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人魚の肉  作者: 西
3/4

あき穂

夜中ふと目が覚めると、隣にいるはずの彼女がいなかった。

部屋に視線をめぐらすと障子を開けて彼女が立っていた。

何もつけずに。

外の星明りだけが彼女を照らしている。

声をかけようとして、止めた。

子供の頃見た景色を思い出した。

光と影の輪郭で素肌の曲線が強調されている。

細い腰から丸みのある尻、そして太腿へ。

光に溶けて消えてしまいそうな姿がそこにはあった。

子供の頃は妖艶な怖さを感じたが、今となっては

ただただ美しいと思った。

何百年もの間この姿を変えず生きてきたのか。

なんだかそう言うと美術品のようだが、

自分はそれを飾って愛でるでもなく、毎夜のように抱いている。

そう思うと少し背徳感のようなものを感じる。

「あき穂、風邪をひくよ」

「・・・明石君」

寝巻きにしている浴衣を肩にかけてやる。

「ありがとうございます」

「何を見ていたんだ」

「・・・わかりません。私の意志ではなく勝手にうろうろしている事があって」

「夢遊病?」

「どうなんでしょうか。でも気付くといつも無性に、海が見たい

と考えているんです」

「海・・・」

「どうしてでしょうね」

「今度行こうか、海に。あき穂はここから出た事はあるのか?」

「最近は出ていません。最後にお屋敷の敷地を出たのが七十年ほど前でしょうか」

「そうか。なら海の他にも色々行こう。どこに行きたいか考えておいてくれ」

「旅行ですか。楽しみです」

そして二人、布団の中で地名や料理の話をしてそのまま眠りに落ちた。

二人水入らずの楽しい旅行を夢見て。

しかし二人で行く旅行は、海へのものしか実現はしなかった。


その日、彼女の住んでいる離れに行くと鍵がかかっていた。

「あき穂、どうしたんだ」

「明石君、今日は会えません」

鍵の閉まった戸の向こうからくぐもった声が聞こえる。

「どうして」

「あ・・え・・風邪をひいてしまいました。うつるといけないので」

「大事は無いのか、なんなら看病を――」

「いえ!一人で大丈夫です。二、三日で・・・治ると思います」

そうかとその日は会わなかった。

そして後日も彼女は僕に会おうとしなかった。

だから僕は部屋に乗り込む事にした。

戸には鍵がかかっていたが、縁側のガラス戸の鍵は壊れているのを知っている。

ガラス戸を開けて部屋に一歩入って異様な空気を感じた。

まとわりつく様な湿気だ。

「なんだこれは」

「明石君!こ、来ないでください!!」

「どうしたんだ、そんなに悪いのか?」

彼女は布団を抱く様にして壁際へ後ずさる。

何か隠している様な仕草。

布団から出た足の爪先に光るものを見つけた。

爪ではないそれは、

鱗。

彼女が抱える布団を無理矢理引き剥がして、僕が見たものは

彼女の足。

乱れた浴衣の裾から見える足にはびっしりと鱗がはえていた。

「見ないでください」

彼女は必死に往生際悪く隠そうと浴衣の裾を合わせようとするが、

僕はその腕をとって阻止する。

眼前の彼女の足。

見慣れた艶やかな真白な肌は無く、

いつぞやのあの色がそこにはあった。

海を閉じ込めた様な水色。

彼女の瞳と同じ色。

その色に膝まで侵されている。

「どうしたんだこれは、いったい!」

まさかいまさら、いまさら

かつて人魚を食べた事の代償があらわれたというのか。

どうすべきなんだ。医者に診せるべきか。

しかしこれはもう医者の範疇も超えている。

そんな事を考えている間に目はあるものをとらえる。

鱗のはえた部分と、人の肌の境

その肌が傷ついて血がにじんでいる事に。

「これは、お前がやったのか」

彼女は小さく頷いた。

自分で鱗を剥がしていたのか。

よく周りを見れば敷き布団の上にも畳の上にも

点々と光るものがある。

こんなよくわからない症状が出て、

一人で、相談もせずに

人でありたいとそう、行動していたのか。

痛かっただろう。それに不安だったろう。

「明石君、私がどんな外見になっても側に置いてくれますか?

不死だけでもじゅうぶん化け物じみているのに、こんな鱗まで・・・

どうしても隠したかったんです。

あなたの隣で普通の人としてすごしたかった」

なんて、いじらしいんだ。

「馬鹿な事を。離すわけないだろう」

そう言って抱きしめた彼女の体はとても冷たかった。


それから彼女の症状は悪化してゆく。

しかし僕達はつとめて明るくすごしていた。

けれど本当は彼女がどこまで変わってしまうのかわからず、

二人で恐怖を払い除けようと必死だったのかもしれない。

「症状が軽いうちにどこか旅行へ行こうか」

現実逃避の様な僕の提案を彼女が否定する。

「もうどこへも行けません。立つと足が、とても痛くて」

「なんだかおとぎ話のヒロインの様なセリフだな」

はははと笑ってかるぐちを言えば彼女も笑ってはくれる。

「けれど、おとぎ話とは順序が真逆ですね」

おとぎ話では人魚のお姫様が人になる。

しかし彼女は人から、人魚になろうとしているのか。

しかし彼女がどうなろうと僕は手放す気はさらさらない。

そうこうしているうちに彼女が熱を出した。

そしてその熱からは解放された日、ついに

左右の足がひっつき、まるきり魚のヒレになってしまっていた。

彼女は人魚になってしまった。

そして布団に横になっているのも辛いと言い出したので、

部屋に人二人ぐらい入れそうな大きな猫足のバスタブを入れた。

人心地ついた様で彼女は水に浸かりながら息を吐く。

「この際、庭をすべて池にしてしまおうか」

「やめてください、こんなに綺麗な景色なんですから」

言う眼前、庭の桜が満開だ。

さっと風が吹き、開けた縁側から花弁が舞い込む。

それは彼女の浸かったバスタブにひらりと落ちて、

淡いピンク色で波紋を描く。

四季が巡る。

彼女とこれからもこの景色を共に見る。

「けれどもう、あなたに抱いてもらう事は出来なくなったんですね」

下半身が魚のそれになってしまった。

だから一つになる事はできない。

しかし、それだけが愛を伝える方法ではないだろう。

「いくらでも方法はあるよ。なんせ上半身は人なんだから」

彼女の羽織った浴衣は水に濡れ肌にはりつき

肩や胸の形をあらわにしている。

僕は服のままかまわず彼女のバスタブに入った。

温い水が衣服にしみこむ。

彼女の唇に口付けし、浴衣を脱がしにかかる。

彼女の白い肌はいよいよ人間味が薄れ、

人ではない青白さをしている。

そして腰まで鱗に覆われてしまった。

鱗の人の肌とはまったく違うつるつるした手触り。

それを上になで上げようとすれば鱗の抵抗がある。

その鱗の隙間に指を入れてみると、奥に肌の弾力を感じた。

その時、んっと彼女が身をよじる。

鱗に覆われた外に露出していない場所。

そこに触れたからだろうか。

そんな場所だから繊細にできているのか。

爪で優しくひっかくようにすると彼女はたまらず尾びれで水を叩く。

バスタブから溢れた水は床を濡らしていく。

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