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FOX & MAGICIANS

FOX & MAGICIANS (リメイク版)

作者: 丘野 境界

 先に謝っておきます。

 すみません。

 旧作既読の人達は、これを読んで「なんじゃこりゃあ!?」と激怒するかも部分があるかもしれません。

 主にキャラ的な意味で。

 真夏の深い山中を、一人の若い男がおぼつかない足取りで歩いていた。

 血を流しすぎたな、とその少年、深海(ふかみ)道隆(みちたか)は思った。

 ハンチング帽で顔を扇ぎ、あちこちほつれた半袖シャツのボタンを第二ボタンまで外す。

 サスペンダーで留めた茶色のスラックスが、汗で足にへばりついているのが少々鬱陶しい。

 他に荷物は持っていない。

 一応運動靴ではあるが、あまり山中に踏み入るに相応しい格好とは言い難かった。

 ……何より、脇腹の傷は深刻だ。

 大きく裂けたシャツは、赤い血の染みで濡れていた。


「はぁ……はぁ……」


 重すぎてほとんど動かない身体を騙しつつ、木々の間を進む。

 斜面は辛いな、と思っていると、ただでさえ悪かった足場が不意に失われて、道隆は崖から転落した。


「くっ……!」


 自由落下の最中、道隆は手の中にカードを出現させる。


「『クラブの3』!!」


 叫ぶと同時にカードは溶け、崖の途中に大ぶりの枝が出現した。

 それが、道隆のクッションになった。

 とはいえ枝は枝。

 道隆の身体自体を受け止めきる事は出来ず、へし折れてしまった。

 そのまま受け身を取る事も適わず、道隆の身体は地面へと叩き付けられる。


「……がふっ」


 突っ伏したまま、血の霧を吐いた。

 命があっただけ、上等と言える……が、状況は絶望的だった。

 意識は半ば朦朧としているし、身体に力が入らない。

 しかも、後ろからは迫ってくる敵達のプレッシャー。


「ああ……これは……死んじゃうかなぁ……」


 そんな事を呟きながら、ゴロリと道隆はその場に仰向けになった。

 木の幹に背を預け、荒い息を吐く。


 きゅーん……。


 何かの鳴き声がした。


「……?」


 くっつきそうになる目蓋を何とか堪えながら、鳴き声の方向に顔を向ける。

 道隆から五メートルも離れていない場所に、小ギツネがトラバサミに引っ掛かり、足から血を流しているのが見えた。


 きゅんきゅん。


 小さく鳴きながら、何とか小ギツネはトラバサミから逃れようと身をよじる。

 もちろん非力な小動物の力で、猟師の罠が外れるはずもない。

 本来なら、助けるべきではないとも思う。

 だってこの小ギツネが、猟師の本日のご飯になるかもしれないのだ。


「でも、見ちゃったからなぁ……よいしょ」


 道隆は身体を起こそうとしたが、力が入らず再び仰向けになってしまった。

 どうして助けようという気になったのか、強いて理由を挙げればここでこの小キツネを助ければ、ひょっとしたら天国に行けるかもしれないと思ったかも知れない。

 もっとも、天国に行くには道隆はあまりに多くの人を殺してきていた。

 身体を転がしうつぶせになると、地面を這って小キツネの傍に辿りつく。

 小キツネは大人しく、うつ伏せ状態で自分に近づいてきた道隆の様子を見ていた。


「『スペードの2』」


 道隆がトラバサミの繋ぎ目にカードを刺すと、そのままトラバサミ自体が真っ二つに分断された。

 小キツネの足が罠から解放される。


 きゅん……。


 小ギツネはすぐには逃げず、罠にはまっていた自分の足の傷を舐めていた。

 手持ちのカードに『ハート』が残っていればよかったのだが、それはこれまでの戦いで使い果たしていた。そもそもそれが残っていれば、先に自分に使っていただろう。


 きゅんきゅん。


 小ギツネは道隆を無害と判断したのか、彼の手も舐め始めた。

 しかし道隆は、小ギツネを撫でる事もはね除ける事も出来なかった。

 そんな力はもう、残っていなかった。

 ……そのまま、道隆の意識は深く沈んでいった。




 ……山の道は、様々な倒木でふさがれていた。

 うず高く積まれたそれらは、低い所でも三メートルはある。進むのは困難だ。

 ましてや長尾(ながお)成海(なるみ)達は小隊規模、二〇人もいるのだ。

 ただ、彼らはどこか歪であった。

 それは口が裂けるように大きかったり、極端な猫背で他の者の腰までの大きさだったり、腕が片方だけ異様に長かったりと統一性がまるでない。

 それでも、揃いの枯草(カーキ)色のミリタリージャケットを着込んだ彼らは、まるで軍隊を想像させた。


「頭領、麓ではこんな情報なかったですよね?」

「ああ」


 長尾成海ながお なるみは補佐の戸惑った言葉を聞きながらも、倒れている木々を見上げていた。

 ただ一人、ミリタリージャケットの色が濃紺色(ネイビー)であり、長い髪を後ろで一括りにしている。そして手には刀らしき布包みを携えていた。

 特に異形という訳でもなく、むしろ精悍で整った顔立ちだ。

 確かに、山を登る前にこんな倒木の情報は無かった。

 考えられるのは一つ、あの深海道隆が作ったのだ、この木々を。

 部下の一人がしきりにトランシーバーで(ふもと)と連絡を取っているが、現実目の前のこれを退ける役には立たないだろう。


「す、すみやせん。どうも通信の調子が悪くて」

「ふむ……」


 ザザ……ピー……ザザザ……。

 なるほど、機器を確かめてみると雑音が酷い。


「魔力の問題かもしれないな。この雲然山(うんぜんざん)は霊山と聞く。そういう場所では電子機器のよくないらしい」


 麓の寄り合い所でも、迷信深そうな年寄り達は、この地には妖怪が棲むから気をつけろと散々に脅された。

 鬼、天狗、龍神、河童、妖狐、雪女等々……それどころか山の神もいるらしい。

 実際、夏にも関わらず頂上付近には雪が積もっている、奇妙な山だ。

 特に、中腹にあるという旭杜(あさひのもり)神社(じんじゃ)には、決して手を出してはならないと、念を押されてしまった。

 長尾も神秘の世界に足を踏み入れている一人だ。

 魑魅魍魎の類が存在する事は否定しない……が、そんなモノは倒してしまえばいいだけの話である。

 それよりも、今は深海道隆の追跡が最優先だ。


「どいてろ」


 長尾は補佐を後ろに押しのけ、手をかざしながら息を吐いた。


「吹き飛べ」


 その言葉通りに、正面の木々が突風で吹き飛ばされる。

 補佐を筆頭とした部下達が吹き荒れる風に、思わず顔を腕で覆った。

 巻き起こる土煙。

 しかし、本来降り注ぐはずの木の破片が落ちてくることは無かった。

 長尾は数歩前に進み、地面に落ちていた札を拾った。

 トランプのカードだった。


「ふん……『クラブの9』か。こんな場所で大きな数を出すとは、あいつもかなり追い詰められているな」


 カードを眺めながら長尾が呟くと、横から補佐が質問してきた。


「と、頭領、それは……?」

「お前、追跡している奴の経歴も知らないのか?」

「は、はい、急な招集で聞いていませんでしたが……あの、そのカードってまさか」


 そういえば説明していなかったな、と長尾は思い至った。

 山の麓に集結、即出発だったのだ。

 どうせすぐには追いつけない。

 休憩時にでも説明すればいいと思っていたが、ここまで一度も休む事がなかった。


「そのまさかだ。追っている相手の名前は、『塔』の戦闘班、深海道隆。使う魔術は『数』と『記号』。珍しい二つ持ちだ」

「あ、あの深海ですか……!?」

「そうだ。だが、今はただの『塔』からの脱走者に過ぎん。それにお前達は、名前だけで恐れすぎているぞ。奴だって無敵ではない」

「それは、そうですが……」

「そうですよ。どれだけ強いつっても、相手は一人でしょう?」


 異形の部下の一人が、後ろから声を上げる。

 若手の何人かが、その声に同調する。

 長尾と補佐は、彼らに視線を向けた。


「……ビビるのもよくないが、侮るの問題だ」

「剣も銃弾も利かないという噂も聞くからな?」

「マジですか……?」


 わずかに腰の引けた部下に対し、長尾は目を細めた。


「疑うなら、試してみればいいだろう。各自で、武器は用意していてあるんだろう」

「へ、へいっ!」


 補佐以下、全員が一斉に返事をした。

 長尾はジャケットの内ポケットから、紙の束を取り出した。

 それを補佐に投げつける。


「詳しくは、これに目を通しておけ。他の者もな。弱点と言うほどではないが、奴が特に強いのは主に状況が一対一の時だ。逆に言えば、多数を相手にする時は戦闘を避ける傾向が強い」

「集団専用の概念魔術も、あるにはあるんですよね」

「ある。だが、それは資料にもある通り、少ない」


 概念魔術。

『概念』すなわち『意味』を利用するそれが、長尾や深海の使う魔術だ。

 例えば深海道隆の使う『数と記号』の概念魔術は、トランプのカードを媒体にする。

 四種類の(スート)はそれぞれ、(ダイヤ)(ハート)(クラブ)(スペード)の四属性を表し、また、商人(貨幣)、僧職(聖杯)、農民(棍棒)、騎士(剣)を指すとも言われる。

 Aを除いて、数字の2から10までを使用出来るのも利点の一つだ。

 つまり今、長尾の持つ『クラブの9』。

 深海道隆は、このカード一枚で大量の倒木の他、大火や武器としての棍棒の顕現、非戦闘ならば畑を耕したりにも利用出来る。

 世界各地で解釈は様々な上に、古典魔術であるカバラに通じ、携帯性にも優れている。

 トランプを題材にした有名な作品も多く、そうしたモノほど概念魔術には応用しやすい。


「お前達が揃う前、オレと『塔』の部隊が食らったのは、資料にある限り奴唯一の対集団用攻撃魔術『トランプの兵隊』。ついでに『クイーン・オブ・ハート』まで使わせられたのは僥倖だった。K、Q、Jの強いカードは残されると厄介だからな」


