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白い蛍光灯の眩しい光にまぶたを鋭く射され、僕は眼を覚ました。眼を開けると、そこは6畳ほどの小さな部屋だった。
「・・・?」
部屋は天井も壁も床も真っ白で、窓はひとつもなかった。天井には蛍光灯が煌々と光っている。部屋の真ん中にはスチール机がひとつ置いてある。僕はそのそばにあるパイプ椅子にいつの間にか座っていたのだった。部屋にあるものはそれだけで、そのインテリアの素っ気なさは、刑事ドラマに出てくる犯人の取調室を思わせた。そして、スチール机の向こうには、小柄な男がニコニコと笑みを浮かべて椅子に座っていた。
男は40〜50代に見える中年で、白衣を着ていた。黒縁メガネをかけ、ひどく痩せた顔に、すぐにそれとわかる七三分けのカツラをしていた。白衣を着ているために医者のように見える、真面目そうな印象の男だった。
「・・・?」
僕は事態を飲み込めず、男がニコニコと笑いかけてくるのにも構わず、部屋をぐるりと見回した。そうしておかしなことに気づいた。部屋には窓はもちろん、どこにもドアがついていないのだった。
「いやあ、やってしまいましたね。そうですか、ここでやってしまいますか」
男が出し抜けに話し始めた。年齢にそぐわない、かん高い声で、少ししゃがれていた。やはり、ニコニコと笑みを浮かべたままだった。
「気持ちはよおおおーく、わかりますけどね、なんたってまだお若いんですから」
「あの、ここは」
どこなんでしょうか、と僕は語尾をくぐもらせて、ほとんど声にならない声で尋ねた。躁鬱病になって実家に引きこもってから、初めて会う人に対して元気にコミュニケーションが取れないのである。
「当然の疑問です!と・う・ぜ・んの、ギモンですな、渡辺さん!申し遅れました、私、こういう者です」
男はハイテンションにそう言って、白衣の胸ポケットから茶色い皮の名刺入れを出し、その名刺入れから名刺を出して、スチール机の上に前かがみになって僕に渡してきた。
「ありがとうございます、ちょうだいします・・・」
会社で営業をしていたころのくせでそう言いながら名刺を受け取った。名刺を見ると、
あの世庁 自死防止委員会 思い出創作課
係長 井出山 浩二
と書いてあった。
「あの世庁・・・ということは」
名刺を机の上に置きながら、僕がそう声を出すと、
「そう、渡辺さんの予想通り、ここは現世ではありません。ここはあの世と現世の中間にある部屋でして、自殺をする手前の渡辺さんの魂を一時的にここに移動させています」
「自殺をする手前、っていうことは、まだ僕は死んでいないんですね」
「その通りです。栃木県F町の踏切内に寝転がっているあなたの魂を、引っ張ってきました。この部屋の中にいると、時間は止まったままになるので、肉体も無事です」
「はあ、そうですか」
「よかったですね、いぇいっ」
「・・・」
ちょくちょくハイテンションになるこの井出山というおじさんが、僕はすこしうるさくなりはじめていた。それに、もう自分が死ねたのかと思って一瞬期待したのに、まだ生きているということが残念でならなかった。井出山さんはそんな僕の気持ちに気づかず、話を続けた。
「自死防止委員会というのは、彼岸にある、神様を長にした『あの世庁』が、平成18年に創設した委員会です。名前の通り、自殺を防止し、自殺者を救うことを目標にしています。我が国で自殺者が毎年のように年間3万人を超えていたことを、神様も放ってはおかないでいた、というわけです。その中で私ども思い出創作課は、自殺を図って死ぬ間際にいる方の魂を、あの世とこの世の境にあるこのような部屋に引っ張ってきて、その方が自殺をしなくなるような思い出を作ることを任務にしています」
「思い出を作る、ですか・・・?」
「そうです!二度と自殺をしたくなくなるような思い出を、その人の人生の中に後付けではありますが作るのです!そうして元気になった魂を、元の肉体に返す・・・というのが私どもが行っているミッションになります」
「そうですか・・・」
僕はそう言うと、思わずため息をつき、パイプ椅子の背もたれにもたれかかった。パイプ椅子がギシ、と音を立てた。
「どうしました?渡辺さん」
「いえ・・・正直に言って申し訳ないですが、がっかりしました。未来を変えるとか、過去のある地点から人生をやり直せるとか、もっとそういう根本的なチャンスがもらえるのかと思ったのに。思い出を作るだけ、なんて」
「ははは、だいじょうぶですよ、はじめ、皆さんそう言われますが、実に効果的な方法なんです。その人が本当に救われる、良い思い出というのがひとつでもあれば、人間自殺なんてしないものなんです。それに、未来を変えたりなんて大掛かりなことは、コストの面から言っても実現不可能ですし・・・」
そのコストがなんちゃらというのが本音なのだろうと、僕には思えた。
「実績もきちんとあってですね、思い出創作科が本格的に始動した2012年からは、我が国の自殺者は3万人超から2万7千人あまりにまで減少しています」
「それって、2万7千人の人は思い出を作ってもらってもやっぱり自殺しているってことですよね」
「ははははは、だいじょうぶだいじょうぶですよ、渡辺さん!騙されたと思って、思い出を作りましょう。私も尽力します。さあ、いいですか?」
「はい、お願いします」
何とも納得がいかなかったが、これ以上話し合いをしても無駄に思えたので、僕はその思い出創作とやらを試してみることにした。
「ありがとうございます!では・・・」
井出山さんは座っている椅子をちょっと引くと、スチール机のお腹のところにある引き出しを引いた。そこから、紐を通した五円玉を取り出した。そうして引き出しを閉じると、その五円玉に通した紐の端を右手でつまんで、五円玉をぶらぶらとさせて僕の目の前に持ってきたのである。
「ちょっとそんな、いくらなんでも古典的すぎません?」
「しっ!だいじょうぶですよ、皆さんはじめは不安がられるんですけど。しっかり催眠にかかります。さあ、これから渡辺さんには催眠にかかっていただき、その中でこれまでの人生になかった新しい思い出に浸っていただきます。思い出に浸ってこちらに意識が戻る時は、自殺なんてもうしたくなくなっていますよ。では行きます、はい、五円玉の、中心の穴を見てください。あなたはだんだん眠くなーる、あなたはだんだん眠たくなーる・・・」
僕は半信半疑のまま、井出山さんに言われた通りに五円玉の中心を見た。五円玉はゆっくり左右に揺れ、やがてその穴がこちらに迫ってくるように大きくなってきた・・・。




