組みあがり立ちふさがっているという事に。
始めるという事が怖くて、逃げ出したくなるって事に気がついたのだ。
わたし達は何かを始める時、時間を掛ける。時間をかけてゆっくりと恐怖を飲み下していくのではないか。
意識してはいないけど、わたしだって、大学を卒業する数年後に向けて恐怖心を飲み下している最中なのだと思う。
しかし、瑠巳佳ちゃんにはそんな時間はない。躊躇していたら自分が死んでしまう。それがどんなに恐ろしいことなのか想像することも出来ない。
始まる前に死んでしまいたいと思うこともあるかもしれない。
――でも。
「怖かったんでしょ?」
「え?」
「落ちている時、体が震えていたから」
空を落ちている時、ずっと瑠巳佳ちゃんの体は震えていた。きっとすごく怖かったに違いないのだ。死ぬことが。
わたしが訊ねると、思い出したのか微かに体を震わせる。
「きっと、空に誘われて魔が差したんだよ」
破滅的なもの、終末的なものに惹かれることがどんな人でも一回くらいはある。もちろん瑠巳佳ちゃんが悩んでいたという事もあるだろうが、彼女の背を押したのはその類のものだろうと思った。
抱えているものに押しつぶされて崩れ落ちたわけではない。
「もう一度訊くよ。あの塔の一番上で、瑠巳佳ちゃんがしなきゃいけないこと、瑠巳佳ちゃんにできることを見つけたいって言った瑠巳佳ちゃんの言葉。あれは嘘だった?」
「ううん」
瑠巳佳ちゃんはわたしの問いに頭を振って否定する。
「ううん、うそじゃない。うそじゃない」
嘘じゃない嘘じゃないと繰り返しながら、瑠巳佳ちゃんはガタガタと震える。わたしの服を掴むと、顔を埋めた。
「こわかった……。こわかったよぅ」
それまで抑えていたものが決壊したかのように、ひたすら「こわかった」と涙声で訴えかけていた。




