偏乳
引き続き、佐藤・プルルン・栄介です。
僕がベッドに座ったまま、脳天に振りかざされた薙刀を白羽取りしている間に、我が家の家族構成をお伝えしようと思うので、皆様方、どうか傾聴して欲しい。
――二世代、核家族。
家長のママは佐藤和美。
仕事でもママだと言えば、どういう商売か読者諸賢には漏れなく伝わることだろう。
佐藤家の父の席はついぞ埋まったことがない。
いわゆるママは二号さんで、我が家は母子家庭だ。
つまり僕たち兄妹は庶子ということになる。
ママの経営する店は父が買い与えたものであり、そのことから察するに父は相当裕福だ。
こう推測になってしまうのは、いかんせん僕も会ったことがないためである。
長女は佐藤銀子。
僕より一つ年上。
城前大学に通う学生だが、反政府結社『徳の騎士』のリーダーも務めている。
姉の夢はいつかクーデターを起こし国家を転覆させることらしい。
僕や妹も大概だが、どうにも姉が一番イカれている。
外面如菩薩内心如夜叉、真っ当なのは体裁だけである。
おそらくテロ等準備罪検挙第一号は僕の姉になると思うので、ニュースには是非注目していて欲しい。
次女、残る妹の名は佐藤桃實。
歳は僕の四つ下になる。
説明は省きたいところだが、一点、彼女の猟奇性を目覚めさせたのはおそらく僕の所為だ。
それだけは彼女の名誉のために言っておこう。
どういう訳か、僕の自殺未遂事件から、妹は常に殺気立ち、その毒性を強めて隠すことをしなくなった。
その理由は聞いても教えてくれない。
「落ち着け、桃實ちゃん。」
僕は妹の説得を試みる。
「ええ?落ち着いてるよぉ。」
駄目だ。
瞳孔が全開だ。
愛らしい熊さんプリントのパジャマを着ているが、目が狩猟民のそれだ。
熊の絵より熊の毛皮の方がよほど似合うことだろう。
「誤解だ。彼女は、なんだ、カルーセルは、僕が連れ込んだのではない。彼女が勝手に僕の部屋に現れたのだ。」
「何いってるのぉ、おっかしいんだぁ。あの女狐、マルセルって言ってたよ。ああ、そっかあ。分かっちゃったぁ、わざと名前間違えて知らない人アッピールでしょう?もう、桃實、そんな小手先の嘘に騙されないんだからぁ♪」
これは良くない。
マルセルなんかより余程言葉が通じない。
正直、今は妹にかかずらっている場合じゃないのだ。
ちょっと真面目な調子で考えれば、佐藤家、なかんずく、この僕に異常事態が起こっているのは誰の目にも明らか。
我が家じゃなければすでに警察のお世話になっている事案だ。
なんとなく、我が家はみなおかしいので中和されているが、あのマルセルとかいう女は、すでに我が国の法を束ねた薄紙のごとく豪快に破っている。
「よし、分かった。ならば僕の清廉潔白を証明するにはどうしたらいい?」
ここは妹に裁量権を与えよう。そうするしかあるまい。
僕の問いに、薙刀に込められた力がわずかに緩んだ。
「……処女は証明可能な客観的事実だけど、童貞は主観的な問題、ですよ、おにいちゃん。」
嗚呼、なんか箴言めいたことを言って来た。
悲しいかな、僕は客観的にも主観的にも童貞だ。
「まて、法廷では否定するものに立証の責は課せられない。つまり、僕があの女と交わったかどうか、それを証明する責任は桃實ちゃんにある。桃實ちゃんにはそれが出来るとでもいうのかい?」
「だから童貞は主観だって、そう言ってるじゃないですかぁ。私の主観では、もうおにいちゃんの童貞という名の道程は、落石・崩落・がけ崩れによる通行止めです、今すぐ引き返してください。」
駄目だ、しょうもないギャグまで挟んできている。
こうなったらもう僕の息子を科学捜査研究所に提出して、女の体液が付着していないことを立証してもらうしかない。
言わずもがな、そんなことは出来ないので、素直に妹にへりくだる。
「頼む。おにいちゃんなんでもするので、信じてください。桃實ちゃん。」
「なん、でも?」
「なんでも、一生。」
「なら、桃實のおっぱいに誓って。」
「いくらでも誓おう。」
僕は桃實の巨乳と誓約を交わした。
拝むように合わせた僕の両の手を、桃實の重厚で柔らかなおっぱいが挟んだ。
その鼻梁の通った綺麗な顔が僕を見上げ、女の子の馥郁たる香りがふっと膨らんで僕の鼻腔をつく。
桃實の両目の泣きぼくろが、本当に泣いているかのように錯覚させる。
「じゃあ、おにいちゃん……いいえ、栄介さん。」
おっぱいで僕の両手を封じたまま、桃實は、かしこみかしこみ、天にまします主に申すように、厳かな声で言った。
