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夢か現か、或いは願望か

作者: S

 気がついたら、わけの分からない世界にいた。

 私の名前は、山田美晴。だった。少なくとも、つい先日までそうだった。人生十九年間、そうだった。それが変わったのは一週間ほど前だ。朝目覚めたら、全く見知らぬ場所にいた。そんなこと有り得るだろうか。いや、ない。有り得ない。だが有り得ないのに起こってしまったのだ。目覚めてすぐに思ったのは、布団が軽い、だった。本当に質の良いであろう羽毛布団は軽い、と、言うことを知った。何故か身をもって知った。そして疑問に思ったのだ。我が家の何処にこのような布団があったのだろうかと。いや、もしかしたらあったのかもしれない。しかしどう考えても、客用だ。あったとしても客用であり、私が使うことはないだろう。なのに目覚めたら、これが掛かっていたのだ。思わず首を傾げて、未だ横になったままめくってみた。めくって更に驚いた。自分のパジャマが変わっていた。何だこれは。見れば、パジャマというよりもネグリジェと呼んだほうがしっくりくるような。こんなレースやらフリルやらがふんだんに付いた寝巻初めて着た。凄い。無駄に豪華でちょっと引く。その上丈が十分に長くとも足元がスースーするので、やはり寝る時はパジャマがいいなと思ったが、問題そこではなく。そう、何時こんなものを着たかだ。記憶がない。寧ろ誰が着せたと問う方が早い気すらする。だが違和感はこれだけではない。更なる違和感を払拭すべく辺りを見渡せば、全てが全て、見知らぬといって良かったのだ。一体何処ですかここは。私の小汚い自室は何処へ行った。そんな室内はそう、例えるならばヨーロッパの貴族が住んでそうな和の要素皆無な内装になっていたのだ。しかも広い。元々住んでいた自室の五倍は余裕である。そういえば布団どうこうではなく、そもそもベッドが違う。天蓋つきだった。天蓋だよ天蓋。お姫様仕様だよ。何だろう小さい頃の憧れが今ここに。天蓋付ベッドという響きがもう素敵だ。だがそれも昔の話。確かに欲しかった。天蓋付ベッドが欲しかった。しかし、こんな豪奢なベッドが部屋に入るはずもなく、すぐさま諦めていたのだ。なのにその諦めたはずのベッドで私は寝ているのだ。一体何がどうしてこうなった。最早疑問しかない。私は考えた。だがその疑問に際し、自ら答えを出す間を与えようとせぬかのように、音がした。

 コンコン。

 ノックだった。

 扉をノックする音だ。思わず音の方を見る。これまた豪華なドアだ。自室、であろうと思われる部屋の扉が豪華ってどうですか。分かりません。自問自答の意味無し。だが問題はそこではなく。そう、応えるか否か。もし応えなかったら、どうなるだろう。私を無視して何もなかったことになる、のだろうか。いや、なったとして、その後どうなるのか。そのままここにい続けるわけにもいくまい。多分。と、言うか、どうしてこうなったか分からない以上、応えるべきだろう。応えて、聞くべきだ。全てを。意を決して息を吸う。返事をするだけだ。返事をするだけなのに、緊張した。この後のことが、想像できないからだ。何が出るか、何も出ないのか。そして今正に、声を発さんとした。

 ガチャ。

 のだが、発する前に、扉は開いてしまった。

 ちょっと待って。返して私の決心返して。と、言うか、心の準備できてない。えっ? えっ? どうしよう? なんて思っている間にも扉は開いて、入ってきた人間を見た途端、私の目は覚めた。一気に覚めた。そりゃ覚めた。今までも起きているつもりだったが、瞬時に脳内がクリアになった。

 何故なら、入ってきたのは、イケメンだったのです。

 思わず上体起こしちゃったね。ガバッて、擬音出すくらい勢いよくね。だってイケメンなんです。私の人生十九年間で、こんなイケメン生で絶対見たことないわ、ってくらいイケメンだったんです。だって髪の色青いしね。まあ染めてるんでしょうね。明らかに日常生活に受け入れがたい色だけど、イケメンだし許されるよね。年は二十代後半かな。何か執事が着る様な服着てるけど、コスプレかな? そういや私もネグリジェ着てるし。いつの間にか。あー、そういうドッキリか何かかな? サッパリ心当たりないけど。巻き込まれる理由もないけど、もしドッキリだったら壮大だな。部屋まで違うんだもん。

「お目覚めでしたか。時間になってもお見えにならないので、心配しました」

 そんなことをつらつらと考えていると、何時の間にやらイケメンが間近で私をそれはもう心配そうな眼差しで見つめていた。ので、死ぬなら断然今がいいなって思いました。何これ、今日私の誕生日違いますけど。だがこれはチャンスである。何の、とは、聞かないで頂きたい。私は彼が部屋にくるまで、どうしてここにいるんだろうとか、ここはどこだろうとか、それはそれはもう聞きたいことがあったのだ。山ほどあったのだ。しかし、入ってきた人間が想像を絶するイケメンであったために、その全てはどうでも良くなった。これは私の人生における一大事である、と。この彼の心配する眼差し。これが嘘だといえるだろうか。これが夢だといえるだろうか。うん。言えるな。夢だな。現実にこんなイケメンが現れるわけないし、そもそも、こんな部屋にいるわけないし、私も含めて。つまりこれは夢なのだから、思ったとおりに行動すればよいのだ。

 迷わず私は目の前のイケメンの手を握り締めた。両手で握り締めた。そして言った。

「結婚してください」

 求婚である。名前も知らないが、そんなことはどうでもいい。髪が青くてもどうでもいい。何故ならこれは夢で、そして相手はイケメンだ。結婚の申し込みくらい、勢いでしなければ逆に失礼に当たるだろう。私は真剣に彼を見つめた。すると目の前のイケメンは一瞬驚いたように目を丸くして、その後にっこりと笑ったのだ。

「はい、喜んで」

 何と、成立である。

 おいおい、マジかよー。夢の中とはいえ、イケメンと結婚しちゃったぜー。やっべ何この幸せ。チューしちゃう? このまま勢いでチューしちゃう? そして目覚めちゃう? 大体夢ってのは一番いいタイミングで覚めるのだ。古来よりそういうものである。結婚が成立した今、目覚めるのは多少惜しい気もするが、だがこの幸せな気分を考えればこんなに良いタイミングもないだろう。

 よし、と、心の中で意気込みを一つ。

 このまま握った手を引き寄せて口付けてやろう。そう思った矢先だった。

「ふふ、本当にお嬢様は冗談がお好きですね」

 流された。

 ですよねー。流しちゃうよねー。今この瞬間、私の夢は終わったのだ。だが、目覚めない。あれ? と、思う間もなく握った手を解かれた。さらば温もり。残念な気持ちを抑えきれない私を前に、イケメンは微笑んでいる。さて、どうしたものか。結婚が破談になった今、すべきことは状況の把握であろう。

「こんにちは初めまして。私の名前は山田美晴です」

 取り敢えず自己紹介だ。

 既に求婚しちゃいましたが、順番明らかに間違えてますが、そんなこと気にしたら負けだ。何故ならこれは夢なのです。つまり、自己紹介なんていらないも同然なんだろうけど、そこはまあ何というか、礼儀的なあれですよあれ。何ですか。そもそも、夢だと決め付けておきながら状況の把握ってのも可笑しいんだけど、こう、自分でも抑えきれない違和感が私をそうさせたのだ。

 しかしそんな私の急すぎる自己紹介にも何ら驚きを顕にすることなく、イケメンは口を開いたのである。

「そうでしたか。でしたら今日は、美晴様とお呼び致しましょうか? 小百合お嬢様」

 誰だよ。小百合お嬢様って、誰。

 にこやかに告げられた言葉に、理解が追いつかない。

 あれか、壮大なドッキリの中の私の立ち位置と言うやつか。正直自分でも全然分からないのだ。夢なのか、現実におけるドッキリなのか。いや、どちらかといえば夢成分の方が多い気がするのだが。そう、所謂私の願望的な、或いは妄想的な何か。自分の置かれた状況といい、部屋といい、目の前のイケメンといい、私にとって凄くいい世界なのではないだろうか。夢だとして。つまり、如何様に行動しても悪いことにはならないのではないだろうか。だって夢だし。

