彼と彼女の夢物語
あまり心臓によろしくない小説。
この世界の色彩は壊れてしまったのだろうかと心の隅で思う。
どこを見ても赤く染め上げられていて、ただ彼女の髪が艶やかな黒だった。僕は数回瞬きをして彼女に尋ねる。
「どうして?」
『なんのこと?』
「どうしてこんなことをするの」
『楽しいから』
彼女は嬉しそうな顔で殺戮を繰り返す。死体も彼女も見えないように目を閉じると、目眩と共に目を覚ました。
□□□
この世界の色彩は壊れてしまったのだろうかと心の隅で思う。
辺りは真っ青で、青い顔をした人が転がっていた。
あの人はペンキでところどころ青く染め上げ、最後に呼吸をしなくなった人たちにそれを浴びせた。私はそれに触らないように気を付けながら尋ねる。
「どういう意味があるの?」
『なにが?』
「青く染めたら、なにか起こるの?」
『さあ。でも綺麗じゃないか』
あの人は清々しいほどの笑顔で言った。私は首を横に振りながら目を閉じる。瞼の奥で、光が見えた。
□□□
瞳を開けると、彼女は誰かの頭を持ってこちらを向いた。ああまたか、と思う。
ああまたか?
どうしてそんなふうに思ったのだろう。こんなことが前にあったはずがないのに。
「やめてくれ」
僕は思わずそう懇願していた。彼女は聞こえていないようだった。
僕の目の前で、一つ、また一つと命が消えていく。彼女の手によって。
「やめてくれ」
彼女はやっと僕の声に反応を示した。
『あなたはそうやって、止めようとはしないじゃない』
僕は天を仰いで目を閉じた。
『ほら、そうやって』
逃げようとするでしょ?
そんな言葉と共に、彼女の笑い声が遠のいていった。
□□□
あの人は土を掘っていた。時おり汗を拭いながら、無言で掘っていた。そこに埋めるのは……
「やめて!もうやめて!」
声は届かない。あの人はまったくの無表情で土を掘り続けた。
「やめてよ……!」
やっとあの人はこちらを見た。
『君はそうやって、僕を止めようとは思わないだろう?』
私は目を閉じてゆっくり、だけどしっかり首を横に振った。
『ほら、ね……』
もう逃げようとしている。
私は首を振るのをやめた。なにかを思いだしかけたからだ。
「あ……」
目を開けた瞬間、そこは違う場所へ変わっていた。
□□□
水に沈む人々を、彼女はしゃがみこんで見つめていた。楽しそうに、嬉しそうに、無邪気な笑みを浮かべて。
僕はなにも問わなかった。彼女をずっと見ていた。
僕がすべきことはなんだろう。彼女のために、できることは。
彼女が幸せなら、それでよかった。もしもこのままで彼女が幸せなら、それはそれでいいのかもしれない。
「君が好きだよ、ずっと」
彼女には聞こえなかったに違いない。いつもそうだ。この言葉だけは通じない。
僕はため息混じりに目を閉じた。目眩がした。
……いつも?
そうだ。何度も何度も、僕は夢を見た。夢が終わったらまた夢が始まって、けれどもそれはいつだって、彼女が殺人を犯す夢だった。
そしていつだって、僕は間違いを犯した。今だってそうだ。はっきりとわかった。僕は間違いを犯したんだ。
□□□
あの人はナイフを持って歩いていた。服はもうすでに赤く染まっている。今度は誰を殺しに行くのだろう。
私は静かにあの人を追いかけた。あの人は道を歩いていた見知らぬ人を刺そうと、ナイフを構える。私はそんなあの人に後ろから抱きついた。
「大好き……!」
ぎゅ、と瞳を閉じる。くらくらした。
ああこれも不正解。きっとこの言葉は届いてない。
本当は、わかっていた。正解なんて、ずっと前から。
□□□
目を覚ますと彼女が立っていた。
目を覚ますとあの人が立っていた。
少し驚いたような顔で僕を見ていた。
少し驚いたような顔で私を見ていた。
ああ、今僕らは通じあえているんだと理解した。
私はあの人に手を伸ばした。
すると彼女も必死に手を伸ばしていた。
私たちの手は触れられそうで触れられない。
僕らは急激に離れ行くことを感じた。
終わらせるよ、と叫ぶ。
もう怖くないよ、と叫ぶ。
それから最後に、ごめんねと呟いた───。
□□□
水に沈む人々を、彼女はしゃがみこんで見つめていた。楽しそうに、嬉しそうに、無邪気な笑みを浮かべて。
僕はなにも言わず、彼女の肩を掴んだ。思っていたよりずっと、細くて壊れそうな肩だった。
彼女は抵抗しなかった。押し倒したときも、その細い首に手をかけたときも。
僕は力を入れ続けた。彼女の綺麗な目が虚ろになったとき、少しだけ力を抜いた。
「君が好きだよ、ずっと」
彼女が幸せなら、それでよかった。でも、それはきっと間違っていた。なにが間違っていたのか未だによくわからないけれど、確かに間違っていた。もっと早く、こうするべきだった。
僕の言葉は届いただろうか。彼女は微かに笑った。
僕は最後に、思いきり力を込めて彼女の首を絞めた。
□□□
あの人はナイフを持って歩いていた。服はもうすでに赤く染まっている。今度は誰を殺しに行くのだろう。
私はあの人を追いかけた。あの人は道を歩いていた見知らぬ人を刺そうと、ナイフを構える。
私はあの人と見知らぬ人の間にふらりと立った。
飛び散る鮮血に、あの人のうろたえる顔が愛しくて。私はあの人を力一杯抱き締めた。
「大好き……!」
届いただろうか。届いたのだろう。あの人は迷子の子供のような顔をして、少し泣いた。
□□□
愛する人に殺された少女の痛みと、愛する人を殺した青年の苦しみを残して、二人の夢は唐突に終わりを告げた。