『トランプの兵隊』は複数枚のカードの使用で、全身甲冑の兵士達を召喚する魔術だ。

 さらに言えば、『クイーン・オブ・ハート』は一言で言えば、『周囲の敵の首を刎ねる』という凶悪な即死魔術である。

 長尾が同行していた前の部隊も、全員魔術師の端くれだった。

 ギリギリで絶命は免れたがそれでも全員瀕死、長尾以外は使い物にならなくなってしまった。


「正直、前の戦いは……深海の手札を確認するためのモノだった可能性が高い」

「『塔』の上層部なら、やりかねませんね」

「そして今回。深海道隆にまだ『隠し球』がある可能性を懸念して、お前達まで招集されたのではないかとも、思っている」

「なっ……!!」

「だが、これは好機でもある。これを乗り越えれば、オレ達はさらなる高みに上がる事が出来るのだからな」

「そうですね。我らの一族再興のためにも、リスクに見合うだけの報酬はもらえると思わなければ」

「おうっ!!」


 部下達が頷き合い合い、士気が高まるのが、長尾にも伝わってきた。

 ならば、長尾もそれに応えよう。

 地面に残っている血痕を見下ろし、指で撫でてみる。

 まだ、湿っている。

 それにわずかな血の臭いが、山道の先ではなく山の中から届いていた。


「奴はこの山中の先、それもかなり近くにいる。まずは全員手分けして探し出せ。発見し、襲撃の際には、必ず複数で当たれ」

「はっ!!」


 補佐は頷き、後ろの部下共々、一瞬にして散開した。


「さあ、狩りの時間だ」


 そして、長尾も深海道隆を追って、山の中へと足を踏み入れた。




「んぅ……」


 深い眠りから目覚めた時、道隆の視界にまず入ったのは日本家屋らしいどこかの天井だった。


「……?」


 周囲は薄暗い。

 どうやら部屋が暗いのではなく、既に夜になっているようだった。

 身体を動かそうとしたが、鉛のような重さでビクともしない。痛みも感じないほどだ。


「あ、気が付きました?」


 可愛らしい声が右からしたので、道隆は何とか首だけをそちらに向けた。

 満月を背に、巫女装束を身に纏った黒髪の少女が、タオルを引っ掛けた木桶を手にして微笑んでいた。

 小柄で、年齢は一〇代前半といった所か。


「……あの、ここは一体?」

「雲然山の中腹にある神社です。裏に薪を採りに向かっていた所を見つけたんですよ。驚きました」


 あんまり驚いた様子もなく、少女はニコニコと微笑んだままだ。


「ここまで、その、あなたが運んでくれたんですか?」

「ええ、私、こう見えても力はありますから」


 少女は、むん、と腕まくりをした。色白の細い腕が露わになる。


「怪我の手当てはしましたから、後は傷が癒えるように栄養を採らないと駄目ですね。お夕飯の用意をします。あ、消化にいい、おうどんにしますね」


 少女は木桶を畳の上に置くと、障子の向こうに消えていった。

 他に、粉薬に水差し、作務衣と思しき着替えも用意されていた。

 道隆は再び天井を向くと、ため息をついた。


「生き延びちゃったか……」




 縁側から見える塀の上の夜空には、薄雲が掛かっていた。


「…………」


 座椅子に座らされた道隆は、視線を目の前の料理に戻した。

 少女が言っていた通り、料理はうどんだった。

 しかし、中身がすごい。

 月見卵と牛肉、刻んだキャベツ、ワカメに餅、椎茸、つみれ、かまぼこ、それに揚げが三枚。

 そのなみなみと盛られた具のお陰で、汁の下のうどんがほとんど見えなかった。

 ついでにこの巨大な丼は、特注なのだろうか?

 さらに、二人の間には、海老天や芋天などの天ぷらが山のように積まれた皿が置かれ、ご飯らしきお櫃とお茶碗も用意されている。

 ……消化にいいとか、そういうレベルの話ではないような気がする。


「食べないんですか?」


 丼を手に持ち、同じうどんを箸で啜っている少女が首を捻った。

 量に関しては、何ら疑問がないらしい。

 ……それにしても、箸の早さが尋常ではない。


「いえ……ありがたく頂戴します」


 確かに栄養は付きそうだ。

 ただ、ゆっくり食べないと胸焼けを起こしそうではあったが。

 二人でズルズルとうどんを食べていると、少女が尋ねて来た。


「どうして、あんな所に倒れていたんですか?」


 そうだ、それがあった。


「ちょっと事情がありまして……」


 さて、どう説明したものかと道隆は迷った。


 道隆が所属していたのは、一種の学究機関だ。

 ただ、世間一般には知られていない。

 魔術組織、秘密結社という呼び方もある。

『塔』と呼ばれるこの機関の目的は『世界の理の探求』だ。

 この世界に確実に存在し、だが未だ解明されていない『魔法』の研究を行なっている。

 それは、書物の積み重ねから解き明かされるモノもあれば、人の直感と閃きから発見されるモノもある。

 だから、この機関での主な研究方法は、理論派と実践派の二系統に分かれていた。

 道隆はこの『塔』で生まれ、子供の頃から『研究命題(テーマ)』を与えられていた。

 それは『数と記号』だ。だが、数学かといえば、そうでもない。

 例えば1、2、3という数字があるが、これは一位、二位、三位という数に解釈すれば、1が優位に立つ。だが、一万円、二万円、三万円ではどれがもっとも価値があるか。しかし、一万円が無価値かといえば、そうでもない。

 その法則性についての研究だ。

 そして、彼は研究材料にトランプを選んだ。全五三枚という限定された数も好きだったし、様々な応用も利く。それに、どこにいても研究が出来るという携帯性も望ましいものだった。

 だが、それだけなら道隆も『塔』から逃げ出したりはしなかっただろう。


「答えられる範囲でいいですよ? 無理強いはしません」


 少女の促しに、道隆は頷いた。


「僕はとある学問の研究をしているんですが、これは少々説明が難しいんですよ。所属している個々で異なりますし」

「国語とか理科とか、そんな風にですか?」

「もっと細かいんですけどね。僕の場合は数学が近いかもしれません」

「すーがく……ああ、算数ですね!」

「まあ、その解釈でもいいです。ただ僕の学ぶそれは、数や記号そのモノの研究なんですよ」

「え、数って記号ですよね?」

「時々、メチャクチャ鋭い指摘(ツッコミ)入れますね!? ええと……」

音羽(おとわ)霧香(きりか)です。この神社で宮司をしてます」


 宮司といえば、神社で一番えらい神主だ。

 こんな若いというか、もはや幼いレベルの少女に務まるのかと首を傾げる所だが、田舎だし何らかの事情があるのかもしれない。

 深く聞くのも失礼かな、と道隆はそれ以上を尋ねなかった。


「これはご丁寧に、深海道隆です」


 頭を下げながら、ふと気になった。


「他に、この神社で働いている者はいないんですか? 他に、人の気配がしないんですけど」

「ええ、古い上にボロッちい神社なもんで。私一人です。《・》ま()()()()()()()()()()()()


 何か妙に引っかかる言い方だったが、それでは何だかまるで人以外はいるみたいだ。

 ちなみにボロっちいと取るか歴史を重ねた建物と取るかは、人それぞれだろう。


「一人で神社の切り盛りは大変でしょう」

「そうですね。男手があると、助かるんですけど……」


 霧香は恥ずかしそうに笑った。


「ええと、何の話でしたっけ」

「ツッコミがどうとか」

「その前です。ああ、そうそう僕の研究というのは数や記号そのモノの研究で」

「数って記号……」


 さすがに道隆は、手を突き出した。


「話が進みません。ここではそうですね……ああ、これが出たか」


 突き出した手の中に、カードを出現させる。

 適当に選んだそれは『クラブの4』だった。

 それを、霧香は物珍しげに眺める。


「変わったお札ですね。ペラペラしてます」

「え、トランプ知らないんですか?」

「とらんぷ?」


 こてん、と霧香は首を傾げる。

 本当に知らないらしい。


「このカードです。他にもこんなのがあります」


 テーブルの上に、道隆はカードを広げた。

 もっとも枚数は残り少なく、七枚ほどしかない。


「数字がバラバラですね。あと何だか変わった印も三種類あります」

「本来は四種類なんですけど、あいにくとハートは切らしていまして……えーと、まあ最初に出たこれです。『クラブの4』。クラブというのはこの、樹木みたいな(マーク)です」

「はい」


 持ち上げた『クラブの4』を前に、霧香は生真面目に頷いた。


「では、4と聞いて何を連想しますか?」

「……不吉な方の『()』でしょうか?」

「そうですね、漢字圏の人は割とそれを多く連想します。アパートなどでも四は不吉とかで、3の次に5を部屋番号にする所も多いとか聞きますし」

「ふむふむ。アパートって何ですか?」

「そこ!? ええと、一つの建物に複数の家族が住む形態で……」


 予想外の質問に何とか答え、話を戻す。


「とにかく『4』が不吉とされる一方で、『四』つ葉のクラブと言えば、幸運の代名詞です。なら、このカードは『幸運』を表します。では次にこれですが『スペードの3』です」

「この菱形がすぺーどですね、分かります。むふん」


 得意そうに、霧香が鼻息を荒くした。


「はい、そうです。で、この『3』ですが何か思いつきますか?」

「3……んんー、さ、三すくみ?」

「なるほど、でも他にこういう解釈もありませんか? 『耳の形』」

「おおっ」

「本来なら『3』を二つ揃えて『33(みみ)』が正しいんだろうけど、片耳でも充分効果があります。そしてようやく本題。僕の学問というのは、ただの連想ゲームではなくて……」


