お父さんと劇的な再会を果たしました。
お父さんをお墓に埋葬したミアとテオは、しばらくこのシウルの花畑を拠点にすることにしました。
ミアとテオは、まだ八歳と五歳。ただでさえ強い魔族たちから狙われやすい種族なのに、こどもふたりなのです。何の計画や準備もなしに、ふたりで生きていくには世界は優しくありませんでした。
幸い、シウルの近くの木々は大きな空洞を持つ大樹や、たくさんの木の実をつける木、大きな葉っぱを何枚もつける木、根本に小さな湧き水をもつ木もあったのです。
どうやらシウルの花のまわりは、植物たちにとって過ごしやすい環境をつくりだすようなのです。
そこへ向けて魔力嫌いの別名を持つシウルの花の守りがあるのです。姉弟がその場所を生活の拠点に選ばない理由がありませんでした。
朝を迎えて、夜を迎えて、それを繰り返す日々でした。
ある日の夜、二人が寝静まっている頃でした。
お空から、ふわふわと真ん丸な光が降りてきて、しばらく迷い戸惑うように飛んだあと、お墓に吸い込まれていきました。
姉弟ふたりは、その場所でおよそ十回の夜を過ごしました。
そして、ある日の夕刻の事です。
「どこだ、どこだ!」
姉弟ふたりからお父さんを奪ったあの魔族が、舞い戻ってきたのです。
真っ赤な髪と、真っ黄色の目をした、背中に真っ黒なコウモリのような羽を生やし、蛇のような尾を持った若い男の魔族でした。
「こどもたちはどこだ、こどもたちはどこだ!」
イライラと髪をかきむしり、時には炎を吐き、時には雷を手から放ち、時には炎と雷を同時に放ち、あちこちを焦がしていきます。
あちこちが炎を浴びても火事にならないのは、先ほど急に降ってきた雨が消していくからです。雨が降ってこなければ、炎はあたりを蹂躙し、舐め回し、這いずって、シウルの花畑あたりまで燃やしていたでしょう。
強い魔力でできた炎を、シウルの花は拒みます。それを見た魔族は、よりいっそう苛立ち、より強い魔力を込めて炎を放っていきました。
やがてシウルの花の周囲を、炎が囲みます――シウルの付近の木々が燃えていきます。
「姉ちゃ――」
涙目のテオが、ミアに抱きつき、ミアの背に顔を埋めました。ミアもテオを庇い、きっと炎を睨みます。
もう、失いたくない。ミアは決心しました……もう二度と失わないためにも、あんな悲しみをテオに味わえせないためにも、ミアはふたり無事に生きて逃げることを、お父さんのお墓に誓いました。
そうしてついに、シウルの花畑を隠すように囲んでいた木々が少なくなり、花畑が丸見えになってしまいました。
「見つけたぞっ!!」
魔族が大きく吠えるように叫びました。真っ黄色の目を真ん丸に見開き、歓喜の雄叫びをあげている魔族に対し、ミアは怒りと恐怖で叫び出したい一心を必死でたえていました。
一度叫んでしまえば、いまはおさえこんでいる怒りや恐怖といった感情が、一気に決壊してしまいそうだからです。そうなってしまえば、ミアは戦いに集中できなくなるからです。
「……固定」
ミアは喜ぶ魔族を前に、固定するものを決めました。
ミアの持つ手札は、固定魔法と風です。北風はびゅうびゅう吹いています。風は強い気持ちに答えてくれます。
「対象、北風!」
ぶわぁっ、とうごめく風がシウルの花畑と炎の間で止まりました。シウルの花畑と、炎の間に分厚い風の壁ができたのです。
「条件、日が沈むまで!!」
シウルの花畑は、魔力嫌い。そして、魔力嫌いの効果は日が沈んだあとになるとどうやら強くなるようなのです。
一度、シウルの花畑の外に出たミアは――墓標にするちょうどいい大きさの石を見つけたのです――大きな魔獣に襲われかけました。ちょうど日が沈みきったあとのことで、ミアがシウルの花畑に逃げ込んだあと、シウルの花畑に近づいた魔獣は……シウルの花畑におもいっきり弾かれたのです。それは、たまに昼間弾かれている小さな魔獣とは勢いが全く桁違いでした。
ミアはそれまで持ちこたえることにしたのです。きっと、シウルの花畑は強く弾くはず。
それまで、せめて炎を遠ざける――それがミアの目的でした。強い炎は、熱気をミアたちにもたらし、息苦しさを与えていました。いつかは息ができないくらいまでになりそうだったのです。
「この、クソガキがーっっ!!」
ミアの固定魔法は、魔族の怒りに対して火に油だったようです。魔族はさらに怒り狂っていました。
さらに怒り狂う魔族は、もっと炎を放ちます。紅蓮の炎が、沈み始めた夕陽に照らされ始めました。
ミアの額に流れる汗がさらに増し、滝となり、視界がぼやけ始めます。それでもミアは固定し続けます。もとから少ない魔力量を、魔力と親和性の高い風で補っているこの状況は、ゆっくりとですがミアのからだを蝕んでいました。
日が沈むのがはやいか、ミアがつきるのがはやいか。いまミアがつきてしまえば、熱波とかした空気が一気になだれ込むでしょう。シウルの花畑は、魔力や魔法は遮れど、魔力や魔法の影響を受けた空気は遮れないのです。
「なぁにしでいまずの、がしらぁ?」
綱渡りな戦況に、ひとつの間延びした声が投じられました。
「こぉおんなに暑げれば、あだくし腐っでじまいますのよぉ?」
炎の壁で、ミアたちにはその間延びした声の主を見ることは叶いません。けれども、その声が女性だということだけはわかりました。
「なんだぁ、てめぇはよ!?」
「ぜぇっかく、生き返っだんでずもの」
「おい、無視するな!」
「炎は消ざないとぉ」
炎の壁の向こうで、ぎゅんという風を切る音がしました。ついで間を置かずに、ごんという何かが潰れる音と声にならない微かな悲鳴が聞こえました。
そして、主を失った魔法は、勢いをなくし、消えました――炎が、消えたのです。
「ざぁ、これであだくしの邪魔は消えまじたわ。ざぁ、旦那ざまに会いに行かなくでは!」
炎が消えた場所には、横倒しになる大樹の下敷きになってびくともしない魔族と、喪服を身に纏う女性の後ろ姿がありました。女性はぎこちない動きで、振り帰ることなく「旦那ざまぁ、いまルーラメリーが参りまずわぁ!」と叫びながら去っていきました。
「な、に。あれ? あれ、何?」
固定魔法を解除しつつも、ふにゃふにゃと座り込んだミアは思わず呟きました。
それに答える声はないはずでした。テオはいまだぶるぶる震えてミアの背に顔を埋めているので、ないはずでした。
けれども、返答はあったのです。
「あれは、黄泉より帰ってきたんだ、よ」
その声は、ミアが聞き慣れた声でした。そして、二度と聞くことができないはずの声でした。
「お、父さ、ん……?」
ミアは、ぶるぶる震えるテオを抱くように、振り向きました。
ミアの視線の先では、崩れたお墓から、上半身を起こした――固まった血と、あちこちが黒く焦げたお父さんがいたのです。