 うん。そうとなれば、私は小百合お嬢様だ。

 取り敢えず置かれた状況に従って行動してみようじゃないか。

 だが置かれた状況に従ってとは言ったものの、何をすればよいのか。そもそも私は何なのか。小百合お嬢様はどういう人間で、普段何をしているのか。今からすべきことは何なのか。と、そこまで考えたところで、不思議な現象に襲われた。恐らくそれは傍目には何も分からなかっただろう。ただ、私の脳内で、不思議なことが起こったのだ。

 鷹觜小百合、十六歳、霞宮学園高等部一年。

 そんな単語が、ふ、と、脳裏に浮かんだのである。

 恐らく、これが今の私の個人情報の一部なのだろう。何故それがこのタイミングで出てきたのかは分からないが。だが問題はそこではない。そう、問題は、十六歳。高校一年生、つまり、女子高生だということだ。女子高生だ。女子高生である。三回も言ってしまったが、もう一度言おう女子高生だ。何ということであろうか。一番楽しい時期じゃないかこの野郎! おお、余りの設定に内心で盛り上がってしまったが仕方がない。女子高生だ。

「では、美晴様。私は外におりますので」

 そんな内心の盛り上がりなど当然知る由もなく、イケメンが告げた。そして優雅に部屋を後にする。部屋を出る間際、頭を下げるのも忘れない。うむ。苦しゅうない。手でも振ってやろうかと思ったが、一応やめておいた。まあ、振られた身ですしね! ちょっと根に持ってみる。流されたということはつまりそういうことだ。おのれイケメンめ。

 兎に角、掛けられた言葉は少なかったが、多分、用意をしろということだろう。何せ私は女子高生だ。学校へ行かねばならない。その為の用意が必要だ。だが用意って言っても、さてどうするか。ここで漸く私はベッドを出て、地に足をつけた。辺りを見渡す。改めて思うが広い部屋だ。顔を洗って、着替えて、ああ、何処に制服が、あるのかな……?

 ここまで考えたところで、また不思議な現象に襲われた。

 頭の中に次々と、部屋のことが浮かんでくるのだ。例えば、自室から豪華な扉を潜らなくとも、洗面所に辿り着けること。クローゼットは別の部屋にもあるが、制服類はここにあること。身支度は、この部屋の中で全て整うこと。

 そういったことが次々と浮かんできて、全く見知らなかったはずの部屋は一瞬にして、よく知るものとなってしまった。何だろうこれは。夢特典だろうか。だとすれば、便利である。頭の中にデータベースがあるような、いや、検索エンジンシステムがあるような、そんな感じだ。気になる単語を投げかければ、答えが返ってくるような。ここまで考えて、私は一つ試してみることにした。そう、あのイケメンのことだ。

 青色の髪、イケメン、執事服。

 西園寺秀人、執事見習い、二十七歳。

 問いかけたのも自分ならば、答えたのも自分だ。だが、まるで他人から答えを貰ったような、そんな感覚になるのだ。確かに自分の脳内で起きていることなのに、だ。実に不思議である。ともあれ、あのイケメンの名前は分かった。年も分かった。後家族構成とか、好きなものとか何か個人情報出てこないかな、と、思って色々単語を思い浮かべてみたが、それ以外は何も出てこなかった。面白くない。凄く良く出来たデータベースだと思ったが、もしかして、必要最低限の情報しか入ってないのかもしれない。いや、私の脳内なんですけどね。

 ひとまず、用意をすることにした。

 洗面所もやたら豪華だとか言うのはもう想定の範囲内だ。一々驚くまでもなかった。そのはずだった。それでも私は驚いた。設備の豪華さにではない。鏡に映った自分に、驚いたのだ。目の前、鏡の中には、酷く驚いた顔をする、美少女が、いた。亜麻色の髪に、深い緑の瞳。年若く、少し、気の強そうな顔立ち。だがそれ以上に品がある。どう見ても、いいところのお嬢様だ。誰だ、これは。そう、思った。思った直後に、答えが出た。

 小百合お嬢様だ。

 頭の中を探るまでもない。これが、鷹觜小百合。間違っても、山田美晴ではない。成程、こんなにいい暮らしをしているだけのことはある。この暮らしに見合った風貌だ。私は、今小百合自身でありながら納得した。そして、この美少女からの求婚をあっさり流してしまったイケメンに、感嘆した。やっぱ、違うねイケメンは。普通一も二もなく受けちゃうだろ、と。反面、美少女になってもイケメンに縁がない自分を感じずにはいられなかった。こんな美少女、断られるなんて普通はないよね、普通は。だが朝一で断られたのだから仕方がない。気分を切り替えようじゃないか。そう、私は今、小百合なのだ。きっと今後もイケメンには縁があるに違いない。目覚めなければの話だけど。

 せめて美少女でいる間に、恋愛がらみでいいことがありますように。

 そんな不埒なことを思い、制服に袖を通す。制服もこれまたお嬢様仕様の至って真面目なものでした。折角女子高生になったのだし、しかも美少女だし、思い切ってギャルになるのも良いのかもしれない。そう思った。そう思った時期が私にもありました。時期っていうかものの数秒のことだったけど。クローゼットの中を見て、思い知ったね。無理だって。だって超お嬢様仕様だった。清楚の一言に尽きる。これを汚しちゃったら、いろんな人が泣きそうだ。やはり、お嬢様はお嬢様なのだ。そう結論付け、大人しく私は小百合お嬢様でいることにした。

 うん、まあぶっちゃけこれらのことは、約一週間ほど前のことであり、今はちょっと慣れちゃったんですけどね。と、言うか、一週間ほど経過したというのに、私は未だに小百合お嬢様なんですけどね。

 どうしたものか。

 いや、どうにもならないので、先ほどの続きを回想してみようじゃないか。

 身支度を整えた私は豪華な扉を開け、漸く部屋の外へと出た。

 そこには宣言どおり、青髪のイケメンがいた。うん、西園寺さんね、西園寺さん。まあ青髪イケメンでいいや。待っててくれたみたいだし、声でも掛けるか。そう思った矢先、更なるイケメンが現れた。口を開きかけたが、声よりも先に視線が先走ってしまった。何故ならイケメンだ。囚われても仕方がない、いや寧ろ当然だ。この衝撃、そして唐突さ、まるでゲーム内におけるモンスターとのエンカウントのようである。ただ強ち間違ってもいない。イケメンなんて縁がない人間にしてみれば、そんなもんですよ。その突如として現れたイケメンは優雅に、だが素早く歩み寄ってきたのだ。攻撃か、来るのか、来るなら来てみやがれこの野郎。

「おはようございます、小百合お嬢様」

 よし、ダメージだ。受けた。ダメージ受けた。見てのとおり、ただ挨拶されただけですけどね! くそう、やるなイケメンめ。低いよく通る声に、ときめいてしまった。こちらはイケメンはイケメンでも、ロマンスグレーとの言葉が非常に似合うであろう、美中年だった。因みにロマンスグレーといったものの、白髪交じりどころか、全体的に髪の毛灰色なんですけど。ちょっと意味違うけど、グレーには違いない。そういうことにしておいて欲しい。しかし、朝から立て続けにイケメンに遭遇するなんて、なんていい夢だろうか。お陰で朝からときめきっ放しだ。確かに、青髪のイケメンには振られた。しかし私の闘志は、まだ燃え尽きてはいないのだ。

「おはようございます。結婚してください」

 やはりこのくらいのイケメンともなれば、出会い頭に求婚くらいしなければ、失礼にあたるだろう。だがそこは美中年。慣れているのか年の功か、全く驚く風もなく、口角を上げたのだ。 

「お嬢様、年寄りをからかわないで下さい。本気にしてしまうではありませんか」

 本気ですけど何か。

 そう、言おうと思ったが、やめた。ちょっと冷静に考えると、十六歳の小百合お嬢様とこの美中年では流石に犯罪だ。個人的には好きなんだけど。取り敢えずこれ以上興味を持つのは止めておこう。危険な香りが立ち込めている。

 すると黙って立っていた青髪イケメンが口を挟んだ。

「今日のお嬢様の冗談なのですよ。私も先ほど求婚されました」

 まあ私は少なくともあなたには冗談じゃなかったんですけどねー。確かに勢いの部分もありましたが、私の本気度が微塵も伝わらなかったようで残念です。

「成程。しかしお嬢様、私や西園寺には構いませんが、くれぐれも外では口になさいませんよう、お気をつけ下さい」

「はあい」

 美中年が真面目腐って注意をする。対して私は気のない返事をする。いやだって、確約できませんし。やはり度を越したイケメンに対しては、求婚くらいしちゃうと思うんだよ。それが礼儀というものだと思うのだよ。例え流されても私はめげないのだよ。