『スペードの3』が空気に溶けるように消滅すると、縁側の向こうのコオロギや鈴虫の音が高く響き始めた。


「虫の音がすごく聞こえるようになりました!!」

「スペードは風を象徴するマークでもありますから、効果は増幅されるんですね」

「ふああああ……深海さんは、術師さんなのですか」


 まるで犬か何かのように大興奮の霧香だった。

 尻尾があればおそらくぶんぶんと振っているだろう。


「それはお互い様でしょう、音羽さん。この建物の周囲に張られているのって、人払いの結界ですよね」

「ぎくぅっ!?」


 あたふたしだした霧香を、道隆は苦笑しながら制した。


「いやいや、命の恩人ですし、何かの罠って事もないでしょうから、特に何もしませんよ。それにだからこそ、僕も手の内を明かしたんですし。でまあ、僕のこの傷の説明はまだ途中です」


 包帯の巻かれている脇腹を、軽く撫でる。


「あ、そうでしたね」

「魔術の勉強っていうのは二種類ありまして、要は知識と実践です。数や記号の意味を蓄えるのが知識なら、魔術の行使が実践です。でも、魔術の実践の場ってどこでしょうね」

「えっと……?」

「話は変わるようで実は変わらないのですが、魔術のインスピレーションが働くのはどんな時だと思いますか? 例え話としては、3が耳に見えるぞ! って思いつく時とかなんですけど」

「お風呂に入っている時です!」


 音羽霧香、即答であった。

 悪くはないが、道隆の正解とはちょっと違っていた。


「それはそれで結構働きますけど、僕がこれを思いついたのは開戦前の米国で、あちらの諜報員と戦り合っている最中でした。つまるところ、命のやりとり、瀬戸際崖っぷちには、恐ろしく閃きの感度が高まります。生き残るのに必死ですからね」


 風呂やトイレといったリラックス出来る空間というのも閃く事はよくあるが、何よりも生命の危機というのは頭の働きが尋常ではないほど高まる。高まってしまうのだ。


「僕の所属していた学究機関『塔』では、だから戦場に積極的に介入し、魔術の行使を推奨していました。……僕は本当に気が進みませんが、困った事にすごく効果は高いんですよ」

「でももう、戦争って終わりましたよね?」

「大きな戦争は終わりましたが、闘争というのは今でもどこにでもあるんですよ。ヤクザの抗争だったり、各国の諜報員の暗躍だったり、どこかの研究所の破壊工作だったり、妖怪や魔物退治だったり、魔術師同士の殺し合いだったり……最後のが一番多いんですけど、とにかく人を殺すのが平気になっちゃ駄目です」


 道隆は言葉を切った。

 少女はふむ、と頷いた。


「つまり、ええと……深海さんは人殺しが嫌で、その『塔』という組織から抜けようとした。でも、追っ手を差し向けられて、手傷を負った……という事でしょうか?」

「はい、そういう事です。皮肉な事に『実戦』で長く研究していると、研究者自身が歴戦の戦士となってしまうらしく、どうにか生き延びられてきました」

「運がよかったですね。あのまま倒れていたら、普通にお亡くなりになってました」

「ええ……ですが、ここも危なくなりますから、明日には出立させて頂きます。お世話になりました」


 道隆が頭を下げると、霧香は慌てて身を乗り出した。


「駄目ですよ! 道隆さん、今は痛みが麻痺して分からないかもしれませんけど、ひどい怪我なんです! そんな身体で動いたところで、すぐ倒れちゃうのがオチです!」

「そうは言われても……」


 その時、音もなく道隆の背後に現れた黒い鬼面にシノビ装束という不審者が現れた。

 ほとんど無意識に道隆の身体は動き、頭上に突き出した箸が相手の顎下を貫く。半ば腰を浮かせて背負い投げの要領で、テーブル目がけて投げ落とした。

 襲撃者の身体が投げ込まれた事で、テーブル上に広がっていた食事が散らばってしまう。


「ご飯を無駄にしてごめん!」


 道隆の肉体は瞬時に戦闘向けのそれへと切り替わり、テーブルをまたいで霧香を庇っていた。


「嘘だろ。気配なんてまったくなかったのに……!?」


 さっきの『スペードの3』でも異音はなかった。

 そうこうする内に、鬼面の襲撃者達は五人ほどが道隆達を取り囲んでいた。

 片腕だけが長かったり、頭が異常に大きかったりと人としての形はバラバラだが、服装は統一されている。


「鬼の面……さしずめ隠形鬼ってとこか」

藤原(ふじわらの)千方(ちかた)の四鬼ですね。とすると、他に金鬼、風鬼、水鬼がいる訳ですか」

「そういうのは、知ってるんだ」

「一般知識レベルです。えへん!」

「多分、僕の知ってる一般知識とちょっと違うと思う」


 隠形鬼とは平安時代、藤原千方という豪族が従えたという四人の鬼の一つだ。

 鬼の中でも最も気配断ちに長けた鬼である。


「それで道隆さん、この人の家に土足で踏み込んできた失礼な方達は?」

「『塔』の構成員。その中でもまだ個人の『研究命題』を与えられていない、門弟クラスの連中です」

「つまり雑魚ですか?」

「サラッと毒吐くなあ……メッチャ怒ったよ、コイツら」


 道隆は魔術を使わず、体術のみで敵の攻撃を回避する

 まだ無事だった取り皿を円盤のように投げ放ち、襲撃者の一人にぶつける。

 座布団を蹴り飛ばし、相手をつんのめらせる。

 さらに畳返し。

 敵の主な得物は短刀だが、斬り付けられる事をまったく恐れず、次々と鬼面達を倒していく。

 そうこうする内に、金の鬼面、緑の鬼面、青の鬼面を被った襲撃者まで増えてきた。


「でもまあ、雑魚でも大体間違ってない。こうした連中は仮面を被って魔術師の下働きをするんだけど、コイツらは例えるなら鬼面衆って所だろうね。集団で『鬼』の研究を行っているって所か」

「それにしても、格闘戦も慣れていますね」

「手元の道具を何でも武器にする暗殺者の知り合いがいて、ちょっと手ほどきしてもらった事があるんですよ」


 集団での研究の方が一見効率がいいように思えるが、逆に言えば個人で『研究命題』を持つ者達は大抵、彼らを超える働きを見せる。

 ならば、その個人で集団を圧倒する概念魔術師達で、集団研究をすればいいのではという話にもなるのだが、魔術師は基本的にアクや我が強いので、そういう互換性も効かないのだった。

 ただ、集団戦法というのはやはり有効で、死角からの攻撃などの効果的な襲撃方法を有している。

 そう、正にこの時、道隆の背目がけて、水鬼の一人が強烈な水流を叩きつけようとしていた。


「道隆さん!!」

「いや、このレベルなら、問題ないよ」


 焦る霧香に、道隆はまったく平然としていた。

 ただ、霧香に攻撃が当たらないように、彼女を自分の前にやる。

 それとほぼ同時に、岩すら砕きそうな水流が道隆に浴びせられ――何枚もの『ハート』の札へと変化した。


「水がカードに……?」

「『ハート』が足りなかったんで、正直ホッとしたよ。『ハート』は杯、つまり水を表す――銃弾も無駄だ」


 金鬼達が拳銃の引き金を引くが、道隆に当たる弾は全て『矢』を意味する『スペード』や『金属』を意味する『ダイヤ』へと変わってしまう。『クラブ』になるのはその形の由来の一つが『ドングリ』であるとされ、銃弾が似ているからか。

 そうして相手の攻撃が無効化され、道隆の一方的な蹂躙が始まる。

 霧香を守り、(カード)を補充しつつ、その体術で一人また一人と鬼面衆が倒していく。

『ハート』の札を使用して己の肉体も『回復』し、動きのキレもさらによくなってきた。

 敵わないと悟ったのか、彼らは道隆から距離を取り始めた。

 それでも、撤退しない辺り、まだ上に指揮を執る人間がいるという事か。


「『どうやって倒せばいいんだよこんな奴』って反応していますね」

「だったら今の内に、隙を作ります。逃げますよ!」


 補充した札の中から、『クラブの8』と『ダイヤの8』を選び抜く。


「『88(アハト・アハト)』」


 居間の中央に、大戦中にドイツ軍が使用したという大口径の高射砲が出現する。

 その質量で床は残っていた畳ごと崩れ、最初に道隆に倒された隠形鬼は気の毒に、それに押しつぶされる羽目になった。


 ドゥンッ!!


 爆音とともに重量のある弾丸が縁側の方角目がけて射出され、その斜線上にいた鬼面衆は慌ててそれを回避した。

 その隙を突いて、その開いた空間を道隆と霧香が駆け抜ける。

 二人は、夜の闇に身を投じ、スピードを緩めず森の中を素足のまま疾駆した。

 もちろん、鬼面衆が素直に逃がしてくれるはずもなく、後ろから追跡してくる気配は感じていた。


「霧香さん、僕が時間を稼ぎますから先に逃げて下さい」

「分かりました!」


 一切の躊躇なく、霧香は先を駆けていく。

 その思い切りの良さに道隆は苦笑いを浮かべながら、『ハートの5』と『クラブの6』を出現させる。

 足を止めて振り返りながら、


「『56』式自動歩槍!!」


 出現したアサルトライフルの引き金を引いた。

 拳銃とは比較にならない威力の速度と威力の弾幕が、鬼面衆に襲いかかる。

 道隆は、手応えとともに、残っている敵達が森の端々に身を潜めるのも感じていた。


「高射砲だの銃だのテメエ、それでも魔術師の端くれかよ」


 その声は、頭上から聞こえた。

 木の上……いや、さらに高い位置だ。

 夜空には、濃紺色(ネイビー)のジャケットを羽織った魔術師が、呆れた表情を浮かべながら宙に浮いていた。


「やあ、長尾君か。傷の具合はもういいのかな」

「自分の心配をしな。それと確かにアンタの方が年上だが、君付けはやめろ」

「じゃあ、長尾」

「……アンタには、色々とペースを狂わせられるな。お前達、足止めご苦労だったな。だが、もう分かっただろう。コイツ相手に普通の武器はほとんど役に立たない。腹を括れ」


 長尾成海が指を鳴らす。

 その途端、森に潜んでいた鬼面衆の殺気が膨れあがった。


「っ!?」


 闇の中から姿を現した彼らは、鬼の面を外していた。

 しかしもはや、面は必要ない。

 かろうじて人の形こそ取ってはいるモノの、その目は血走り、口元からは牙、手の先の爪も伸び、ただでさえ異形だった彼らは正に人外のモノへと成り代わろうとしていた。


「姿が……」

「そいつらはまつろわぬものの末裔でな。土蜘蛛、アラハバキとも呼ばれる、鬼という存在の祖の一族だ。その血を『成長』させる事によって……」


 長尾の魔力が高まるにつれ、彼らの姿はさらに変化を遂げていく。


「鬼面衆は、比喩ではなく言葉通りの集団と化す。確か前に、えらい生物の学者さんが教えてくれたよ。()()()()がどうとか、ちょっと難しくてロクに憶えちゃいないがね」


