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27話 空に落ちる

「なっ!?」


 見間違いかと目を見張る。


 それはあまりに自然で、わたしはすぐには何が起こったのかを理解することは出来なかったが、すぐさま正気を取り戻すと瑠巳佳ちゃんが立っていた鉄骨の縁へと駆け寄る。


「きゃっ」


 前髪が煽られて、少し体のバランスを崩す。


 一体どうして。という疑問と、大丈夫なのかという気持ちが自分の中で整理できない中でわたしは眼下を見る。


 高い――雲の上なのだから当然だった。


 初めて頂上に案内してくれた七日妖精さん。瑠璃さんが言っていた事を思い出す。


 たとえ羽があっても落ちれば危険だと、羽がもげることもあると言っていたように思う。


 わたしは背中の羽を出すと感触を確かめるようにクイクイと小さく動かす。


 吹き付ける風に目を細めた。


 鉄骨の周りを忙しなく飛び回る塔の建設作業をする七日妖精さん達の姿を横目で捉える。


 おそらく瑠璃さんが言ったのはわたしの注意を喚起させるための言葉だった。そこには幾分の誇張が含まれていたに違いない。慣れないわたしを気遣ってくれたのだ。


 しかし、この高度で飛ぶことに慣れているだろう七日妖精さん達には、それは当てはまらない。彼らは自由に飛び回っている。急滑降することなどもよくあるに違いない。


 でもだから、なんだっていうんだろう?


 瑠巳佳ちゃんも七日妖精なのだから、ここから飛び降りたとしても大丈夫だと、そう考えようとでもいうのだろうか。


 わたしはそんな霞みたいな考えを頭の中が追い払う。


 それが瑠巳佳に当てはまるとは思えない。瑠巳佳ちゃんは七日妖精だ。しかし、頂上まで上がってきたことが何度もあるはずもないし、飛ぶことに慣れているはずもない。


 加えてあんなに衰弱している状態で満足に羽ばたくことなど出来ないだろう。


 それに――。


「羽ばたくつもりが……なかったら」


 そのつもりで飛び降りたとしたら。さっき言っていた言葉はなんだったんだろう。本心じゃなかったのかな? 強がりか、周りを気にした言葉だったとしたら――。


「なおさら……ほっとけないよ」


 わたしは風に煽られないようにグッと背中の羽に力を込める。


 羽を使って飛ぶなんて無邪気な子供みたいな事、大きくなってからは、ほとんどすることがなかったからうまく出来るか少し不安だった。


 しかし、迷っている暇はもうない。


 一瞬のうちに駆け抜けた思考を強引にねじ伏せる。


「えいっ」


 掛け声と共にそのまま、思いっきり体を空へと投げ出した。


 後ろで七日妖精さんが何か――おそらくは静止の声だと思われるものが聞こえたが、すぐに風の音に紛れてしまい聞こえなくなった。


 体を棒のように固め、極力風の抵抗を殺すように努める。


 しばらくして、綿菓子を敷き詰めたような雲海を突き刺すように突っ切る。


 視界が雲に覆われて何も見えなくなる。


 ほんの数秒のホワイトアウトの後、また嘘みたいな空の青がわたしの目に飛び込んできた。


「みつけた!」


 そして、その先に小さな瑠巳佳ちゃんの姿を見つけた。


 瑠巳佳ちゃんは飛び降りたままの姿勢で頭を下にして自由落下を続けていた。


 轟々と風の音が耳をかすめていく中、わたしはさらに落下の速度を上げ、瑠巳佳ちゃんに近づくと風の音に負けないように声を張った。


「瑠巳佳ちゃん!」


「……」


 逆さまに向かい合う。しかし返事が返ってこなかった。ただ瞳だけが胡乱にわたしを捉えた。


 その瞳はまるで空の色がそのまま映りこんでいるように見えた。


 わたしは、もう一度「瑠巳佳ちゃん!」と呼びかける。すると、瑠巳佳ちゃんは「……あ」と小さく声を漏らし、数回まばたきをした後に、


「……さのか……さん?」


 とわたしの名前を呼んだ。


 体の向きを変えようと瑠巳佳ちゃんが体を捻ると、風の抵抗感が変わり、二人の体が離れそうになる。わたしは咄嗟に瑠巳佳ちゃんの手を掴む。


 途端に浮き上がるような感覚があった。


 体の向きが変わってより空気の抵抗が増えたのだ。


 落下していく中で、見つめあう。瑠巳佳ちゃんは呆としたように口を開くと、


「……どうして?」

「知らないよ」


 こっちが知りたいくらいである。


 どうして、こんなことをしたのかとか訊きたいことは沢山ある。


 でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 瑠巳佳ちゃんは気まずそうに、モジモジと体を動かす。今も落ち続けている。そんな異常な状況が至って普通な彼女の様子のコントラストを鮮やかにしている。