「お嬢様、返事が長いですよ」

「はい」

 恐らくこの美中年にとって小百合お嬢様は、子供みたいなものなのだろう。どう考えてもそういう注意の仕方だ。いやまあ実際娘くらいの年齢なんだろうけど。しかし何というか、美中年にいい声で注意されるってのもそれはそれでいいものだよね。美声は腰にくるし、またもや胸がキュンとした。イケメン万歳。更にふざけて注意されてみちゃおうかな、みたいな気にさせるよね。ちょっと悪戯でも考えてみるか。

「楠木さん、今日のお嬢様は、美晴様だそうです」

 そんな、どこかそわそわした気持ちを萎えさせるかのように、青髪イケメンがまたもや口を挟んだ。おいイケメン、私と美中年の時間を邪魔するでない。等と、思っても言えるはずはなく。それどころか、美晴という名に心が跳ねた。本来の、私の名だ。今日どころか、昨日も明日もずっとその名だ。その筈、だったのだ。それが何がどうなったのか、こんな夢を見ているわけですが。私の願望というか、妄想力凄くない? 誰にともなく自慢したくなるよね。現実では山田美晴という冴えない十九歳の女が、夢の中では鷹觜小百合という十六歳の超絶美少女、しかもお嬢様ですからね! 余りのギャップに思わず逃避したくなるよね。しかも現在のところ、イケメン遭遇率100パーセントですからね! 有り得ないよね。有り得ないから夢なんですけれども。いやー、目覚めてから部屋を出るまで、たったそれまでの間にこのいい思い。何時目が覚めても悔いはありません。寧ろそろそろ覚めて欲しい。

「では美晴様、ご案内いたしましょう」

 普通ならば、え、何言ってんの? 今日は美晴とかアホなの? って、思うところを、さらりと流したイケメンは流石だと思うんですよ。聞き返すこともせず、あっさり受け入れちゃうイケメンは流石だと思うんですよ。普通疑問に思うでしょ? 突っ込むでしょ? 青髪イケメンもそうだけど、私の言うことをそのまま納得しちゃうんだよ。それがお嬢様に対する当然の態度なのか、それとも小百合お嬢様だからそうなのかは分からないけども。でも、やりやすいからいいや。一々突っ込まれても、多分応えられないし。私自身、夢以外の答えを持っていないのだ。

 兎に角何の他意もなく、山田美晴と自己紹介をしておいたお陰で、まるで当然のように美中年に案内されました。正直助かった。頭の中を探れば建物内の地図くらい出てきたかもしれないけれど、あんまり自信ないし、着いていくだけの状態というのは有難い。今日の私は山田美晴ということで、初めてこの屋敷に来た設定で接してくれるらしい。何て凄いのだ美中年よ。お陰で御上りさん宜しくきょろきょろ辺りを見回しても、全然変に思われない。何でも言ってみるものだ。もしかしたら彼は彼で、今日のお嬢様の冗談は手が込んでるな、くらいに思っているかもしれないが素です。仕方がない。私は事実、山田美晴なのだから。

 どこかふわふわした気分で案内され、流されるまま食卓……いや、この場合はもう食堂と言ったほうがいいのかもしれないが、そこで席に着いた。当然のように美中年が椅子を引いてくれる。こんなサービス受けたの何時以来だろうか。ホテルか。ここはそれなりのホテルのレストランか。そして出てきた朝食は、もう一々言うまでもなく、これが貴族の朝食か……! と、思わせるに十分で、またもや得した気分になったのだった。正直食すまで気が引けたが、私は小百合お嬢様なのだからと言い聞かせた。だって、手をつけるのが勿体無いというか、え、ホントにいいの? 食べたら返せないよ? とか、思ってしまったというか、庶民ですよ! どうせ庶民ですよ! 中身は山田美晴なんですよ! しかしそんな葛藤も食べたらどうでも良くなった。美味いは正義。何て素晴らしい夢だろうか。うん。

 そして私は学校へと向かうべく、美中年を筆頭に、絶対家族じゃないな、と、思われる人々に見送られ豪邸の門を潜るのだ。

 因みに、通学は車ではありませんでした。ここまできたら、絶対黒塗りの運転手つきの高級車で登校だと思っていたんだけど、徒歩だった。変なところで現実的だ。

 さて、学校へ行こう。

 因みに私が登校し始めて、一週間ほどになる。そう、もう、一週間ほどになるのだ。だから慣れた。大概慣れた。

「おはよう、小百合」

 こうして、家と呼ぶには豪華すぎる邸宅から一つ目の曲がり角で出会う人物にも、慣れたのだ。因みに最初は、さあ学校へ行くぞと家を出たものの、当たり前のように道が分からずに立ち止まってしまったのだが。だが私には脳内データベースがあるのだ。道の端によりつつ脳内で、学校、通学経路、等とそれらしい単語を頭の中に浮かべたその時だった。

「どうしたんだ、小百合。遅いから心配したぞ」

 そう、声をかけられたのだ。

 イケメンに。

 すわ、朝からナンパか、美少女に平穏はないのか。等と、どうでもいいことを考えながら、見蕩れてしまった。寧ろ視線を外せなかったといったほうが正しいかもしれない。ただ呆然と、突如現れたイケメンを凝視してしまったのだ。そもそも何故イケメンは突然現れるのか、イケメンだから突然現れたと思うのか。いや、そんなことはどうでもよく。ただ立て続けにイケメンに遭遇するものだから、それが余りに頻繁だから逃避したくなったのだ。

 そうして、極普通に名を呼びかけてきた、明らかに知り合いと思われるイケメンは、心配そうな表情で私を見下ろしたのだ。

「本当にどうしたんだ」

「いえ、その」

 どうしたもこうしたも。

 取り敢えずこの相手の様子から知り合いだと断定して、脳内データベースを探ってみる。イケメンを前にし、意外にも私は冷静だった。つい先ほどまでの私なら、求婚していただろう。だが見るからに相手は小百合お嬢様と同年代、所謂男子高校生だ。流石に十代の若者に求婚はまずい気がする。そもそも求婚などしたら、本気で応じられてしまう気がする。いや勿論、私自身、イケメンと結婚できるならそれに越したことはないのだ。だが今は、山田美晴ではない。意識は美晴だが、外見は小百合なのだ。そしてイケメンは、小百合に話しかけているのだ。その目、言葉、全てが小百合に向いている。そりゃ勿論、彼の目の前にいるのは山田美晴ではなく、鷹觜小百合なのだから当然であるが。

 今私には、確信を持って言えることが一つあった。

 この突然現れたイケメンは、何処からどう見ても、小百合に恋をしている。

 当事者でありながら、私はそう思った。彼の心配する言葉、何よりその目は本気で、愛しいものに向けるそれであると、私自身然程に恋愛経験がないのに分かってしまったのだ。それは私が小百合であって小百合ではないのが、理由であったかもしれない。客観的に、見ることが出来てしまった。他人が他人に向ける恋愛感情だと、割り切れてしまったからかもしれない。

 そもそもこのイケメンは一体誰で、小百合とはどういう関係なのか。脳内へと問いかける。

 黄色頭、通学路、男子高校生。

 因みに、彼の頭は黄色だ。金髪ではなく、黄色だ。タンポポみたいな色をしている。正直、染めるにしたってそのセンスはどうよ、と、思ったが、もしかすると地毛なのかも知れないと、思うようになった。だって良く見たら、眉も同じ色なんだもの。そういや、青髪イケメン西園寺さんも、眉も髪と同じ色だった気がする。もしや、そういう世界観なのだろうか。夢だし。

 その私の夢がはじき出した目の前のイケメンの情報はこうだった。

 今藤健太郎。十七歳。庭師の息子。

 名前と年齢はいいとして、庭師の息子って何だ庭師の息子って。突然出てきた親の職業。そうして私は脳内で、庭師の息子を掘り下げる。どうも彼の父は、鷹觜家の専属庭師らしい。成程、これはあれか。幼い頃父の仕事場にきたら、そこのお家のお嬢さんと知り合いになっちゃいました的な良くあるあれか。あれって何ですか。王道だよ! 王道展開のことだよ! と、言うかそんなのありがち過ぎて逆にマジであるの? って、レベルだよ! と、思って、気付いた。これは夢であると。つまり多分、私の想像力の限界がここだったのではないだろうか、と。だってありがち過ぎるじゃないかそんなの。でも想像したらちょっとキュンとしちゃうよね。

 しがない庭師の息子と、父が仕えるお宅のお嬢さんとのラブストーリー。しかもお嬢さんは超絶美少女で、庭師の息子も何故かイケメン。頭黄色いけど。幼い頃は共に遊び、しかし年齢を重ねるにつれ会う機会も減り、唯一の逢瀬は登下校のみ。庭師の息子はお嬢さんへ気持ちを伝えるのか。そしてお嬢さんは庭師の息子の愛に応えるのか。お付き合いを反対するお嬢さんのご両親。お嬢さんは家を捨てるのか。庭師の息子は受け止め切れるのか。身分を越えて、逃避行へと走るのか。乞うご期待!