 ヒトの遺伝子、その可能性に長尾成海が何らかの干渉をする事により、従来のヒトを超えた生命体へと、鬼面衆は変貌を遂げていく。

 額からは角が生え、筋肉の膨張によって腰回りを除いた服がはち切れる。

 苦悶からか昂揚からか、彼らは高々と咆哮を上げた。

 道隆は悟った。

 長尾がこれ見よがしに夜空に浮かんでいるのは、この術のためだったのか。


「彼らの人格はどうでもいいんですか」

「勘違いするなよ、深海道隆。そいつらも承知の上だ」

「……そうだ。化物と蔑まれてきたオレ達が……今更人の形に拘る道理などない! 頭領のお役に立つなら本望よ!」


 補佐が掠れた声で叫び、本物の鬼と化した鬼面衆が、道隆に殺到する。


「ちぃっ!!」


 アサルトライフルで迎撃するが、弾切れを起こしたそれを廃棄する。

 代わりに体術とカードで鬼達に対抗する……が、カードの補充は出来ずにいた。


「ふん、例え銃弾や術が効かなくても、爪や牙をカードに変える事は出来ないようだな」

「そうかもしれない。けど『トランプの』――」


 道隆はバラリと十数枚のカードを展開した。

 彼の言霊に応え、カードが光り輝く。


「『兵隊』!!」


 声と共に、全身甲冑の兵士達が出現した。白を基調にし、肩にはそれぞれの記号(スート)と数字が刻まれている。武器は皆、斧槍(ハルバード)だ。

 兵士達と鬼がぶつかり合う。

 一瞬拮抗したが、軽く弾かれたのは兵士達の方だった。

 人間相手なら束になっても勝ち目のない兵士達でも、鬼を相手にしては分が悪いようだった。


「ならばっ!!」


 道隆が使用したのは『ハートのA』だった。

 ただし、本来とは違う逆さま――つまり逆位置での発動を行った。


「黄泉の邪祓う仙木の果実よ、鬼を退けたまえ――『桃』!!」


 その効果は絶大で、明らかに鬼達は怯み始めた。

 逆に兵士達は勢い付き、今度は鬼達が押され始める。


「それでも、その兵の数ではこの数を一度に相手には出来ん! 全員で畳み掛けろ!」


 長尾にとって、最初から多少の不利は覚悟の上だった。

 それでも、最強の対集団魔術『トランプの兵隊』を切らせたのは大きいし、()()()()()()()()()()()()()()

 要は、魔術の核となる道隆さえ討ち取ればいいのだから。

 そしてその手段は、地形にあった。

 木の上に潜んでいた鬼と化した部下達が、頭上から直接道隆を襲う。

 その数は五人。

 資料にある限り、道隆に複数を相手にする術はもう無かったはずだ。『クイーン・オブ・ハート』の核となる『ハート』の『Q』は、道隆自身の回復に使用されていたのも、確認済みだ。

 そのせいで道隆の動きのキレは完全に戻っているが、それでもあの数の鬼は捌き切れまい。

 しかし――その予想は覆された。


「……何だと?」


 道隆を襲おうとしていた部下達が、彼に辿り着くより前に、次々と力尽きていく。

 頭上攻撃を仕掛けた鬼だけではない、兵士達とやり合っていた、補佐も含めた部下達も同様だ。

 兵士達の前に、苦悶の表情を浮かべながら倒れていく。


「どういう……事だ」


 呻きながら、長尾は道隆を見下ろした。

 道隆の正面には、三枚のカードが光を放ちながら宙に浮いていた。

『ダイヤの4』、『クローバーの4』、『スペードの4』だ。

 即ち、三枚の『()』。


「……『吹き荒れる()(カード)』。数の価値は何も順序だけじゃない。並べる事に意味が存在する場合もある。麻雀の順子(シュンツ)刻子(コーツ)と同じでね」


 そしてそれを言うなら、『88(アハト・アハト)』は対子に当たるのだろう。……もっともその理屈では、『56』式自動歩槍は何なのかという話にもなるのだが。

 重要なのは数字の『意味』、それに『強調』にあるのだ。最たるモノは、幸運を示す『7』、それを三つ揃えた『777』であろう。

 ともあれ、『トランプの兵隊』を維持している魔力は切れ、兵隊達は消滅していく。

 まだ追加戦力が残っているかもしれない。

 その前に、長尾を倒す必要があった。

 道隆はカード『スペードの9』を取り出すと、それを滞空する長尾に向けて投げ放った。


「はっ……その程度の攻撃は、まるで効かん」


 しかし、その矢は長尾に辿り着くより前に周囲に渦巻く強風に阻まれ、次々と地面へと落ちていった。

 まずいな、と道隆は思った。

 長尾が精霊魔術師ではなく、道隆と同じ概念魔術師だという事は知っている。

 問題は、彼が『何を研究』しているかだ。

 例えるなら道隆自身の手札は知られているのに、相手のカードが何なのかいまだに分からないままなのだ。

 何となく、この風の正体は分かる。

 風が発動する前に、長尾が息吹を放っている……それが、この魔術の種。

 だからといって、長尾の概念魔術がストレートに『風』という事もないだろう。もしそうなら、さながら鬼へと『変態』したかのような部下達の説明がつきにくい。


「ふん……」


 長尾が『強風』を使って周囲の大木を根こそぎ引き抜き、道隆に向けて飛ばしてきた。


「ぐっ……!!」


 道隆は直接風を受けないように走り、大木を回避する。

 それでも食らってしまう突風は何枚もの『スペード』の札に、大木もまた複数枚の『クラブ』の札に変わっていった。

 道隆にもまた、長尾の攻撃は通用しない。

 だが、道隆には余裕がなかった。


「こちらの攻撃も、この程度が効かない事は分かっているさ。だが、()()()()持つ?」

「っ!!」


 見抜かれている。

 表情に出てしまったのか、宙に浮いたまま長尾が嗤う。


「やはりか。その攻撃無効化……永久に持続する訳じゃあない。もしそうなら、避ける必要なんてないはずだからな」


 四つの記号(スート)のカードの枚数はそれぞれ十三枚。

 つまり、(スペード)を一度に無効化出来るのは、十三枚分までだ。

 威力か回数かは、道隆の感覚次第なので何とも言えないが、それ以上となると一度カードを破棄する必要がある。もしくは使用でも構わない……が、とにかく十三枚以上には出来ない。

 例外は、他の記号(スート)も揃えた五二枚ワンセット揃った場合は、瞬時に次の十三枚の補充という形でカード化は可能となる。

 とはいえ、現状でそれを望む事は出来ない。

 ゴロゴロゴロ……。

 天空から響く異音に、思わず道隆は夜空を仰いだ。

 いつの間にか、月が輝き星の瞬いていたそれは雲に覆われ、その隙間から何度も強烈な光が迸っていた。


「雷雲……?」

「まだまだ、もっとだ……!!」


 稲光が繰り返され、轟音が響き渡る。

 そして、長尾自身にも変化が現れ始めていた。

 額から二本の角が生え、全身が濃緑付いてくる。

 全身から稲妻が駆け巡るその様は、さながら雷鬼だ。


 道隆の脳裏に、長尾の『研究命題(テーマ)』が閃く。

 鬼の祖と言われる『まつろわぬもの』達の鬼化――『変態』。

 長尾の漏らす吐息から生ずる大風――『増幅』、。

 そして、さっきまでほとんどなかった雲の急激な――『発達』。


「『進化』……いや、これは『成長』の概念魔術……!! 君のそれはさしずめ『頭角を現す』か!」

「その通り! 『成長』とはすなわち『強くなる』事。オレはこの力で、再び我が一族を興してみせる!」


 長尾が、手に持っていた布袋を解く。

 中にあったのはやはり刀――それも、古刀と呼ばれる種類のモノだ。

 その鞘を抜き、妖しい光を放つ刃を雷雲目がけて掲げる。


「そして雷をカード化出来るなら――やってみせろ!!」


 長尾が、刀を振り下ろした。

 光の龍が天から降るような勢いで、雷が道隆に直撃する。

 ドゥンッ!!

