第1章 1‐3.計算外
全く、拍子抜けとしか言いようがなかった。ヘリから降り、曇り空の下、ハイスクールの校舎のような建物に入り込み、全ての部屋を探索したが、もぬけの殻だった。敵は、この水質調査施設に偽装された建物を既に放棄し、地下の実験施設に立て籠っているらしい。
とすれば、あとは地下への入口をこじ開けるだけだ。事前に教わった通り、無人の受付ロビーの近く、でかでかと『STAFF ONLY』と書かれた扉があった。カヤが言うには、ここを開けると階段があり、更に下に降りていくと階段の他にエレベーターがあるとのことだった。
「予定通り、エリカとアンドレイは指示があるまでここで待機しろ。あとは俺について来い」トビアスが先陣を切るべくドアに近づく。エリカは貴重な看護兵として、一番現場に近く、且つ一番安全な場所に待機しておく必要がある。アンドレイはその護衛のためでもあり、彼の能力を最大限に発揮させるには、後方にいてもらうのが手っ取り早い。オズはそういう判断をして、トビアスもそれに異論はなかった。
「了解。皆、気を付けて」エリカが頷き、静かに答えた。
「武運を祈るよ」アンドレイも続けて言った。
「ありがとう。さぁ、行くぞ」
ドアの向こうに敵が待ち構えているかもしれない。パトリック、シーザー、グエンがそれぞれの得物を構えたのを確認してから、トビアスはドアノブを掴んだ。
次の瞬間、ドアノブが唐突に熱を帯びた。咄嗟にトビアスは手を引っ込めるが、即座に頭が割れるように痛みだした。あまりの激痛に思わず膝を付き、うずくまりながらうめき声を漏らす。だが異変はそれだけではなかった。
「ぎゃああああああああ」
「ぐあああああああああ」
グエンが頭を押さえ、悲鳴を上げて転倒し、その隣でシーザーも身体を丸めて迫りくる激痛から逃れようとしていた。彼らのみならず、パトリックも、エリカも、アンドレイも、同様の症状が出ているらしく、頭を抱えて前のめりになっていた。
これはまずい、と思う間もなく、トビアスの意識は暗転した。
異変は、本部の2人も察知していた。急に彼らの無線から悲鳴が聞こえたと思いきや、プツンと切断されたかの如く無線が沈黙した。
「どうしたッ、誰か応答しろ!」オズワルドが唾を飛ばしてマイクに向かって叫ぶが、返答はなかった。
どうなってる、と彼が苛立たし気に横髪をいじっていると、隣のカヤが大慌てで「オズ!」と呼び掛けてきた。「皆のシグナルが…!」
最後まで聞かずとも分かった。「ロストしたって言うのか!」別にカヤが悪いわけでもなんでもないのだが、思わず声が大きくなってしまった。全滅?銃声も何も聞こえなかった。いや、ガスや薬品の類を使ったトラップか?だとしたら何故、シグナルロストした?
INCUR NOISEの実働隊員達全員には、発信機が取り付けられている。その発信機のシグナルを本部で受信し、彼らの現在地を知ることが出来る。当然だが耐久性は折り紙付きで、耐水耐熱耐電、宇宙空間に放り出しても約1ヵ月は機能する優れものだ。それを6つも、しかもほぼ同時に破壊出来るガスや薬品が、地球上に存在するとは考えにくい。そもそも例え彼らが死亡しても、発信機には何ら影響がないはずなのだ。つまり彼らは死んだわけでもなく、消滅してしまったことになる。そんなことあるのか?
とここまでオズワルドが考えたところで、カヤが再び吃驚した。
「今度は何!?」彼が問いただすと、カヤから信じがたい事実を聞かされることになった。
「シグナルが復帰したけれど、場所がおかしいの!皆別々の場所にいる…」
何が起きているんだ。
思わずオズワルドは、腰のホルスターに指先を走らせた。
そんなザマでよく今まで生きてこられたな。
黙れ。
私達の命を踏み台にしてまで、やりたかったことがこれなの?
うるさい。
どうせ全部失うのに、またくだらないお友達ごっこかよ。
そんなつもりじゃない。
僕達は死んだのに、なんでお前はのうのうと生きてるんだ。
やめろ。
お前も死ねよ。
やめてくれ。
死ね。
ごめん。
死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。
許して。
『死んでくれ、トビアス』
意識が急速に現実へと押し戻され、目をカッと見開く。トビアスは手を付いてフラフラと立ち上がった。先ほどの頭痛は綺麗さっぱりと消え去っていたが、今度は別の問題がトビアスの新たな頭痛の種になりそうだ。畜生、ここは一体どこだ?
真っ暗闇の空間に倒れていたらしく、手探りでG36Cを見つけ、構える。そして取り付けられているフラッシュライトを点灯させ、酷く冷え切った周囲を見渡した。
一見すると、そこは倉庫、というよりはガラクタ置き場のようだったが、気を失う前とは全く異なる光景を目にしたせいで、暫く身動きが取れなかった。敵が何らかの手段で気絶させ、ここまで運んできたのだろうか?だとしたら、何故一切の拘束を受けていないのだろうか。彼は武器も装備も身に着けたままだ。
そうだ、仲間達はどうなった。通信回線を開き、チャンネルを個々のものに変えながら話しかける。「こちらトビアス。聞こえるか?誰か応答しろ!」
すると、『…あー、こちらグエン。無事かぁ、ボス?』とややけだるげなグエンの声が聞こえた。自分以外の声が聞けたことに心底安堵しつつ、それをおくびにも出さずに返答する。
「こっちは大丈夫だ。グエン、今どこにいる?動けるか?」
『ピンピンしてるさ。だが場所は分からない。コンテナがあちこちに置いてある、ただっ広い部屋にいる』
コンテナだと?
と、トビアスが問う前に、『ボス!ご無事で?』とシーザーが回線に割り込んできた。と同時に次々と『うわ!どこだここ』『…いてて』『ちょっと、皆無事なの?』とメンバー達の囁き声が入り込んできた。OK、一回落ち着こう。
「皆、大丈夫そうだな」とトビアスが周囲を警戒しつつ話しかける。恐らく彼らも、身の安全を確保しているだろう。彼らはプロフェッショナルだ。
「えらいことになったが、やるべき事は変わっていない。だが若干予定を変更する。まずは各自、自分の現在位置を確認してくれ。方法は任せる」一旦言葉を区切り、一拍置いてから続けた。「アンドレイとエリカにはすまないが、こうなった以上、お前達にも敵勢力の捕捉、並びに排除任務を行ってもらう。今から下手に元の位置に戻る方が危険だ」
『エリカ、了解』
『…アンドレイ、了解』
明らかに納得していないのが1人いるが、ここはあえて無視した。
「パトリック、シーザー、グエン。お前達は自分の位置を把握したら、作戦通りにやれ」
『パトリック、了解です』
『シーザー、了解した』
『グエン、りょーかーい』
トビアスは最後に1つ、通信中に気付いたことを付け加えておく。
「本部の支援をアテにするな。さっきから応答がない。遠距離通信に支障が出ているようだ」