 的な、まあそういうことだよ。

 うん。いいかもしれない。これはいっそ、庭師の息子の気持ちに応えてしまおうか。

 いやいや駄目だ。私は小百合であって小百合でないのだ。そのような勝手な振る舞いは避けるべきだ。まあ勝手に振舞ったところで夢なんですけど。えー、どうしよっかなー、くっついちゃおうかなー、今藤君イケメンだしなー。

 等と、脳内で色々考えながら登下校デートを楽しむこと一週間ですよ。

 一週間経っちゃったんですよ。

 最早登下校というより、ただのデート気分ですよ。だってイケメンだもの。今藤君は小百合お嬢様にそれはそれは優しいし。その優しさが私に向けられているのではなく、小百合に向けられていると分かっていても、キュンキュンしてしまう。やべー、イケメンやべー。

 因みに今藤君は、小百合お嬢様と違う学校に通っている。

 にも関わらず、毎日決まった時間決まった場所で、小百合お嬢様を待ち伏せているのだ。愛の力って凄いね。これに流されないとかもう普通の女子じゃない。正直一週間経ってやっと慣れた感じ。最初はね、出会うたびに、また来たなイケメン! くらいの気持ちだったんだけど、今や、お勤めご苦労様でーす。みたいな、そんな気分だもの。ごめんよ今藤君。君が愛の眼差しを向ける相手の中身は別人なんです。知ったら驚くどころの騒ぎじゃないだろうな。言っても信じないだろうけど。寧ろ言ったら、真剣に心配されて病院へ行くことを進められる、いや連行される気がする。うん。ある意味違う学校でよかった。だってこの感じだと、今藤君学校でもずっと付きまとってそうだ。それはそれでキュンとするけど、一歩間違ったらストーカーです。だがそれくらい、今藤君の小百合に対する思いは強いのだ。目は口ほどにものを言うをこんなに実践してる人いないんじゃないかな。好き好きオーラというか、光線出まくってんですよこの人。

「同じ学校だったら良かったのにね」

 同じ学校じゃなくて良かった、と、思ったくせに、反対のことを口にしてみる。いやだって、反応が気になって。ごめんよ今藤君。君の好きな小百合お嬢様の中身は、別人なんだよ。

「仕方ないさ。お前と俺じゃ身分が違うからな」

 いや、身分は同じだろうよ。

 思わず内心で突っ込んでしまった。だって、寂しげに笑いながらそんなこと言うんだもん。身分は一緒だよ。同じ高校生ですよ。もし親の職的な意味で言っているにしても、鷹觜家の専属庭師ってそんなに悪くないと思うんだよ! あるのは世帯収入の差だよ多分。だからやっぱり身分は同じだと思うんですけど。因みに私、親の職業知らないんですけれど。ただあの豪邸からして、何らかの地位は築いてんだろうな、としか。脳内探ってもいいんだけど、あくまで鷹觜小百合の親であって私の親ではないので躊躇しているのだ。

 取り敢えず、身分は同じだよと言おうか言うまいか考えている内に、先を続けられてしまった。

「でも、もしお前が望むなら、つれて逃げることも出来る」

「いや、逃げちゃ駄目でしょ」

 しまった。突っ込んでしまった。

 今藤君が目を丸くしている。

 少なくとも小百合お嬢様はそんなこと言うキャラじゃなかったんだろう。分かるよ。知らないけど分かるよ。だってお嬢様だもの。そんなイケメンに冷たく突っ込むような真似しないよね。分かるよ。すげー居心地悪いよ。分かるよ! でも、逃げちゃ駄目だと思うんだよ!

 と、脳内で、庭師の息子とお嬢様の愛の逃避行を妄想したくせに言ってみる。

 いや、あれ、妄想だから。現実じゃないから。でもこれも夢だから! ああああああ。どうしよう、可愛らしく、冗談だよてへぺろとかやってみるか。いける。小百合ならいける。何故なら私は十六歳で、しかも超絶美少女なのだ。やろうと思えば、全て冗談で済まされるのだ。美人て得。

 よし、と、内心で気合を一つ。入れたところで、今藤君が、ふ、と、息を吐き出すように笑った。 

「そうだな、逃げちゃ駄目だな。正々堂々と、迎えに行くよ」

 人通りの疎らな通学路には鳥のさえずりしか聞こえず、あたかもここは往来でありながら、二人の世界を形成していた。その二人の世界をより強くするかのように、早朝からイケメンにプロポーズ紛いの言葉を掛けられました死ぬ。何これ、死ぬ。今藤君格好良すぎる死ぬ。思わず頷きそうになったわ、この野郎ー! 流されなかった自分が不思議。イケメンに求婚はしても、自分がされた事など当然ありません。これはもうあれだね。小百合お嬢様は今藤君と幸せになっちゃえばいいんじゃないかな。うん。それがいい。ちょっとストーカーの気があるけど、イケメンだよ。言うことないよ。

 頷くか、それとも何か言葉を返すか、と、考えている内に分岐路へと差し掛かった。彼とは違う学校なので、別れなければならないのだ。ちょっとほっとする。このままの気分で一緒に学校行ったら、一日中今藤君のことを考えてしまいそうだ。イケメンは罪作りである。

 まるで何事もなかったかのように今藤君は、軽く私の頭を撫でて別れていった。これはもしかしてあれだろうか。世の女子が、頭をポンポンされるのが好きというのを知っているのだろうか。それとも素でやっているのだろうか。また無理に返答を求めない辺りもイケメンである。今藤君ヤベー、超ヤベー、等と思っていた私は、彼に言葉を返すことも忘れていた。全く酷い女である。鷹觜小百合は美少女であることに胡坐をかいているのだ。中身についての突っ込みは聞かないでおく。

 いやでも突然イケメンにプロポーズされたら呆然としちゃうと思うのよ。

 純情なんです私は。例え夢の中だと分かっていても、動揺せずにはいられなかった。そう、例え夢でも。そう、夢だった。あー、これ夢だった。知ってた。知ってたけど忘れてた。夢じゃなかったらあんなイケメンが突然求婚紛いの台詞吐いてこないよね。思わず納得。でもそれを上回る残念な気持ち。いっそ目覚めないかな、今。

 一つ息を吐いて、とぼとぼと歩き出す。

 夢の中だというのに空は明るいわ、春らしく過ごしやすい気候だわ、言うことない。

 唯一つ気になることがあるといえば、背後から馬の蹄のような音が聞こえてくることだ。閑静な住宅街に、パカラッパカラッと、馴染みのない音が響いている。しかも近付いてくる。いやいやそんな馬鹿な。幻聴だろう。鳥のさえずりに混じって、馬の足音が聞こえるってそれはもう住宅地じゃない。森ですよ森。そして何故野生の馬を想像した自分。いやいや、これも一種の現実逃避ですよ。そもそも現実じゃないって話ですよ。夢なんです。夢だから、早朝の住宅街を馬が歩いていても違和感ないんです。私だけが馴染めないだけなんです。まだ夢の住人になって日が浅いからね!