 遅れてやってきた落雷音と共に世界が一瞬、白に包まれた。


「やったか……?」


 目を細めた長尾が見下ろす先には、濛々とした土煙の中にたたずむ黒い人影(シルエット)

 その姿は落雷を食らう直前とまるで変わらない、道隆の姿だった。

 それが、不意に掻き消えた。


「なっ!?」

「君の魔術が『強さ』なら、僕の魔術『数と記号』は無限の……それこそ人の数だけある『可能性』だ。多分僕一代では、とうてい研究し尽くせないだろうね。長尾成海……命のチップは張り切ったか?」


 消えた『道隆』から、わずかに離れた場所に、三枚のカードを消費した道隆が立っていた。


「『嘘』の『538』――」


 その周囲には、十三枚の『ハート』の札が円を描いている。

 道隆は、拳を固めた左腕を前に突き出し、右腕は後ろへと引き絞る。

 それはさながら、矢を放つ弓手の構え。


「その術は……!!」

「――からの『一気通貫(イッツー)』!!」


 道隆が『矢』を解き放つ。

 十三枚の『ハート』の札が赤い槍と化して螺旋を描きつつ空を駆け――長尾の身体を貫いた。

 間違いなく致命傷(トドメ)の一撃だ。

 十三枚、それも同じ記号(スート)(カード)を使用する大魔術『一気通貫』。あらゆるモノを貫くそれは、道隆の使う攻撃魔術の中でも最強といっても過言ではない。

 長尾が力なく、空から堕ちた。

 天を覆う雷雲が散り、再び月の浮く星空が姿を現し始めた。


「あ、危なかった……」


 やや離れた所に倒れる長尾を見、道隆は大きく息を吐いた。


「安心するのはまだ早いだろう!!」

「がっ!?」


 成海の声と共に、背中に衝撃が走った。続いて激痛。

 たまらず跪き、背中の痛みの原因を確かめる。

 どうやら、刃物を刺されたらしい。

 疑問は幾つがあるが、その最たるモノはゆっくりと立ち上がる雷鬼――長尾の無事だ。


「ど、どうして……」

「オレの研究命題(テーマ)には気づいたはずだろう? 戦うたびにオレは()()()()()()()()()()。一度食らった技は、二度と通じない!!」


 長尾は道隆から距離を取ったまま、身体の土埃を払った。


「……今回は『成長ホルモン』の分泌促進で、治癒力を上げる必要はなかったな」


 それが、前の戦いで長尾が生き残れた理由でもあった。

 すると、道隆の中で別の疑問がわき上がってくる。

 背中の激痛の理由だ。

 まだ、『ダイヤ』のカードの空きは残っていたはずだ。

 なのに、何故……。


「金属を『ダイヤ』のカードに変える魔術(ちから)。だが例外もある。魔を祓う『銀』のナイフの変換はやはり、無理らしいな」


『銀』は『聖』なる金属だ。

 教会の儀式や結界破りに使用され、狼男には銀の弾丸しか効果がない。

 道隆の魔術が通じないのも、道理であった。

 ズラリ、と長尾が手の中に銀のナイフを並べる。

 その数、十本。

 その銀ナイフを、長尾は道隆目がけて投げ放った。


「これでトドメだ、銀刃嵐(シルバー・ストーム)!!」

「がああああっ!!」


 道隆を中心に、強風が渦を巻く。

 電光と銀光が奔り、道隆の身体を灼きながら斬り刻んでいく。

 きっかり一分で、長尾は己の魔術を緩めた。

 風が止み、ナイフが地面に落ちる。

 そして、ドサリと倒れるそれはもはや、人の形をした血色の塊だ。


「手間を取らせてくれたな」


 長尾は古刀を振り下ろし、道隆の首を容易く切断した。

 そして懐から、小瓶を取り出した。

 その中身、聖油を道隆の亡骸に振りかけてると、火のついたライターを落として、それを燃やした。

 火に風を乗せる事により、『火』よりもむしろ『熱』を『成長』させて、道隆の身体を完全に焼き尽くす。


「これで任務完了か」


 ボソリと呟き、長尾は道隆の身体に足を引っ掛け、仰向けにさせた。

 首まで切断したのだ。

 おそらく完全に死んでいるだろうが、それでも魔術師の場合、万が一という事がある。

 全身黒焦げで、白目を剥いた死体。

 脈も確かめたが、やはり死んでいた。

 これで、この仕事も終わりだ。

 大した感慨も無く、長尾はポケットから煙草を取り出した。

 そして、ライターは今、死体を焼くのに使った事を思い出した。


「チッ……」


 長尾は、舌打ちをしながら焼けた死体から巻き上がる、細い黒煙を見上げた。

 ピクリ。

 視界の端で、何かが動いたような気がした。

 ……森の小動物か?


「!!」


 緋色の何かが視界に入り、長尾は後ろに飛び退いた。

 一瞬前まで長尾が立っていた位置を、炎の鞭が薙いだ。


「馬鹿な……」


 呟く長尾の煙草が炎の鞭を受け、根元まで黒炭に変化していた。

 死体はもはや死体ではなかった。死体ならば動くはずがない。首もいつの間にか繋がっていた。

 長尾の足元の地面が揺れた――かと思うと、轟音と共に周辺から巨大な火柱が幾つも上がった。

 長尾は何が何だか分からなかった。

 だから、難しいことを考えるのはやめた。

 確実に分かることは、ここは危険だということだけだ。

 彼は、『風』を成長させ、宙に飛んで戦線を離脱――しようとしたが出来なかった。

 いつの間にか頭上に移動していた黒焦げの死体が、長尾に向けて無数の炎の鞭を放ったのだ。


「うおおおおっ!!」




「こ、これは……一体?」


 銀のナイフを自分の背中に刺した後、突如攻撃を止めて、のた打ち回り始めた長尾の姿に、道隆は呆然としていた。

 何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。


 きゅーん……。


 聞き覚えのある鳴き声に視線を向けると、小ギツネが森の茂みからこちらの様子を伺っていた。

 小ギツネは道隆に駆け寄ると、その背に回り、口で銀ナイフを引き抜いた。

 そして彼の前に回り込むと、得意そうに銀ナイフを置いて尻尾を振った。


 きゅんきゅん。


 道隆は、まったく怯える気配のない小ギツネを、自分の眼前まで持ち上げた。


「霧香さん、どうして逃げなかったの!!」

「この姿で、何で見抜いちゃうんですか道隆さん!?」


 もう小ギツネ霧香さん、ビックリの体であった。


「あ、やっぱり霧香さんなんだ。いや……流れ的に君が原因っぽいし、助けが入るにはご都合主義すぎるでしょ? 本当にただの小動物なら返事しないだろうし、駄目元で言ってみただけなんだよね」

「策士!?」


 ビンッと小ギツネ霧香の狐耳が跳ね上がった。

 道隆は魔術師であり、様々な神秘を目にしてきた。

 小ギツネが喋ったり人間になる程度は、『よくある事』なのだ。


「で、何で戻ってきたの」

「えっと、元々そのまま逃げるつもりはなくて、一旦離脱して戻ったら、単純に挟み撃ちになるかなーと」

「……人を策士って言うけど、君も大概だと思うよ? 実際助かったけど。それで君の正体は、この山に棲む妖怪の類って事でいいのかな?」

「種族・妖狐のキリカです! 名字は昔、あの神社に住んでた人のモノですよ。ちなみに人間には夜しか化けられませんし、しかも今は化ける分の霊力を使って攻撃してますから無理なのです」


 攻撃といえば、二人の前で苦しみ、見えない何かと戦っている長尾だ。

 火などどこにも無いはずなのに、その身体が突然燃焼し始めた。


「それでこれは、どういう術?」

「幻術です、むふんっ」


 幼妖狐の霧香は、得意げに尻尾を振った。




 灼熱の苦痛とパニックの中にいながらも、長尾は必死に考えていた。

 悪い夢のようだった。

 そう、こんな事は起こるはずが無い。

 だが、実際に今、自分の身体は炎に焼かれ、朽ちようとしている。

 意識が生と死の狭間で明滅を開始する。

 長尾の命は保って、あと数秒だった。

 だが、それでも長尾の頭脳の一部は考え続ける。

 起こるはずのない事が起こっている。

 何の伏線もなしに、こんな死に方は認められない。

 道隆がこんな術を使うなどという報告は聞いていない。もしかしたら『切り札』として隠していたのかもしれないが、考えにくいことだった。

 炎はまだ『クラブ』の札と受け入れよう。

 しかし黒焦げになったまま、動けるとは思えない。

 ならば、第三者の可能性……一体誰が?

