のんびり姫と氷の将軍
ある国に、とても呑気なお姫様がいました。
いつものんびり、ゆったりしているその姫を、人々は「のんびり姫」と呼び、呆れたり馬鹿にしたりしながらも大事にしていました。皆が姫を見る目は、まるで手のかかる子供を見る目です。
しかし、一人だけのんびり姫に厳しい将軍がいました。
これは、のんびり姫と氷のように冷静沈着と呼ばれる将軍の物語。
*****
「うう……なんてことなの」
ミルフィアは酷く狼狽えていた。嫌な現実から逃れようといくら日向ぼっこをしても、忘れられない。
嫌な現実――ミルフィアは婚約したのだ。つい数時間前に。
ミルフィアは今年で十七になる。現国王アーランドの末の姫で、少々甘く育てられた。そのせいなのか生来の気質なのか、何をやるにもおっとりしていて、呑気である。趣味は日向ぼっこ、特技はうたた寝、といった有様で、皆からは「のんびり姫」と呼ばれていた。
そんなのんびり屋のミルフィアにも苦手なものはある。
その最たるものを思い浮かべていた時だ。侍女の一人が客の来訪を告げた。
「姫様、クロムウェル将軍がおみえになられました」
「っ!」
ミルフィアの優しげな顔が青ざめる。オズワルト・ガル・クロムウェル――それはつい先ほどサインした書類に記されていた名前。ミルフィアの婚約者となった男のことだった。
「ご、ご機嫌よう。将軍……」
「遅いですね」
身支度を済ませて出てきたミルフィアを一瞥した青年は、冷ややかに断じる。
「あなたは相変わらずのようだ。私達の事はわかっていますね?」
「……わかっていますわ、婚約者様」
「よろしい」
無表情に頷く男はこの婚約についてどう思っているのか、さっぱり読めない。ミルフィアはこっそりと男の様子を伺った。
オズワルトの年は二十五だったはずだ。若くして将軍位に就いたエリートで、宰相の次男。長身だが、筋骨隆々というわけではなく、引き締った体躯をしている。
顔立ちも整っているが、切れ長の薄い蒼の瞳や白銀の髪、そして冷たい表情が見る者に怜悧、といった印象を抱かせる。
……まるで氷の彫像みたい。
ミルフィアは、この将軍が苦手だった。
「聞いていますか? ぼんやりしないように」
「……はい」
ミルフィアは泣きたくなった。
感情の見えない蒼の瞳に射すくめられる度に、逃げ出したくなるのだ。
蛙が蛇を苦手とするように、鼠が猫を嫌うように、ミルフィアはオズワルトという将軍がとてもとても苦手だったのである。
(どうして、よりにもよってこの方がわたしの婚約者なのかしら……)
いくら呑気な姫でも、今回ばかりは前向きにとらえられない。憂鬱な想いでミルフィアはオズワルトに気付かれないようにこっそりと溜め息をこぼした。
*****
――オズワルトは浮かれていた。
ミルフィアがどんな表情をしていたのかも気付かないほどに、浮かれていた。
そしてその事を、彼の身近にいる者達もわかっていた。
「将軍、えらく機嫌いいなー」
「どうやら、ようやくお姫様との婚約が整ったらしいよ」
「それはめでたいな。なにか、祝いをしなくては」
部下達がこそこそと話していても、今の彼は気にならない。いつもなら私語は厳禁、即罰則、の彼がである。
「よう、オズワルト。今いいか? いいよな?」
「レオン」
問い掛けながらもずかずかとオズワルトの執務室に入ってきたのは、ミルフィアの兄の一人、第二王子のレオン・ラ・グスト・フェルミナだった。
オズワルトの指示で部下達が部屋の外に出るのを待ち、レオンは切り出した。
「なあ、オズワルト。お前、ちゃんとミルフィアと話したか? この婚約が政略とかでは無くて、お前が望んだからだ、って」
「なんだ、いきなり」
オズワルトは軽く目を瞬いた。ただそれだけの所作でも、彼を知る者は彼がどれだけ動揺したかを察することが出来る。レオンは二つ年下の友人を睨み付けた。
「おい。俺がちゃんと助言してやっただろ? お前は普段は氷の将軍とか呼ばれてるくせに、ミルフィアに関しては焦りすぎというかせっかちになるから、もっとじっくり話し合えって。まさか婚約に浮かれて忘れてたのか?」
「……そんな事はない」
まさにその通りだったオズワルトはそっと目を逸らした。そんな友人を見て、レオンは大きく溜め息を吐く。
思い出すのはここに来る前に会ってきた妹姫の姿だ。
緩やかに波打つ蜂蜜色の金髪と春の空を思わせる水色の瞳のミルフィアは、おっとりとした雰囲気もあり、陽だまりのような少女だ。いつもはにこにこと出迎えてくれる妹が、暗雲を背負って現れた時は、さすがにオズワルトが何かしたのかと疑った。すぐに誤解だとわかったが、それほどミルフィアは悲壮な表情をしていたのだ。
(まさか何かをしたんじゃなく、何もしなかったとはな)
気まずげな――親しい者しかわからないが――顔をしている友人に、何度でも溜め息を吐きたくなる。
「……まあ、今更な事はもういい。これから気をつけて、もっとミルフィアと仲良くなってくれ」
「ああ、勿論だ」
強く頷くオズワルト。感情がほとんど表情に現れない困った友人と可愛い妹の今後を案じ、レオンは遠い眼差しを明後日の方角に投げた。
まったく上手く行く気がしなかった。
こうして、のんびり姫とせっかちな将軍はめでたく(?)婚約者同士となったのです。
彼らがその後、どのようにして人も羨むおしどり夫婦になったのかは、王国歴史書には書かれていないのでした。