 私は決して足を止めなかった。

 だって近付いてくるんです。音が近付いて来るんだよ! 追いつかれたら死ぬくらいの気持ちで歩いた。だって怖い。通学路で馬に会うとか、立て続けにイケメンに出会う確立より余程低い。寧ろ比べるべくもない。つまり有り得ないんですよ。どうして学校へ行く最中、追われているような気分を味わわなければならないのか。これはあれですか。試練ですか。イケメンに求婚紛いの台詞を吐かれ、ちょっといい気になった私への試練ですか。いやでもあれは、私ではなく小百合お嬢様へ向けたものでして、そもそも私は誰に弁明しているのだ。

 馬の足音が近くなり、人では絶対に有り得ない、大きな影が差した。

 思わず足を止めれば、まるでつられる様に隣に影が並んだのだ。

 恐る恐る視線を向ける。

 視界に飛び込む白い毛並み。

 馬である。

 分かっていたが、馬である。

 疑いの眼差しを向けてはみるが、残念ながら馬である。

 どうしてこんな住宅街にいるのか分からないし、寧ろ分かりたくもないが馬である。

 しかも見事な白馬である。

 うん。初めて生で馬を見た。いや、思ったより大きいよね。立派だよね。怖いよね。馬だよね。目を合わせる勇気がないので、私はゆるゆると視線をあげた。馬よりまだ人の方がいいと思ったのだ。馬上には人の姿。手綱を握り、私を高いところから見下ろしている。思わず私は手をかざし、目を覆おうとした。まぶしい、と、思ったのだ。そう、眩しかった。日差しがではない。

 それはもう見事な金髪が眩しかったのだ。

 間抜けにも口が開いてしまった。発する言葉もないのに、自然とだ。呆けてしまった。何故なら視線の先のその人は、見事な金髪に碧眼、そして言うまでもなく。

 イケメン、だったのです。

 おいおい、マジかよ。

 ここに来て又イケメンてどういうことだ。何なの? イケメンの大安売りなの? 買い手は私一人なの? 馬に遭遇するよりはイケメンに遭遇する方が確率的には上だと思っていた。ならば馬に乗ったイケメンに遭遇する率は如何程だよと問いたい。誰でもいいから問いたい。そして誰でもいいから答えて欲しい。正直私が一人で対峙するには大きすぎる敵だと思うんですよ! 疑問というか存在そのものが。

「おはようございます」

「お、おはようございます」

 何故か挨拶された。

 いや、何故というか朝だし、挨拶自体は普通なんだけど状況が普通じゃないと言うか、思わず応えちゃったけど無視する勇気もないと言うか、イケメンの微笑が目に痛いよ! 何そのさも私は普通のことしてますみたいな顔! そう、イケメンは平然としていた。馬上から人を見下ろしておきながら、何も可笑しなことなどしていませんという風体でそこにいるのだ。こっちは突っ込みたいのを我慢しているというのに! いやいや考え方を変えよう。私は夢の住人になって日が浅いのだ。もしかすると、この夢の中では突然馬に乗ってイケメンが現れることも日常の一部なのかもしれないそんな馬鹿な。そんな馬鹿な。思わず二度言ってしまった。だってそんな馬鹿な。いやでも、実際こうして目の前に馬がいるわけだし、事実珍しいことではないのかも知れない。だが例えそうだとして、そもそも私はここからどうすればよいのだ。

「み、見事な馬ですね」

 取り敢えず褒めてみた。苦し紛れ感半端ないよ! 分かってるよ! その場凌ぎだけど何も思いつかないんだよ!

「有難うございます」

 対して、全く動じないのがイケメンである。

 何という強敵。最早求婚しようという気すら起きないではないか。いや、寧ろ求婚したほうがいいのだろうか。その方が会話の糸口が広がるような、って、広げる必要があるだろうか。ないな。絶対ない。多分関わっちゃいけない人だ。だって、早朝に白馬に乗って、しかも金髪碧眼のイケメン。完全に二次元からこんにちは状態だ。まあそれも含めて夢って言うのなら仕方ないんですけどね!

 どうしよっかなー。夢なら聞いてもいいかなー。

「ところで、何故馬に」

「徒歩より速いので」

 簡潔なお答え有難うございます。

 そっかー、徒歩より速いからかー。そんな理由で住宅街を馬で闊歩しちゃうんだー。しかも早朝から。そっかー。それなら仕方ないなー。仕方ない。理解出来なくても仕方ない。寧ろ意味分からない。え、何で馬? しまった、尋ねたのに冒頭に戻ってしまった。だって全然理解できないんだもの!

 聞いた私が馬鹿でした。

 少しでもイケメンと通じ合えるかもなんて、思い上がりでした。そもそも最初から通じ合う気なんてありませんでした。ちょっと思ってみただけです。大体イケメンと凡人では釣り合いが取れなくて当然でした。求婚しなくて良かったー! 

 よし、疑問は解消された。学校へ行こうじゃないか。これ以上人に会う前に。

「それでは、これで……」

「あなたは、不思議な方ですね」

「はい?」

 別れの挨拶を口にするつもりが、遮られてしまった。しかも不思議って何ですか。聞き捨てならない。私からすれば早朝から馬乗り回している人の方が余程に不思議ですよ。イケメンだから許されているようなものの、イケメンじゃなかったら通報されてますよ。イケメンじゃなかったら応対していませんよ。例え不審者でもイケメンだとスルーされる。イケメンて正義ですね。

 そんな私の心情など知る由もなく、微笑を浮かべたままイケメンが続けた。

「ジョセフィーヌは気性が荒く、僕以外には懐かないんですよ。それがあなたの前ではこうして大人しくしている。それがとても不思議だと思ったんです」

 へ、へえ……。

 相槌を打とうと思ったが、口角が上がっただけで言葉にならなかった。恐らく今私は引きつった笑みを浮かべているだろう。そうだね、それは不思議だね。でもね、私は気付いたんですよ。気付いてしまったんですよ。

 これは空想の世界でよく見られる、主人以外に懐かない暴れ馬が何故か美少女、或いは美女には懐くという謎の現象ではないかと! 更に言っちゃえば、これを機に馬の主人が美少女に興味を持ってあまつさえ恋愛へと移行する謎の段階ではないかと! そして何時の間にやらジョセフィーヌが恋のキューピットに!

 あるね。あるよね。

 その上私は超絶美少女、鷹觜小百合なのです。

 そりゃ馬だって空気読むって話ですよ。主人のために大人しくして、この美少女を主人にあてがってやろうという優しい馬心ですよ。何と優しいジョセフィーヌ。流石白馬だよね。賢さが滲み出てる気がするよね。怖くて直視してないんだけどね。

 よし、ここはこの山田美晴が、一肌脱いでくれようではないか!

 私はジョセフィーヌの思惑に乗ることにした。決して主人を持ってして気性が荒いと言わしめる彼女を恐れたわけではない。決して。うん。決して。

 イケメンから視線を外し、恐る恐る白馬へと目を向けた。無論そう見えないように、慎重にゆっくりと視線を合わせたのだ。頼むから暴れないで下さい。そう、心の中で語りかけて、その白い毛並みへと手を伸ばす。当然馬に触れるのは初めてです。内心ドキドキしながら、しかし悟られぬようにそっと触れた。温かい。ジョセフィーヌさんは大人しくしている。どうやら、私の心情が伝わったらしい。何と賢い馬だ。私はジョセフィーヌのために演じぬくことにした。保身のためではない。決して暴れ馬が恐ろしいとかそういったことではない。馬心に感銘を受けているのだ。

「ジョセフィーヌは賢いですね。こうして目を見れば、私が心を開いていることが分かるのでしょう。自分は元より、主人であるあなたの敵ではないと分かっているからこそ、触れることを許してくれるのでしょうね」

 決まった……!

 思わず心の中でガッツポーズ。私は女優、鷹觜小百合。

 そういってイケメンへと視線を戻せば、目を丸くして驚いている顔が目に入った。普通なら間抜け面です。しかし、どんな顔してもイケメンはイケメンでした。必要以上には崩れないよね。そういう夢を壊さない姿勢って大事だと思う。主に私のような一般女子の夢ですけど。見蕩れたい気持ちをひた隠し、私は意識して口角を上げた。微笑みに見えればいいと思いながら。慈愛すら感じられるであろう、美少女の微笑みにとくと見蕩れるが良いですよ。そんな風にちょっといい気になっていないと、必要以上に口元が緩みそうなんです。勝ち誇った笑みを浮かべたい気持ちを抑えているのです。

 ふ、どうだイケメンよ! 呆れただろう! 呆れ返っているだろう!

