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授乳


 再度言おう。

 僕の名前は佐藤・プルルン・栄介だ。

 

 某県に門を構える城前学園の三年だが、二回ダブっている。

 何だ。

 何か言いたいことがあるようだが暫時ざんじまて。

 その経歴でもって僕を無能扱いするのは尚早だ。

 先程も述べたように、僕はおっぱい美学の特任講師だ。

 系列の城前大学できちんと襟を正して教壇に立ってる。


 僕はそこそこに勉強が出来る。それに運動神経もそう悪くない。

 俗にいう文武両道をほどほどに行く男だ。

 その相貌は普通を極めている。いや、見る人によっては不細工と評すかもしれない。が、それは同時に眉目秀麗と形容できる余地もまだ残しているということだ。


 事実、僕には彼女がいたことがある。

 美人ではないが、心の清い、 楚々(そそ) とした所作の似合う大人しい女の子だった。

 僕には勿体ないほどの人格者。

 それではなぜ別れたのかと、賢明な皆さまは当然の如く疑義を抱くはずだ。

 あるいはてんで興味がないと言いけるか。

 断言しよう。そういう態度を取る人間には友達が出来ない。無論、彼女も出来ない。

 僕がいい例だ。

 彼女は出来たものの、それは僕に才があった訳ではなく、彼女の懐が常軌を逸して深かっただけの話だ。

 

 彼女は僕をほとんど盲目的に愛してくれた。

 僕がからすを白だと言えば、白と認めたうえで、「白鳥みたいに綺麗だねえ」と付け足してみせるくらい偏愛していた。

 そんな彼女と別れてしまったのは、ひとえに僕の所為せいである。

 

 ある日のことだ。

 僕たちは幼馴染からようやくカップルに昇格し、浮ついた心のままデートに出掛けた。

 映画を見、昼食を取っていたときのこと。

 彼女は僕にこう言った。

 

 「栄ちゃん、ちょっとトイレに行ってくる。」


 僕はその一言で別離を決めたのだ。

 どうだ。

 僕の人に非ざるこの所業。

 自覚している。

 僕は異常だ。


 幼馴染の関係であれば、僕はそんな一言など歯牙にもかけなかっただろう。友人でも同じ事だ。

 だが「彼女」となると話が違ってくる。

 潔癖症ということではない。

 僕は失念していた。

 彼女は紛うことなき人間で、当然の如く排せつもする。

 往年のアイドルではないのだ。

 彼女になったからといって、そのまま天使にでもなる訳じゃない。

 そんな当たり前のことを、僕は失念していた。

 

 そう、僕は病的なまでに女性に神聖さを求めてしまう愚かな男だ。

 どうか笑ってやってくれ。

 そんな僕だ。

 真っ当に生きるなど夢のまた夢。


 三か月前、桜もまだ咲かぬ四月のこと。僕は二度目の三年生を迎える前に自殺することを決めた。

 耐えられなかった。

 何に?

 自分の精神の醜さ。

 社会の欺瞞。

 善良な人間が、いつの間にか悪人となってしまう、人の原罪。

 求めも求めても得られぬ真理の、美の蘊奥うんのう

 不連続で、孤独な、僕。


 僕がおっぱいに魅せられたのは、それが無限だからだ。

 おっぱいは、子供が出来なければ無用の長物だ。

 ならば処女のおっぱいはなんのためにある?

 ただ揉まれるために、男を蠱惑こわくするためにある。

 生殖に関わらないおっぱいは美だ。

 美は汚すためにある。

 汚すに足るおっぱいを僕は求めた。

 孤独を脱するために。

 誰かと汚し合って繋がるために。


 でも、僕は結局自殺することにした。

 見つからなかった。

 いや、満足できなかった。

 僕はおっぱいを求め彷徨ほうこうして、その帰結として死を選んだ。


 僕が部屋で首を吊ろうと決めた日、それは美しい月夜だった。

 後は椅子を蹴って倒せば終わり。

 苦しいのは怖い。

 だが、このまま孤独を生きるのは嫌だ。

 何も、求めた物が得られない人生は嫌だ。

 

 そうして人生の火が消える、その間際、僕の部屋の扉がいつの間にか開いているのに、はたと気付いた。

 いつからそこに妹がいたのか、僕はまるで分からなかった。

 きっと緊張していたのだろう。

 感覚神経が麻痺していたのだ。


 妹の月に照らされた顔は、血の気が引いて蒼白だった。

 

 「なに、してるの?おにいちゃん。」


 いつもは僕に辛辣な態度を取る妹が、珍しく優しい声音で言った。

 僕は気が動転してしまって返事が出来なかった。

 妹もまた、唇が震えて、言葉を紡ぐのに苦労している。


 「死のうと、してるの……?」


 妹はおそらく確信してそう言うのだ。

 僕は首に縄をかけたまま、妹の端正な顔を見下ろす。

 その兄の表情は、きっとこの世で最もみっともないものだったのだろう。

 妹は叫んだ。

 叫ぶ妹を、僕はその時初めて見た。


 「いやだっ!いやだよ、おにいちゃん!……死なないで!…………私のおっぱい、死ぬほど揉んでいいから!いつでも、好きなときに揉んでいいから、だから、死ぬの、死ぬのやめてよぉ……うぇええええええええん!」


 妹はそのまま扉の前で泣き崩れた。

 僕は椅子に立ったまま、脚が震えて止まらない。

 騒ぎを聞きつけて、姉とママも直ぐにやってきた。

 ママは落ち着いた様子で僕の傍まで歩み寄り、優しく腰を抱きしめ、言った。


 「悩んでいたのは知っているわ。ごめんねえ、頼りないママで。」


 ママも静かに涙を流した。

 ママの涙が、僕の足の甲を打った。


 姉は妹の肩を抱いて、心配そうな顔を僕に向ける。

 それが何より、僕の良心に響いた。

 あの姉に、気弱な表情をさせてしまった。それ程に、僕の犯そうとしていた罪は重いのだと痛感した。


 「ママの、ママのおっぱいもいつでも揉んでいいから。だから生きて頂戴。大丈夫、おっぱいはいつもあなたの傍にあるのよ。お願い、お願いよ。ママのために生きて、宗介。」


 僕はなんて親不孝ものなんだろう。

 ママを泣かせてしまうなんて。


 生きることは、まだ僕にとっては苦しいだけだ。

 だけど、もう少しだけ、頑張ってみよう。

 ママと妹の涙に、僕は誓ったのだ。


 それから三か月。

 夏に膝を寄せた七月となり、梅雨も明けた。

 僕はなんとか死なずに生きている。


 そんな僕の目の前に、あの奇天烈爆乳娘が降って来たのだ。

 こんな欠陥だらけの僕に、神様は一体何をせよと命じられているのか。

 その心中は、下賤な僕では到底察することが出来ない。


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