-夏-
-夏-
妖精とそれに惑わされる恋人たち。
少年がいつ、そこにいたのかは分からない。けれど気がついた時にはもう、ただそこに与えられたキャンバスの広さだけが、彼が知る唯一の世界で遊び場であった。
自分をそこに生みだした人が――自分をそこに描きだした人が何を思っていたのかなど、少年には知る由もない。ただそこでどうやって遊ぶかということだけを、少年はいつも考えていた。
キャンバスの中は、いつも気だるい温さで満ちている。情景は夏だ。描かれた絵画の中は、時の移り変わるのを知らぬままに時を重ねる。絵画の中の住人たちは、誰もそのことに気づかない。
何も知らない絵画の住人たちは、それぞれに与えられたものも、何も知らない。それを彼らが知る必要は無く、彼らもまた、それを考えようともしなかった。
少年は瞳を閉じて、愛を囁く住人たちの営みを聞いた。聞きながら、その馬鹿らしさにくすくすと笑う。
少年を、彼らを生んだ創造主が何を思っていたのかを、彼らは誰も知らないが、その手から描きだされた住人たちは愛することしか知らないでいる。互いに愛を囁いて、永遠を誓い、瞳を震わせる。それを見つめながら、少年は面白そうにくすくすと笑った。
愛など何と滑稽か。何と無様な姿だろう。そう呟いたのは彼の創造主の声だった。
その人こそが誰より愛に飢えていたことを、少年は知らない。
愛を囁くことさえ知らず、愛を囁くことしか出来ない者に侮蔑を向け、誰も知らぬところで憧憬する。そんな創造主に同情などなく、誰も知らぬ所で朽ちていった。
けれど少年は、創造主がそう在るようにと望んだ通り、どこまでも奔放であった。
愛は尊い。愛は永遠。これは運命。なんて、とんだ子供騙し。
住人たちのその愚かな営みが、とても愛おしい。愛することの意味を知らない少年が、唯一彼らを愛しいと思うのはそんな時。
例えばあちらとこちらの住人を、夏のまやかしにかけて出会わせる。あちらで愛を囁いた彼が、こちらで貞淑を誓った彼女が、その場限りの言葉で契りを交わし、奈落の底に落ちていく。
何て愛おしい、何て愚かしい、何て面白い。
永遠がどんなものかも知らないで、簡単にそれを口にして、夏の気だるい日差しの中で踊り狂う。時折、それに紛れて少年も踊る。
踊りながら、またこちらとあちらを悪戯に繋ぐ。奈落がまた少し深くなる。
ああ。もっと、もっと、貪欲に。
笑いながら少年は歌う。住人たちは涙して、飢えて乾いてまた踊る。
一つが笑い、一つ泣き、一つが怒って、一つが嘆き、一つが話して一つが聞かない。一つが増えて、一つが消えても知らんぷり。みんな勝手で面白い。
もっと、もっと、と少年は急かす。
住人たちを惑わす悪戯の精は、ただ奔放に戯れた。
もっと、もっと、と少年は歌う。
愛することの意味が解らない、まだ生まれたばかりの小さな精霊だから、彼らの言う言葉の意味も解らない。けれどただただ、踊り狂う住人たちが面白くて堪らない。
教えてほしい、その言葉の意味を。何度繰り返しても終わることのない、下らない営みの意味を。
そうしたらきっと、もっと面白いことが起こるのでしょう?
また一つ、戯れに二つを引き裂きながら、少年は微笑んだ。
――ああ、まだまだ遊戯は終わらない。