 そう叫びたい気持ちも抑えました。突っ込みたい。今、心のそこから突っ込みたい。いやいやあのね、どん引きですよ。幾ら私が超絶美少女でもね、あんなこと言われたら引きますよ。え、何言い出しちゃってんのこいつ? とか、思っちゃいますよ。恐らくイケメンの驚きの表情もそういうことなんですよ。あの正になりきった感、思い出すだけで本当は恥ずかしいですよ。でも私は鷹觜小百合ですから。山田美晴じゃありませんから。故にセーフなのです。イケメンが間抜け面を晒しても問題がないように、鷹觜小百合ならば大概のことは許されるのです。

 よし、去ろう。

 取り敢えずイケメンが呆然としている間に去ってしまおう。恐らく今は掛けるべき言葉も見当たらない状態だろうから、チャンスだ。きっとイケメンも突っ込みたいに違いない。だが相手が美少女なので、傷つけるのも悪いし、しかし納得しがたいし、と言うようなそんな気持ちに襲われているに違いない。分かる、分かるぞイケメンよ!

「それでは、失礼致します」

 だが、助けるわけにはいかないのだ。君の愛馬である、ジョセフィーヌのために! 今更馬に蹴られるのは御免です。そうじゃなくても怖いしね!

 一瞬だけイケメンへと視線を向ければ、未だに呆然としていた。長いな。だが正気に戻らせる理由もないので見なかった振りをした。見なかった振りをして、颯爽と去ることにした。極力早足で遠ざかることにした。走るわけにはいかないので、不自然じゃないように、しかし出来る限り全力で脚を動かした。

 何故かって?

 気付いたんですよ。気付いちゃったんですよ。馬と進行方向同じだってことに!

 あんな小恥ずかしい台詞吐いておいて、後ろから追いつかれて話しかけられたら死ぬ。羞恥で死ぬ。正直二度と会わないこと前提の話だったんですよ。あんな馬に乗ったイケメンなんて二度と会う機会ないな、じゃあちょっと弾けてもいいかな、くらいの気持ちだったんですよ。なのに後ろから、待って下さい! なんて、呼び止められたら死ぬ。多分聞こえない振りする。でも馬の方が速いから、意味ないのが分かってしまう。それで適当に吐いた言葉の意味なんて聞かれても、返す答えを持っていない。と、言うか、そもそももう関わり合いたくない。イケメンなんて一過性で十分ですよ! 贅沢な話だけど、正直もう間に合ってますよ! だから頼むイケメンよ、せめて私が学校へ辿り着くまでは正気を取り戻さないでくれ!

 そんな私の切なる願いが通じたのか、その後は何事もなく学校へ到着しました。

 疲れた。

 非常に疲れた。

 たかが登校しただけなのに、既に一日分の疲労感。

 鷹觜小百合だからやらないけど、疲労の余り山田美晴なら堂々としゃがみこんでるね。何だかんだ言って、私は鷹觜小百合としての体面を保っているのだ。いや、何か、悪いし。だって本当に見るからにお嬢様なんだもの。しかも美人。あー、つっかれたぁ、なんて台詞すら、口に出すのが憚られるレベル。今私は私であって私ではないのだ。今と言うか、ここ一週間ほどね! 長いよね……。あんまり考えないようにしてるけど、ふとした瞬間、長いな、いい加減覚めないかな、と、思うのだ。お嬢さん生活も全然悪くないんだけど。イケメン遭遇率半端ないし。でも今までの人生、イケメンに縁がなかったせいか、接してこられると対応に困るのも事実。やっぱああいうのは遠目から、適度に妄想しつつ眺めるに限るよね。それが鷹觜小百合の場合、妄想で終わらないから恐ろしい。改めて、美少女って凄い。

 一つ息を吐いて、荘厳な校門を潜る。人影は疎らだ。鷹觜小百合の登校時間は、普通より早めなのだ。もしかしたらそれは、黄色頭のイケメンこと今藤君に合わせているのかもしれない。うむ。やはり一押しは庭師の息子だろうか。世帯収入の差と言う壁があっても、彼は小百合を連れて逃げる気満々だし。この一週間毎日顔を合わせているからか、私の気持ちは今藤君寄りなのだ。何より彼は庶民だし。山田美晴も言わずもがなだし。

 そもそも私こと鷹觜小百合が通う霞宮学園は、何というか、庶民には絶対縁がないなと思わせるお金持ち御用達の私立校のようで、目に入るは何処となく品の良さそうなお嬢ちゃんお坊ちゃんばかり。最初はもう、浮いてる気がしてならなかった。だって私は山田美晴なんです。極普通の公立校しか通ったことないんです。こんな如何にも、門からして別物みたいな学校見たことすらない。場違いってこういうことだなって冷静に思ったけど、鷹觜小百合としては決して浮いてなどいないのだろう。

 気分的にはとぼとぼと、だが見た目は堂々と歩いていると眼前に壁が立ちふさがった。

 まあ壁って言うか人って言うか、イケメンなんですけど。

「おはよう、鷹觜小百合」

 何の変哲もない朝の挨拶も、このイケメンが言うと嫌味に聞こえる不思議。

 私の目の前には、薄い灰色の髪に眼鏡を掛けた神経質そうなイケメンがいた。行く手を阻むように向かい合い、私に鋭い視線を送ってくる。そもそも、進行方向逆の時点で可笑しいんですけどね。あなたの向かう方向出口ですよ。学校行こうぜ学校。

 因みにイケメンを前にし、何故私が平然としているかと言うと、このイケメンに会うのが初めてではないからです。寧ろ二度目どころか、今藤君並の遭遇率なんです。

「おはようございます」 

「今日も一人か。鷹觜財閥のお嬢さんは友人の一人もいないと見える」

「そうですね」

 そして、初対面からこうだ。

 私が言うのも何だが、鷹觜小百合は割りと万人から好かれるタイプのようだった。それは私の夢なのだからそうかもしれないが。現実はどうあれ、せめて夢の中では相手が誰であろうと嫌われたくないよね。だがこのイケメンだけは別だ。初めて出会ったときから、こうして冷たい言葉を投げかけてきたのだ。そこで私は他人事のように、事実他人事なのだが、鷹觜小百合を嫌う人間もいるんだな。それもイケメンで。と、思った。まあ鷹觜小百合も人間なのだから相容れない者もいるだろう。でも勝手に、美少女は全てのイケメンに好かれると思い込んでいた私には、衝撃だった。変なところで現実的だな、と、思った。

 そう、思ったのだ。

「ふん。だ、だがまあ、定刻より早く登校するのはいいことだ、いや、いいと言っても極普通であってだな、別に僕は君を褒めているわけではないぞ」

 思ったのにこのイケメンは、見事なまでにデレやがったのだ。

 見れば今も耳を赤くして、私から目を逸らし斜め上を見ている。そこに鷹觜小百合はいませんけど。

 結論から言えばやはり鷹觜小百合は鷹觜小百合で、イケメンには好かれる生き物のようだった。

 あれだね。普通の人とは一線を画した、別の生物だね。それが今の自分だなんて笑っちゃうよね。

「有難うございます」

「ほ、褒めていないと言ってるだろう」

「そうですね」

 兎に角このイケメンは初対面時から突っかかってきては最後にデレて、去っていくを繰り返す謎の生物だった。正直言うと初対面時にはときめいた。来たなイケメン! くらいの気持ちで迎え撃った。そして掛けられた言葉に、この鷹觜小百合の魅力が通じないだと……!? なんて、思った。思ったりもした。新たな展開にちょっとドキドキした。だがその直後のデレで全てが吹き飛んだ。イケメン、お前もか。なんて言葉が浮かんだ。自分に気がないイケメンを振り向かせる。これぞ、魔性……! とか何とか思ったのに! 残念である。その上このイケメンは、一日一回は小百合の前に現れてツンデレの見本をやらかすのである。どんだけ、どんだけお前は小百合が好きなのよ……! 正直美晴としては努力の方向性が涙ぐましくて、同情を覚えるレベル。これはちょっと今藤君と張るよね。もし今藤君も同じ学校だったら、このイケメンとは取っ組み合いの喧嘩になるのではないかと思う。いやでも、今藤君は兎も角、このイケメンは肉体派ではなさそうなので、嫌味の応酬で終わりかな。