 現実とは思えない術だ。

 自分の『成長』で起こした風すら無効化させる炎の嵐。

 道隆ではない。長尾でもない。部下は全員戦闘不能だ。

 ならば。

 部下からの報告を思い出す。

 この山に入ってから、唯一戦いの中では未登場の者がいる。


「……そうか。あの女かっ!!」


 朽ち行く直前に、長尾は炎の中で答えを出した。




 道隆は小ギツネ状態の霧香の身体を抱えて、森のさらに深くへと走っていた。

 その背後で、派手な地響きがした。


「な、何だ!?」

「分かりません! それより傷は大丈夫ですか!? 苦痛はない筈ですけど!」

「あ、ああ……」


 確かに霧香の言う通り、ひどい傷にも関わらず、何故か身体に痛みは無かった。

 しかし、この痛みの無さはむしろ全身麻酔の無痛に近い。

 何しろ、彼女と繋いでいる手の感覚も無ければ、走っているというのに足元の感覚も無いのだ。


「幻術って便利だなあ」


 ただ、過信は禁物だ。

 痛みがないだけであって、これまでの戦いの疲労やダメージは、実際には肉体に蓄積されている。

 いつ、動けなくなってもおかしくはない。


「ありがとうございます。でも、それより、もっと山の奥へ急ぎましょう」

「そっちに行けば、助かるんだよね」


 それが霧香の提案だった。

 細かい打ち合わせをする余裕はなかったが、助けてくれるアテがあららしい。


「はい! 絶対じゃないですけど、逃げ回るよりまだマシです。あの人、メッチャしつこそうですし。あのままぶっ倒れてくれると助かるんですけど」

「……そうだとしても、別の追っ手が来る可能性があるんだよな」

「だから、それを何とかするんです!」


 山奥には何が棲んでいるのだろう、文字通り鬼が出るか蛇が出るかの世界だ。

 何て事を考えていると、空から降ってきた何者かが、地響きと共に二人の前に降り立った。

 長尾だった。




 ……どこを目指しているのかは知らないが、何とか深海道隆に追いつく事が出来た。

 長尾の今の姿はひどい物だった。

 髪はチリチリになり、全身が焼け焦げていた。その所々にケロイド状の火脹れも存在している。おそらく皮膚呼吸も満足に出来ないだろう。

 服も半分以上、焼け崩れていた。

 だが、それでも長尾は生きていた。

 満身創痍ながら、古刀を杖にして立っていた。


「……やってくれたな、小娘」


 深海道隆の抱く小ギツネが、神社にいたという娘である事を長尾は疑いもしない。

 自ら銀のナイフを突き刺した太ももが、ズキズキと痛む。

 しかし、その痛みが幻術を破ったのだ。

 そもそも今更、傷の一つや二つ増えた所でどうという事はない。


「山や森に住む狐狸の類には、幻術や不老長寿の術を使うモノがいる。それを失念していたオレも迂闊だったが深海、貴様どうやってそこの牝狐(めぎつね)を手懐けた」

「……牝狐?」


 道隆は眉間を寄せ、抱えている小ギツネを見下ろした。


「……何か、霧香さんのイメージと違う気が」

「超失礼ですよ!? この姿でもレディです!  将来は傾国の美女になるはずです! 多分!」

淑女(レディ)は牝狐とはあまり言わないし、人間の姿でも牝狐はなぁ……」

「まだ成長途上なだけですよ!!」

「『成長』……」


 ハッとした道隆と霧香の視線が、『成長』の概念魔術師に向けられた。


「ふざけるのも大概にしろ!!」

「ふざけてません! 私にとっては今後に関わる重要な事なんですから!」


 小ギツネ霧香、尻尾をぶんぶん振ってお怒りである。


「お前達に、今後などない!」

「させませんっ!!」


 長尾の投げ放った銀のナイフと、霧香の発生させた火球がぶつかり合って、相殺される。

 どうやら攻撃手段は幻術だけではないらしい。


「狐火か、小賢しい!」

「これならどうですか――!!」


 こちらの銀ナイフを迎撃する複数の火球を放ちながら、小ギツネの瞳が一瞬金色に輝いた。

 しかし、すぐにその顔が何かに気付いたように強張った。

 長尾の口から自然と嘲笑が漏れた。


「幻術はもはや通じん」

「ど、どうして……!?」


 ふぅ……と息を吐いてから、長尾は記憶にある知識を引き出した。


「幻術とは五感へ錯覚現象を発生させる術だ――」


 人間の脳は電気信号の伝達で働いている為、これに干渉する事で幻覚や幻聴が生じる。

 そして問題なのは、いわゆる暗示効果。

 通常、肉体の損傷から痛覚神経を伝達して『痛み』と言うモノを人間は自覚するが、幻術の場合、逆の現象を引き起こす事が出来る。

 つまり『痛み』を与える事により、肉体を損傷させる事が出来る

『火傷をした』と思い込む事で、火傷と同じ症状が肉体にフィードバックするのだ。


「――原理は書物で読んだことがあるが、身を以って味わったのは初めてだよ。だが要するに、電気信号への干渉による異常な訳だろう、毒電波使い? 身を以て理解したぞ。そして――一度食らった攻撃は、オレには二度と通じない」


 これで詰みだ。

 道隆も見たところ、カードの余剰はもうない。

 予想外の戦力だった小ギツネの手も、もう品切れだろう。


「霧香さん……!!」

「まだです。終わっていません!!」


 霧香が道隆の腕を抜け、地面に降りた。

 ゾワリ……と周囲の森が蠢く。

 新たな術……いや、これもまた幻術だ。

 ただし長尾が食らった訳ではない。

 霧香が幻術を仕掛けたのは……。


「そう来たか。植物もまた生物だ。そちらに干渉したと言う訳だな」


 周囲の木々が、枝を、蔓を、根を蠢かせて、長尾を襲う。

 が、それらは長尾に届く前に、力を失った。


「な……!?」

「そして正体が割れたなら、対策も容易い」


 長尾は、懐の()()を、地面に投げ捨てた。

 重い音を響かせるそれは、スピーカー部分から大きな雑音を垂れ流していた。


「トランシーバー……!?」

「深海は理解したようだな。『成長』させた、より大きな雑音(ノイズ)を以て、牝狐の電波を無効化する。理屈は単純だ。より強い力が、弱い力を駆逐するだけの事。そして――」


 長尾が古刀をスラリと鞘から抜く。

 剣呑な光が、刀身を反射した。


「――お遊びは終わりだっ!!」




 長尾が、ダンッ! と踏み込み、一気に道隆達と距離を詰めてきた。

 増幅した鬼の力の圧倒的な速度には、カードを使う暇などなかった。


「きゃうっ!!」


 下から上――逆風に振り放った古刀の一閃が、霧香を斬り払う。


「霧香さん……!!」

「小ギツネに気を取られている場合か、深海道隆ぁ!!」


 長尾が道隆に手を向けた。

 その手を鷲掴むように握り込むと、道隆の全身から夥しい鮮血が噴き出した。


「ぐあっ!!」

「『傷』を『成長』させた。致命傷だ。もう助からん!!」


 そしてそのままの勢いで道隆に詰め寄ると、鳩尾に膝を叩き込んできた。


「ぐふっ!」


 一瞬呼吸困難に陥り、身体を折った道隆の背中に、今度は肘打ちが入る。


「がっ!」


 道隆の首根っこを、長尾の左手が掴んだ。

 そのまま大きく持ち上げられ、道隆の足先は宙に浮いてしまう。

 返り血が顔や身体に浴びるのにも構わず、長尾は道隆を持ち上げたまま叫んだ。


「随分と舐めた真似をしてくれたな。……楽な仕事とは思わなかったが、想像以上だったぞ! お前の見せてくれた術は全て『塔』に報告させてもらう! 何か遺言はあるか!? 命乞い以外なら何でも聞いてやるぞ!?」

「が……あっ……」


 がふっと口から血煙を上げる道隆に、長尾が怒りの目を向ける。

 ただでは殺さない。

 残りわずかな命の時間、倒された部下達の分まで苦しんでもらう。

 その意思が、伝わってくる。


「もっとも、満足に口も利けない状態だろうがな……何をしている?」


 長尾の問いに答えず、道隆は血の滴る人差し指を動かし続けた。

 残りわずかな命の塊が魔力と混じり合い、一枚の札が完成する。

 それは、生命の源から生まれた『ハートの2』だった。

 くっくっく、と本当におかしそうに長尾は笑った。


「『ハートの2』だと? 回復か? やってみろよ。その傷ではどうせ焼け石に水だ。治った直後に、再び傷を『成長』させてやろう」

「よく……喋るなぁ……君は……」


 荒い息を吐きながら、道隆はなおも指を動かした。

 ぱら……と手中から、最後まで残していた切り札(カード)がこぼれ落ちる。

『ダイヤ』『スペード』『クローバー』それぞれの『2』で計三枚。

 そして今出現させた『ハートの2』のカード。


「四枚の『2』……フォーカード……?」


 長尾には、眉根を寄せる。

 分からないか……。

 そいつは、『ポーカー』じゃない。


「なあ……長尾君……君さ、『大富豪』ってゲーム……やった事あるか?」

「貴様……!!」


 目を大きく見開いた長尾が、カードを蹴り払おうとした。

 しかし、道隆の術の発動はそれよりわずかに早かった。

 宙吊りになりながらも、道隆はありったけの力を振り絞って叫んだ。


「――『革命』っ!!!!」


『革命』=『力関係の逆転』が発動したと同時に、長尾は全身から熱い血が噴水のように激しく噴き出し、一瞬にして力尽きた。

 そして、怪我の代わりに全身に火傷を負った道隆もまた、首を長尾の手から解放されると同時に、力なく血溜まりの中に倒れこんだのだった。




 目が覚めると、ちょっと見覚えのある天井が目に入った。

 客間と思しき、和室の一室だった。

 つまり、旭杜神社に戻ったという事なのだろう。

 自力で何とか出来たとは思えないので、霧香が何とかしたと考えるのが妥当か。

 布団の脇に着替えがあるのも、前と変わらない。

 外はまだ明るくなり始めたばかりの、早朝のようだ。


「痛つつつつ……」


 全身に軽い痛みが走るが、それでも身体を起こす事は出来た。

 全身包帯まみれにはなっているものの、どうも感覚としては単純な怪我レベルのようだ。

 記憶では、大火傷になっていないとおかしいのだが……。

 何となく開いている障子の向こう、中庭に視線をやると、鬼面衆が半壊した兵の修繕を行っていた。


「ファッ!?」


 思わず変な声が漏れた所で、後ろの襖が開いて霧香が姿を現した。

 首元には、見慣れない勾玉のついた首飾りをしている。


「おはようございます、道隆さん!」

「……あの、霧香さん、アレは一体、何? 害はなさそうだけど……」


 道隆はおそるおそる、鬼面衆を指差した。


「その辺も含めて、朝ご飯の後にお話ししますね。朝ご飯の後で」

「何故、二回言うの。というか朝からすごい量なんだけど」


 霧香の背後、テーブルの上には幾つもの大皿小皿が並べられ、色とりどりの料理が盛られていた。

 飲み物も、パッと見た感じお茶が数種にコーヒー紅茶ジュース類まで揃えられている。

 霧香はこてん、と首を傾げた。


「え、普通ですよ?」

「普通なんだ……」

「さあさあ和食と洋食と中華、どれからにしますか」

「しかも、どれかじゃなくてどれから!?」




「僕が倒れてから、どれぐらい経ったんですか?」

「え? えーと……八時間ほどですよね?」

「この傷、一体どこの誰にどうやって治癒されたんだ……?」


 道隆が疑問と共にピザトーストを頬張っていると、スパァンッ! と勢いよく襖が開かれた。

 長尾成海だ。

 道隆と同じくどういう治療をしたのか、すっかり元の姿に戻っている。


「深海道隆ぁっ!!」

「ぶっ!?」


 角もなくなっているのに鬼の形相で迫る長尾成海は、()()()()()()()()()()()