「……あの」


 わたしは瑠巳佳ちゃんに抱きつくと、どうにかして落下の速度を緩めようと羽を羽ばたかせる。


「あ……っう」


 風に煽られる。受けきれずにばたばたと羽先が暴れている。神経の一本一本を馬鹿丁寧に引きちぎられていくような、そんな地味な痛みが背中に走る。


「……さのか……さん」


 密着している瑠巳佳ちゃんが顔を上げて、わたしを見る。


 震えていた。


 小刻みな振動が体を通して伝わってくる。


「怖い?」

「……うん」

「そっか、そうだよね」


 わたしは答えながら、瑠巳佳ちゃんが震えているのはこんな状況だからというわけではないのではないかと考えていた。ずっと、今までも震えていたのだ。


 わたしはさらに力を入れて落下速度を緩める努力をする。

 このまま地面に着くまでに落下の速度が緩まらなかったらと思うと確かに恐ろしい。


 しかし、こんなことになってもまだ、わたしには死が目前に迫っているという実感なんて沸かなかった。


 それは奥底でわたしがなんとかなると思っているという事もあるだろう。


 不可避のものを目の前に据えてみている瑠巳佳ちゃんとは比べるまでもないことかもしれない。それでも、わたしはどこか申し訳ないような気持ちで、震える瑠巳佳ちゃんを抱きしめていた。


「ごめんね」


「……」


 声が風に流れている。はっきりと声が届くように声の芯を太くする。


「死なせないから」


「……」


 腕の中で体を固くする。わたしを見つめていた。その瞳には今でも、空の色が映っていたのだろうか。


「さのかさん。力を緩めて」

「えっ」

「瑠巳佳も、がんばりたいから」


 わたしは見つめ返す。何かを訴えかけてくるものがあった。意志が込められていた。


「……そっか、わかったよ」


 わたしは瞼を閉じると、瑠巳佳ちゃんを抱き寄せていた力を緩める。瑠巳佳ちゃんの体がわたしからほつれるようにゆっくり離れ、浮き上がる。わたし達はそれ以上離れないように両腕を絡ませる。


 お互いに体を地表から水平になるように向かい合う。


 ちょうど、空に花が開いた様になりながら落ちていく。


「う……」


 空気の壁に何度もぶつかる。


 なんてことはない。特別な妙案があるわけじゃない。ただ、二人で羽ばたいているだけだ。羽を広げて幾層もの空気の壁を掴みに掛かる。


 それでも、自分ひとりでやっていた時とは全然違った。


 迫る地面はどんどんと大きくなり、青い視界を喰っていく。


 背中がチリチリと痛い。


「やっぱり……無理……」


 このままでは地面に激突する。


 そう思った時だった。


「七日妖精さん?」


 作業用ヘルメットを被った七日妖精さんが次々とわたし達の元へと飛来し、わたし達の体を支えてくれたのだ。


「ど、どうして?」


 彼らの考えからすれば、わたし達を助ける事なんてきっと無駄な事のはずなのに。そんな彼らが仕事を投げ捨ててまでわたし達を助けに来てくれるなんて。


 しかし、七日妖精さん達がわたしのその疑問に答えてくれるはずもない。


 彼らはただ無言で、粛々とわたしと瑠巳佳ちゃんの下へと入ると羽を羽ばたかせていた。


 七日妖精さん達の助力もあって、落下の速度も段々とゆっくりになってきていた。


 十分に速度を殺した事を確認すると、七日妖精さん達はわたし達の元を離れまた空へと帰っていく。礼を言う暇もないほどにすばやく統率の取れた行動。


 もしかしたら落下に対する防衛プログラムだったのかもしれない。


「ありがとう……」


 それでも、わたしは去っていく彼らの後姿に礼を言った。


 わたし達が地面に着く頃には、完全に勢いは消えており、わたし達はゆっくりと地面に足を付けると、腰を抜かしてへたり込んだ。

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