「小百合から離れろこのストーカー!」

「何だねそれは、自己紹介かねストーカー」

「何だとお前!」

 で、こう、バキッと拳が飛ぶのだ。あ、結局飛んでしまった。手が出たら今藤君の勝ちだな。物理的には。そう思うと別の学校でよかったよね。鷹觜小百合の心の平穏のためにも。山田美晴としては面白くもあるんだけど。

「それでは、失礼致します」

 どの道会話が長続きする相手ではないので、早く去ることにする。

 いや別に私このイケメンが嫌いなわけじゃないんですよ。ただね、好き嫌いの前に全然知らないんです。実は名前も知らない。初対面からこんな感じで、当然自己紹介もなかったのだ。故に今更名前も聞き辛いというか、もし今改めて名前なんか聞いたら、凄い傷つけちゃうような気がして。悪い人ではなさそうなので傷つけるのは本意ではないのだ。その内機会があれば、本人以外の誰かに聞こう。因みに脳内データベースを探ってみても、何も浮かんでは来なかった。つまり本当に、初対面だったのだろう。そう思うと益々可哀想なんだよね。鷹觜小百合だと思って日々接してるだろうに、中身別人だ何て同情しちゃうよね……しかも報われそうにないし。うん。少なくとも私だけは幸せを願っておこう。

 めげずに強く生きるが良い、神経質そうなツンデレイケメンよ。

 そう心の中で語りかけながら、容赦なく横を通り過ぎた。

 こうして、鷹觜小百合の学校生活は幕を開けるのだ。うん。驚くなかれ、ほぼ毎日この調子ですよ。馬に乗ったイケメンは別として。あれはイレギュラーだ。多分もう会わないだろうが。

 美少女鷹觜小百合は、万能人間であった。

 他の誰でもない、私にとっては、だ。少なくとも山田美晴とは、比べるべくもなかった。山田美晴は平凡で、成績に関しては平均か、或いは平均よりも下だった。所謂中の下だ。その私が中身なのだから、今の鷹觜小百合だって平均以下の成績であるはずだった。その筈、だったのだが、現実は違っていた。

 不思議なことに、授業がすらすらと頭に入り、問題の答えが自然と浮かんでくるのだ。

 それは自然と言うより最早恐ろしいの域で、山田美晴であってもこの能力が欲しいと思わずにはいられなかった。もしそうであったなら、私の人生は違うものとなっていただろう。そうでなかったからこそ、これが夢だと分かるのだが。

 夢だ。

 山田美晴との差異を目の当たりにする度、夢であると思い知る。

 そして目覚めないことに疑問を抱くのだ。

 尤も授業のように考えたところで答えが浮かぶわけでもなく、ただ私は落胆するのだが。気落ちしたまま窓を見れば、磨かれたそこには憂いの表情を浮かべる美少女が映っていた。何をしても絵になる美少女、それが私こと鷹觜小百合なのである。我ながらちょっと悔しい。

「おはよう、小百合さん」

 声を掛けられたのは、教室に入り席に着いて暫くしてからだった。

 見ればそこには、鷹觜小百合までとはいかないが、それでも美少女がいた。あれだね。類は友を呼ぶよね。美少女の友達もまた美少女だった。

「おはよう、麗子さん」

 彼女は国京麗子。鷹觜小百合の数少ない友人だ。あのツンデレイケメンが、友人がいないとみえる、みたいなことを言っていたが、強ち嘘ではない。実は友人が少ないと言うか、本当にいないレベルなのだ。だがこれは別に鷹觜小百合の人間性に問題があるだとか、そういった特別な理由があるわけではない。この四月より編入してきたことが理由だ。霞宮学園はエスカレーター式で、通っている生徒の大半が初等部からの在籍なのだ。対して鷹觜小百合は高等部からなので、必然的に知り合いがいないのである。よって鷹觜小百合は、嫌われているわけではないが、浮いてはいた。しかも美少女故に近寄りがたい。その中で真っ先に声をかけ、今現在仲良くしてくれているのが、国京麗子なのだ。

 まあよくは知らないんだけど、この麗子さんもいい所のお嬢さんなんだろうね。

 十五、六歳と言う年齢からすれば、酷く大人びている。小百合も落ち着いている方だが、麗子はもっとだ。しかも、色気がある。こんな高校生いたら嫌だな、と、素直にそう思わせるのだ。美人だし優しいし、当然悪い子ではないのだが、年相応かといえばちぐはぐした感は否めない。まあ夢の中の友人だし、美少女は目の保養くらいに思っておこう。

「顔色が優れないようだけれど、何かあったの?」

 眉根を寄せて心配そうに尋ねる様には、女の私でもくらりとくる。

 いいよね、美少女、いいよね。そういう趣味ないんだけど、得した気分になっちゃう不思議。いやいや、何でもないっすマジで! お嬢さんを心配させるようなことは何も! とか、勢いで言っちゃいそうになるわ。危ない危ない。今の私は美少女鷹觜小百合。国京麗子と同じ、お嬢様なのだ。気をつけよう。いや別に、素が出ても別段困らないんですけどね。ただこうなってる以上、成りきってみるのも面白いかなって。お嬢さんの振りなんて、そうそう出来るものでもないし。

 で、何だっけ。何かあったかだっけ。

 うん。あったよね。色々あったよね。

 イケメンの執事に見送られ、イケメンの幼馴染に出会い、馬に乗ったイケメンに遭遇し、神経質そうなイケメンに絡まれる。

 色々、ありすぎたよね。

 寧ろイケメン祭りだよね。

 いっそイケメンを担ぎ上げたいよね。神輿のごとく。いや、この場合、担ぎ上げられるのは、イケメンではなく鷹觜小百合か。複数のイケメンに担がれる鷹觜小百合。って、何のプレイですかそれ。いやいやプレイと言うから聞こえが悪いのだ。儀式にしよう。神聖な儀式にしよう。してどうする。そもそも、何かあったかと問われ、こんなことが言えるだろうか。無理である。

 私は何も考えなかった。そう、理解し難いことは何も考えなかったのだ。うん。そういうことにしよう。

「いいえ、何も。ただ、世の中いろんな方がいるなと思っていただけなの」

 そうだね。世の中には色んなイケメンがいるよね。少なくともこの鷹觜小百合の世界には、イケメン、い過ぎるよね。世界は広いどころか狭いよね。第一、夢の中だしね!

「あら、それは例えばどういった方なの?」

 濁したつもりが食いついてこられた。

 どうしよう。こうなると、何か具体例を出さないと不自然だよね。

 イケメン執事見習い、イケメン幼馴染、馬上のイケメン、神経質そうなイケメン。さあ、話題に出すならどれが無難か。

「薄い灰色の髪に眼鏡を掛けた神経質そうな先輩? とか」

 先輩? と、思わずクエスチョンマークをつけたのは、本当に知らなかったから。だがあの話し方と言い、見た目と言い、同い年ではないだろう。多分先輩だ多分。取り敢えず話題に出すなら、同じ学校の人がいいと思って眼鏡のイケメンにしました。他のイケメンは、説明が難しいし。特に馬に乗ったイケメンは。やっぱどう冷静に考えても普通じゃないよね、あれは。もしかしたら幻覚だったんじゃないかな。話してしかも触れちゃったけど。そもそもこの世界自体幻覚みたいなもんなんだけど。よく出来た夢です。

「それって、三年の佐飛先輩かしら?」

 適当な私の例えに、少し首を傾げて麗子が言った。

 余りに早く名前が出てきて、思わず目を丸くしてしまった。え、そんな直ぐ思い当たっちゃうの? 他にもいそうな特徴だと思ったんだけど。って、灰色の髪はそうそういないか。なんて言い出したら、この世界はいない者だらけなんだけど。