「貴様、よくもオレにこんな辱めを!」

「辱めって、しっかり着込んでるじゃないですか」


 不満そうに、霧香が唇を尖らせる。

 どうやら彼女の仕込みだったらしい。


「他に着替えがまったくなかったんだ! 仕方がないだろう!」

「まあ、よく似合ってるとは思うけど」

「はいっ! 道隆さん、私はどうでしょう!?」


 霧香が、ビッと手を上げ対抗する。


「いや、そんな焦らなくても霧香さんも普通に似合ってるから」

「だそうです、むふん!」

「……何故、そんな勝ち誇っているのか知らんが、そもそも何がどういう事なのか説明しろ」


 まったくそれは、道隆も同感だった。


「説明は、食後になります。あ、貴方のご飯は、あちらでどうぞ。その方がいいでしょう?」


 鬼面衆は塀の修繕を中断し、鍋物の用意をし始めた。


「それについて異存はないが……何故、あいつらはあいつらで朝から鍋なんだ」


 長尾の復調にようやく気づき、慌てて駆け寄ってくる部下達に、長尾はぼやいた。

 布団、朝食と毒気を抜かれ、しかも巫女服に着替えさせられ、もはや道隆を襲う気も失せているようだった。




 朝食を終え、道隆達は拝殿へ案内された。

 長尾の後ろには、ぞろぞろと鬼面衆も続いている。

 拝殿内には既に、先客達が待ち受けていた。


「マジか。なんだこれ……」


 道隆の隣で、長尾がゴクリと唾を飲み込んだ。

 鬼、天狗、龍神、河童、妖狐、雪女等々……百人は下らない様々な妖怪が、左右に並んでいた。

 彼らの前を通る道隆達を値踏みするように、小さな声で囁き合っている。

 そして奥には親分格と思しき、三体の妖怪が胡座を掻いていた。

 二本の角を生やし、赤銅色の肌をした浴衣姿の巨漢。

 修験者姿で、背中からは翼を生やした無表情な褐色少女。

 蝙蝠の翼とトカゲの尾を持つ、袴姿の老人は煙管を吹かしている。

 この『鬼』と『天狗』と『龍』は、格が違う。

 道隆の背にも、緊張から汗が浮かんでしまう。

 分かる。

 彼らが、昨日の道隆達の騒動を、これから裁くのだ。


「さ、座って下さい」


 そんな中でも、霧香が普段通りなのが、せめてもの救いだった。

 道隆らが拝殿の中程に腰を下ろすと、『龍』の老紳士が煙管を煙草盆に置いた。


「媛神様がお出でになる。くれぐれも粗相のないように」


 媛神様……?

 道隆は疑問に思うが、それまで騒いでいた妖怪達が口を閉じたので、霧香に尋ねられる雰囲気でもなくなった。

 しん……と、拝殿に静寂が満ち、やがて奥、おそらく本殿から小さな足音が響いてきた。

 妖怪達が頭を下げるのに合わせ、道隆達も平伏する。


「ふむ……」


 思ったよりも幼い声とともに、声の主は上座に胡座を掻いた。


「面を上げよ。お主らが、儂の山を荒らした者達か」


 顔を上げた道隆の前に座っていたのは、銀糸で織られたと思しき着物を羽織った幼女だった。

 おかっぱ頭の額から生える二本の鹿の角はさながら王冠、鬼の王のようだ。

 その清々しいまでの神々しさ。

 彼女こそが、この神社の真の主、『神』。

 昨晩の逃走劇、霧香が案内しようとしたのは、彼女の元だったのだろう。


「答えよ」


 切れ長の瞳を細め、再度問う『神』。

 その威に圧倒されていた道隆は、我に返って再び頭を下げた。


「失礼しました。深海道隆と言います。すみません。昨晩はお騒がせしました」

「オ、オレはコイツを追ってきただけに過ぎん」


『神』に口答えをするという恐るべき胆力を発揮した長尾だったが、この場合その虚勢に意味はなかった。


「お主の都合など聞いてはおらん。お主、相手が重要な理由や事情さえ持っていれば、他人が自分の家を荒らしても平気なのか、ん?」

「ぐっ……」


『神』の正論に一蹴され、長尾は言葉に詰まった。


「頭領……あの方の言い分の方が、筋が通っています。ここは、頭を下げるべきですよ」

「分かった……す、すみませんでした」


 長尾は、補佐と呼んでいた男が後ろからした忠言に従った。


「ふん、分かればよい。小娘、名は?」

「長尾成海」

「そうか、儂は……冬の神。この地では宇津田姫(うつだひめ)と呼ばせておる。ウタちゃんと呼んでもよいぞ」


 ジョークなのか本気なのか、道隆は呻くように霧香に尋ねた。


「どうしよう霧香さん、下手に神々しいから反応に困る」

「むしろ、呼ばないと不機嫌になります」

「ええー……」


 この空気の中で『神』をウタちゃん呼ばわりとか、相当に勇気のいる所行であった。


「とはいえまあこの程度の諍い、妖怪共の駆け込み寺代わりとなっておるこの地ではよくある事よ。以後、このような事のないように」


 そしてウタが下した結論は、道隆達が拍子抜けするほど軽いモノだった。

 ウタに諫言したのは、無表情な『天狗』の娘だった。


「ウタ様、それだけですか?」

「ウタちゃんだと言っておるだろう、彩羽(いろは)。何ぞ。ここは神社だから駆け込み寺というのはおかしいとか、そういう指摘(ツッコミ)か?」

「そんな話はしていません。彼らの処遇をどうするのですか。よくある事でも、山を荒らしたからには何らかの処分は必要です」


 堂々とした話しぶりだ。

 さながら『神』の秘書のようだなと、こんな時にも関わらず道隆は感想を抱いた。


「好きにすればよかろ。という訳にもいかんのか。ではそちらの外見(そとみ)と中身の一致せん小童は、どうする」


 どうするって、僕本人に聞いてどうするんだ? と道隆は思ったが、代わりに答えたのは霧香だった。


「はい! 道隆さんは、うちで働いてもらいます!」

「ちょっ、霧香さん!?」

「だって、余所の地に逃げてもまた追いかけ回されるだけですよ? うちなら大体大丈夫のはずです」

「虎の威ならぬ……神の威を借りる狐……」


 重々しい声を漏らしたのは、浴衣姿の『鬼』だった。

 霧香の言葉に唸り不機嫌なのかと思ったら、肩を揺らして笑っているらしかった。


大賀(おおが)はなかなか上手い事を言う。後で褒美を取らそう」

「ありがたき……」

「ただし、ただの人の身でこの地に住まう事はまかりならん。誰ぞと(えにし)を結ぶなりなんなりせんとな。ふむ、儂にするか」


 いかにも適当な宣言に、拝殿全体がざわめいた。

 本気で勘弁して欲しいと、当事者である道隆も内心呻き声を上げる。


「却下です! 道隆さんはうちの人になるんです!」

「真に受けるな小ギツネ」


 とウタは言うが、真に受けなかったモノは他に誰もいないのである。

 なお、うちの人になるも縁を結ぶも、大体同じ意味な訳で。


「あの、これ流れのままに男の方がプロポーズを受けているって展開じゃないんですか?」

「うちなら三食昼寝付きですよ?」

「そういう話でもないんだけど」

「小ギツネは気にいらんか? けなげにも身体を張ってお主の命を救ったのだぞ?」

「話が急すぎて追いつけないだけです。何にせよ、ご迷惑にならないのでしたら、ここに置いてもらいたいと思います」


 道隆は、旭杜神社に身を寄せる。

 現時点でそれだけ、確定すれば問題はなかった。

『塔』の干渉やら、面倒ごとに関してはまた、別の話だった。

 それは、『塔』から派遣されたもう一人が関係する。


「うむ。では長尾」

「そういう訳にもいかん……いきません。オレ……私も、上からの命を受けています」


 やはり、長尾も退くつもりはないようだ。

 彼女の発言からは、自身の一族の再興が掛かっている……つまり、彼女だけの問題でもないようだし、それでなくても『塔』とのしがらみがある。


「学究機関『塔』じゃったかの。ならば儂が話をつけてやろう。何、問題はない。海向こうの知人達に電報の一つでも打てばよい。魔術結社ならば、例えばケルトの研究が進まのうなったり、ランプの精や吸血鬼の協力を得られんようなっては困るであろう?」


 不意に、道隆の頭の中でいくつかの単語が繋がった。

『冬の神』『ケルト』『鬼』。


「え、あの、まさか貴方って、カリアッハ……」

「ここでは、ウタちゃんである」


 道隆の呟きは、他ならぬウタに遮られた。

 しかし最早、道隆は確信した。

 ケルト神話で語られる、スコットランド高地に住むと言われる冬の創造女神カリアッハベーラ。

 病の女神でもあり鬼女、同時に野生動物の守護者でもある。

 それが何故、日本の山の神社に住んでいるのかは知らないが……魔術師である道隆にとっては、日本の八百万の神々より、よほど馴染みがある名前だった。

 そしてそれは学究機関『塔』にも、同じ事が言える。

 彼女と敵対するか、脱走者を見過ごしてでもコネを繋ぐか。

 どちらが益があるかの想像は、難しくない。


「ふむ、最近野良の魑魅魍魎も騒々しいしの。此奴らに駆除を任せてみるか」

「悪くない案かと。人里の物資や情報を得るのも、楽になるでしょう」

「力をつけたいなら……修行、我らがつけよう……鬼ならば我らと同属……より強くなれる……」


『天狗』の彩羽が同意し、『鬼』の大賀の四白眼が鬼面衆を一睨みする。


「では、決まりである。面白そうな変化が起きそう故、しばらくは儂も社に居座る事とする。彩羽は儂の補佐として山は竜胆、お主が名代として治めよ」

「御意」


 それまで沈黙していた『龍』の老人も頷く。


「お、私の意思は……」

「知らぬ」


 完全に、長尾は置いてきぼりだった。

 道隆が頭の中で状況を整理すると、長尾は『塔』から連絡があるまで保留状態というのが妥当だろう。

 もちろんその指示が下るまで、前の指示である『深海道隆の確保、もしくは抹殺』を貫く事も出来るだろうが、実際問題その行動を起こすと周囲の妖怪達、そしてそれを率いる目の前の『神』の面子を潰す事になる。


「お主にとって、悪い事ではないと思うぞ。何せ直に神と『こんたくと』出来る輩が、お主の組織にどれだけおる? 縁は大事にせよ。――では、期待しておるぞ、『数と記号』、『成長』の概念魔術師とその手下共」


