もう一度、お父さんといっしょです
ミアと、お父さんはしばらく見つめあいました。
ミアはどうリアクションをしていいかわからず、ただ固まったままでした。
「お父さん?」
ミアの呟きを耳にしたのでしょう、テオがゆっくりと顔をあげ、肩越しに後ろを見ました。テオの視界に、お父さんが映ります。
「おとーさーんっっ!!」
テオが駆け出し、ミアの腕から抜け出しました。お墓から上半身を起こしたお父さんに向かって一目散です。
「テオ、走っ、たら、こけ、るよ」
たどたどしく言葉を紡ぎますが、その声は確かにミアとテオのお父さんです。ミアが埋葬したお墓から出てきたのですから、間違いなくお父さんでしょうけれども。
ミアは固まったまま、お父さんに抱きつくテオを見ていました。ミアは思考が追い付きません。だって、だって――
「お父さん、確かに死んだよね……?」
お父さんは、確かに死んだのです。娘と息子を守るために、文字通り命を散らしました……ミアと、テオの前で。
テオはまだ、死という概念を理解できていません。だってテオは五歳ですから。でも、ミアは八歳ですし、お母さんを目の前でぱっくんされてごっくんされましたので、死というものをきちんと理解できています。
死んだら、二度と動かないですし、二度とお話もできません。二度と、会えなくなるのに、お父さんはいま、動いて、お話もできています。死んでいるのに、動いているのです……実はお父さんが死んでいなかったというのもありえません。
ミアは、確かにお父さんの心臓が止まっているのを確認しましたし、埋葬をしたのです。だからミアは、テオのように純粋に喜ぶことができないのです。何で、と戸惑いが大きいのです。
そんなミアを見て、お父さんはゆっくりと苦笑しました。
「ミア、お父さ、んは、確、かに、死、んだよ。だ、から、ミ……アが、戸惑う、のも無理、はな、いんだよ」
ゆっくりとゆっくりと紡がれる言葉は、確かにお父さんがミアの戸惑いが正しいと指摘していました。
「お父さん、しんだ?」
テオが悲しそうに呟きました。顔をあげたテオは、くしゃくしゃに顔を歪めます。
「またうごかなくなる?」
テオは、せっかく動き始めたお父さんがまた動かなくなるのは嫌だ、と泣き始めました。テオはテオなりに別れを感じていたようです。
「大丈、夫……だと、思う……からだ、を、固定、してい、るから、ね」
お父さんはテオの頭を撫でながら、ミアに手招きをしました。
「ミア、も、おいで」
お父さんは、確かに死んでいるけど、お父さんでした。ぎこちなく、けれどもにっこりと微笑むその顔は、確かにミアとテオのお父さんに間違いはありません。
「ミア、がんばっ、たんだ、ね」
お父さんは、ひんやりした手でミアの頭を撫でました。例えひんやりしている手でも、その優しい手つきはやはりミアの記憶の中のお父さんのそれでした。
「とちゅ、うから、見てい、たよ。ミアは、テオをま、もるため、に、がんばっ、たん、だね」
そのお父さんの言葉で、ミアの張り詰めていた気持ちは一気に崩壊していきます。
「う、うぅ、お父、さんっ……」
ミアは頑張りました。
八歳だけれど、戦いは怖いけど、テオがいるから、もう二度と誰も失いたくないから、誰かを失う悲しみをもう二度とテオに味わせたくないから。
だから、ミアは頑張りました。限界なんて軽く越えて、頑張りました。
「もう、頑張ら、なくて、いい、んだよ」
お父さんは、ゆっくりとお話を始めました。
何で、お父さんがいまこうして再びからだを動かせるのかを、です。
お父さんは確かにいのちを終えて、魂となって天へと昇り、気づけば大きな河の上を流れるように前進する笹船に乗船していたそうです。
お父さんは、何故かその場所が「サンズ」と呼ばれる河だと知っていました。いつの間にか知識として「わかって」しまうそうです。
お父さんが物珍しそうに周囲を見ていると、笹船の船頭――六枚羽を生やした小さな猫だったそうです――がお父さんに説明をしてくれました。
猫ちゃんいわく――虹と同じように、色が異なるサンズという河が七本あり、その河の上を魂たちは流れに沿って進むというのです。そして、サンズの七本の河の水が流れ込む先は、虹色に輝く冥界の地底湖だそうです。
湖面には透き通る翅を持った妖精が舞い躍っていて、人魚たちが可憐な声で、郷愁を思い起こさせる歌を歌い上げ、その歌を聞きながら、魂たちは穏やかな眠りについて湖底に沈んでいくそうです。
お父さんも他の魂たちといっしょに、次第にうっすらとしていく意識で、「うとうとして眠りにつくのかな〜」と考えてたら――何故か急に船頭が焦り始めたのです。
「……え、何で水門閉まっちゃったりしてんの」
サンズの河の先に、大きな石の扉がありました。どうやら行き止まりのようです。しかし、猫ちゃんいわく……いつもはそんなものは存在していないとか。
サンズの河に逝き止まり、つまりは先に進めない……それがどういうことかを理解したお父さんは、口はすでにありませんが、絶句したくなる気分でした。
サンズの河の先は、冥界です。あの逝き止まりの水門は、冥界の入り口を封鎖してしまったということを示しています。
……笹船に乗船していた魂は、逝き場をなくしたのです。
そうしてしばらくして、逝き場をなくした魂たちは混乱し、船頭に――喋れませんが――喧嘩を吹っ掛けたりして、笹船はぐらぐら揺れ、魂たちは転覆の憂き目に遭い、河に投げ出されていきます。
お父さんの魂は、近くにいた猫ちゃんが咄嗟に掴んでくれたので、難を逃れました。猫ちゃんは六枚羽を動かし宙に浮かびながら、うぅむと悩み始め、ぽつりと呟きました。
「忘却の地底湖に流れる河に沈めば、理性とか失っちまう。そして、水門が閉まってたら、なぁ……」
猫ちゃんはポリポリと頭をかきながら爆弾発言を投下しました。
「戻すしかねぇか?」
お父さんは、河から回収された魂たちといっしょに、地上へ還されてしまったのでした。
その途中で、
「旦那さまぁあああ、ルーラメリーはいま、会いに行きますわああ!」
という声を聞いたような気がしたのだとか。声を出せない魂だったはずなので、幻かと思われましたが……先ほどの炎の壁の向こうの発言を鑑みれば、なるほど納得だったそうです。
こうして、お父さんは黄泉から帰ってきたのでした。
生きているからだ、死んでいるけからだの違いはあれど、お父さんは他の魂とは違って理性も失ってはいません。肉体も、固定魔法で傷みません。
ミアとテオは、もう一度お父さんといっしょになれました。これからも、ずっと、ずっと、ずーっと、いっしょです。