「栄介さん……桃實と……結婚してください!……きゃぁあ、いっちゃったぁ///」
「いや、それはね、法律がね、あるんだね。」
僕は食い気味で断じる。が、混乱した僕は呂律が回っていない。
「もうおにいちゃんったら天邪鬼ぅ。それとももう一回聞きたかったの?しょうがないなぁ、じゃあいくよ。桃實と、結婚してくださいっっっ///」
「いや、だから……。」
どうしよう。
桃實のおっぱいが高速で振動している。
つまり、押さえる彼女の手が恐ろしいほど震えているのだ。
よかった、挟まっているのが手で。
これが息子だったら数秒で召されている。
「ええぇ、桃實、嘘つきは嫌いだなぁ。おにいちゃん、なんでもするっていったぁ。桃實、ちゃんとこの耳で聞いたぁ。ねえ、こっちみてよぉ、おにいちゃんおにいちゃんおにいちゃんおにいちゃんおにいちゃんってばぁ……!」
足が踏まれている。
しかも胸圧でベッドに押し倒された。
後頭部をしたたか壁に打つ。
「ぐぁあ!」
「ねえ、今ので思い出したぁ?自分の言葉。ねえ、思い出したぁ?ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ……ねえ……思い出したかって聞いてんだこらぁ♪」
またマウントを取られた。
なんだって今日は嬉しくない、刃物で脅されながらの、特殊な騎乗位ばかりさせられるんだ。
僕は騎乗位なんて机上の妄想でしか経験したことがないんだ、気丈に振る舞うことなんて出来やしない。
僕の脳も混乱して、しょうもない冗句をくりだしている。
「あ~あ。あ~あ。もういいんだぁ。嘘をつく、その悪ぅい舌、引っこ抜いちゃおうねぇ、仕方がないよねぇ。」
典型的なヤンデルの常套句。
僕は桃實をヤンデルと呼称している。
デレじゃない。
デル、「病む+でいる」。
病むという変化の結果を表している。
そしてヤンデルの変化は止まらない。
僕の自殺未遂を契機に、現状、桃實は第二段階に至っている。
ただ妄想に耽っていた第一段階を脱し、対象への攻撃性が増しつつある。進化なのか、退化なのか、はたまた付加された新たな特性なのか。
まだ検証の余地がある。
いや、偉そうに人を分析している暇はない。
まずはこの状況から離脱せねば。
桃實はヤンデルだが、僕はツンデル。
僕は眦を決して妹に立ち向かった。
妹の輝かしい未来を、僕が守るんだ。
立ち直らせて、少なくとも、ブラコンまで引き上げる。
妹は僕の命の恩人だ。
だからそれくらいの事はしてからでないと、僕は死ねない。
瞳に熱を込め、妹に訴えかける。
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼぼぼぼぼ僕は、僕は、美、美知留と婚約しているんだ。だ、だから、お、おま、おま、お前とは結婚できないっ……!」
僕は最低だ。
びびって幼馴染に全てを丸投げしてしまった。
「美知留さん……?……どうしてここであの人の名前がでてくるのかなぁ。あの女とは別れたんじゃないの?ねえ、おにいちゃん、おにいちゃんおにいちゃん、ねえ、おにいちゃん、おにいちゃん、おにいちゃんってばぁ♪」
元彼女と言っていいかどうかは怪しいが、美知留は僕の幼馴染で、かつ桃實の天敵だ。
彼女の名を出した途端に、桃實の頬が強張り、狂気に満ちた声も力のないものとなる。
僕の口を裂くように、薙刀の刃が口内に差し込まれる。
桃實の瞳が僕の瞳と接吻するかのように間近に迫る。
「ひや、わかれたのでははい、ひゅーでんひかんだ。」
「充電期間?」
「へんたいきをのりほえるはめの、ひゅーへんひかんだ。」
苦しい。
あまりにも苦しい言い訳だが、桃實は何か思案するように部屋の一隅を眺めている。
それから自分のポニーテールをしきりに撫で始めた。
僕の見立ててでは、桃實のヤンデルは第三段階に移行しつつある。
つまり、積極的に恋敵を排除する方針に奔りつつある。さきほどマルセルに見せた態度がその証左だ。
ならば、彼女の愛憎を僕から逸らすことは容易い。
大丈夫、美知留の胆力は並じゃない。
そして、僕なんかよりも上手く桃實をあしらえる。
そう考えた僕の無責任は、思ったよりもすぐに贖われることとなった。
ベッドに押し倒され、馬乗りになった桃實の背後、僕の部屋の入口に、人の気配がある。
「――へえ、私、まだ栄ちゃんに振られてなかったんだね。」
その声の主は、やはりいつものごとく嬉しそうに僕の名を呼んだ。