『神』ウタは、そう言って、今回の議を締め括ったのだった。




 それから一週間が経過した。

 朝食後の仕事である洗濯物を干し終わり、道隆は縁側で一休みを取っていた。

 何せ住人が多いので、身体を鍛えていても一苦労だ。


「者ども、行くぞ!!」

「おおおおおっ!!」


 掛け声と共に、戦装束に身を包んだ鬼面衆が、境内裏手から山へと向かっていく。

 ここから数キロ進んだ先にある谷間が、彼らの訓練場だ。

 そしてその谷の奥にある洞窟は『龍』である竜胆翁の制作で、数階層の迷宮と化しているのだという。

 妖怪達との実戦形式での稽古の他、迷宮内の罠や暗黒空間などの特殊領域等、緊張が続くらしい。

 しかし、各所に用意された宝箱の中身は自分達のモノにしてもよいし(実際彼らが身に纏っている装備の一部はそれだ)、最下層に控える竜胆翁に一太刀でも浴びせる事が出来れば、彼の知る魔術の秘奥を伝えると言われ、張り切らない者はいなかった。

 むしろ道隆も気になって、一度霧香と共に挑戦してみたモノの、一朝一夕でどうにかなる迷宮ではないという事だけは理解出来た。

 そんな事を考えていると、後ろで重い音がした。

 振り返ると、居間のテーブルに夏の野菜を山のように積み上げた、巫女服の長尾成海が立っていた。

 その傍らには、王冠のような鹿の角を生やした『冬の神』ウタもいるが、何故か二人揃って仁王立ちだった。


「おい、今日の昼飯の材料だ。適当に何とかしろ」

「何とかって……また、鍋になっちゃうぞ?」

「オレは最悪それでも構わんが」

「儂が却下する。飽きた」


 ウタが、口元をへの字にする。


「文句を言うなら代案を出せ、代案を。文句だけ言っても、作るのはコイツらだぞ」

「ふむ、そうだな。ならば儂はばーべきゅーを所望するぞ」

「と、ここの神様がおっしゃられてるんで、よろしく頼む。こっちはまだ畑を回らなきゃならん」


 やれやれ、と長尾が首を回すといい音がした。


「分かった。霧香さんに伝えておく」

「頼んだ」


 二人は連れだって、居間を出て行った。


 最初こそ、神であるウタを相手に畏まっていた道隆や長尾達だったが、普段の彼女はえらそうな幼女そのモノだったので、次第に慣れていった。

 周りの妖怪達も咎める様子もなく、拝殿に呼ばれた時に神の威を示したのは『神としてのケジメ』だったという。

 まあ、毎日家庭内で変な緊張をするよりは、よっぽど健全だろうなと道隆は思うのだった。

 ちなみに長尾は、『塔』からの通達で、この神社に残留を命じられた。

 名目上は道隆の監視だが、監視してどうするのかまでは指令書になかったという。

『神』との伝手を重視した、事実上の放任と言っていいだろう。

 そうした結論が出た後は、ウタに振り回されながら『成長』の魔術でほうぼうの畑を豊かにする仕事を始めた。この点で言えば道隆の『数と記号』よりもよほど、潰しが利く魔術だった。

 本人的にも、殺伐とした任務とは異なる仕事に、口にこそしないモノの不満はないようだった。

 一方道隆はと言えば、麓に住む子らを相手に塾を開き、算数や社会を教えている。

 石段を上ってくるのが大変だし、始めたばかりでまだ講師役の道隆自身、手探り状態だ。しかも何故か、霧香も塾生に混ざっていた。

 そして夜は夜で山の見回りも、道隆、霧香、道隆、鬼面衆の仕事となっている。

 基本的には何事もないが、時折魑魅魍魎の類が襲ってくる。

 それだって、魔術師である道隆らの脅威となる程ではなかった。


 バサリ……と羽ばたきの音に、道隆は頭上を見上げる。

 ゆっくりと、修験者姿をした褐色娘が降りてきた。


「バーベキューをするには、肉が足りませんね。野菜ばかりというのも、バランスが悪い」


 抑揚のない口調で、『天狗』の彩羽(いろは)は野菜の山を眺める。


「彩羽さん」

「私が狩りに行ければよかったのですが、定期連絡がありますので」


 寸分の無駄もない一礼をする。

 ウタに補佐を任じられた彩羽だったが、その主な仕事はウタの代理で山を治める『龍』竜胆との連絡係だった。


「いえ、お気になさらずに」

「肉は、多いと思ったぐらいでちょうどいいです。余ったら私が頂きます」


 そして最近は、道隆も彩羽の微妙なテンションの違いが分かってきた。

 特に彩羽は、肉類には強い関心を示す。


「さ、さすが猛禽類」

「では、その旨よろしくお願いします」


 再び、彩羽は羽ばたいていった。

 入れ替わりに、女中姿の霧香が襖を開いて、楽しそうに道隆に駆け寄ってくる。


「お掃除終わりましたー。散歩行きましょう、散歩!」

「いや、早朝も出たよね?」

「散歩は、何度やってもいい物なんです! 何なら一日中でも構わないと思います」

「うん、それもう散歩じゃないね。ああでも、昼飯バーベキューにしたいらしいから、何か狩らないと駄目みたいだよ」

「なるほど……つまり、お出かけですね!」

「結果的に、そうなるねえ。とりあえずドリンクだけ用意して、出かけますか」

「はい!」




 それから一時間後。


「『『スペードの2』――!!」


 放ったカードが矢となって、遠くにいる鹿を貫いた。

 事切れた鹿が、その場に倒れる。


「よし」


 きゅん!


 小ギツネの鳴き声に視線をやると、かすかに焦げたキジを口で引きずっていた。

 おそらく狐火で仕留めたのだろう。


 霧香の普段つけている勾玉付きの首飾り『龍の秘玉』には魔力(霧香は霊力と呼ぶ)が込められており、昼間でも人間の姿を維持する事を可能としていた。

 今は道隆が預かっているので、小ギツネの姿を取っていた。

 なお、『龍の秘玉』は高価なモノではないのかと少し前、道隆は制作者である『龍』竜胆翁に尋ねてみた事があった。

 しかし。


「ほ。年寄りの暇つぶしよ。気にする事はない」


 と、軽く笑われてしまった。

 ……『塔』の魔術師が、どれだけ時間を掛ければ完成するのか分からない秘宝なのだが。


 不意に、視界の端で黒い影が動いたかと思うと、キジが姿を消す。

 ローテーションで修練の休みを取っている鬼面衆が、収穫した獣の運搬を務めてくれているのだ。

 さすがに大所帯の胃袋を満たすだけの多くの獣を、全部運ぶだけの力は道隆達にはない。


「んん、じゃあひとまずこんなもんで充分かな。神社に戻ろうか」


 きゅう。


 さて戻るかと一歩踏み出そうとした時、遠くで小さな悲鳴と重い音がした。


「ん?」




 悲鳴のあった方角に進むと、地元の猟師らしき中年男性が、右足首を抱えて呻いていた。


「あいたたた」

「どうかしましたか」

「どうかしましたかじゃねーよ……ってすまんすまん。木の根で足をやっちまって、気が立っちまってた」


 道隆を怒鳴りつけた猟師だったが、明らかに八つ当たりと勝手に反省したのか謝罪してきた。


「ああ、ありますよね、そういうの。どれ、ちょっと見せて下さい?」


 特に気にする事もなく、道隆は手際よく猟師のブーツを脱がせた。

 どうやら、ただの捻挫のようだ。

 とは言ってもこんな山の中だ。麓に帰るのにも難儀するだろう。


「痛つ……! アンタ、医者か?」

「いや、中腹の神社で世話になってるモノです」

「あー……最近評判の美人巫女さん……には、どう見ても見えねえな」


『美人』の方だと、長尾の方か。


 きゅんきゅん!


 視線を下に向けると、何故か小ギツネ霧香がドヤ顔で尻尾を振っていた。

 道隆は、手の中に(カード)を隠して、それを猟師の足首に当てた。


「残念ながら男です――『ハートの3』。はい、これでよくなったと思いますよ」

「お、おおっ!? すげえな兄ちゃん。整体師でも食っていけるんじゃねえの?」


 足首を左右に曲げ、猟師の男は喜びの声を上げた。


「うーん、麓の子ら相手の塾講師で手一杯ですよ。それで、何か収穫はありましたか」

「いやあ、全然。まったくどーも最近ついてなくてな。こないだも、せっかく用意した罠を一個、何かにぶった切られたみたいに台無しにされちまったしよ」


 不満そうに言う猟師が視線を向けたのは、以前小ギツネ状態の霧香が罠に掛かった方角だった。


「へ、へー……」


 つまり、道隆は彼の食い扶持を奪った事になる。

 ……と言っても、霧香を助けなければ物理的な意味で彼に食われていた所だったので、もう心の中で謝るしかないのだが。


「じゃ、じゃあお裾分けというか、うちで獲れた獲物ですけど、どうぞ」


 道隆は腰に下げていた血抜き済みのキジを一羽、猟師の男に差し出した。


「お、いいのかい!?」

「それなりに収穫ありましたし、何よりまあ恩返しって奴です」

「……いや、恩を返すのは、俺の方じゃねえのかね?」


 確かに、怪我を治した方が恩返しをする、というのは奇妙な話だろう。


「いやあ、人生万事塞翁が馬。本人も知らない所で意外に何かしら、あったりするんですよ。ねえ?」


 きゅん!


 道隆の隣で、小ギツネが同意するように小さく鳴いた。

 初出、2015年8月12日。

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[一言] 異界への扉は、思わぬ所に存在するのです。 まぁ、わざわざ踏み込む奴の方がどうかしてるんですけどね。 楽しませていただきました。 あと…… 女だったのか~ いや、男だとは最初から書いてなか…
[良い点] 一番最後のオチがすごく好みでした。 [気になる点] 色々と追加されたせいか、話の焦点がリメイク前と比較してぼやけた感じがします。 そのためイマイチ話にのめり込めませんでした。 [一言] リ…
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