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-秋-

-秋-

時を止めた男の孤独。


 ここは暗い、と彼は一人呟いた。誰もその声を聞くものはなく、言葉を返す者も誰もいない。

 もう随分と昔から、彼はそこに一人きりだった。彼の知らぬ昔からある一枚の絵画だけが、彼の友だった。

 広い屋敷を満たす暗闇は、儚げな焔しか灯せない小さな蝋燭では救いようがない。しかしそれでもそれ以上の灯を点そうという気にもなれず、彼は闇の満ちる部屋の中で、一人絵画の前に置いた椅子の前に座った。

 静かな、と思ったのも一瞬の間、扉の外で雷鳴が轟いた。それを合図に秋の嵐が戦慄(わなな)き始める。静寂を好むというわけではない。かといって、こちら側の静寂を非難するような轟音は孤独を呼んで、柄にも無く、物悲しい気分にもなる。

 そういえば、昔あの重い扉を開いてやって来た美しい客人は今どこにいるのだろう。あれから再び扉の開いた記憶は無く、なればまだこの闇のどこかに息を潜めているのだろうか。

 永久(とわ)に愛をと、そう囁いたのはどちらであったろうか。それは彼にとっては嘘よりも甘く、真実よりも気の触れた戯れの花だ。

 狂おしくその身を掻き抱こうと、いずれ朽ちていくのは一つだけ。置いて行かれるのは自分だけ。それが分かりすぎる程によく分かるから、そんな言葉は彼にとって呪いと何ら変わりない。

 もう自分がどれ程の時をこうして生きてきたのか、覚えてはいない。誰かが言った永久の時間(とき)というものを、どれだけ数えて来たことか。

 どれ程の時間の糸を紡ごうと、何度月の光りを身に浴びようと、時計の針は鳴り止まなかった。本当に己を閉じ込めているのは、扉の外で戦慄く秋の嵐ではなくて、時計(こちら)の方だと知っている。

 彼は小さな蝋燭の灯に揺らめく絵画を、うっとりと見つめた。

 抗うことの出来ぬ牢獄に囚われた自分を、唯一この友だけが救ってくれる。唯一にして絶対の友は、どれだけ雷鳴が轟こうと、地を揺らす程の豪雨が窓を叩いても、自分と同じで時を進めようとはしない。一枚の絵画だけが、自分のこの苦しみを共に分かち持ってくれる。

 闇しかいない扉のこちら側で、友人と二人、止むことのない嵐が寝静まるのを、彼は静かに待った。時折ふと思い出すのは、やはりあの客人の事だった。

 あの美しい客人の声で、身を震わせたのはいつの頃だったろうか。その声に身を震わせていた間だけ、嵐は声を潜めて身を隠していた。

 闇を恐れることの無かった己に、その深さを教えたのはその客人だった。この闇の中に光を持ち込んで、その温さを教えてくれたのもその人で、それが眩し過ぎて目を反らしたのは自分の方だ。

 それからの闇は、いっそうの冷たさを持って自分を包むようになった。もしまた、あの時のような幸いを知ってしまえば、次はその足音にも怯えてしまうことだろう。気づかなくとも良い孤独の味を、知ってしまうようになるだろう。それが恐ろしいようでもあり、待ち遠しいようでもある。

 不意に、閉ざした扉の向こうから、扉を叩く音がした。嵐の音ではなくて、轟音の合間に、嵐に見舞われた哀れな旅人の声が聞こえた。


 ――ああ、絵画(とも)よ。光がやってきた。


 彼は立ち上がり、打ち震える心に応えるように燭台に手を伸ばした。

 これが幸いか、或いは災厄か。どちらでも構わないと、彼は笑った。

 扉の外で、哀れな美しい旅人が、その闇が開くのを待っている。

 あの美しい客人は知らぬ間に消えて、今はその骨しか残らない。けれどまた、新しい客人がやって来た。


 こん、こん、こん。


 扉の外で待つ旅人は、その奥にある暗闇を知る由も無い。

 扉の前で彼は振り返り、闇の奥で静かに揺らめく友人を見やる。時計の針はいつも通りの時を刻んで、唯一の友は相変わらず、先と何も変わらぬ顔でそこにいる。

 今度こそ、大丈夫だ。

 音を刻むことを止めた自身の胸に手を置いて、彼は一度目を瞑った。


 新しい客人の為に、晩餐の用意をしなくては。


 声にならぬ音でそう呟いて、彼は重く閉ざされた扉の取っ手に手を掛けた。


 ――ああ、貴方こそ、この胸にまた時の音を響かせてくれる、唯一の光。



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