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「そっちはどうなの?」
ビールをひと口飲みながらそう僕が聞くと、沙織は嫌そうな顔を作って言った。
「どうもこうもないよ。飽きちゃってしょうがない。やれ血の池地獄だ、針山だって、何千年も前からおんなじことばっかりやってるんだよ?真新しさもないし、もうすっかり慣れちゃって毎日刺激がない。このつまんない日々がずっと続くんだから、ある意味地獄には違いないけど」
「遊園地のアトラクションじゃないんだから・・・針山なんて、痛そうに思えるけどな」
「痛いっちゃ痛いけど、もう死んじゃってるし、関係ないかなあ。あと、私の場合は生前よく嘘をついたから、ベロをしょっちゅう抜かれるね」
「痛くないの?」
「痛いっていうか、抜かれた後しゃべれなくなるのが辛いかなあ。まあ、一日経てば元に戻っちゃうけど」
「そうなの?」
「うん、朝起きたら元に戻ってる。それでまた抜かれるんだ。鬼が、舌を抜かれる人はこっちですよって案内してくれて、その前にずらっとみんなして並ぶの。私は月・水・金の週3回抜かれてるかな」
「大変なんだ」
「まあ慣れだよね。まったくやってらんないよ、こんなめんどくさいもの付けてさあ」
そう言いながら沙織は、輪のついた三角頭巾を頭から取り、指に輪っかを通してくるくると回した。
「いいの?そんなことして」
「いいのいいの。それよりそっちはどう?最近」
僕には辛い質問だった。僕はビールをひと口飲んで、答えた。
「うん、まあね」
「また生きるのが辛いのか、僕ちゃんは」
「・・・」
「マリファナはまだ吸ってるの?」
「うん」
「だめだなあ。まずはそこからやめなよ。誰だっけ、太宰治?の気持ちはわかったの?」
「だめだよ、太宰治はパビナールっていう薬の中毒だったんだけど、マリファナはそれとは利きかたが全然違うし、わからないよ。」
「だめじゃん」
「うん」
そんなことを話しながら、僕たちは(正確に言うと、沙織はビールグラスを持てず、ビールを飲めなかったので、僕だけ)ビールを飲み続けた。あっという間に時が過ぎた。
「さてと、そろそろ行こうかな」
時計が明け方の5時を回ったとき、沙織がそう言った。
「もう?」
「仕方ないでしょ、朝までは居られないんだ」
そう言いながら、沙織はコタツから立ち上がった。
「そうか」
「じゃあ、ビールありがとう。帰るよ。ばいばい」
「ちょっと待って」
僕は沙織を引き止めた。沙織がけげんそうな顔をした。自分の胸の中から、何か熱いものが溢れてきた。
「俺もそっちに行っていいかな」
「・・・」
「このままだとどうにかなっちゃいそうだよ」
「あのね」
沙織はにっこりと笑った。僕が好きだった、沙織の笑顔。それがすぐそこにあった。沙織の細い眼の中で、茶色い瞳が、優しくこちらを向いていた。
「私が人に言える義理はないんだけど、誰でもそれをするために生まれて来たっていうものがあると思うよ。君の場合、それはもう見つかってるんじゃない?」
「それが、小説ってこと?」
「そう」
「そんなわけないよ。沙織にはわからないかも知れないけど、実は今俺は未来からやってきてて、その未来で俺は27歳のおじさんになっているんだ。27歳で、無職で、鬱病持ち。体だって今みたいにこんなに綺麗じゃなくてーー井出山さん!居ますか?僕の体を現在のものに変えてください!」
僕の体が一瞬にしてたるんだ。下っ腹がこれでもかと出っぱり、顔には一面無精髭が生えた。僕はその肥満しきった体が沙織によく見えるように、コタツから立ち上がった。
「こんななんだよ。沙織が好きでいてくれたころとは全然違うんだ。親のスネをかじりながら、毎日ただ寝て、マンガを読んで、晩酌して過ごしてる。ただのニートだよ。小説家なんて、なれっこなかったんだよ、はじめから」
「鬱病でも、小説は書けるんじゃないの?」
沙織は笑顔をたたえたまま言った。
「・・・」
「やってみなきゃわからないじゃない。君は、確かに今はキツいところに立っているのかも知れない。でもそれだって、前を向いて歩いて行けば、何かが見えてくるかも知れない。どんなに絶望したって、明日は必ず誰にもやって来るじゃんか。毎日毎日、鳥が鳴いて一見無駄なように朝陽が登ってくるのは、きっと人間が朝起きて、何かをするためなんだと思うよ。君は私とは違うはずだから、投げ出さないで、これ以上できないっていうくらい、やってみなよ」
「・・・」
「じゃあ、時間だから。ばいばい」
「あ、ちょっと待って」
僕がそう言っても、沙織はそれを無視し、くるりと僕に背中を向けて、部屋を出た。そうして玄関までさっさと歩き、そのまま玄関戸をすり抜けて、消えた。
僕は沙織の後を追って、玄関戸を開けた。外はまだ暗かった。僕は外を眺め回したが、沙織の姿はどこにもなかった。