「そうなの?」

「あら、ご存じないの?」

「実は全然。麗子さんは知り合いなの?」

「いいえ。ただ私は初等部から通ってるから、ちょっとした有名人なら知ってるのよ」

「有名人なの?」

「だって、格好良いでしょ?」

 成程。思わず納得。確かに格好良かった。イケメンだった。そしてイケメンは有名になれる。確かに。確かにそうである。世の女子の大半は、イケメンが好きなのだ。

 ちょっと神経質そうで明らかにツンデレだが、それを上回るイケメンであることは間違いなかった。

「小百合さんこそ、どうして知ってるの?」

「実は話しかけられて」

「あら、羨ましい」

「羨ましい?」

「そりゃあ、羨ましいわ。何て話しかけられたの?」

「友達がいないようだって」

 そう告げると、麗子が口元に手を当てた。

 まあ、と、言う驚きの声を飲み込んだように見えた。が、その実笑いを堪えているようにも見えた。まあ、確かに笑っちゃうよね。ある意味事実だし。

「失礼ね、佐飛先輩。私がいるのに」

 そう思っていたのだが、口元に弧を描いたまま、麗子はそう言ったのだ。

 うん。いい子である。少し感動してしまった。そうかー、分かってはいたけど、麗子さんはお友達なんだなあ。鷹觜小百合の。そう、あくまで鷹觜小百合の友人であって、私の友達ではないのだ。ちょっと寂しい事実である。今話してるのは間違いなく私なんだけどね。

「本当、麗子さんみたいな素敵で美人な友達がいるのにねえ」

「ふふ、小百合さんたらお上手ね。でも私も嫌味でもいいから話しかけられてみたいわ」

「そう?」

「そうよ。出来ればお近づきになりたい」

「分かるような、分からないような」

「どうして? あんなに格好良いのよ。お付き合いしたいわ」

 さも当然と言わんばかりに告げられた言葉に、驚いてしまった。そして私は思わず、感嘆の声を漏らしそうになったのだ。

 言い切った。言い切ったよ、彼女。お付き合いしたいと。

 なんと、国京麗子さんは、お嬢様でありながら肉食系女子だったのです。

 そりゃあ、色気もあるわ。いいよね、こんだけ美人でガツガツしてたら、そりゃあ、いいよね。何かあの、逆にホッとする。やはり良い女には積極的に良い男を狙いにいって欲しい。変な謙遜されるより余程いい。清清しい。

 私は、彼女を応援したい。

 もし友人でなくとも、応援したい。そう、思った。そしてこの美少女に押し倒される、神経質なイケメンを想像してキュンとした。それもそれで、凄くいい気がする。うん。

 格好良い相手とお付き合いしたいなんて、極々普通なことだ。珍しいのは、それを素直に口に出せるか出せないかで、出しても嫌味じゃないのが美少女だ。

「小百合さんは、どうなの?」

「格好良いに越したことはないけど、もう少し普通でいいです」

 考えたわけでもなく、すらりと口から出た。すなわち、本音であった。

 確かに私は目覚めてから、イケメンを見れば感激し、求婚紛いのことも口にしました。だけどそれは、相手にされないだろうと言う変な安心感からくるものだったのだ。最初は。寧ろ、青髪イケメン、西園寺さんの場合は。思わず求婚しちゃうくらいのイケメンでありながら、しかし山田美晴には応えないだろうという絶対的な自信がそうさせたのだ。流されてもいい。流されるくらいがいい。でもちょっと期待もしちゃう。みたいな。そういう淡い気持ちだった。そういうふわふわとした気持ちで、イケメンとは接していたかったのだ。だが今は違う。私は山田美晴ではなく、鷹觜小百合なのだ。幾ら私が曖昧な、寧ろ遠くから眺めているような関係を望んでいても、イケメンの方からやってくる。それはそれで願ってもないような、やはり、分不相応なような、複雑な気持ちなのだ。後なんか、適当にあしらうのも気が引けると言うか。何といっても見た目は鷹觜小百合だし、彼女のイメージを壊すのも気が引けるし、イケメンには優しくしたい。第一、山田美晴はあしらわれる方だったので、尚更だ。

 そりゃあ、イケメンは好きですよ。でも、私とは釣り合わない。山田美晴は平々凡々だ。多くは望まない。本気で恋愛するなら、自分だけを見てくれる極普通の人がいい。今寄ってきているイケメンは、あくまで鷹觜小百合の見た目に惹かれているのだ。今藤君に限っては、見た目も、だろうけど。別に、それが悪いことだとは言わない。私だってイケメンイケメン言ってる身だし、何より見た目に惹かれているのは他でもないこの私だ。それでも、今現在の私としては複雑だと言うだけ。大体、見た目は鷹觜小百合ですが、中身は山田美晴十九歳です。なんて、言ったところで誰も信じないだろうし。

 困ったものだ。

 溜息を吐きそうになって、寸でのところで堪える。突っ込まれても困るし。

「小百合さんは、謙虚なのか贅沢なのかよく分からないわ」

 麗子さんが眉根を寄せて呟いた。

 鷹觜小百合もそうだが、美少女はどんな表情をしていても、美少女である。羨ましい。と、そう思ってしまうのは、どうしても自分が山田美晴であると言う意識から抜け出せないからだ。

 謙虚か贅沢か分からないと言うが、あくまで私にとっては普通だ。でもそれは小百合にしてみれば、そう取られるのだろう。超絶美少女が望むには、普通の相手が良いだなんて謙遜に聞こえるのだろう。贅沢と言うのは、佐飛先輩とやらでもお気に召さないなんて、と、思われているに違いない。いや、佐飛先輩もいいんだよ。ただ会話が長続きしなさそうだとか、後やっぱりあのデレなんですよ。寧ろ未だツンの方が耐えられる。今はまだあの程度でも、全力でデレてこられたらあの美貌も相俟って、私は参ってしまう。デレ禁止令とか出しちゃう。な、何というデレパワーだ、このイケメンめ……! とか、内心で一々突っ込んで、恋愛している場合じゃなくなってしまう。どんだけ耐性ないの自分。

 でもきっと、麗子さんなら違う。彼女ならきっとあのデレにも通常対応出来るのだろう。何せ生まれたときから美少女だろうし。イケメンにも慣れているに違いない。

「私は、麗子さんは素直でいいと思うよ」

「あら、応援してくださるの?」

「佐飛先輩を本気で狙うのなら」

 イケメンを手玉にとる美少女と、美少女に手玉に取られるイケメンを、ちょっと見てみたいと思いました。何というか、あのイケメンと麗子さんが付き合ってるのを想像すると、自然とそうなる。不思議。どうも私の中で麗子さんが本気で肉食系に分類されたようです。

「それじゃあ駄目ね。別に佐飛先輩じゃなくても良いんだもの。格好良ければ」

「乙女心は複雑だね」

 紛うことなく、女子の本音であると思ったので相槌を打った。

 誰だって付き合うなら格好良い方がいいよね。身の丈にあった格好良さがいいとか考えちゃうのは、ある意味逃げの思考だよ。振られるのは嫌だし、怖いもの。しかしそれは私のように小心で、見た目も中身も平凡な女子の考えだ。麗子程美人で肉食ならやはり上を狙うべきで、それが当然なんだろう。

 私の返答が意外だったのか、麗子は少しだけ驚いた顔をした。

 もしかしたら、否定が返ってくると思っていたのかもしれない。格好良ければ誰でもいいなんて、美少女でしかもお嬢さんが言うこととは違うものね。でも女子の考えとしては、ある意味大前提だよ。

「小百合さんて、見た目よりずっと素敵ね」

 驚きは一瞬で、そう言ったときにはどこか楽しそうに笑みを浮かべていた。

 口元に手を当て、ふふ、と、上品に笑ってみせるのだ。流石お嬢さんである。

 その笑みの意味するところは分からなかったが、目の保養だと思うことにした。もしかしたら彼女は友人として、小百合を試したのかもしれない。本音が言えるかどうか。尤も今の鷹觜小百合の中身は私なので、試した意味があるかどうかは微妙なところだが。

 さて、どうしたものか。

 目前の美少女微笑を眺めながら、現状に慣れるべきか、慣れてしまってもいいものかと考える。これは夢だ。夢の中だ。そう、事あるごとに自分に言い聞かせる。けれど覚める気配は一向になく、私は徐々に焦っていくのだ。これが夢で、或いは願望だとして、私が望むべきは何かと。もしかしたら次々出てくるイケメンと恋に落ちればいいのかもしれない。それが私の望みなのかもしれない。ただの平凡な人生に飽きたのかもしれない。だからこんな、美少女でしかもお金持ちのお嬢さんになっているのかもしれない。そして又明日も、イケメンと出会うのかもしれない。

 果たして、そうだろうか。

 答えは出ない。

 答えをくれる人もいない。

 それでも一つ、確かなことがある。

 

 私は鷹觜小百合ではない。山田美晴、十九歳なのだ。




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